しあわせの三毛ねこ
みけは、三毛模様の美しい三毛ねこでした。
男の子の三毛ねこは、とても珍しかったので、幸運を招く《しあわせの三毛ねこ》と呼ばれていました。
みけが、漁師のおじさんの釣竿を舐めると、その日はいつもよりたくさんの魚が獲れました。
みけが、お母さんねこのおなかを撫でると、可愛い子ねこが元気に生まれてきました。
みけが、幸運を招くと、みんなが「ありがとう」と言ってくれました。
そんなとき、みけは、くすぐったいような嬉しい気持ちになるのでした。
空を流れる雲のような真っ白な毛。
優しく包み込む夜のような真っ黒な毛。
大地を見守る巨木の幹のような茶色の毛。
みけは自分の三毛模様が大好きでした。
ある春の日のことでした。
みけは、仲良しのお菓子屋さんに貰ったアイスを舐めながら、公園を散歩していました。
桜の花が白く光り輝き、蝶々が忙しなく飛び回っています。
ぽかぽかと暖かい日で、ちょっと気の早いアイスが気持ちよく口の中に溶けていきました。
「おいしそうね」
見知らぬ女の子がベンチに座っていました。みけのアイスのように真っ白でふわふわの毛皮です。
「私は、しろ。あなたは?」
「僕は、みけ」
みけは、思い切って言いました。
「君も舐める?」
おずおずと、アイスを出します。
「いいの!?」
しろは、ひげをぴんと立てました。「私、甘いもの大好き!」
ぺろり。
しろがアイスを舐めます。
「おいしい!」
お日様のような笑顔で、みけにアイスを返しました。
みけがぺろんと舐めて、また、しろに渡します。
ぺろり。
ぺろん。
ぺろり。
ぺろん……。
みけは楽しくなってきました。
一人で食べてもおいしいアイスでしたが、二人で食べるともっとおいしいのです。
ぺろり。
ぺろん。
ついにアイスはなくなってしまいました。
「おいしかった!」
二人は同時に叫びました。
「ありがとう!」
しろは、しっぽをぴんと立てて、みけの手を握りました。
そのとき、「しろちゃーん」という声が聞こえてきました。白い袋を持った、しろによく似た女の人が手を振っています。
「お母さんだ。私、行くね」
みけは慌てて尋ねました。
「また、逢える?」
「うん。三週間後に、また来なきゃいけないから」
みけは、今度逢うときもお菓子を持ってこようと思いました。
心が、ほんわかあったかでした。
三週間が過ぎました。
みけの手の中には飴細工の青い魚が二匹入っていました。仲良しのお菓子屋さんが作ってくれたものです。
みけがそっと手を開いたとき、しろは「すごい、すごい!!」と、ひげをぴんぴんにしました。
「食べちゃうのがもったいないわ」
飴の魚をつつきながら、しろは言いました。みけも同じ気持ちです。
温かい風が吹いていました。
青い菫の花がさやさやと揺れています。
額を寄せて飴を眺めていましたが、だんだん溶けてきました。
二人は「えーい」と同時に飴を口に入れました。
「おいしい!」
右に、ぽこっ。
左に、ぽこっ。
みけが、かわりばんこに頬を膨らませると、しろが口から飴を落としてしまいそうなほど大声で笑いました。
口の中から飴が消える頃、しろのお母さんが迎えに来ました。また白い袋を提げています。
しろは淋しそうな顔をしましたが、「ありがとう。また三週間後ね」と行ってしまいました。
みけの心は、きゅうっとしぼんでしまいました。
去っていく二人を見ながら、ふとお母さんが持っている袋をどこかで見たような気がしました。
帰り道、みけは、はっとしました。
公園を出たところには、とら先生の病院がありました。白い袋は薬の袋でした。
また三週間が過ぎました。
みけは果物を練りこんだ素敵なクッキーを持ってきました。
袋の中から溢れ出す甘酸っぱい香りに、しろは嬉しそうに鼻をひくひくさせました。
しかし、みけは耳を垂れていました。
「しろは病気なの?」
みけは尋ねました。
しろは目を伏せました。
「うん。難しい病気なんだって。今まで近くの病院に通っていたけれど、とら先生の病院のほうがいいって言われて……」
とら先生は有名なお医者さんです。遠くから通ってくる患者さんもたくさんいます。しろは、そんな患者さんの一人だったのでした。
満開になった赤い薔薇の花びらが一枚、音もなく地面に落ちました。
みけは、顔を左右に振ると、元気に言いました。
「僕は《しあわせの三毛ねこ》なんだ。だから僕が一生懸命お願いすれば、病気なんか、すぐ治っちゃうよ!」
そうです。みけは《しあわせの三毛ねこ》なのです。
みけは得意げに三毛模様を見せました。
クッキーを食べ終わる頃、迎えが来ました。
しろは、「ありがとう」と言って、みけの頬をぺろりと舐めました。みけは、薔薇に負けないくらい真っ赤になってしまいました。
「また三週間後に」
しろが手を振ります。
三週間後に、また診察があるのです。
「しろの病気が早く良くなりますように」
みけは、自分の三毛模様に願いました。そして、ぺろぺろと丁寧に毛皮を舐めました。
三週間が経ちました。
梅雨の晴れ間に、紫陽花が美しく咲き誇っています。
「今日も雨だったら、どうしようかと思っていたの」
しろは、あまり外に出られないのです。とくに雨の日は駄目なのです。
みけは、悲しくなりました。
しろは、一昨日の朝、羽化したばかりの蜻蛉が、野原にやってきたことを知らないのです。
しろは、昨日の晩、飛べるようになった蛍が、夜の川を照らしていたことを知らないのです。
耳が垂れてしまったみけを、しろが心配そうに見つめていました。みけは慌ててお菓子の容器を出しました。今日は不思議な甘い香りのプリンです。
みけは、しろの知らない話をたくさんしてあげました。
しろは「まあ!」とか「ええ!?」とか言いながら、ひげをぴんぴんさせました。
帰るとき、しろは「とっても楽しかったわ。ありがとう」と、お日様のような笑顔を見せてくれました。
みけは、いっそう丁寧に自分の三毛模様を舐めました。
しろと一緒に見たいものが、とてもたくさんありました。
また三週間が経ちました。
お日様の力が強くなってきました。だらんとお腹を見せてベンチに座るみけを、池に浮かぶ白い睡蓮が涼しげに笑っていました。
病院のほうから、しろの姿が見えました。
いつもと違う気がします。
少し、痩せました。夏毛に変わったからでしょうか。
「みけ!」
しろが走ってきます。みけはお菓子の包みを置いて、ベンチから飛び出しました。
「しろ!」
ぎゅっと、しろを抱きしめます。
ふわふわの毛皮の中身は想像以上に小さくて、みけはびっくりしました。
みけの腕の中で、しろは、ひげをぴんとさせましたが、すぐにお日様のような笑顔になりました。
そして二人は、お菓子の待つベンチに向かいました。
今日は、みたらし団子です。
たれをこぼさないように、二人とも黙って注意深く口に運びます。
真剣に食べるお互いの顔がおかしくて、どちらからともなく、くすりと笑いが漏れました。
その途端、みけの毛皮にたれがぽとん。しろの毛皮にたれがぽとり。
「しろ、たれがついたよ」
「みけもよ」
やっぱり楽しくお喋りしながら食べることにしました。そのほうが、ずっとおいしいのです。
食べ終わった後、お互いの毛皮を舐めっこしました。
「本当に美しい三毛模様ね」
みけの毛皮を舐めながら、しろは言いました。
「今、しろの病気が早く治るように一生懸命お願いしているから」
みけは焦っていました。
毎日、毎日、三毛模様を丁寧に舐めているのに、しろの病気は良くならないのです。
「いつもありがとう。この次は私がお菓子を持ってくるわ」
しろは少しだけ恥ずかしそうに言いました。
そして、三週間後。
いつまで待っても、しろは来ませんでした。
しろの笑顔のような向日葵が咲いているのに、しろはいないのでした。
ぎらぎらと照りつけるお日様に、みけは負けるものかと歯を食いしばりました。
今日は病院が混んでいるに違いありません。
一番星が見えたとき、みけはとら先生の病院の扉を叩きました。もしかしたら診察日が変わったのかもしれないと考えたのです。
「しろ君か……」
とら先生は黙ってみけを車に乗せ、しろの家に連れて行ってくれました。
しろは、花に包まれて眠っていました。
しろのお母さんが黄色いリボンの箱をみけに渡してくれました。中には、溶けかけたチョコが入っていました。
「しろちゃんがあなたに、って。夏だけど、どうしてもチョコをあげたい、って」
しろのお母さんは目頭を押さえました。
「病院の大嫌いなしろちゃんが、とら先生のところへ行く日を楽しみにしていたのよ」
ハート形のチョコの真ん中には、砂糖で『ありがとう』と書いてありました。
みけの目の前がぼやけてきました。
「僕が《しあわせの三毛ねこ》なんて嘘だ!」
喉が熱くなります。
「だって、しろを助けられなかったじゃないか!」
みけは自分の毛をむしりました。
白。
黒。
茶。
三色の毛が、ふわふわと宙を舞いました。
とら先生としろのお母さんが止めても、みけはやめませんでした。
肌から血が滲んでも、みけは毛をむしり続けました。
みけは、とら先生のところで勉強して、お医者さんになりました。
とら先生と同じくらい有名なお医者さんになりました。
それでも。
重い病気の患者さんや、酷い怪我の患者さんを助けることはできませんでした。
患者さんが息を引き取るとき、泣きながらみけは言うのでした。
「ごめんよ、ごめんよ。助けられなくて」
みけのひげから滴り落ちる涙の雫を受けながら、ベッドの上の患者さんは笑うのでした。
「先生、ありがとう」
ある日、みけは懐かしい声を聞きました。
「また逢えて嬉しいわ」
目を瞬かせると、お日様のような笑顔がありました。
「天国に来たあなたの患者さんは、みんな口をそろえて言うのよ。あなたに逢えてよかったって。あなたに逢えて幸せだったって。やっぱりあなたは、《しあわせの三毛ねこ》だったのね」
みけは白いふわふわの毛皮を抱きしめました。
「ずっと言いたかったことがあるんだ」
ありがとう。
大好きだよ。