【92】旅立ち
今回で最終話です。
「今後、あなたが成長する為には、マール・アルマに会わなければならないわ」
それが、スフェーンがガーネットから言われた言葉であった。
スフェーンは、その素質を見いだされた時から、マトラ王国最強の魔導士と言う看板を背負って生きて来た。しかし、当人がそれをどの様に受け入れているのかは誰一人知るところではない。
最強の魔導士とはどの様に定義するのか。最高の才能を持つ者を暫定的にその様に呼でいるのか。
世の中には才能を持ちながらも、その才能を生かす事ができぬものが多く存在する。また、才能を持たない者でありながらも、努力によって才能を持つ者を凌駕する事もある。
スフェーンとて、未だ成長を続けるその能力を、経験の不足によって生かし切れているわけではない。たとえ大した素質を持たなかろうと多くの経験を積んだ魔導士と戦った場合どうなるのか。当事者である多くの魔導士ならば後者が勝利するのではと予想するだろう。
しかし王国の興味する所はそこではなかった、才能を持つ者が同様に努力をしたのならばどうなるのか。最高の素質を持つ魔導士であるスフェーンには期待が強く寄せられていたのだ。
スフェーンはマール・アルマと出会い、彼女の強さを身をもって体験する事となった。
「そうだな、5秒……いや。3秒持ちこたえられたらおまえの勝ちとしよう」
マールは、5本の立てた指を2本折って3本の指を残して見せた。それにあっけにとられた顔のスフェーンだったが、すぐに表情を引き締めてその条件で受けた。いくらマールが真の実力ナンバー1だとしても、そこまで瞬殺されるものかと思っていたからだ。
この3秒と言う時間は、実際の魔導士同士の戦闘結果に準ずるもので、開始からの3秒後には勝敗が確定し、5秒後には結果だけが残る事がほとんどだ。どんな大魔法が使えると言う事よりも、いかに高速に的確な魔法を発動させられるかが重要だ。
もちろん、パーティーを組んでの戦闘であればその限りではないのだが、生存率に左右するのはとっさの状況における高速で的確な魔法発動がとどのつまりとなる。その事は、いまだ経験の浅いスフェーンとて知る常識であった。
シンナバーの戦闘開始の合図とともに、スフェーンは対人向けの即時発動魔法をマールに向かって発動させた。その時点でまだ開始から1秒にも満たない時間しか経過しておらず、マールもまだ何もせずにその場に立っていただけだった。結果、勝負はスフェーンの発動したその魔法の一撃が付ける事となった。
スフェーンの負けである。先に魔法を発動させ、マールは何の魔法も発動させていないにも関わらず、だ。
なんとスフェーンが発動した魔法は、マールを攻撃する事はなく、術者であるスフェーンを攻撃した。はたから見ると、スフェーンが自分の魔法で自爆しただけに見えた。
使用する魔法の威力を弱めていたとは言っても、そこは精霊魔法使いの魔法である、十二分に即死を与えられる威力が込められていた。
事前にシンナバーがスフェーンに一定量のダメージを無効化する強化魔法を施していなかったら命を失っていたかもしれない。それでも、全てを受け切るまでには至らず、スフェーンは若干のダメージを受ける事となった。万全にホーリーシールドまでも展開していたならばダメージを受ける事はなかったろうが、この戦闘では、光の幻影や属性耐性、鉄壁のホーリーシールドなどの施術をする事をマールに禁止されていた。痛みを感じる事が重要であるためだ。
たった1秒で決着がついた。無論、ここでスフェーンが勝利したならばそれはそれで問題はない。最強の魔導士としての実力が伴っていると判断されただけだ。
『スフェーン! 自分を攻撃するってなにやってんのーッ!?』
回復魔法を使い、スフェーンのケガを治しつつ言うシンナバーの声が辺りに響いた。
「アハッ。なんでかしらぁ?」
スフェーンにも意味がわからなかった。自分で発動した魔法が自分の言う事を聞かずに襲って来た。そんな事は今までただの1度もなかった事だ。
「おまえの事は、アローラから頼まれていてな」
「アローラ先生に?」
スフェーンとシンナバーは顔を見合わせた。
アローラはエクトでの戦いで命を落とした。シンナバーをマールに託したと言う事は、自分はもうスフェーンの育成を継続できないと言う覚悟を決めたからだろう。だとしたら、マールに信書を送ったのは戦闘前と言う事になる。誰の目にも普段と変わらなく見えていたアローラが、既に自らの死を覚悟していた事を二人は今知ったのだ。
突然スフェーンが大声を上げて泣き始めると、そばにいたシンナバーが驚いていた。
「あたしがっ、あたしが弱かったから……」
悔しそうに泣くスフェーンを、シンナバーは黙って抱きしめてあげている。
「思い上がるなよ、実戦を大して積んでいないおまえが弱くて当然だ。悔しがるのはいいが、だからと言って自分を責めるのは違うのだ。それは、わたしら軍の方に責任がある。おまえがアローラを慕うのならば、アローラの意思を継いであげる事だ」
激しく泣いていたスフェーンだったが、マールの言葉を聞いて泣くのをやめた。
「あ、アローラ先生の意思?」
「そうだ、おまえを名実ともにマトラ最強の魔導士にしてやる」
この日、スフェーンはアローラの意思を継ぐためにマールの弟子となった。
ところで、スフェーンが自分で発動した魔法を食らう事になったのは、マールがその権限を無理やり奪いとった事にあった。
通常、自分で発動した魔法は自分のもので、他人が発動した魔法は他人のものだと言う意識を無意識の内に持っているものだ。しかし、もし他人が発生させた魔法を自分のものにできたならばと考えてみてほしい。攻撃対象にも近く、既に発動しているため魔力消費も抑えられる。
マールは過去に権限の意識が弱かった事により、魔法を発動させる事で苦戦した時期があった。その経験があってこそ会得できた技術なのだが、ほとんどの魔導士は権限などを意識する事などない。その場合、自分の魔法は当然自分のものだと思っているために、発動させた魔法に対する権限強度が弱いものなのだ。
イシェルが目覚めるまでの一週間、スフェーンは権限強度を強める事と、他人が発動させた魔法を奪う修行をみっちり行う事となる。
その修行には先日の罰として、ナシルとミシリエも強制参加させられたらしいが、案外と楽しみながらやれた様だ。
その間ヘタレ格闘家は、シンナバーに格闘技術をみっちりと仕込んでいたらしい。
そして一週間経ってイシェルは目覚めたが、イシェルはシンナバー達と旅をしていた期間の一切の記憶が欠落していたため、彼女とはここで行動を別とする事になった。
イシェルはマールの保護下に置かれたが、イシェルは幼い頃にマールと会っていた事を何となく覚えていたらしく、それなりにうまくやっている模様である。
不思議なのは、イシェルの恋愛対象が女性から男性に変化してしていた事と、初対面の者を敵視する事が多かった性格が、少しだけだがマイルドになっていた事だ。
ヘタレ格闘家は、シンナバーに格闘技術を仕込んだ後、満足したらしく風が吹く様にどこへともなく去って行った。去り際にシンナバーからヘタレと呼ばれ、その時彼は初めて「バディア・トーンだ」と訂正していた。
とは言え、武道大会の時もその名前で登録して出場していたし、旅の道中にも何度か名前は出されていたのだが、シンナバー達にはその本名よりもヘタレ格闘家と言うあだ名の方がしっくり来ていたため呼ばれる事もなかったし、覚えられる事もなかった。実に不幸な男であった。
シンナバー達と別れた後、バディアは再び自由な旅を行う事となる。その道中にはさまざまなエピソード、時に恋愛にからむものもある様だが、それらはここでは触れないでおく事にする。
友好国の来賓として国葬に出席していたミカルラは数日間王都に滞在した後、シンナバー達が見送る中祖国へと帰って行った。そのルートはナボラを経由してワッカ運河を上るルートを使う様だ。距離的にも時間的にも、ラーアマーへ到達するには一番近く安全でもある。ジダンの動きが活発なため、ラーアマーまで軍が運河沿いにも配置されて徹底した護衛がされる事だろう。
さて、ナシルとミシリエの事をミカルラが引き受けた事で、なぜコランドがやって来たのかについて詳しくは触れてはいなかった。
ミカルラは最初はマトラ王に直接口利きをしようとしていたのであるが、外務大臣のフランシムが気を利かせ、その種の事に最も適任する者を紹介していた。それがルビーの祖母であるコランドである。
既に軍が二人をジダン協力者の現行犯として案件を上げてしまっていたため、不問にする事は難しかったのだ。そこで最後まで名前などは吐かなかった事にして、無名のままに人形を代わりに処刑したと言うわけだ。コランドが手慣れていた様子から、あの様な事は初回ではないと言う事がわかる。
国葬式典を襲った者達や、イシェルの能力によって捕獲された300人以上のジダン関係者のその後であるが、誰しもが想像していた様に全員極刑を言い渡され、襲った者たちは公開処刑にして残りは密で処刑された。その中には幼い子供までが含まれていたが、ジダン関係者に情状酌量がされる事はなかった。
数日後の朝、王都を出発しようとするシンナバーとスフェーンの姿があった。
「んー、まーたあんたと二人きりの旅に戻っちゃったわねぇ」
『なに言ってるのーッ!? 二人きりならすっごいチャンスじゃないッ! これで心おきなくあたしを襲って色んな事ができるんだからッ! 何ならあたしが襲ってあげてもいいんだからねッ!』
「ブッ! シンナバーの元気が戻ったみたいで安心したわぁ。それじゃぁ、おチビたん探しにベイカに出発しましょ」
シンナバーは勇気を出して言ったのだが、スフェーンはいつもの冗談だと思って軽く流した。それに対してじたんだを踏んだシンナバーなのだが、それもいつもの事なので再び笑われて流されていた。
二人がわいわい笑いながら魔戦士組合の前を通り過ぎる時、離れた所から羨望の目で見つめる複数の視線があった。
「んねっ、あれってシンナバー様にっ!」
「神の子装束の時と雰囲気は違うけど、わたちはあのシンナバー様も好きだっち」
「だめっ! シンナバー様はあたしのが先に好きなのにっ!」
「そんな事ないっち、わたちだってずっとずっと前から好きだったっち!」
プリーストのリーキュとルタータは、どちらが先にシンナバーの事を好きだったかを言い争い始めた。余談だが、この二人はその後も常にペアで行動して行くのだが、プリースト同士のペアは珍しかった事と、少々癖が強かったために巷で話題――主にネタとしてだが――となり、本人たちの知らぬ所でプリプリと呼ばれる事になる。
「えっ!? シンナバー様!? あぁ……、もう行ってしまわれるのですね。道中どうかご無事であります様に」
そう言って両手を合わせて祈願したのは、シンナバーに「クレリックめ」と言われてしまっていたクレリックの少女ロチャであった。主に思想が異なるプリーストとクレリックであるが、どちらの信仰対象も神託の女神であり、大元は一つであった。
神の子の様な存在を持たないクレリックであるが、意外な事に彼女たちにも神の子は人気があった。幼少期のシンナバーのブロマイド――ナボラの教会にある絵画を模写したもの――をどの様にして入手したかは不明だが、持っている者は多くロチャもその一人であった。
破天荒な行動をとり続けるシンナバーだが、それらは都合がいい様に盛られて伝えられている様だ。
***
王都から歩いて一時間程度の場所に、ジダンの拠点が密かに存在していた。
表向きは牧場であり実際牧場の経営が行われているために誰も怪しむ者はいない。その牧場を外から見ただけでは分からないが、建物の地下には大人数が収容できるスペースが作られており、王都攻略のための拠点の1つとしての機能を持っている。同様の施設は他にもあり、王国中の街の付近には必ずと言っていい程存在した。
国葬の日の夜遅くに王都を脱出したサフレインも、この牧場の地下へ引き上げていた。国葬の前は許容人数いっぱいだった地下施設だったが、今は10人にも満たない。
差し引かれた者達は、イシェルによって正体を暴かれて捕まった者や戦死した者で、ここへは二度と戻る事はない。
「いやぁ、今回のイベントは想定外な事が多かったみたいだな。とりあえずは作戦成功おめでとう!」
かなりの人数を犠牲にした作戦だったにも関わらず、ついさっきステクトール方面から到着したその男は楽観的であった。
「その事なんだけど……、イシェルの殺害に成功したはずなのに、神の子によって復活させられてしまった様だ」
「ふむふむ。イシェルと言うのは、ステクトールの村のあの日にいたって言うチビっこい女だったな。そうと知ってれば、あの時にオレが始末しておけばよかったか。まぁ今さら言っても仕方ねぇわな、こんな障害になるとは思わなかったんだからよ」
男は「だがよ」と言って話を続けた。
「今回は、ジダンの脅威を見せつけるのが目的なわけだ。そういう事なら大成功って事になるぜぇ? 未知数だった神の子がまさか人間の復活を行う力があるのは想定外だが、そんな事はそう何度も使えるもんじゃないだろ。とりあえず神の子には手を出さない方がいいってわかったんだし、得るものはあったと思うぜぇ? 聞いた話が本当なら完全にバケモノだわ」
「そうだけど……」
サフレインは、イシェルが今も生きている事が許せないと言いたかったのだが、それは私怨であるために口には出さなかった。それよりも、シンナバーに手出しをしないと言った事に内心では胸をなで下ろしていた。サフレインは、イシェルに対してのみ強い憎悪を感じてはいるが、それ以外のシンナバー達に対しては好意に思っているのだ。
「ところでよ、何でトリッサは外身が変わってるんだ? 確かその姿って一緒に住んでたヤツだろ」
男はサフレインを上から下までを嘗め回す様に見ると、胸の辺りに視線を戻して言った。その視線に、サフレインは腕をそれほど主張はしていない胸の前で交差して視線を遮るしぐさをとる。
「今はサフレインだ。そんな事はどうでもいい。嫌な事を思い出すから二度と言わないでよ」
「まぁいいけどな。前よりも美人だし」
男は以前トリッサに行っていた様にサフレインの体に触れようと手を伸ばしたが、サフレインはその手をパチンと音をさせてはたいた。はたいた瞬間に電撃の様なものが男の手に走った。
男が言う様に、確かに現在男と会話をしているのはトリッサの意識である。トリッサはイシェルと戦って確かに死んだ、はずだった。しかし、サフレインの体に入り込む事によって魂の死亡は逃れていたのだ。
実は、その様な特殊能力などトリッサは持ってはおらず、彼女自身もどうしてこうなったかは理解していない。
自分は確かに死んだはず……、そのはずだが気が付いたらサフレインの体の中に意識として入っており、体までも自由に動かす事が可能となっていた。しかも、サフレインの体にはイシェルから受けたはずの喉のキズも見当たらなかった。夢だったのかと思うほどだ。
この状態となってトリッサは困惑したが、体の宿主であるサフレインは感無量だった。好きな相手と同じ体になってしまえば常時一心同体である。それ以上の幸せなどはなかった。
一つの体に二つの意思が存在する事で、最初は体を動かすのに難を感じたものの今ではそれも慣れていた。無論、利点もあって精神的に疲労を感じた時に交代する事ができたり、それぞれ得意な能力を同時に発揮して戦う事だってできた。例えば弓に道具などを使わずに魔法を付与する事などだ。
トリッサの意識からでもサフレインの魔法の断片が使用できるのは、かなりの戦力の底上げにつながる。その様な能力の使い方はまだまだ不慣れであるが、今後磨かれて強力になっていく事だろう。
「うぉっ!? びりっと来たぜぇ」
「この体には指一本も触れるな」
手をはたかれた男がなぜかにやりと笑った。サフレインはそんな男をキッと睨みつけ、ビリビリと電気が走る手をかざしてけん制した。
「ふーん、そうなっても大切にしてるってか。で、もともとの体の主のサフレインってやつはそこにいるんか?」
「ジダンと会う時は眠ってもらってるけど、いつもは起きてる。あたしが起きる前に起きてる事もあるけど」
「ほぉー、使いようによっちゃ化けるかもな。いいぜぇサフレイン、オマエも今日から幹部だ。しばらくは他の幹部について仕事を学んでもらう事になるけどな」
男の言葉にサフレインは顔をゆるませた。その隙をついて、再び体に触れようとした男の手をはたき落とすと、男はヒャハハと声を上げて笑った。
2010年の七夕の日からほぼ9年で――間に5年程空白が空いて、さらにボクっ娘まで挟んでしまいましたが――やっと完結できました。
まだシリーズのお話は続く予定ですので、今後ともよろしくしていただければ幸いです。
(実を言うと今までのは全てサブストーリーで、本編には入れていません)
最後に、長い間お付き合いいただき、まことにありがとうございますm(__)m