【90】ジダンの隠れ家(2)
額に矢が刺さったイシェルは音を立てて倒れた。
その様を、上段から眺めていたサフレインの口元が弧を描いた。
「おぉっ、一発じゃねーか!」
サフレインに銃を突き付けていた男が彼女のか細い肩をたたくと、力が強すぎたのか体全体が揺れた。
「そいつは犯してから王都のゴミ箱へ捨ててやれ」
サフレインは、倒れたイシェルのそばに立っている者達へ指示を送った。死してなお辱めようとする彼女はとても上機嫌だった。
イシェルによってジダン関係者が300人以上検挙されたが、おそらくは全員極刑となるだろう。その仕返しを名目にイシェルはターゲットにされたのだが、サフレインにとって検挙された者達などはどうでもよかった。
計画はサフレインが中心となって進め、イシェルにも情報を流す事に成功した。サフレインの知るイシェルの性格から、彼女はほぼ一人で来るだろうと踏んでいた。当然、軍や他の仲間を連れて来た場合の対処も考えていたが、本当に一人でノコノコとやって来た時は笑いが収まらなかった。
「これでおまえも幹部だな。祝いがてらにこの後どうだ?」
下品なしぐさを見せた男に、サフレインは一瞬鋭い目で睨みつけたが、すぐに表情を変えて男のそばへやって来た。
「それも悪くないかもね」
サフレインが男の股間を撫でると、男の顔はだらしなく間延びした。男がサフレインの尻を撫でようと手を伸ばした時、間延びした表情が一変する事となる。
「ギャァァァァァッッ!!」
突然部屋全体に男の悲鳴が響き渡り、男は苦悶の表情で股間を押さえていた。その足元には点々と血痕も見られる。
「きっ、キサマーッ!! 何をっ!!」
見下す様な表情のサフレインの手には、ついさっきまで男の体の一部だった白い球体状のものがぶら下がっていた。サフレインはそれを床に落とすと思い切り踏みつけた。
白い球体状のものをサフレインが踏みつけると、ぷちゅっと小さな音を立てて中のものが飛び出して来た。血に混じって白濁したねばりのある液体が床の上を汚している。
「はぁ……いい匂い。またやりましょうね」
にやりとし、手にしている血の付いたナイフを舐めるサフレインに、男は引きつった顔で手を前に出すと激しく首を振っていた。
***
王都の東門付近、イシェルが入った屋敷の近くにシンナバーは立っていた。
ヘタレ格闘家が言っていたのはおそらくこの辺りのはずだが、辺りにイシェルらしき人影を見付ける事はできないでいた。
東門周辺は王都とは言っても街灯の数も少なく、普段であれば夜はとても静かになる。それが今日は魂送りの祭りがおこなわれており、スフェーン達によって打ち上げられている花火の音と光によってとてもにぎやかだった。
そのせいもあり、ちょっとやそっとの物音を立てたとしても誰も気づく事はない。
『イシェルはどこに行ったんだろ。少し位話を聞いておけばよかったよ』
心にざわめきを感じていたシンナバーは、こんな所で迷っている場合ではないと思い、緊急時の奥の手を使う事にした。それは神託である。今まで滅多な事でも使う事はなかったが、シンナバーはこういう時にこそ使うべきだと考えた。
シンナバーの周囲に靄の様な光が現れて周囲へと広がりはじめる。
『……感謝いたします』
独り言の様だが神託の女神に対しての感謝の言葉だ。神託の女神はイシェルが入った屋敷の場所と、さらに建物内の最短ルートまでもを啓示してくれた。どうやらもう時間がない、シンナバーはイシェルのいる屋敷へ向かって走った。
神託で示された屋敷の門の前から奥を眺めると、入口の扉の一枚が開いたままとなっているのが見えた。シンナバーはあせりを感じ、門を手で開かずに魔法によって吹き飛ばした。派手な音を立てているはずだが、今も続いている花火の音のためにほとんど音を聞く事はできなかった。
建物の中へ入ると、周囲にはたくさんの死体が転がっており、シンナバーは既に戦闘が始まっている事を理解した。死体の様子を見ると戦闘は今まさに行われたばかりの様だ。
神託で示された最短ルートは、上に登る階段の左側面の壁だ。本来は隠し扉らしく、うまくカモフラージュされていたが、扉は開いた状態となっていたためにすぐに見つける事ができた。
中には灯りがなかったため、指先に光魔法を宿してらせん状の階段を下りてゆく。トラップが発動したらしき形跡を見つけたが、再び発動する事はなかった。一度しかトラップが発動しないのか、それともスイッチが切られているのか。
やがて出口に到達すると、そこは一階のホールよりも遥かに広い大広間であった。そして、周囲を見渡すまでもなく、それは飛び込んで来た。額に矢を受けて、あおむけに倒れているイシェルだ。倒れたイシェルの周囲に黒い男が数人、イシェルをどこかへと運ぼうとしている。
シンナバーは声にならない悲鳴を上げた。何と叫んているのか全く聞き取れないが、言葉を発している訳ではないのかもしれない。
その悲鳴で黒い男たちはシンナバーの存在に気が付き、彼女に向けて指をさした。
シンナバーがイシェルに向かって走り寄ろうとした時、彼女はバランスを崩して床へと倒れ込んでしまった。すぐに立ち上がろうとするが、なぜか足が切断されてしまっていた。
イシェルに走り寄ろうとするシンナバーを見た別の黒い男がとっさに足を切断したためだ。
しかし、シンナバーは構う事なく動ける部位を駆使してイシェルへと近づいて行く。なおも悲鳴の様な声を上げ、足を切断された事などは全く意に関せずにひたすら全力で進んだ。
シンナバーの足を切断した黒い男はすぐにとどめを刺そうとしたが、上段にいるサフレインがそれを制止した。
「殺すな!! そいつは神の子だ。利用価値がある、生け捕りにしろ!」
サフレインにとって、シンナバーは憎悪の対象ではない。それどころか好印象があり、利用価値うんぬんを除外しても殺したいとは思わなかった。
しかし、サフレインがどう思っていようと、ジダンに敵対する相手である事には変わらない。殺したくはないが、ジダンとしては対処しなければならない。幸いにして、利用価値のある神の子を生け捕りにすると言う理由ならば、殺さない条件が成立するためそう指示を出したのだ。
シンナバーは叫びつつ、イシェルの周囲の黒い男たちに向かってスプレット・バニシュを放つ。多数の光の矢が現れて、黒い男たちに突き刺さって澄んだ金属的な音を響かせた。
光の矢が突き刺さった黒い男たちは、床に崩れる様に倒れるとピクリとも動かなくなった。
「くそっ! 魔法を使うぞっ! 腕を切り落とせ!」
シンナバーの後ろにいる最初に足を斬り落とした男は、あわててシンナバーの腕を斬り落とした。血だらけとなったシンナバーはこの世の終わりの様な声を上げて転げまわった。
「よし、捕まえろ! だが、死なれたら意味がない。止血だ」
4人の黒い男がシンナバーを取り押さえ、止血をしようとあおむけに起こした。が、シンナバーのちょうど目の前となった男は一言も声を上げる事なく床に崩れ落ちてしまった。
「おい、どうした!?」
横の男が倒れた男を見ると、顔面にいくつもの光の矢が突き刺さっていた。光の矢が突き刺さった男は即死していたのだ。
「こいつ! 腕がなくても魔法が使えるのか!?」
横の男はそれだけ言うと、力なく床へと倒れ込んだ。その顔面には光の矢が突き刺さっている。シンナバーは倒れた男の顔をすごい形相で睨んでいた。
「目だっ! 目をつぶせっ!」
シンナバーの目から眩い光が光線状に放たれ始め、それに当たった黒い男たちが次々と地面へと崩れ落ちて行った。その光線は壁に当たると壁に虹色の線を描いた。
床に伏せて難を逃れた黒い男が、目を狙って剣を振るうとシンナバーの目から放たれていた光線が止まった。
「一体何なんだこれは……」
手足を失い視覚までをも失い、それでもなおもがき続けるシンナバーに恐怖を感じた者の言った言葉だ。
この地下だけでも100人以上もいた戦闘員達であるが、その半数以上がイシェルによって倒され、さらにシンナバーによって10数人が倒された。
余りにも常識外れな結果となった。戦闘に長けているジダンの彼らであってもこの結果はありえない事だ。
「何ボケっとしてる! 止血だ!」
手足を切断されたシンナバーからは大量の血が流れており、このままでは危険な状態に陥りそうだったため止血が急がれた。
シンナバーの光を奪った男は、こんなざまでもまだ利用価値があるのかと思ったのだが、言われるままに止血を急ぐ事にした。
「うわっ!? うそだろ……」
それは、足の止血しようとした男の言葉だった。シンナバーの足の出血は既に止まっており、さらには足が生え始めていたのだ。そして、腕の止血をしようとした男も同様の言葉を発した。
シンナバーの体内には聖なる光が存在しており、その光によって体は自然に再生するのだ。その聖なる光の力は強力で、死ぬ一歩手前の重症を負ったとしても、ほんの1時間程度あれば復活してしまう程である。
「こりゃぁ、すぐに目も再生するぜ」
「ちっ、目隠しするしかねぇ」
速やかにシンナバーの目は手ぬぐいで縛られて目隠しされた。
『うぅぅぅぅーーーっ!』
「な、なんだ!?」
シンナバーは唸り声を上げていた。それは野生動物が上げる唸り声にも近いものだった。
すると、シンナバーの体から光の靄の様なものが吹き出し始めた。それは神託の光にも似ていたが全く異なるものであった。光の靄は神託の美しい光ではなく、禍々しさすら感じる紫色の靄だ。稲妻の光を彷彿させる様な光の線を描くと爆発的に増殖して行った。
止血しようとしてそばにいた男の一人がその光に触れると、一瞬で床に倒れ込んでしまった。その男の心臓は停止して命を絶ってしまっていた。
「どうした……」
「おいっ……」
紫色の光にかすっただけで男たちは次々と倒れてゆく。それから数秒程度で広い広間は紫色の光で充満する事となった。広間にいた黒い男たちで立っている者は既におらず、その爆発的な増殖速度は逃げることを許さなかった。
それは間もなく屋敷全体を覆う事となる。
シンナバー達の事を心配して後を追って来たヘタレ格闘家は、屋敷の外でその異様な光景を目の当たりにするのだった。