【89】ジダンの隠れ家
シンナバーがイシェルを追いかけ始めた頃、当のイシェルは街のはずれにある大きな屋敷の前に立っていた。
イシェルがここにいる理由は、この屋敷がジダンの隠れ家になっていると言う情報が得られたからだ。情報提供者は付近に住む一般市民数人で、黒づくめの怪しい連中が出入りしていて不気味だと言う。心を読んでも特に怪しさは感じられなかったため、イシェルは確かな情報の可能性もあると判断した。
その大きな屋敷は商人の住居だが、通常屋敷を構える程財力がある商人は、利便性と治安に優れた中心部に住居を構えるものである。わざわざ街はずれに屋敷を作るのは確かに怪しい。
イシェルは、シーフの技の1つで存在を希薄にして認識されにくくするレイヴンフロウを発動していた。そのため、注意深く見つめない限りは視認しにくい状態になっている。
屋敷の周囲に人影はなく近くには街灯すらもない。辺りには虫の鳴く声だけが静かに響いていた。
イシェルは周囲を警戒しつつ屋敷内の様子を伺うと、素早く敷地の中へと入っていった。
屋敷の入口へと向かって闇夜を歩くイシェルの周囲に、黒いもやの様なものがまとわりつく。それはレイヴンフロウと呼ばれる技によるものではないのだが、それにより一層彼女を認識する事を困難としていた。
屋敷の窓は雨戸が閉まった状態のために、外から中の様子をうかがい知る事はできないが、イシェルは迷うことなく真正面の扉へ向かった。
大きな扉の前に到達したイシェルは、中の様子をほんの少しだけ伺うと勢いよく扉を蹴って開けた。扉は勢いよく開かれたために、ドーンと言う音が屋敷中に響いていた。
外から見る限りは人がいる気配はないが、不思議な事に入口の扉に鍵はかかっていなかった。
扉を開くとそこは広いホールとなっており、赤い高級そうなじゅうたんが敷き詰められている。周囲の壁には細かな装飾が施されており、その上部には高そうな絵画や装飾品が数多く飾られ、その建物の主の財力が非常に高い事が伺える。
それらが見渡せた理由は、天井から釣り下がる巨大なシャンデリアにロウソクが灯されていたからであった。
イシェルは入口から少し入った所で止まり、それらには目もくれずにいくつか見えているドアと、二階へと続く階段の先を睨みつけた。
この時、イシェルは屋敷内の気配を注意深く探っていた。屋敷の外からも探っていたが、ドアを勢いよく開けた事でそれらにどう変化が起こるのを知るためだ。
比較的近場にいたいくつかの気配がまず動き、バラバラとイシェルの前へと現れた。それらの者達からは「どなたですか?」などと言う言葉は発せられる事はなく、最初からイシェルを敵と認識した動作で行動を始めた。
剣で斬りつけて来る者、短剣を持って素早さに任せて間合いに入ろうとする者、そして二階上部からは弓による狙撃が行われたが、そのどれもイシェルを傷つける事はなく、ほんの数秒後には全て地面に転がって動かなくなっていた。
一階にはまだいくつか気配は存在したが動く様子はなかった。戦闘を得意としない者が、気配を消して場を凌ごうとしているものだ。
イシェルはそれらの気配の場所へ的確に到達し、速やかに命の灯を消していった。予想通りそれらは生活面を担当する者達で戦闘力も皆無であり、中には5歳程度の幼児までもがいたが、イシェルはためらう事もなく的確に息の根を止めた。幼かろうが何だろうが、ジダンの一味には一切の情けはかけない。
戸棚の中でこと切れた母とその子供から視線を外すと再び周囲の気配を探り、近くにはもう気配がなくなった事を確認するしてからまた次の気配に向かって歩き出した。
入口に戻ると、侵入者を迎え撃つために集まった戦闘要員が10人程度待機していた。転がっていた死体が周囲に退けられている事から、戦闘訓練を受けている者達である事がうかがい知れる。
その集団の手前に弓を引く者が4人、イシェルに狙いを定めて合図を待っていた。無論イシェルに言葉をかける事もなく、後ろの男からの小さな合図によって矢は放たれた。
同時に放たれた弓はイシェルに命中する事はなく、真っすぐ歩くイシェルを避ける様に後方へと消えて行った。実際はイシェルは矢が放たれる直前に避けていたのだが、射った者からは矢が避けた様に錯覚して見えていた。
ペースを乱す事もなく真っすぐ歩いて来る侵入者に恐怖を感じつつ、すぐに第二射が射られるが、先ほどと同様に矢は侵入者を避けて後方へと消えていった。その時、もはや第三射を行うだけの距離がなくなっていたため、弓を壁際へ放り投げて腰の剣を抜いて侵入者に斬りかかって行った。
その様子を見ていた後ろの者の目にはこう映った。さっきの矢と全く同様に、剣は侵入者を避ける様に振るわれて当たる事がなかった。しかし、侵入者はいつの間にか剣を手にしており、斬りかかった者達はその後ろへ転がる様に崩れ落ちた、と。
その次に6人で同時に斬りかかったが、やはり剣は侵入者を避けるがごとく、一振り空を切った後にじゅうだんの上に転がる事となった。
残りは合図を下していた男一人のみとなったが、男は剣で斬りかかる事はせずに、腰に下げていたシリンダー部分が巨大な銃を放った。
その銃は、ニードルガンと呼ばれる無数の針を炸薬の力によって射出する、対人最強と言われる凶悪な兵器であった。射程距離は短いものの、その威力は通常の生物であれば何であろうとぐずぐずに粉砕してしまう威力を秘めていた。シリンダーには最大で4発の弾の装填が可能である。
ニードルガンから放たれた無数の針は、壁をぐずぐずに砕いて穴を空けた。しかし、イシェルは真っすぐ男に向かって歩いていた。首をひねりつつ男が再びニードルガンを発砲した。そしてまたすぐに発砲した。最後の一発を発射しようとした時、イシェルの片手剣によって男の手首ごと切り落とされ、じゅうたんの上に落下して重そうな音を立てた。
尻もちをついた男は、血が吹き出す右手首を左手で押さえつつ、後ろへ後ずさりしながら降参である事を告げた。イシェルはじゅうたんの上に落ちたニードルガンを切り落とした手首ごと拾うと、表情を一切変える事なく、その銃口を引きつった表情で震える男に向け、男の指がかかったままの引き金を引いた。
炸裂音と共に近距離で無数の針の直撃を受けた男は、粉々に弾ける様にして消滅した。周囲には大量の血しぶきと肉片がはじけ飛び、壁などにこびりついている。赤いじゅうたんはきれいに丸く削られて、その下に敷かれている大理石の床が幾分削れた形で現れていた。
イシェルは少し驚いた顔をしてニードルガンを見つめると、それを空中に放り投げて黒いもやのかかった片手剣で真っ二つに分断した。
動く者がいなくなった時、再び気配を探ったイシェルは、既にこの建物の二階以上にはそれらしい気配が存在しなくなった事を理解した。
残りの気配は建物の地下から感じられるが、待っているのか自分たちから動く様子はない。そこにはかなりの数の気配があり、殺気の強さからそれこそが本当の戦力の様だ。おそらくイシェルが気配を読んでいる様に、相手もこちらの気配を読んでいるだろう。今までの様な実質非戦闘員と変わらない者達とは異なり、多くの実戦を経験している者達であるはずだ。
イシェルはこのまま先に進むべきか今一度考える。本当は、シンナバーやスフェーン達にも協力してもらおうと思っていた。いくら腕に自信があるとは言え、多くの手練れがいるとなれば攻略の難易度は非常に上がる。しかも今の様に待ち伏せる戦法をしている場合、トラップが仕掛けられている可能性も非常に高い。
彼女が一人でやって来た理由は、スフェーンの探す人物の手がかりが見つかった時のシンナバーの心理的変化だ。
スフェーンが情報を得た瞬間に、シンナバーの心はとても苦しく変化していた。素直に祝ってあげたいと言う気持ちと、相反する気持ちがせめぎ合っていた。その様な心理状態のシンナバーにはとても頼む事なんてできない。イシェルにとって、シンナバーは自分の命よりもずっと大切な存在なのだ。
「やっぱり、ボク一人でやらなきゃね」
イシェルは独り言をつぶやくと、階段脇の隠し扉を開けた。
その先は予想通りに多くのトラップが仕掛けられていたが、イシェルの瞬発力はそれらを凌駕しており無傷のままで地下へと降り立った。
そこには1階の敷地の壁を全てぶち抜いた位の広間が存在し、ざっと見渡す限り100人程度の真っ黒な服装をした戦闘員達が、イシェルを一方行を除いてコの字型に囲んでいた。
イシェルは、それら戦闘員の位置を気配によって脳内マッピングしており、これからどの様に攻略するかまで既に考え終えていた。
コの字型に抜けている反対方向からのみ、飛び道具での攻撃があるだろう事は予想できる。それが弓であればさほど脅威ではないが、さっきの男が手にしていたニードルガンであれば広範囲となり少々面倒となる。だとしても、、発射の瞬間さえ知る事ができれば十分に回避は可能だ。
今のところ、あの巨大な拳銃を手にしている者は見えないが、通常の銃を手にしている者はかなりいる。よくよく見ると、剣を手にしている戦闘員の腰にも銃らしきものが下げられていた。また、この広場には天井吹き抜けで上の段が存在しており、そこにも銃などの飛び道具を持った者がぐるりと配置されていた。
明らかに軍が持つ兵装より火力が上なのだが、武器の裏取引を行っている商人からでも調達したのだろうか。
『さっさとかかって来れば?』
そう言ったイシェルは最初は飛び道具での攻撃が行われるかと思っていたが、意外な事にナイフを手にした細身の男が4人前に出て来た。男たちは全身を黒い服で覆われている。雰囲気からイシェルは自分と同系統のクラスであると認識した。
4人の男たちは、二組ごとに分かれて左右から挟み撃ちにする様に同時に襲い掛かって来た。その動きはイシェルが目をむく程に速く、そして正確だった。
ハリを投げてタイミングをずらすと、先に進んだ方は調整してタイミングを合わせて来た。そして全くの同時に4人が斬りかかる。人間の体には前と後ろがあり、どうあがこうが片方しか対応できない。
だが、全て同時に相手するならばの話だ。相手が調整して来るとしても一瞬はズレが生じる。ならば一対一に対峙するタイミングは作りようがある。
イシェルは4人の内の一人に呼吸を合わせ、レイヴンフロウを駆使して一瞬視覚から消失したわずかな間に首を切り落とした。次にもう一人に合わせ、やがて4人目の男に対しても行った。素人目であれば4人がほぼ同時に倒れる様に見えるが、地道に一人づつ対処した。
全員を倒し切った直後に上の段から銃による一斉射撃を受けたが、それはイシェルの予測通りであり、発射直前に既に避けていた。回避のついでに数本のハリを喉に目掛けて投げてやると、突き刺さった者達は上段からバタバタ落ちて二度と動く事はなかった。
イシェルは様子を見る様に、なかなか仕掛けて来ない者達に苛立ちを感じていた。時間稼ぎをしようとしているのかとも思ったがこの場を離れていく気配は存在していない。完全に気配を消す事ができる者がいるならば別だが、それ程の能力があるならば逃げるとは思えない。
それならばと、イシェルは反時計回りに襲いかかる事にした。主導権を自分で握るためだ。相手との距離をうまく詰めれたならば、同時に攻撃できる数を減らす事ができる。イシェルは、前後から同時に斬りつけられない状況であれば負ける気がしなかった。
自分の剣は何であろうとも受ける事などできない。剣にからみついた黒いもやの正体はイシェルにとっても不明だが、それをからめた状態の剣は、どんな巨大な剣だろうと盾であろうと受け止める事はできないのだ。その自信はイシェルに大胆な行動を起こさせていた。
常識的に無謀な行動は、結果的に大成功だった。前の者が壁となるため、後ろにいる者は攻撃ができない状況が生まれ、更に前にいる者は後ろに他の者がいるせいで思うように攻撃ができない。
しかも、前の者が後ろに倒れる事によって攻撃開始のタイミングも遅れる事になる。かと言って隙間を突いたり、前の者を無視して貫通攻撃をしたところで状況の変化は生まれない。
多勢に無勢と言う言葉があるが、全てをうまく利用する事によっては相手に能力を発揮させる事なく容易に仕留める事も可能なのだ。イシェルにとって、その状況に陥った者達を葬る事など容易かった。
たまに上段から銃で狙い打たれる事もあるが、周囲に意識を配る余裕があるため避けるのも容易だ。そして、銃で撃った者をハリによって確実に仕留める。そうする事によって、相手に攻撃する事を躊躇させる。
敵の数が半分程度になった辺りでさすがに敵の顔色に変化が起こっていた。イシェルが最初に感じていた通り、確かにかなり強い者も中には含まれていた。しかし、かなり強いと言うのはイシェルが黒いもやを使用しなかった場合での話であり、敵そのものを盾として使用しつつ、黒いもやを剣に這わして技でまとめて一刀両断してしまえば何と言う事もなかった。しかも、こちらの戦法は前の者が隠してくれるため、ほとんどの相手が初見となるのも有利に働いていた。
イシェルは途中から、この戦闘員たちが何人逃げたとしてもかまわないと思う様になっていた。イシェルにはジダンの戦闘員の見分けができると言う事もあるが、この屋敷の持ち主をターゲットにできるかもしれないと思ったためだ。
末端の戦闘員や関係者などいくら倒してもキリがない。狙うならばその元凶なのだ。
イシェルの体から黒いもやの様なものがより濃く吹き出しはじめ、その認知性はどんどん低くなっていた。彼女にすら理由は分からないが、その黒いもやを肉眼で直視し続けるのが困難であるためだ。いくら見ようと思っても、気が付くと視線が別の所に移動してしまう。視点を固定できないために、よそ見をしながら戦っている状態となるわけだ。その状態で戦っても勝てるわけがない。
さらに1割の戦闘員が減ると、いよいよ逃げ腰の者が出始めた。100人程もいた戦闘員が、たった一人に手も足も出ない。技術的に大きな差がある様に見えないにも関わらず、いざ対峙してみると全く相手にならないレベルで倒され続けてしまう。
ただの一度すら剣を受け止める事もできない。強さで横並びの者が次々とやられて行く様を見て、なおも戦おうなどと思うだろうか。
「コイツ……バケモノだ!!」
その様な声が次々と発せられ始め、ついには斬り込もうとする者も銃で撃とうとする者もいなくなってしまった。その様子にあきれた者が深いため息をついた。
《キャァァッ!!》
戦う事をやめてしまった戦闘員達に、イシェルが強い苛立ちを感じ始めていた頃、上段から女性の悲鳴が響いた。声に反応して前面の敵の動きに意識を残したまま声のした方へ視線を向ける。すると、その隙を狙って斬りかかった者がいたが、一閃で武器ごと切捨てられたのを見ると黒い男たちは再び距離をとった。
イシェルは、悲鳴を上げた者を確認した瞬間に驚愕の表情へと変化した。それはありえない……ありえない人物であったのだ。
《イシェル! たすけてっ!》
真っ白い肌に薄灰色がかった美しい髪、真珠の様な色の瞳の線が細く儚い姿の少女が男に銃を突きつけられていた。
「サ……サフレイン!? うそっ!? なんでっ!?」
《イシェル……たすけて。それとも、またわたしを殺すの?》
「!!」
イシェルはステクトールの村のあの事件の時、サフレインが死ぬのを見たわけではなかった。しかし、喉にイシェルのナイフが突き刺さり、巨大な火柱と共に家ごと消失した事から死んだとばかり思っていたのだった。
あの時、イシェルはサフレインまでも死ぬ事は望まなかった。喉に刺さったナイフにしろシンナバーの治療を受ければ完治ができたはずだ。しかしサフレインはそれを拒否してトリッサと共に逝く事を望んだ……今までそう思っていたのだ。
「ダハハハハハッ! いいか、コイツを殺されたくなければじっとしていろよ!」
サフレインに銃を突き付けてた男は、言い終わると再び笑った。
《イシェル! おねがい!》
「え……」
イシェルは訳が分からなくなってしまった。サフレインは死んだ……と思っていたが、生きていてなぜかこの王都にいる。
サフレインの死は、イシェルにとってかなりの精神負荷を負う出来事だった。そのサフレインが生きている。それが本当であればとてもうれしい事ではあるのだが……。
「つっ!」
思考停止状態となっていたイシェルの右腕に突然激痛が走った。足元にボトリと何かが落ちる音がして、追って金属が転がる様な音が響いた。
「!?」
イシェルが自分の右腕を前に出して確認すると、腕が関節の手前で寸断されており、切り口からは真っ赤な血が滴っていた。
「これって……っ!?」
視線を下げた事により、足元に転がっているものが自分の右腕である事に気が付いた。背にしていた黒い男の一人がイシェルの隙をついて右腕を切り落としたのだ。落ちた片手剣が滴る血によって赤く染まっている。
《イシェル。避けないでよね》
その声にイシェルが見上げると、なぜかサフレインは大きな弓を引いてイシェルに狙いを定めている所だった。その弓は複数のアーチを内側に持つ構造のどこか見覚えのあるものだ。イシェルは丸い目でサフレインの目をただ見つめていた。
次の瞬間、サフレインの引いた矢はイシェルの額に突き刺さっていた。いつもであれば矢を避ける事はできたであろうし、片腕が斬られたとしても逃げ切る事もできただろう。イシェルがそれらを一切行わなかったのは、全てサフレインのためだった。
頭部に矢が刺さったイシェルの丸い目から光が失われ、そのまま体全体で後ろに倒れてドサリと言う音を響かせた。光を失った目の瞳孔はすでに開き、命の営みは完全に停止してしまっていた。
イシェルは再び動く事はなかった。