【72】シンボル
5年ぶりの本編続編となります。
場面は変わって、スフェーンが飛び出した頃のステクトール。
一見して、いつもの様に穏やかな村に、忍び寄る人影が多数あった。
その者達は、スフェーンによって消滅させられた、ジダンの村から逃げて来た者達だった。
彼らは、スフェーンの魔法によって、住む家どころか村そのものをなくし、一方的に日常を奪われた。
スフェーンの独自の判断によって、その命を落とす事はなかったが、その様な計らいがあった事など知る由もなく、代わりにマトラ王国と魔物に大きな恨みを向けていた。
生まれ育った環境は、マトラ王国の一般的な国民とは異なり、生存競争は熾烈であり、自分だけが頼りと言う意識が高い事からか生への執着もとても強い。
自分が生き残る為ならば、他人を犠牲にするのは当然であると言う常識を持っていた。
命は希薄なものと認識しており、人の死は日常風景そのものだった。
その為、日々を生き残る為に、彼らなりの常識があるのだ。
それを怠る事は、生きる事を諦める事にも他ならない。
ステクトールでの彼らの目的は、村を奪って自分達の日常を取り戻す事のみ。その先など考えていなかった。いや、考えられなかった。
それは彼らを少しでも知る者であれば、状況からしてこうなる事は想像するまでもない事だったと理解する。
ジダンと言っても、王国内に住むジダンは、とても用心深く慎重だ。ごく一般の国民として職業を持ち、時には人の為になる事をして生活している。むしろ、ごく一般の国民ながらジダンの一味であると言った方がいいのかもしれない。
その者らから見れば、彼らはうかつな行動をしているのは明らかだが、日常を奪われた危機的状況下で、何の後ろ盾も保証もないマトラ領地外に住む彼らにとって、回避不可能な衝動だったのだ。
薄暗い中、手探りで森を歩くジダン集団。
「ねぇ、どこへ行くの? 疲れちゃったよ?」
幼い子供は、両親らしき人物に連れられ、苦しそうに歩きながら聞いた。
「新しいお家だよ。もうちょっとだからがんばってね」
父親と見られる男が、幼い子供を元気づけてた。
「この先はステクトールでしょ? 本当に大丈夫なのかしら」
子供の母親と見られる女性が心配そうな顔で男に言った。
「大丈夫だ。ステクトールは、マトラ王国でも魔物の国でもないんだからな。
住民が入れ替わってしまっていても、わかりゃしないさ。
さぁ、もう少しだ! 今夜は暖かなベッドで寝れるぞー!」
「やったぁ!」
これから村を襲おうとしている人間の会話としては、少々不自然と思われるが、彼らの常識で考えると、住む家をなくして困ってるのだから、他人の家や命を奪う事は正しい事だ言う常識となる。
だが彼らは知らなかった。
ステクトールが、けして自然に誕生した村ではないと言う事を。
今から十数年前、エクトでは先のラーアマーとの戦いと同様に、魔物と人間との間で激しい戦争が起こった。
その時に活躍したのが、マトラ王国最強の魔導士としてのシンボルとなったばかりのアローラであり、それに対するは既にアローラとは宿敵として幾度も相まみえていた、魔の者の英雄エンクであった。
長期に渡り、泥沼と言える死闘の末、マトラ王国が形式上の勝利を得たが、双方の損失はとても大きく、マトラ王国は勝利したものの、それに酔う程の余裕もなかった。
そして、戦争の後悔の念からか、マトラ王国と魔物の国の双方合意のもとで、一つの村が誕生する事になった。
人間と魔物。魔物の中には化け物の様な容姿の魔物も含まれる。異種族共生を実験する為の村。それがステクトールだった。
ステクトールはマトラでもなく、魔の者の国でもない土地に、それぞれの街から同距離になる場所に作られた。
それに合わせ、新たに領地外での双方の軍事的戦闘を禁止する条約が結ばれる事になったのだ。その条約は今なお有効である。
余談だが、十年前の戦争で、アローラは今回のスフェーンの様に、先代のシンボルだった魔導士との世代交代を果たしていたのだが、その話はまた次の機会にしよう。
ジダンの村の者達が、ステクトールの入り口へとたどり着いた。
まずは、村の様子をうかがおうとした彼らだったが、突如闇の中から目の前へと現れた男によって、全てが阻止される事となった。
実際は、突如現れた訳ではなく、気配を希薄にしてそこで待ち構えていたが正しい。
その男はガーネットによって派遣されていた、マトラの最強クラスであるバーサーカーのヘリオ・ブラッドであった。彼は軍人ではなく、紛れもなく魔戦士組合員の一人ではあるのだが、その仕事は国家直々の命令がほぼ全てだった。彼もまた、国家のシンボルとしての運命に従い生きていたのだった。
現在のスフェーンもその一人だが、彼らシンボルと言う存在は、国家にとってとても重要だった。国家の武力の体現であるからだ。王国はシンボル達の扱いには長けており、まるでカードの様に適材適所で使っていた。
現在のシンボルの数はスフェーンとヘリオのみ。王国は、今後シンボルの数を増やす計画を立てているのだが、その話も別の機会としたい。
ヘリオは一言も口を開く事もなく、淡々とそして迅速にかつ例外なく処理して行った。
その表情は、感情を全く感じさせるものはなく、ただただ無表情であった。
ジダンの村人達は、躊躇なく処理するその様に畏怖しつつも応戦をする者、逃亡を図る者に分かれた。
先ほどの親子三人のジダンも、即座に行動に移っていた。
父親がヘリオに向かいつつも距離をとり、自分に注意を向けさせようとし、その間に母親は子供を連れて逃亡すると言うもの。
この行動は、この場で考えたものではなく、危機的状況となった場合はそうする事を予め決めていた。
父親が母親に目で合図した瞬間に、行動が起こったのがその証拠でもあった。
しかし、ヘリオは父親の決死の行動を無視し、即座に逃げる母親と子供の背中に向けて巨大な剣を振るった。
その剣速は容易に音速を超え、けたたましく雷鳴の様な音を響かせると、対人攻撃としては余りに巨大過ぎる衝撃波が飛び出し、逃げる母親と子供を容赦なく襲った。
衝撃波に弾き飛ばされた母親と子供は、鈍い音を立てて木の幹に激突し、その後力なく地面に落ちると動かなくなった。
その様を目の当たりにした父親は、怒り狂った様に声を上げ、ヘリオに襲い掛かろうとした。が、その瞬間胴体からは首が離れていた。
ヘリオは、その場から一歩も動く事なく、同様に他のジダンの村人も、淡々と無表情で処理をしていった。
***
スフェーンが到着したのは、全てが終わった更に三十分後だった。
村の入り口に降り立ったスフェーンは、辺りの様子を肌で感じようとしていた。
街灯がないステクトールの村は真っ暗闇で、あの時と変わらずに虫達の鳴き声が鳴り響いていた。
その様子は、何の異常も感じられない程、穏やかに感じる空気で包まれている様だった。
「まったく……、大丈夫だって言ったのに」
スフェーンの背後から、疲れが感じとれるガーネットの声が聞こえた。しかし、スフェーンはその声に振り返る事なく、村の奥へと歩いて行った。
村は穏やかだった。いや、穏やかと言うよりは営みの音がなさ過ぎであった。それは、ステクトールの村人達が既に、全員森の奥へと避難しており、現在のステクトールはもぬけの殻となっていたからだったのだが。
スフェーンが、村の反対側へとたどり着いた。
すると、森へと続く道の脇に、あるものが積み重なって、一塊になっている事に気が付き、思わずはっとする。
辺りに漂う血の臭い。一塊に積み重なっているのは、たくさんの人間達だった。
スフェーンは、一目でそれらが何者であったかを理解した。
「あなたがきっちりやらなかったから、他の誰かが代わりをするはめになったのよ。
その誰かは、これを積み上げて何を思ったでしょうね」
後ろからついて来たガーネットが、声のトーンを落として呟いた。
スフェーンは、何も言わずに虚ろな目をして、積み重なった塊の一つとなったものを見つめていた。
そこには、小さな子供の変わり果てた姿があった。そして、脳裏に思い出すのは、あの時小さな影が手をかざして、こちらを見上げていた姿だった。
それを思い出した瞬間、スフェーンの精神に衝撃が走り、まるで石になったがごとく、その場に立ち尽くした。
それから、どれ位の時間が経っただろうか。後ろから聞き覚えのある声がした。
《全て完了した様であるな》
《うむ、結果が変わる事はない》
《この魔導士の行動で、工程を一つ増やす必要があった訳ではあるが》
《これも当初から想定していた可能性の一つであり、問題とはならない事は確定的明らかだ》
「え……?」
スフェーンは、その声で我に戻ると、声のする方へと振り返った。
そこには、空中から逆さに吊られた様に見える、四人の魔の者がいた。
空中に漆黒の重力面を展開し、それを足場として逆さに立っている。
薄暗い空間にぼんやり浮かぶ姿は、それを知らぬ者であれば、心臓によくない事になるに違いないが、こう毎回ともなるとすっかり見慣れてしまった。
「エンクの弟子の事はさっき聞いたわ。わたし達が居ない間にあっちも大変だった様ね。
あなた達も疲れてるでしょうし、わざわざ来てくれなくても良かったのよ」
ガーネットが、魔の者達に話しかけた。その口調からすると、それなりの面識がある様に思えた。
《心遣いには感謝するが、我々の事は心配には及ばない》
《うむ、見届ける事が我らの役目》
《エンクの弟子達の行動は、想定外ではあったが》
《その粛清も既に完了した。全ては確定的明らかのままに》
「そう……、それはよかったわ」
ガーネットは、安心した様にふと目を閉じると、落ち着いた口調で言った。
その後、四人の魔の者は、その場から音もなく去って行った。
スフェーンはそれから一時間以上、その場に立ち尽くしたままでいた。
傍から見ると、スフェーンは先ほどの様に、ただずっと小さな子供の亡骸を見つめるだけの様に見えた。
先ほどと違うのは、立ち尽くしてる間中、スフェーンがずっと考え事をしていた事だ。
マトラの王室、それも国王自らが自分を指名して命令した事を。それを名誉はなずなのに、うれしいはずなのに、あんな命令じゃなかったらと考えていた。あんな命令……。そうだ、あんな命令の内容でなければ、自分がこんな思いをせずに済んだのだと。
だがスフェーンは最初から分かっていた。
命令を受けた瞬間、この小さな子供の命は失われる運命となった事を。自分がやらなくても、他の誰かがやる事になったろう事を。
今回は自分がやり遂げなかったせいで、他の誰かに自分の身代わりとして、嫌な任務をさせる事になってしまった。
自分がやっておけば、他の誰かは嫌な気分にさせずに済んだのだろう。ならば自分がやるしかないのか。でもなぜ。次々と葛藤が沸き起こる。
もし、自分が何もやらなかったとしたら、一体どうなっていたのだろう。
命令を聞かずに逃げてしまっていたとしたら。
そうしていたら自分はともかく、遠く離れた家族達やシンナバー達は今後どうなってしまうのだろうか。
自分は間違ってない、みんなの為にもやるしかなかったのだ。
小さな子供の運命について考えている内に、気が付くと自分の保身について考え、事の正当性を見出す事に行きついていた。
スフェーンは、自分の汚らわしさに反吐が出る思いがした。
「このステクトールと言う村はね」
ガーネットはいつの間にか、スフェーンと積み重なったものの間に立ち、スフェーンを真っすぐ見つめていた。
「十年前、あなたの先代にあたるシンボル……。
つまりアローラが、更に先代からシンボルを受け継いだ時、託された想いだったの。
魔物と人間の共生は、先代シンボルの悲願だったのでしょうね。
彼女もまた、王国との狭間で苦悩していたのだと思うわ。
その目でこの村を見る夢は叶わなかったけど……」
「悲願……?」
スフェーンは顔を上げて、ガーネットを見つめた。月明りを反射しているのか、ガーネットの体はほのかに輝いている様に見えた。
「人は誰しも思うものなのよ。
自分は何を目的で生きるのかとか、きっと自分には何かしらの使命があるんじゃないかとか。
自分が生きる事に意味があるんじゃないかとかね」
「生きる意味……あったのかな。この子……」
再び目の前に積まれた塊に目を落とす。その目には哀しみが強く表れていた。
「この子はジダンに生まれてしまった事で、いつかこうなる運命が約束されていたのよ。
そこになぜとかなんて、考えても意味はないわ。それを行う側にもまた運命があるのだから。
何が正しいかと考えるよりも、何をしたいか、何をすべきかを考えなさい。
それがあなたにとって正しい事になるのよ」
「……」
スフェーンは何も言わなかった。ただ今は、目の前の小さな亡骸の為に、涙を流して泣くだけだった。
「いいわよ。今は気が済むまで泣いて、とことん付き合ってあげるわ」
ガーネットは、やさしくスフェーンの肩を両手で抱いて言った。
スフェーンは声を上げて泣いた、だけど同時に考えてもいた。自分がやりたい事。そして何をすべきかを。
スフェーンがひとしきり泣いた後、ガーネットは言った。
「あなたにわたしのとっておきの魔法を教えてあげる」
この日、ガーネットはスフェーンに、水属性の最高峰の大魔法”フラド”を与えた。フラドは空気中に含む水分子を利用した魔法であるが、複合属性を加味したバリエーションを広く許容する魔法だ。
魔法には、低水準から高水準まで存在するが、低水準程構造がシンプルである為、様々なバリエーションを加えて驚異的な威力を得る事が出来る。
逆に、高水準となる程複雑ではあるが、魔力を増やして規模を大きくする程度しか伸びしろがない。
一般的な魔法は高水準が基本で、様々な法則を与えて緻密に組み立てる事で機能する。文字通り魔力の法則なのだ。
低水準はと言うと、そのままでは余り意味をなさないが、法則の代わりに魔力で直に干渉してコントロールする事で機能させる。
単に水準と言う言葉からすると、高水準の方が難易度が高く思われるが、例えば炎を玉にして相手にぶつける魔法ならば、高水準はそうなる法則を魔法に与えてやるだけで実現できる。
対する低水準は、法則を与えずに自らが終始コントロールする必要がある。結果として法則を与えた高水準の方が遥かに難易度は低く、術者への負担も小さくなる。
大魔法とは、最も低水準でシンプルな属性を魔力で制御し、更に別の属性を組み合わせる事で、高水準をはるかに超える威力を発揮させる方法の事を言い、古くは魔の者をして古代魔法とも言われるものであった。
「今後あなたが成長する為には、マール・アルマに会わなければならないわ。
アローラが最後にあなたを託した、現在の我が国ナンバーワンの実力を誇る大魔導士よ」
「マール……アルマ」
スフェーンはマール・アルマと言う名を心に刻んだ。
自分は何をしたいのか、そして何をすべきなのか。その答えを導き出し始めていたのだ。
スフェーンがエクトに戻ったのは、その日の昼前だった。
その様子はシンナバーが見ても、いつもの明るいスフェーンにしか見えなかった。
<資料>
マール・アルマ:出来損ないの大魔導士の主人公。アローラとは幾多の戦場を共に戦った戦友であり、戦闘能力も同等。幼馴染で親友のクルレを自分の不甲斐なさのせいで亡くす。その後皮肉にも能力が開花する。エムトの村で幼い頃のイシェルと出会った。マトラ王国二位武官。アローラ亡き後一位となる。
ヘリオ・ブラッド:最強クラスのバーサーカー(本人はファイターと言いたい)、ランク10、ルビーに一目惚れ、巨大な両手剣を使う、細身、長身、怪力。バーサーカー状態となると敵味方関係なく動くもの全てを徹底的に殲滅する。大剣から音速を超える超巨大な衝撃波を発生する事が出来る。