【71】エンクの弟子達
目の前に突如現れた、アジ・ダハーカと呼ばれる三つ首を持つ巨大な竜の姿の召喚獣は、その体から黄金の光を放っていた。同時に体から発せられゆっくりと立ち昇る黒い靄は、背景の景色を歪ませている。
さっきの遠距離タイプの召喚獣は、戦力を街から離す為の囮だったのだ。
四人の魔の者は、この召喚獣をエンクのものと言っていた。エンクとは、精霊魔法はもとより召喚魔法をも使いこなす魔の者の最強クラスと言われる実力を持っていたらしい。
あの戦いではあたし達人間も多くの犠牲を出してしまったけど、魔の者の被害はもっと大きかった。だけど、それらの犠牲があって停戦状態に持ち込む事が出来たのだから、彼らのおかげで今があるのだとあたしは思っている。
それなのに、エンクの弟子達の行動は、停戦破棄にもなりかねない魔の者の国家の意思にも反した行為だ。実際魔の者達も阻止しようと、あたし達と戦ってくれようとしている。
《人間よ》
蝙蝠の様に、空中にぶら下がっている四人の魔の者の内の一人が、こちらに振り返って言った。
《我々が、この根源を絶つ任務を引き受けるとしよう》
そう言うと、魔の者達はぶら下がったまま音も無く空中を移動し始めた。
『え? 根源ってこれは?』
あたしが声を発した時、既に彼らは声の届かない距離にあった。
ちょっと、目の前の召喚獣はどうすんのさ、出て来たばっかだからかまだ動かないみたいだけど、すぐに動き出すに違いないよ。あのぶらさがりな四人がすぐに止められるとも思えないし、軍の兵士達はまだ戻って来れてない。この展開だと、少しの間あたし達で何とかするしかないじゃないか。
「ちょっと! シンナバーあれ!」
イシェルの声にハッとしたあたしは、視線を魔の者の消えた方向からアジ・ダハーカへと戻した。
見ると、アジ・ダハーカの周囲に赤い光の点が、無数に生まれているのが見えた。個々の光の点は高速で回転している様に見える。その赤い光の粒は、焚き火をかき混ぜた時に舞い上がる火の粉の様だった。
その直後、突如としてアジ・ダハーカは周囲の地面までもが震える程の雄叫びをあげると、赤い光の一粒がこちらに向かって飛んで来た。
その光は、加速しつつあたし達の足場となっている防壁の少し右に衝突した。光の大きさは五十センチ程度の小さなものだったけど、壁に接触した瞬間に轟音を上げて爆発を起こした。
『ギャァーッ!』
あたしは、その爆発の想定外の威力に驚いて思わず叫んだ。防壁が崩れて高さが変わってしまっている。その壁面を見ると、直径十メートル程の大穴が空いていた。たった五十センチ程の光の玉一つで、強固なはずの街の防壁が破壊されてしまったのだ。
火の粉の様に見えるそれは、恐らく一つ一つが圧縮された精霊魔法だったのだろう。一粒で十メートル四方の破壊力があるのなら、無数の火の粉が一斉に飛び出したらエクトは一溜まりもない。あの召喚獣の力は、前の遠距離タイプなんて比べ物にならないのは確かだ。
「光の玉が街に落ちるぞ!」
ヘタレ格闘家の叫びに街の方を振り返ると、無数の光の玉が暗い街のあちこちに向かって降り注いでいくのが見えた。どうやら目の前の一粒に気をとられている間に放たれていた様だ。
一粒ですら城壁を破壊する程の威力がある。きっと建物も一つ当っただけで破壊されてしまうだろう。
どうすべきか思い悩んでいると、防壁に沿って青い光が回転しはじめている事に気が付いた。光は回転する度に速度が倍ほどに加速していく。その様子は見とれてしまう程に美しかった。崩れた防壁の所も、かつて存在した高さを維持して回転していた。
青い光は、長い尾を引き加速と共に光の輪となった。その輪の中へと召喚獣の放った赤い光が落ちて行く……と思ったら、なぜか何もないはずの光の輪の高さで、ボールが弾む様に弾んで街の外へ向かって飛んで行ってしまった。
『あれ?』
不思議に思っていると、街の中央にぼんやりと青い光が輪を作っているのが見えた。その青い光は魔法の反応によるものだと言う事はすぐに分かった。軍には、街の防御を受け持つ魔導士が存在していたのだ。この間までは居なかったと思ったけど、ガーネットと共にやって来たのだろうか。
防壁を走る青い光の周囲が凍り、あたし達がいる防壁の上に冷気が伝わって来る。精霊魔法には詳しくないから理屈は分からないけど、この街が円形をしているのは、きっとこの防壁と関係があるのだろう。
そう言えば、街ごと防壁を張るって言うのはナボラでも行われていた。プリーストの聖なる光は絶対的な質量を意味する所もあって、その質量を利用して防壁を作るんだ。街全体を覆うには修道士全員の魔力が必要となる訳だけど。
因みに、プリーストの光属性の対極の闇属性は絶対的な虚無を意味する。
「どうやら、街の防御は何とかなりそうだな」
ホッとした所で、ヘタレ格闘家がアジ・ダハーカを見据えて言った。
『よし、調子に乗った所で、あの変なのを地形にはめてやろうか』
「え……」
あたしは、崩れている防壁を足がかりに、さっさと下へと降りていった。訳も分からずと言った感じだけど、イシェルも後に続いてくる。
「おいっ、ったく」
ヘタレ格闘家も、何か言いたそうだったけどすぐに降りてきた。
『でか……』
防壁から降りて、地上から見るアジ・ダハーカは、より巨大に見えた。首が長いのも手伝って、ルクトイと比べても明らかに二回りは大きい。金色に輝くアジ・ダハーカの巨体は、禍々しくも神々しくもあった。
「シンナバー、どうするの?」
あたしは、心配そうに見つめるイシェルに、にこりと微笑むと強化魔法を施した。防御力を上げる魔法、攻撃を受けてもある程度無効にする魔法、属性の耐性を上げる魔法、攻撃や移動速度を上げる魔法、光を屈折させて幻影を作り出す魔法、攻撃が当った場合でもその一部を相手に戻す魔法などだ。普段は余り使わないんだけど、今回は使った方が良さそうだからかけてみた。
『さぁて、久々にたんまりぶん殴ってやるかッ!』
あたしは、腰にクロスして収納している片手棍を、二本取り出して構えると、アジ・ダハーカへ向かって走り出した。
「えぇーッ!? ぶん殴るって本気!?」
アジ・ダハーカは、近づくあたしを三本の首の一つの目で追っていた。そこで、あたしは例の技を使う。もちろん点滅して見えるあの技だ。ただし、召喚獣には使った事はないから効果があるかないかはわからないのだけど。
すると、あたしを追うアジ・ダハーカの首の近くに、いくつかの赤い光が展開し始めた。さっきの火の粉みたいなやつをやる気だろう。あれは、発動による影響範囲は半径十メートル以上だから避けるのは難しい。
赤い光が高速回転しているのが音で分かる距離に近づいた、すぐあたしに向けて撃ち出す事だろう。
『スプレット・バニシュ!』
この魔法は光属性の聖なる光のシャワーの矢だ。あたしはそれを召喚獣に向けてではなく、高速回転をしている光の玉へ向かって放った。魔法同士の接触は、うまくすると即時発動に誘導できるんだ。あれが炎属性を含んでいるとすれば、光属性は同系統な上に上位属性。うまく行く確率は非常に高い。
案の定、光のシャワーの矢が高速回転する赤い光に接触すると、魔法の秩序が乱れてその場で発動、バリバリと耳に来る音を放って爆発を起こし、暗い地面に影がくっきりとできる程の光を発した。
至近距離で爆発したんだ、さぞかし召喚獣もびっくりしたろうね。
爆発のどさくさに紛れ、あたしは召喚獣の足元へと潜り込んだ。巨大な敵は足元が弱点な事が定説。本体の近くなら、強力な魔法は使わないだろう、とあたしなりに考えた結論だ。
一つ意外だったのは、召喚獣が金色に光ってくれているおかげで、視界がとても明るいと言う事だ。
振り向くと、イシェルとヘタレ格闘家も、こちらに向かって走って来ていた。そこで、あたしは二人から注意を削ぐ為に、先制攻撃を与えてやろうと考えた。
『ホーリー・パニシメントッ!』
天に向かって指をさし示すと、天から一筋の光が落ちる。その光は、召喚獣の背中の辺りを照らしているはずだ。あたしの位置からだとよく見えないけど。
光は金属的な音を発すると、強力な閃光を発しつつ天に昇って行った。雲を突き抜けて光るそれは、離れた場所から見ると神が放った雷の様にも見えると言う。その為、この魔法の名前は天罰と言う名前を与えられたとかいないとか。
それと、この魔法はプリーストの攻撃魔法としては、最も強力な魔法の部類に入る。しかも、ソーサラーの使う精霊魔法と違って、精神干渉も起こすと言う、心身共へのダメージが望める素晴らしく合理的な魔法なのだ。流石にこれで倒せるとは思えないけど、「まともな生物」ならショック状態に陥る為、多少の時間は稼ぐ事ができるだろう。
もちろん、まともでない生物の可能性もある。召喚獣が生物と呼べるのかもあたしには分からない。万が一の為に秒間16連打のアレも撃ち込んでおこう。念には念を入れておくのだ。
あたしは両手の棍をぎゅっと握り締めて構えると、召喚獣のかかとの上辺りへと撃ち込んだ。
この召喚獣は、全身が鱗に覆わているから防御力は高いけど、それを破壊してしまえば、ダメージを与えられる様になるだろう。
人間に撃ち込むよりもずっと硬い感触がしたけど、確かな手応えが得られた。撃ち込んだ箇所の金色の鱗が割れ、周囲にその破片が飛び散った。
召喚獣の唸り声が聞こえる。どうやらうまくいった様だ。
確認すると、撃ち込んだ部位の鱗は破壊され、鱗に穴が空いている状態だった。これで次は直接ダメージを与えられる。
もう一度、秒間16連打のアレを撃ち込もうとした時だった、その穴の中から蠢く物が、あたしに向かって飛び出して来た。とっさに棍棒で払いのけると、その蠢く物は地面の草の上に落ちた。穴の中からは、さらにぞろぞろと何かが這い出して来ている。
『うわぁ、何だこれッ!』
這い出したもの、それはトカゲなどの爬虫類に似た生き物だった。それもただ這い出しただけでなく、確実にあたしを狙って来ている。それも威嚇などはせずに、ただにじり寄って来るだけの動きだ。
おぞましさを感じたあたしは、たまらずそれらに向かってスプレット・バニシュを乱射した。命中した爬虫類の様なそれらは動かなくはなったけど、穴からは次から次へと這い出して来ている。一体この召喚獣はどうなっているんだ。
「シンナバー大丈夫!?」
後ろからイシェルの声が聞こえた。無事に到着出来た様だ。
『大丈夫じゃないよッ! 攻撃したら穴からどんどん変なのが出てくるんだ』
「えっ!? えぇーーっ!?」
イシェルの上げた声は半分悲鳴だった。爬虫類が苦手だったのか。そのイシェルの後ろにはヘタレ格闘家も来ていた。
「おい、小せぇのに気を取られて本体の事を忘れんなよ」
『本体?』
ヘタレ格闘家は、親指を立てて上の方を示した。
その示す方を見上げると、首の一つがこちらを覗き込んで睨んでいた。そしてその首が口を開ける。
「来るぞ!」
ヘタレ格闘家が声を上げた時、開いた口の中に赤い光が迸るのが見えた。この展開は……いや、きっと見たまんまだ。間違いなく炎を吐くだろうね。
『大丈夫だよ、このままで居て』
そう言って、あたしは二人ににこりとして見せた。
予想通りアジ・ダハーカは炎を吐いた。竜が炎を吐くなんて当たり前過ぎてつまらない展開だ。その為に目の前は真っ赤であり、周囲もまた真っ赤になっていた。
真っ赤な炎の中で、あたしはホーリーシールドをいくつものハニカム形状のパーツとして作り、それを集結密着させる事でドーム型を形成させた。聖なる光は絶対的な質量を持つ、炎を無効化するなんて芸当だってできるんだ。
「炎を防いでるの!? 凄い!」
「ほぉ……」
よしよし、二人も関心してるな。あたしだって真面目にやればこの位はできるんだよ。あたしはしてやったり感にそこはかとない満足感を得ていた。
「ん……?」
ヘタレ格闘家が、何かに気づいた様な声を出した。効果がないと見て、召喚獣が炎を吐くのをやめた様だ。
次の攻撃に移ろうと思った時、ホーリーシールドに物凄い重い衝撃を受けた。シールドが歪み、ハニカム形状の密着も解かれていく。たくさんのガラスが一気に壊される様な音を響かせ、ホーリーシールドは砕け散った。
『わぁッ!?』
何とシールドに当った重い衝撃の正体は、アジ・ダハーカの尻尾だった。
竜がする攻撃として、尻尾を使った物理攻撃も当たり前として考えておくべきだったよ……と衝撃に巻き込まれ、吹き飛ばされる中であたしは後悔していた。
どの位飛ばされたのか、地面に落ちてしばらく転がった後に視覚の映像も止まった。
すぐに体の状態を確認すると、腕の感覚はほとんど感じられなかったものの、目の前に動かして目視で確認する事が出来た。だけど、足はほとんど動かなかった。召喚獣の尻尾の直撃を受けた肋骨もかなり折れているのだろう、息をするのも苦しくて、血の様な感じのものが喉の奥からどんどん溢れ出して来ている。戦闘不能状態なのはすぐに理解出来た。
「シンナバー!」
イシェルの声が聞こえる。声の方を見ると、顔面蒼白で走りよってくるイシェルが見えた。よかった、イシェルは何ともないみたいだよ。
だけど、イシェルの後ろにアジ・ダハーカの姿も見えていた。そうだった、あたし達はあれと戦っていたんだ。いや、正確には戦っていたつもりになっていただけだった。
アジ・ダハーカがまた体を回転させている。さっきの尻尾攻撃が好評だったから、アンコールにでも応えようってとこだろう。全く召喚獣のくせにサービス精神旺盛だな。
『……シェル、逃げ……』
あたしはイシェルに逃げる様に言おうとしたけど、蚊の鳴く様な小さな声しか出ず、それも周囲を吹く風で起こった草の音にかき消されてしまった。
すると、イシェルはあたしの体に覆いかぶさって守ろうとしてくれた。バカだなぁイシェルは、そんな事しても何の効果もないのに。
あたしは素直に死を覚悟していた、一人じゃなくイシェルも一緒なんだ。きっと寂しくはないよ。ごめんねスフェーン、最後まで旅を続けられなくて……。
あたしはスフェーンの名でハッとした。そしてこんな所では絶対に死ねないと思った。それから、ほぼ一瞬であろう時間の中で思考を巡らせていた。
『ヘタレッ! 助けてッ!』
体の感覚がほぼない状態で、なぜか声を発する事が出来た。
そうだ、ヘタレ格闘家は何をしているんだ。一回位、四天王最弱の根性を見せてみろ。
「あぁ、二人共助けてやる」
イシェルがしがみ付いてる後ろで、ヘタレ格闘家の落ち着いた声がした。首を動かして声のする方向を見ると、すらりとした長身に見えて、意外とがっしりした肉付きをしているヘタレ格闘家の姿がある。なぜだろう、全く不安を感じなくなった。
アジ・ダハーカは体を回転させると、あたし達に向かってその尾を振り落とした。凄い勢いだ、あれに当ったら今度こそ終わりだろうな。あたしは他人事の様にその様子を見ていた。
***
あれから夢でも見ていたのだろうか。
今あたしは、エクトの医務室で横になっている。怪我自体は重傷を負ったものの、命に別状はなかった。それも、体内に聖なる光を持つあたしにとっては何てこともなく、それも既に全快して今はただだらけてるだけに過ぎない。
「よぉ、もう大丈夫みたいだな」
ヘタレ格闘家の声がした。声の方向にヘタレ格闘家と、その傍らにはなぜか俯いているイシェルが居た。
『おかげさまで、もう退院出来そうだよッ! ホントに長い入院生活だったよッ!』
「それはよかった……、しかしあんな怪我が数時間で治るとかホント驚くな。神の子ってのは伊達じゃないってとこか」
『何言ってるのぉ!? あたしの両親はれっきとした人間なんだからッ!』
あたしがそう言うとヘタレ格闘家は、その調子なら大丈夫だなと笑い、医務室から出て行こうとしたのであたしは呼び止めた。
『ヘタレ……。その、助けてくれてありがとう。四天王最弱って言うのも伊達じゃないね』
「最弱って……、大体三人だっての」
ヘタレ格闘家は右手で挨拶するとまた歩き出し、医務室を出て行った。後には俯いたままのイシェルが残された。
『イシェルは怪我とかないみたいだね、良かったよ』
そう言うと、俯いたままイシェルの手がぎゅっと握られた。
「……なるから……」
イシェルが何か呟いたけどよく聞こえなかった。
『え? 今何て言ったの?』
聞き返すと、俯いていたイシェルが顔を上げた。ふるふると振るえ、目からは涙が流れている。
「もっと強くなるからッ! シンナバーを護れる位になるからッ!」
イシェルは大きな声でそう言い、医務室の外へ走っていってしまった。
『イシェル……』
あの時、ヘタレ格闘家はあたし達を護った。
彼は右手をすっと差し出すと、その右手だけでアジ・ダハーカの尾を受け止めてしまったんだ。物理とか難しくてよくわかんないけど、そういう法則は完全に無視していたと思う。
ただ片手で当たり前の様に、ボールを受け取るかの様に止めてしまった。その時に光った青白い光が綺麗だったな。
そして、受け止めた手を少し動かしただけで尻尾そのものが消滅してしまったんだ。何が起こったのかさっぱりだったよ。その後はヘタレ格闘家が一方的にアジ・ダハーカを仕留めちゃった。何なんだろうね。あの四天王最弱の男は。
それと、例のエンクの弟子達は、あの四人の魔の者が全員拘束したらしい。すぐに処置されたそうだけど、その際も抵抗は一切しなかったって言ってた。
あたしは見てないけど、まだ若い少年少女達十二人の亡骸が、エクトの街に運ばれて来ていたそうだ。
その後、本人達の希望でエクトの北の地、アローラ先生のお墓の近くに墓は作られずに、ただ埋められたのだそうだ。