【70】召喚獣
慌てて飛び出して行ったスフェーンと、その後を追うガーネットを見送ったあたし達は、魔戦士組合員の宿舎に戻っていた。
柱の上の時計を見上げると、二十一時になろうとしている。いつもならそろそろ寝る準備をしている時間だ。
とりあえずスフェーンの事は、ガーネットも行ってくれたし心配はないと思う事にしよう。
気にすべきなのはステクトールの人達が無事かって事だけど、ガーネットは手を打ってあるって言ってたし、スフェーン達の様に移動手段を持ってないあたし達は、みんなが無事である事を祈る位しかできない。歯がゆい事だけど仕方がない。
「ねぇ、とりあえずシャワーを浴びようよ。今日はいっぱい歩いたしさ」
イシェルの言う通り、今日はステクトールから半日かけて歩いて来た。少し急いだから大分汗をかいたし、足もだるくなっていた。
イシェルの提案に賛成し、あたし達は奥にあるシャワー室へ入っていった。当然の様にヘタレ格闘家も一緒だ。何度も一緒に入ってる為か、イシェルもすっかり気にする事もなくなっていた。
面白いのはイシェルの視線だった。ヘタレ格闘家の事をチラチラと見てるんだけど、本人は相手に分からない様に見てるつもりなんだろうけど、いつもながらその行動は分かりやすかった。
別の何かを見る振りをしてに見る作戦の様だけど、ヘタレ格闘家も多分それには気が付いてて、でも気が付かない振りをしてる感じが微笑ましかった。
シャワーから上がった後、ゴロゴロしながらスフェーンの帰りを待っていた。既に時計は二十二時をまわっている。
「スフェーン、帰ってこないね」
あたしの横にひっついて、すっかり同化しているイシェルが呟いた。
『スフェーンならガーネットも居るし大丈夫だよ。寝てればその内帰ってくるよ。果報は寝て待て! だよ』
「オレもシンナバーに賛成だな。今のオレ達にはできる事はないさ」
「そうだね。ボクも今日はちょっと疲れたし、スフェーンには悪いけどそろそろ眠ろうかな」
とりあえず、あたし達は眠て待つ事にした。ランプの炎を消すと、イシェルは今日は余程疲れているのか悪戯をする事も無くすぐに寝息を立てていた。
あたしも疲れていたのだけど、足が火照ってしまってなかなか眠れなかった。ゴロゴロと体制を変えてたけど、どうにも足がだるくてしょうがないんだ。寝っ転がった状態で、片足ずつ交代で暗闇の天井に向けて持ち上げていた。
「(おい、さっきから何やってんだ?)」
すると、暗闇の中からヘタレ格闘家の小声がした。ヘタレ格闘家もまだ寝てなかったらしい。
『(何って、足がだるくって眠れないんだよ)』
そう言うと、ヘタレ格闘家が近くにやって来て、あたしの足をマッサージしてくれた。足の裏からふくらはぎへ向かってぎゅっと血液を流す様なマッサージだ。しばらくすると、だるかったあたしの足がどんどん軽くなって行った。
足が軽くなるにつれ、あたしの意識も遠くなって行った。
「(こんな感じでどうだ?)」
『ん、今日はこの位でうにゃうにゃ……』
ヘタレ格闘家がそう言った時には、既にあたしは眠りかけていた為に寝言で返事をした。すると、ヘタレ格闘家はあたしの足を掛け布団の中へ仕舞い込んで自分の布団へと潜り込んだ。
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。ヘタレ格闘家のマッサージのおかげでぐっすりと眠っていたあたしは、突然響き渡った警報の音に驚いて飛び起きた。
『わぁっ、今度は何ッ!? うるさいよッ!』
寝ぼけていたのか、反射的に変な事を言ってしまった。因みに今度の前は特にない。
「ふわぁ。何か外で鳴ってるね、何が起こったんだろう」
イシェルが眠そうな顔でむくりと起き上がると、目を擦りながらキョロキョロしている。
「まさかとは思うが……。ちょっと様子を見てくるか」
いつの間にか靴を履いていたヘタレ格闘家が、外の様子を見に行く様だ。その後をあたしとイシェルは少し遅れて追いかけた。
建物の外に出ると、警報の音は一層大きく鳴り響いて聞こえた。音は司令部の方角から聞こえて来ている。まだ空は暗く星が瞬いている。
「スフェーンは、まだ帰ってないんだね」
イシェルの言う通り、スフェーンはまだ戻ってはいないけど、とにもかくにも原因を知る為に司令部に向かった。
その司令部前には、大勢の兵がいそいそと集まり出していた。兵達の集団の後ろに、ヘタレ格闘家が立っているのを見つけると、あたしとイシェルもその横に並んだ。
『それで、この警報は何だったの?』
「いや……」
まだ分からないと言う様にヘタレ格闘家は首を振った。その間にも兵達は慌しく集まり、規則正しく列を作っていた。
少しして、司令部から顔も体もいかつい中年男性が出て来た。久々のアキレサンド将軍の登場だ。ガーネットが居ないと言う事は、彼女もまた帰っていないと言う事か。こんな時にスフェーンもガーネットも居ないなんて。
あたしは不安を感じて仕方なかった。今まであたしの側にはいつもスフェーンが居た。今までの旅が安全にやって来れたのは、スフェーンの力による事が大きかった事がよく分かった。大きな後ろ盾がある安心感だったのだろう。
「よし、警報を停止しろ」
アキレサンド将軍が指示すると、少しして警報の音が止まった。辺りに声が通る様になると、アキレサンド将軍は今の状況を話し始めた。
その話を要約するとこうだ。
この警報は、魔の者の集団が独断でエクトに向って進行し始めた為のものらしい。その集団は、先日の戦いで命を落とした魔導士の弟子達なのだと言う。弟子の魔導士は、それぞれが強力な魔法使いであり、さらには召喚獣をも扱うらしい。
これらの情報は、魔の者の要塞であるラーアマーから伝えられた情報だった。要塞として機能出来ていない今のラーアマーではその集団の進行は止める事ができなかったのだろう。
弟子達による独断の行動か。師匠の魔導士が殺された仕返しをしに来るのだろうか。
あたしは召喚獣について詳しくはないんだけど、スフェーンは他力本願みたいだからやだって言ってた。それはアローラ先生も同じだったみたい。まぁあの二人なら必要ないだろうけど。
問題は、今のエクトの戦力がどれ程かなのだけど、確か前の戦いの後で五千人とルクトイが補充されていたはずだ。少なくとも戦力はこちらが圧倒してる。きっと何も心配する事もないだろう。
アキレサンド将軍は、地図を片手に忙しそうに何やら指示をしている。その指示を受けた兵達は、走ってその場を立ち去って行く。
どこに行くのかと思ったら、少し離れた所に待機させていた自分の部隊の所だった。この司令部に集まっている兵は、それぞれの隊長さんだったのか。
少しして集まっていた兵達が全員居なくなり、あたし達だけが残された。だけどあたし達への指示はない。今回は特例じゃないらしく、魔戦士組合員の参加義務はないそうだ。
『残念だったね、今回ヘタレの出番はないってさ』
「いや……。ぜんっぜん残念じゃないから」
「でも、どうするの? こんなんじゃ戻る訳にも行かないよね」
魔の者がどこから来るのかは分からないけど、どこか様子が見れる場所はないだろうか。
考えあぐねているあたしの目の前を、何体もの巨体が目を光らせつつ、のっしのっしと通り過ぎて行った。軍の生物兵器ルクトイだ。
あのルクトイは普段は広場で丸くなって微動だにしない。余りに動かないから風景に溶け込む位気にならないんだけど、やっぱり動くと迫力があるもんだ。丸い玉の並んだ顔がショッキングだけどね。
今こちらに向かって来ている魔の者は敵……でいいのかな? それを向かい撃つのに、全兵力に加えて戦争用のルクトイを使おうとしている。軍の想定した敵の戦力の見積もりが分かる。なんと全兵力だよ。召喚獣ってそんな凄いのか。
ルクトイ達は全て南へ向かって移動して行った。ラーアマーは南にあるから敵は真正面から来るのだろうか。あたしとしても西には先生のお墓があるから……。あぁ、そういう事か。弟子達も同じ事を思ってるのかもしれないな。すると、その魔導士は、アローラ先生とも戦ったって事なのだろうか。
あたし達は西側の壁の上へと上がった。エクトをぐるりと取り囲んでいる防衛壁の上は通路になっていて、東西南北四箇所の見張り塔はその通路で繋がれている。
壁の上から外を見下ろすと、たくさんのカンテラの光が動いているのが見えた。空はまだ暗いから、移動するにも光を必要とするんだな。
そこからずーっと西の地平線があると思われる方へ向かって目線を移動してみる。カンテラの光はかなり先の方まで続いていた。地平線を越えると、星の光がチカチカと光っていた。虫の鳴き声がする中、ほのかに吹いている草の匂いを乗せた風が頬を撫でた。今の所は全く平和そのものだ。
「暗いから壁の上から落ちない様に気をつけてね」
そう言って、イシェルはあたしに寄り添った。
五千人もの兵力があたし達の目の前に展開している。それは壮観だった。魔の者の弟子が何人かは分からないけど負ける気もしなかった。だけど、その安心感はたった一瞬で砕け散る事となってしまった。
遥か遠方がキラリと輝いたと思うと、何かが裂ける様な音を響かせつつ、まるで地を這う蛇の様な光がいくつも走った。それらは、木の枝の如くに枝分かれしていく。
細かく枝分かれした光の先がキラリと光ったその直後、光の枝は凄まじい音を響かせて爆発を起こした。
爆音が遠くの山々に反射し合い、まるで雷の様に響き渡る。光の枝葉の近くには、それぞれ数多くのカンテラの光があったのだけど、今は全てが真っ赤な炎へと変わってしまっていた。
「おぉぉッ!?」
枝分かれした光が放たれた根元が、ぼんやりと青白く輝いているのが見える。距離にして一km近くはあるのではないかと思う程の距離だ。かなりの距離だけどそこから放たれた攻撃だった様だ。
「今のって……」
イシェルが不安な顔であたしを見つめた。炎の光のおかげで表情が見える様になったのは、相手の狙いとも思えなくもない。
こちらが見えないと言う事は相手も見えない訳だ。兵達の持つカンテラの光で敵の狙いが定まったと言うのは皮肉なものだな。
爆発を逃れたカンテラ達が規則正しく動き出している。あれ程の爆発を目の当たりにしてよく怯まないなと思った。
『光の根元にいるの、多分召喚獣だよね』
「そうらしいな、長距離攻撃型って訳か」
「ねぇ、ボク達ここで見てるだけでいい……のかな?」
軍の特例が発令していない今、あたし達が参戦しなくてはいけない理由は存在しない。だけどそれは同時に参戦するしないは個人の自由と言う事でもある。
「軍の戦力は、まだほとんど落ちてないぞ」
派手な爆発に驚いたけど、一箇所に密集せず広がっていた軍の戦力はほとんど衰えてはいない。そして、敵の位置が分かった今、すぐに反撃に転じようともしている。
そう思った通り、すぐに大砲らしき音が響き渡り始めた。その音はかなり遠くから響いている。大砲のものと思われる火の玉が、次々に撃ちこまれて行くのが見える。
遠方で青白く光っていた所は、今や大砲の集中砲火を受けて真っ赤な炎を上げている。そして、それから間もなく魔法攻撃も開始された。あの召喚獣は近距離からの攻撃を苦手としているのか、なす術も無く攻撃を浴び続けている様だった。
「心配したけど大丈夫そうだね」
イシェルはそう言うとホッと息を吐いた。
そうしてる内にも防壁の周辺に居た兵達もそこへと移動していく。ルクトイ達も召喚獣を射程距離内に捕らえたらしく、召喚獣は一層激しく集中攻撃を受け始めていた。
召喚獣の放つあの光の枝は、もはや目標が定まってないかの様にそこかしこへと撃たれていた。光は地面を走り、遥か遠方で炎を上げている。でも多分その辺りに軍の兵はいない。少しして枝分かれする光が撃たれなくなると、やがて攻撃の炎も収まっていった。
召喚獣の居た辺りはもう赤い炎だけしか見えなくなっていた。その炎も徐々に小さくなり、そして何も見えなくなった。
「どうやら終わったみたいだな」
「うん、思ったより早かったね」
ヘタレ格闘家とイシェルはそう言うと、壁石から立ち上がった。もう二人は宿舎に帰ろうとしているみたいだけど、あたしは何だかまだ終わった気がしなかった。
あの召喚獣は遠距離攻撃型の様だった。だけど、それを配置するなら護衛する存在を配置しなければ、今みたいにあっけなくやられてしまうって事は誰でも分かる。今の召喚獣の配置は極めて不自然だった。
「さて帰るか」
ヘタレ格闘家は、既に壁上から下へと下りる石段の方へと歩き出していた。
「シンナバーは帰らないの?」
あたしの横で立ち上がっているイシェルが言った。
『何だかおかしいよ、だってあの召喚獣はまるで……』
あたしは二人の方へと振り返ると、もう影しか見えなくなったイシェルやヘタレ格闘家に訴えた。
さらにその続きを言おうとした時に、背後にとてつもない威圧感、と言うよりとても嫌な感じに襲われた。
「……む?」
その異常さを感じ、階段を降りかけていたヘタレ格闘家が足を止める。あたしはなぜか今ヘタレ格闘家の表情を見る事が出来ている事に気が付いた。ヘタレ格闘家の表情は困惑している表情だった。その表情の理由も見えている理由も、ヘタレ格闘家の目線が向けられた先であるあたしの背後にある様だ。
あたしが振り返ると、防壁から百m程度の距離に、巨大な魔方陣が青白い光を浮き出させていた。その魔方陣の大きさは、ルクトイが十体はすっぽりと収まる程の大きさだった。
青白い魔方陣には何かの図形だか文字だかが描かれ、それがくるくると回転して円の周囲を回っている。そして、その魔方陣の向こう側から、何かとんでもないものが近づいて来ているのを感じた。その何かが近づくにつれて魔方陣の光も強くなっている様だ。
青白い光が真っ白く変わった時、ついにそれの正体が現れた。
地面から押し出されるかの様にゆっくりと現れたそれを、一言で言うとするなら三つ首のドラゴンで正解だった。よく伝説に出てくる竜の姿そのものだ。安直って位に分かりやすい竜だった。
その竜の体からは黒いもやの様なものが立ち上っていて、そのもやが周囲の視覚を歪ませていた。
《あれはアジ・ダハーカで間違いないな》
《その通りだ。紛れもなくエンク様のものである》
《エンク様の弟子達であるならば、契約していたとしても不思議ではあるまい》
《憶測するまでもなく、あれが出現した今は確定的明らかである》
あたしは、唐突に頭上から謎の会話が聞こえて驚いた。反射的に声の方を見ると、四人の魔の者が空中にぶら下がっていた。あたしはそれを見てさらに驚いた。
『わぁっ! 知らない人が空にぶら下がってるよッ!?』
「ひゃっ!?」
あたしとイシェルは驚いてとっさに声を上げた。イシェルの場合、あたしがイシェルの体に掴まった事が原因で驚いた感じがしなくもないけど。ヘタレ格闘家は、無言で魔の者達を見上げている。
《あの魔導士の姿が見えない様だな》
《不在と言うのは全くの想定外である》
《その通りだ。人間の兵と我々のみで粛清せねばならぬとは》
《不本意だが、苦戦する事は確定的明らかである》
空中にぶら下がったままの四人の魔の者は、こちらを一度も見る事も無く喋り続けていた。魔の者の話からすると、彼らはエンクと言う魔物の弟子達の進行を食い止める為に来た様だ。
あたし達は、突如目の前にあわられたアジ・ダハーカと呼ばれる巨大な竜と、頭上で会話する謎の魔の者を交互に見つめていた。