【69】司令部
お腹を空かしたあたし達は、酒場でビフテキを堪能した。
けして高級ではないけれど、そこそこおいしいお肉を堪能し終わって一息付いていた。
「みんな揃ってお食事?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはガーネットが立っていた。
確かガーネットは、現在のエクトで兵たちを指揮している一番偉い人だったはず。お供の兵を連れていないという事は、プライベートで来たのだろうか。
ガーネットは、いつもの薄紫の軍服ではなく、私服っぽい白いワンピースを着ていた。
白いワンピースはカッチリとしていて、エッヂのよく効いた格好良く作られた服だった。それでも軍服とは違い、やわらかい生地の為に体のラインがよりはっきりと出ている。そのにじみ出た女性らしさを、上品に生かせる仕上がりとなっている。紺色のラインが袖や襟に入っていて、それがアクセントとなって全体のイメージを引き締めている様だ。
あたし達が驚いていると、その様子に気が付いたのかガーネットはフッと笑った。
「ところでスフェーン。あなた今朝アローラの所に行ってたでしょう?」
「あ……」
スフェーンが小さく声をもらした。なかなか帰ってこないと思ったら、一人で先生のお墓参りしてたのか。そうなら別に隠す必要もないのになぜ言ってくれなかったのかな。
「それと、今朝は初仕事ご苦労様」
『え? 初仕事?』
ガーネットの言う初仕事って何だろう。お墓参りが初仕事な訳ないし、スフェーンがなかなか帰ってこなかった理由って、軍の仕事をしていたから?
スフェーンの顔を見ると、困った表情をして笑っていた。イシェルも特に驚いた様子もない事から知っているみたいだ。お墓参りなら別にあたしに秘密にする事じゃないと思うんだけど。
昼間、まだあたし達がステクトールの集会場に居た時、スフェーンとイシェルの二人は外に出て行った。結局その事はまだ話してくれてはいないけど、ガーネットの言う事はそれに関係している様な気がする。
「うふふ、シンナバーは知りたそうね。ここで話すのも何だし、食事が終わったら司令部に来ない?」
ガーネットは一方的に「待ってるわ」と言うと、あたし達のテーブルの上にあった、注文書きをレジに渡して外に出て行った。あたし達はガーネットの姿が見えなくなるまでしばらく後姿を眺めた。
『もしかして、ガーネットってあたし達……って言うかスフェーンに会いに来たのかな?』
あたしは、みんなの方に振り返りながら言った。
「うん、そんな感じだね」
「だな、飯も食い終わったし司令部に行くか?」
「んー、待ってるわって言われちゃねぇ」
奢ってもらっちゃ断れない。と言っても、単に軍にツケただけだろうけど。
残ったサイダーを飲み干すと、あたし達は司令部へと向かった。
司令部の建物は、エクトの街の中央にあった。窓が全方向に付いている為、周囲をまんべんなく見渡せる様になっている。司令部は街の中で一番高い建物で五階建てなのだけれど、やはり真っ白で四角くて面白みはなかった。この街の建物は全てが真っ白に統一されていて無機質だ。
入り口の兵に、ガーネットに呼ばれた事を告げると、待たされる事も無くそのまま建物の二階へと案内された。
案内された部屋は、接客用の応接間らしい所だった。外見は面白みのない建物だけど、応接間の中はちょっといい感じの作りになっていた。
床は高そうな刺繍のされた赤いジュウタンが敷かれているけど、あたしにはふかふかしててちょっと具合が悪い。
壁は高貴そうな雰囲気を感じさせる装飾が施され、部屋の奥の壁一面は、マトラ王国の国旗の刺繍がされた布がかけられていた。
左右の壁の天井との間には、何を描いたのかよく分からない絵がいくつも飾られ、天井には古そうだけどきっと高いものと思われる、洒落たデザインのランプが輝いている。壁際に置かれたキャビネットには、高そうなお酒までが並べられていてゴージャスな作りだった。
ガーネットが、あたし達を客扱いする訳はないから、たまたま使ってないからこの部屋にしただけだろう。
そんな部屋に入り込んでるあたし達は、誰の目で見ても分かる位に浮いているに違いない。
部屋に入って数分で、ガーネットはやって来た。服装はいつもの軍服ではなく、さっきの白いワンピースのままだ。
「早速来てくれたのね。とりあえず適当に座ってて? すぐに紅茶いれるから」
そう言って、来客用のティーカップを手際よく並べると、持って来たポットをカップに傾けて紅茶を注ぎはじめた。
『えっと、ガーネットさん』
「敬語は使わなくていいのよ。あなた達は軍部じゃないし、魔戦士組合は権限は持たないけど、位置的には対等なのだから」
ガーネットはくすりと笑った。妙にフランクなのが気にかかるけど、そう言ってくれるなら楽な方がいい。
『んじゃ、ガーネット……。さっきスフェーンが初仕事をしたって言ってたけど』
あたしは、スフェーンの初仕事の事が気になり早速聞いてみた。
「そうね、スフェーンは今日の朝、王国の……。それも王室直々の命令を受けて、重要な任務にあたってくれたの」
『――王室って事は?』
「もちろん、この国の王様であるマトラ王の命令よ」
正直驚いてしまった。確かにこの国はマトラ王国と呼ばれている。王国と言うからには当然王様が居るはずなんだけど、一般人のあたし達には余りにも遠い存在だった。一生会う事どころか影すら見る事もないかもしれない。
そんな遠い存在の王様が、スフェーンに直接任務を与えたんだ。
「そんなに驚く事はないわ、先日のあなた達の素晴らしい働きは、ちゃんと王室にも報告されてるから。シンナバー、あなたの事だって王様は知ってるはずよ。何しろ神の子ですもの」
出たな、神の子と言うワードが。あたしはとっくに神の子を返上してるつもりで居た。窮屈で面白みのない教会で暮らし、定期的に神託を下すだけの日々。それがこの国にとって重要だって事は分かるけど、あたしにとって、今の生き方を続ける方がずっと重要だ。
「かつてあなたが、この国の道しるべだったんだけど……」
まるで、ため息を吐くかの様に言うガーネットの言葉を、あたしはあえて聞こえないふりをした。
ガーネットがいれてくれた紅茶は、今まで飲んだ事がないいい香りがした。何ていう紅茶なんだろう。後で聞いてみようかな。
とか思っていたらうっかり忘れそうになっていたけど、あたし達がここに来た目的は、紅茶を飲むためではなかった。ガーネットも何か用事があってだろうけど、あたしが知りたいのはスフェーンの初仕事の内容についてなんだ。
『うーんうーん、さっきの話の続きなんだけど』
テーブルの上に紅茶を置き、あたしは脱線してしまった話題を元に戻した。
「あらごめんなさいね、どうぞ?」
チラリとスフェーンの顔を見ると、すまして紅茶を飲んでいる。自分からは話そうとはしないらしいけど、特に嫌がってる様子もない……と思う。きっと聞いても大丈夫だよね。
『スフェーンの初仕事って何をしたの?』
それでも恐る恐る言う感じになってしまう。きっとあたしには余り関係のない事なんだろうな。出しゃばりとか思われてないかがちょっと心配だ。
「そう、やっぱりスフェーンは話してないのね。いい機会だし、あなたの口から説明してあげたら?」
ガーネットは軽く微笑んでスフェーンの方を見つめた。それに釣られる様に、あたし達の視線もスフェーンに向けられる。
「うーん、まぁいっかぁ」
スフェーンは、少し渋るそぶりを見せたものの、王室からの任務の事を話してくれた。
その仕事とは、魔の者と協力してジダンの拠点を殲滅する事だった。ステクトールの近くにはジダンの拠点がある。ヘタレ格闘家も、あたしとスフェーンを攫ったのはジダンだと名乗ったと言っていた。
不思議なのは、王国は魔の者の事を「魔物」と呼び忌み嫌い敵視している。それも「魔物は人間を滅ぼして、世界を我が物にしようとしている悪しき存在」って国の教育で教え込んでいるにも関わらず、スフェーンにはその魔物と協力してジダンを殲滅させてるって命令が下った矛盾に少し納得ができなかった。
――かなり矛盾してるなぁ
学校で教わった魔物についての知識は、今思えば酷いもので、魔物は知能すら持たず、ただ闇雲に襲ってくる悪い生き物だった。そう思っていたからこそ、魔の者との戦いでは躊躇せずに魔法攻撃を行えた。
だけど、あたし達は既に魔の者は魔物ではない事は知っている。魔の者が実は人間とそれ程変わらない生物だったと言う事も。
確かに、エクトでは争う事はあるけど、単に人間を滅ぼそうとするのが目的じゃない気がしていた。
いや待てよ、じゃぁワッカ運河に流されていた死体は何だったんだろう。あれはずたずたに切り裂かれた死体だった。ああいう事をするならやっぱり悪しき存在じゃないのか。
スフェーンがラーアマーで見た魔の者の中には、化け物の様な姿の者もいたらしい。でも、それは見た目だけで普通の魔の者と中身は変わらない感じだったと言っていた。他の魔の者も特に恐れる様子もなく、一緒に生活してる感じだったらしい。これはステクトールも同じだった。
あたしはサフレインに、魔の者の事をもっと詳しく聞いとけば良かったと後悔していた。
「魔の者……?」
イシェルは、あたしの顔をじっと見つめて呟いた。
『はぇ? 何? イシェル』
唐突に考えてた対象を言われ、あたしはびっくりしてしまい変な返事をしてしまった。そうだった、イシェルは人の考えてる事が解るんだったっけ。
「ねね、ガーネットなら解るんじゃないのかな?」
そう言って、イシェルはあたしの服の袖を掴んだ。
「何かしら、わたしに分かる事なら話せるけど?」
ガーネットは、手に持ったティーカップを膝の上に降ろして、穏やかな口調で言った。少し首を傾げたガーネットの長く綺麗な髪が、肩の上からサラリと落ちて胸の前へと垂れ下がる。
『あ、魔物……じゃなくて魔の者って二種類いるのかな? 人間みたいなのとそうじゃないのと』
流石に化け物と言うのも気が引けた。そうじゃないのは人間タイプより遥かに体が大きかった。普通見たら同じ種類だとは思わないだろう。
「あー、そうじゃないのって化け物の方ね。アレはただの化け物よ、化け物」
わざわざそうじゃないのって言ったのに言っちゃったよ。化け……じゃなくて、違う方の面々が聞いたらどう思うんだろ。
スフェーンは化け物の「ば」が出たとたんに噴出して苦しそうにしていた。それはいつものスフェーンらしい笑い上戸の反応だ。
『そ、その人達……? でいいのかな。その人達も魔の者のバリエーションなの?』
バリエーションといい終わるか終わらないかの所で、スフェーンはさらに苦しそうに笑い出した。もう笑いすぎて顔が真っ赤だよ。あたしはどさくさにスフェーンの背中をさすってあげた。やわらかいスフェーンの背中はとても温かかったけど、イシェルはあからさまに不満げな態度をとった。
「まさか、そんな訳ないじゃない。魔物と化け物は、元々は人間が存在する前から対立してた敵同士だったみたいよ。だけど、人間が力を持ち始めてから手を組んだらしいのよね」
そうだったんだ。元々敵同士だった魔の者と、ば……それ以外が、今は一緒に暮らして協力し合っている。いつか人間もその輪に入る事になるのだろうか。
二つの種族の過去を聞き、物凄く意外に思った。でも、それは同時に納得できる結果だとも思った。
その時、突然バタバタと足音が聞こえたかと思うと、ドアをノックする音がした。ノックの音の感じからするとかなり緊急の用事の様だ。
「ガーネット様、ご来客中申し訳ありません」
「ん、どうかしたの? 入ってちょうだい」
ガーネットがドアの方に向かって言うと、「失礼します」と言ってドアを開けて兵が入り、ガーネットに敬礼をした。しかし、その兵の表情は厳しく余裕が感じられない。
「ステクトール監視者の赤の信号弾を確認しました! ジダンが村に攻め入った模様です! 恐らく村を奪って新たな拠点にするつもりかと」
『え……』
ジダン? どういう事? ジダンはスフェーンが殲滅したって今言ってたはずなのに。
すると、スフェーンが突然勢い良く立ち上がった。
「そう、やっぱり思った通りね。だけど心配は不要よ。既に手は打ってあるから」
「ごめん……。ちょっとあたし急用を思い出した」
スフェーンはそれだけ言い残すと、窓を開けて外へと飛び出して行った。この部屋は二階にある。飛び降りたとしたら怪我をしかねない。あたしは急いで立ち上がると、窓へと走り寄った。
窓の外に身を乗り出してみたものの、その下には誰も見つける事は出来なかった。ホッとして急いで周辺の空を探してみると、少し離れた空を移動する人影の様なものを見つける事が出来た。今の話を聞いて、スフェーンはステクトールに向かったのだろうか。
「全くもう。行かなくてもいいのにしょうがない娘ね……」
後ろからガーネットのため息が聞こえた。
「わたしも急用が出来たわ。アキレサンド将軍に留守を頼むって伝えといて」
そう言うと、窓枠にトンと言う軽い音を残し、ガーネットも暗闇へと消えて行った。
部屋に残されたあたし達は、あっけにとられて窓の外の暗闇を眺めていた。