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【64】儚い幻想(6)

 サフレインは、既に事切れているトリッサの亡骸を抱きしめ泣き続けていた。それを、イシェルは半分開いたドアの前に立って見つめていた。


《悪魔……》

 サフレインは背を向けたままぽつりと呟いた。その言葉にイシェルはびくっとして反応し、呆然とした表情でサフレインの背中に目を向ける。

「あ……」

《何で……? 何の為に? ここまでする必要なんてあったの!? 泊めてあげたのにッ! 誰も殺してないのにッ!》

 サフレインの言葉に、イシェルは何一つ言う事が出来なかった。

 イシェルは、この戸の前に立った時からこうなる事は予想していたし、相手の心を読む能力によって、今言われる事も分かっていた。だからこそ余計に堪えてしまった。

 両目から涙を流し、憎悪にかられた顔をイシェルに向けている。イシェルは小さく首を振って一歩後ろに下がる。

《許さない……》

 今まで誰にも見せた事のない鬼の形相で睨みつけるサフレインに、イシェルはたまらず視線を外した。そしてくるりと振り返り、外へ向かって歩いて行った。


 サフレインは再びトリッサの方へ振り向き、徐々に冷たくなって来ているその体を再び抱きしめた。

 抱きしめた時、口からふっと息を吐いたトリッサに一瞬ハッとするが、それが抱きしめた圧力の為だと分かると、トリッサを静かにベッドに寝かしてやさしく髪を撫でた。

《待っててね》

 優しい顔で微笑みかけるサフレインの薄灰色の髪は、ランプの灯りを反射して銀色に光っていた。



 サフレインが家の外に出て辺りを見渡すと、イシェルが森を背にして村の入り口に立っているのが見えた。それはトリッサと戦った時に立っていた場所と同じだった。

 サフレインがイシェルに向かって歩いて行く様子を、付近の村人達はそれぞれの家の窓や、戸の隙間などから息を呑んで伺っている。

 やがて、サフレインの足は止まった。月明かりのせいか、その体は妖艶に輝いて見えた。さっきまで賑やかに鳴いていたはずの虫達の声は、不思議と今は止んでいる。


 サフレインは、イシェルに向かってすっと右手を差し出した。その手のひらに青白い光の粒が集まり出す。

 その様子にイシェルは身構えたが、すぐに自分の足元に異変が起こっている事に気が付く。

《アース・クエイク!》

 直後、イシェルの足元の地面は爆発した様に弾け飛び、村全体に響く轟音が襲った。

 周囲では、立っている事が困難な程の激震が起こり、付近の住民の家の壁が所々崩れ落ち始めていた。村人達の上げる悲鳴が聞こえる。

 十秒程の後、その振動が治まると、イシェルが立っていたはずの場所は、その場所を中心として、半径三十メートル余りにはもはや形あるものは何も存在していなかった。そればかりか、中心部は真っ赤に発光して融解し、地面からは蒸気が音を立てて噴出している。

 サフレインの放った魔法、魔力を大地のエネルギーへと変換して発散する大魔法、「クエイク」と呼ばれるものの一種だった。大魔法と言われるが故、通常魔法に比べてエネルギー密度は極端に高いが、その分必要とされる魔力も膨大であった。


《はぁはぁ……ッ!》

 息を乱して何もなくなった地面を見つめているサフレイン。慣れない大魔法を使った為に、その体力の消耗も著しい。

 サフレインは近づく気配を感じ、その方向へと顔を向ける。すると、そこには手に持った針を投げようとするモーションに入っているイシェルの姿があった。

 針は間もなくイシェルの手から射出されたが、すかさずサフレインは両手を翳して魔法を発動させた。

《ショック・ウェイブ!》

 けたたましい音と共に衝撃波が発生し、投げられた針共々イシェルを吹き飛ばす。

《コンプレッション・エクスプロージョン!》

 弾き飛ばされたイシェルに向け、サフレインはさらに魔法を発動。イシェルを囲み周囲の空間が収縮を始める。収縮した空間が光の点とまでなった次の瞬間それは爆発した。サフレインの体の中心まで響く爆発音が起こり、それは遠く離れた山々にまで届いてこだました。


 激しく息を乱したサフレインは、右手を胸に手を当てている。その目の前にイシェルが音もなく姿を現し、無言のまま針を投げる姿勢に入った。

 サフレインは避ける様子もなく、すぐに魔法を放つ姿勢へと入った。手のひらから一瞬青白い光の粒が発せられる。

 イシェルが放った針を体に受けつつ、サフレインは全身全霊の魔力を注いでゆく。数秒でイシェルの周囲を取り囲む様に、何十もの光の玉が形成されはじめた。そして、その光の玉は尚も生成され続けている。

《エイム・フレアー!》

 その光の玉は赤い光を放ち、すぐさま楕円形に変形してイシェルに狙いを付けた。エイム・フレアーと呼ばれた魔法は、一つ一つの粒は小さいが、その火力は非常に高い大魔法であった。

 全方向から狙いを付けられ、イシェルはすぐさま光の粒を掻い潜って後方へと飛ぶ。だが、周囲の光の玉も素早く方向を修正して着地したばかりのイシェルに向かって雨の様に降り注いだ。

 無数の光の玉は、けたたましい爆音を上げて次々と着弾し、周囲の地面を巻き込みながら発散された超高温の熱で溶かして行く。

 大きく巻き上がる炎を見つめるサフレインの体には、イシェルの投げた針がいくつも突き刺さり、じわじわと血が染み出し始めていた。

 苦しそうに息をしているサフレインは、その針を抜こうとはせず、指で確かめる様に針の根元に手を当てていた。だが、その表情は先程までとは違い、穏やかなものに変わっていた。


 少しして突然膝がガクッと折れると、その場に崩れかけた所で誰かに体を支えられた。

「ゴメンね、ボクはまだ死ぬ訳にはいかないんだ」

 倒れ込もうとしていたサフレインを、後ろからイシェルが支えている。イシェルは彼女の耳元に口を近づけて、すまなそうな声で言った。

《あなたもわたしと同じなのですね》

 サフレインは、目を瞑り口元はほのかに微笑んだ。再び静寂を取り戻した周囲に、穏やかな風が吹いている。


「この針、抜くと多分死んじゃうから、後でシンナバーが戻ったら……」

 すると、サフレインはゆっくりと首を左右に振った。

《ありがとう。でも、その必要はありません》

 サフレインは震える足にぐっと力を込めて立ち上がり、イシェルを手で制してゆっくりと家に向かって歩き出した。染み出した血が、突き刺さった針を滴って地面に落ちて行く。その後ろをイシェルは黙って付いて行った。村人達は遠くからその様子を眺めていた。


 寝室まで戻ったサフレインは、ベッドに横たわるトリッサを抱きかかえると、その頭を自分の膝の上に乗せた。それをイシェルは部屋の入り口でじっと見つめていた。

《トリッサ、やっとわたしのものになったね》

 サフレインは満足な顔で微笑むと、優しく髪を撫でつつ歌を口ずさみ始めた。イシェルには全く聞き覚えのない歌だったが、その優しい歌声にはどこか懐かしさを感じる様な気がした。


 イシェルは、サフレイン達の寝室の戸を静かに閉め、隣の部屋に残されたみんなの荷物を持って家の外へ出た。

 サフレインの歌声は、外に出たイシェルの耳にまだかすかに届いている。

 どことなく懐かしいそのメロディー。

 ふとイシェルはその歌が何の歌かに気が付く。

「あ……これ、子守唄だ」

 サフレインの歌っていたのは、彼女がまだ生まれ故郷のイステーツカの村で平和に暮らしていた幼い頃、母親がよく歌ってくれていた歌だった。その優しい声を、イシェルは目を閉じて聞き入っていた。

「……!」

 急に歌声が止まった為、イシェルはハッとして目を開けると辺りは赤い光で包まれていた。それは、イシェルの背後から照らされている。

 驚いてイシェルが振り向くと、既に二人の家は真っ赤な炎に包まれていた。

 その炎は、不思議な事に周囲には燃え広がる事はなく、真っ直ぐ空高く舞い上がっていった。それはまるで天へと吸い込まれて行くか様に見えた。

 イシェルは、その様子を呆然と見上げ、やがてその場に力なくへたり込んだ。

 そして、地面の土を掻き毟って握り締め、叫び声の様な声を上げて泣き始めた。



          ***


 早朝、心地よい揺れと温かさを感じつつ、あたしはいつもと違う目覚めを迎えた。

『もう食べられない……そんな気がする……でもたべゆ』

 そんな寝言を呟いた時、あたしはハッとして目を開けた。

 目の前に見えたのは大きな背中だった。それも、とてもよく知っている背中だ。

「ん……? 起きたのか?」

『あれ? あれあれ? 起きたけどさ、けどさ?』

 前に一度あった様な、この状況に訳が分からず、辺りをキョロキョロするあたし。辺りは森の中らしけど、白い靄の様なもので包まれていて遠くまでは見渡せない。上を見上げたが、空はまだ半分薄暗かった。

「起きたなら、自分の足で歩いてくれるとありがたいかもな」

 よいしょと言う声で体制を整えるこの声の主が、ヘタレ格闘家だと言う事にやっと気が付いた。見ると、前にも誰かを抱えている様だ。

『あ、誰かと思ったらヘタレか。ところで前に抱えてるのって誰?』

「誰ってスフェーンだよ。ほらよ」

 ヘタレ格闘家は、片手でスフェーンを肩の上へと抱え直して、あたしにその顔を見せてくれた。うん、ちょっとよだれが出ちゃってるけど、紛れもなくあたしのスフェーン様に間違いない。と、言う事は今ここに居ないのは……!

『イシェルは?』

 あたしはあの出来事を段々と思い出し始めていた。トリッサが入れた紅茶に睡眠薬が入れられていた事を。そして、イシェルに解毒の魔法を施した事を。

「イシェルは……あの二人の所だ」

 言いにくそうに言うヘタレ格闘家の言葉には、何か意味が込められている様に思えた。



 村へと辿り着いたあたし達は、焼け焦げた土台だけになってしまったトリッサ達の家を見て愕然とした。

 何しろその燃え方が尋常じゃなかった。普通火事で燃えたのなら、柱位は炭になっても残るもんだろうけど、そこには土台しか残ってはいなかった。

 その前で、イシェルは地面に座り込んで呆然と土台を眺めていた。特に怪我はない様だけど、とても苦しい事があったに違いない。

 あたしがイシェルに声をかけたら、凄い声を上げて泣き始めてしまった。こんなイシェルは初めて見たよ。何があったのか聞きたい所だけど、これじゃとても聞けないな。とにかく今は思う存分泣かせてあげよう。あたしは両手でイシェルの背中をぎゅっと抱きしめてあげた。


 その後、あたし達はカルーノの計らいによって、村の集会場で休ませてもらう事になった。色々と話し合う必要はありそうだけど、今はまだ時間が必要だ。

 ヘタレ格闘家は、スフェーンを布団に寝かすと、何も言わずにすぐに布団に潜り込んでいた。

 イシェルにしてもそうだった。あたしに抱きついて来ないで、頭まで布団をかぶって丸まっている。

 あれからトリッサ達とイシェルの間に何があったのか、ヘタレ格闘家がなぜあたしとスフェーンを担いでいたのか、それは落ち着いてから聞く事にしよう。


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