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【61】儚い幻想(3)

 スフェーンを背負っていた黒い男は、低い姿勢でじわじわと間合いを詰めていた。

 もう一人の黒い男は二人を気にもしない様子で、地面に降ろされたスフェーンを片手で軽がると持ち上げて左肩に乗せる。

 ヘタレ格闘家が横目で二人を担いだ男をちらっと見つめた瞬間、低い姿勢に居た黒い男は一気に間合いを縮め、斜め右下から左上へ曲刀を刃を振り上げる。空を切る鋭い刃の音が森の木々に飲み込まれる。

 ヘタレ格闘家は曲刀の軌道を読み、間合いからは外れずに最小限の動作で、曲刀の描く軌道から逃れていた。


 格闘家は自らの身体を鍛え全身を武器とする。故に武器を必要としない。だが通常、武器を使った方が有利に間違いない。それは人間の身体には獣の様な牙も爪も備わっていないからである。

 いくら闇に目が慣れた状況と言えど、カンテラ一つの灯りしかないこのの状況では、めったに腕を振り回す事もできない。状況からして、圧倒的に有利なのは曲刀を振るうこの黒い男のはずだ。黒い男は休む事なく、曲刀の振りをスムーズに繋いで攻めていた。


「もっと踏み込まないと、永遠に当たらんぞ」

「クッ、コイツッ!」

 まるで弟子にでも言う様に、ヘタレ格闘家は挑発すると、黒い男はムキになって曲刀を振り回し始めた。だが、剣速は鋭くなったものの、ストロークが長くなった為に繋ぎのスムーズさは欠け始める。明らかにこれがヘタレ格闘家の狙だったのだろう。

 長いストロークで真っ直ぐに突き出した曲刀を、後ろに下がらずに左へ交わしたヘタレ格闘家は、右手の人差し指と中指の二本で曲刀を下から掴んで固定し、左手の拳で黒い男の握るグリップの辺りを殴りつけた。

 辺りに木の枝でも折れたか様な音が響き、曲刀は黒い男の手を離れ、地面に金属的な音を鳴り響かせ転がった。

「うぉぉぉぉーーーッ!?」

 黒い男は、左手で殴られた右手を掴んで大きな叫び声を発した。その様子から、男の手の甲の骨が何本か折れていると思われる。

「うッ!?」

 苦痛に顔を歪めていた黒い男が小さな声を上げた。そこに黒い男が見たものは、空中で回転しつつ、今まさに蹴りを打ち込もうとしているヘタレ格闘家であった。

 黒い男がとっさに両手を立ててガードをした時、ヘタレ格闘家の蹴りは炸裂した。すると、今度はさっきよりも太い枝が折れる様な音が響き、黒い男は木の根元に向かって一直線に飛んだ。

 黒い男が木の根元に当たると、辺りにズシンと言う重い音が響いた。その後、黒い男は力なく地面に崩れ落ちた。男の両腕は不自然な方向へと折れ曲がり、だらしなくだらんと下げた姿勢で止まっていた。その目は虚ろに見開き、口元や鼻からは血がたらたらと滴っていた。


「ハッ! 一撃たぁお前さんやるじゃねーの!」

 スフェーンとシンナバーを両肩に担いだ男が、今の様子を見て吹き出し笑いをした。

 倒れている黒い男は、首も肩もが不自然に曲がっている。強烈な蹴りを両手でガードした為に両腕は折れ、肩や首の様子からそれらも折れているのが容易に分かる。ガードの上からの蹴りであったが、ほぼ即死だったろう。黒い男は木に飛ばされた後に、身動き一つする様子もなかった。

 もう一人の黒い男は、スフェーンとシンナバーを降ろさずに、二人の戦いをじっと見ていた。ヘタレ格闘家はその男を見てハッとする。


――こいつか……!


 今日の昼間の異様な気配。それと同じものを、目の前に居るこの黒い男から感じ始めた。ヘタレ格闘家の緊張がさらに高まり、その男の方へと向きを変えて身構えた。

 対して黒い男は人質を持つ者の余裕か、スフェーンとシンナバーを肩から降ろそうとすらしなかった。ヘタレ格闘家も、身構えたものの、相手の出方を伺う様に動く事はなかった。

「どうした? やるんじゃないのか?」

 黒い男は、ヘタレ格闘家に向けて、挑発とも思える言葉を投げかけた。今現在、精神的上位にあるのは紛れも無くこの黒い男であろう。

 相手の出方を伺うヘタレ格闘家は、この男の感じがどこかで感じたものに似ている様な気がしていた。

「来ないならこっちから行くぞ」

 黒い男はそう言った後、ヘタレ格闘家は黒い男の体で何かが動く気配を感じ、同時に前に感じた同じ様なものが、どこであったかも思い出した。それは武道大会の、あのデカい腹の男の時の感じに似ていた。

 その直後、黒い男の体の表面で何かが炸裂して、小さな塊が射出された。ヘタレ格闘家は、その塊が物凄い速度へと加速して一直線に向かって来る事を感じ取る。直感的に炸裂音が耳に届くよりも、小さな物体の方が先に自分へ到達する事を理解した。

 それは、動体視力の域を遥かに超えたものだったであろう。音速を超えた小指の先程の小さな塊を、ヘタレ格闘家が右の手のひらで叩き落としたのだ。

 叩き落とす瞬間に、青白い火花がわずかに飛び散り、次の瞬間には地面へと方向を変えたその物体は、そのまま地面へとめり込むと同時に、この塊が発射された際の大きな炸裂音が森の中に響いた。

 傍目であれば一瞬の出来事だが、ヘタレ格闘家にとっては十秒程にも感じられていた。それは、格闘技の奥義であるチャクラを応用した技の一つ、体内時計の精度を極短時間に限り著しく高めた為だ。

 チャクラにより、ヘタレ格闘家の反応速度は通常の十数倍へと高まっていた。そしてさらに、右手に気力を集中させ、弾丸の直進するエネルギーに干渉し、その流れを強制的に変える事によって軌道をも変えてしまったのだった。


――二度とあれを食らうのはごめんだからな


 武道大会でヘタレ格闘家は、タンザ・ゾイと言うデカい腹の男の仕込み大砲に撃たれて死にかけた。ヘタレ格闘家は勝負を決して油断した己を恥じていた。

「あぁ?」

 黒い男は自分が発したものが、目の前のヘタレ格闘家にいつまで経っても命中しない事で間抜けな声をあげた。

「外したかぁ?」


――くそ、この瞬間にも意識を持っていかれそうになりやがる


 今もまだ、足に突き刺さったままのイシェルの針によって、かろうじて気を保ってはいるが、ヘタレ格闘家の体内には濃度の高い睡眠薬がまだ残っていた。チャクラの作用で解毒の効率も上がっているが、無効化させるまでには至らない。

 ヘタレ格闘家は意識を保つ為、顔を両手でパンと音をさせて叩いた。


「いや、お前さんは外してねぇぜ、オレが軌道を変えただけだ」

「なに?」

 ヘタレ格闘家は黒い男に、右手ではたき落とす仕草をして見せた。それを見る黒い男の目つきが変わって行く。だが、それは切り札が効かなかった者がする絶望の表情などではなく、ヘタレ格闘家に興味を持った目であった。

「ハハッ! 面白い事するなぁ、ちょっと待ってろよ」

 黒い男は、両肩に担いでいたスフェーンとシンナバーを木の脇へと降ろし、カンテラをその側に置いた。そして再び、ヘタレ格闘家の前に立ちはだかると、黒く塗られた顔に白い歯がニヤリと浮かんで笑った。

「ちょっと試させてもらおうかね」

 ヘタレ格闘家が黒い男から先程と同様の動きを感じた時、また男の仕込み銃が炸裂して小さな銃弾が撃ち出された。

 それをヘタレ格闘家は再びチャクラを発動させて、迫り来る銃弾をはたき落とした。弾丸が方向を変える瞬間、小さな瞬きの様に青白い火花が飛び散る。進行方向を変えた弾丸は、周囲の木草へと当たって音を立てた。


「おー! スゲェな」

 驚喜の声を上げる黒い男は次々に仕込み銃を発砲させたが、その全てをヘタレ格闘家にはたき落とされた。黒い男はヘタレ格闘家に向けて拍手する。

「ハッ! 気に入ったぜ、あんたをウチにスカウトしてやるよ」

 黒い男は、両腕を左右に広げて満足げに言った。

「スカウトだと? 何を言っている?」

 気に食わななそうに構え続けるヘタレ格闘家に、黒い男は落ち着けとなだめる仕草をすると、指を二本突き出してピースサインを出した。

「ウチに来ないか? 奮発して月二千万丸でどうよ?」

 にやりとした目と白い歯が、またも真っ黒い顔から浮き出て見える。

「む……?」

 二千万丸の大金を稼ぐのは、魔戦士組合のエリートだとしても不眠不休で仕事をしない限り不可能と言っていい。その様な金額を、おいそれと提示できる黒い男は「ウチ」と言う所では、かなりの権限を持ち合わせている事が伺える。

「スゲェだろ? あんた強ぇから特別待遇よ、最前線でその力を生かしてみないか?」

「最前線? 一体何と戦っているんだ?」

 ヘタレ格闘家の表情は、変わらず黒い男を睨んだままでいたが、構える仕草は解いていた。

「何って、マトラに決まってるだろ?

 あぁそうだ、そこの二人も相当なもんらしいから入ればいい。一緒にマトラを倒していい国作ろうぜぇー!」

 地面に置いたカンテラが、黒い男の顔を照らす。だが、黒い男の顔に塗られたもののせいで、表情までを識別するには至らない。

「言ってる意味がわからないのだが……、オレ達はマトラの人間だぞ?」

 ヘタレ格闘家の言葉を黒い男は鼻で笑った。

「オレ達だってマトラ出身だぜ、皆王国を正す為に集まった仲間さ」

「王国を正すだと?」

 ヘタレ格闘家は神妙な面持ちをし、それを見てか黒い男がまたフッと笑う。

「あんたは、おかしいとは思わないのかね?」

「あぁ……?」

「マトラは表向きは、魔物と戦う為に大量に兵器を生産してるらしいがな、実際作った兵器はどこに行ってるんだ? エクトの要塞か? それともどっかの国に売っちまってるのか?」

 黒い男の言葉に、面を食らったヘタレ格闘家は、ただ黙って目の前のその男を見つめる。ヘタレ格闘家は、自分の国が何をしようとしてるかなどに感心を持った事はも無く、武器を大量生産している事も知らなかった。

「いや違うね、もっと別のどこかに送られてるんだ」

 黒い男は、してやったりと得意そうな声で言った。

「なんだって?」

「お? 興味出て来たって顔だな?

 だが、これ以上はウチに入ってからじゃないと言えねぇ……入るって言っちゃえよ、そしたら続きを教えてやるぜぇ」


 目を閉じて少し考える様子を見せた後、ヘタレ格闘家は再び目を開いた。

「別に……知りたくはないが」

 黒い男は、キョトンとした目でヘタレ格闘家を見つめた後、また口を開いた。

「フハッ! そこは興味なくてもフツー乗ってくるもんだろ、今のは社交辞令的な会話だぜ? 本音と建前で言ったら建前の方な」

 黒い男は顔に手を当てて、やれやれと言う仕草をする。

「まいっか、入るんだろ? マトラに居たらせっかくの力がもったいねぇ。

 最初はまぁ、そこのソイツみたいにオレに付いて研修からになるがな」

 黒い男のこの言葉に、ヘタレ格闘家はふぅと息を吐いた。

「そうでもないさ、オレはそれなりに充実してる。

 それに、親友を敵に回したくはない……。つまり、お前の仲間にはならないって事だ」

 ヘタレ格闘家は、降ろしていた両腕を上げて再び構えた。黒い男の白い歯が消える。

「そうかい、もったいねー事するな」

 黒い男は両手をポケットに突っ込むと、声のトーンを落として言った。

「む……」

 黒い男から再び異様な気配が発せられ始める。ヘタレ格闘家は発せられるそれを、まるで腕でガードするかの様にして構えた。

 そして、黒い男に何かを感じた時、ヘタレ格闘家はチャクラを発動させて反応速度を上げる。黒い男から炸裂反応を感じた瞬間、強い光が発せられた。その光はヘタレ格闘家の目を眩ませた。

「ハッ! いかに反応速度が人並み外れてても、流石に光までは避けられねーわなぁ」

 黒い男は、照明弾の様なものを使い、直視していたヘタレ格闘家から一時的に視界を奪った。光の残像の残る目を左手で押さえるヘタレ格闘家は、苦悶の表情で三歩程後退した。

「くそッ……目が!」

「じゃぁな」

 ポケットに手を突っ込み、その場から一歩も動かず立っている黒い男は、ヘタレ格闘家にウィンクをしてニヤリと笑う。一呼吸置いた後、ヘタレ格闘家は再び炸裂反応を感知した。


 暗い森に大きな炸裂音が鳴り響く。その音は、ステクトールの村まで届いていた。


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