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【60】儚い幻想(2)

 かすかな気配を頼りに、ヘタレ格闘家は黒い男達に連れ去られた、スフェーンとシンナバーを全力で追っていた。

 一心不乱に森に飛び込んだヘタレ格闘家は、灯りはおろか月明かりすら届かない暗闇であるにもかかわらず、走るのを止めなかった。ヘタレ格闘家は、闇にも等しいこの状況で、何一つの障害物に掠りもしなかった。


 ――近いな


 ヘタレ格闘家は心の中で呟くと、走る速度を落として気配の進行方向を再確認して左へと方向を変える。そして、再び元の速度で闇の森を走り続けた。

 森の木々が凄い速度で左右に飛んでゆく。彼は木に反射する自分の足音から、障害物の距離を把握していた。

 やがて、そのペースを一気に落として足を止めたヘタレ格闘家は、右へくるりと体の方向を回転させた。弾んだ呼吸を整えつつ、真っ直ぐに近づいてくる光を待った。

 その光が目視できる距離になった所で、ヘタレ格闘家は再び歩き出した。今度はその光の方へ真っ直ぐと、ゆっくり落ち着きのある足音を響かせて。

「誰だ?」

 光の方向から男の声がした。ヘタレ格闘家との距離は、その光がカンテラの灯火である事が分かる程に縮まっていた。

「せっかく来て悪いけどな、その二人は返してもらうぞ」

 ヘタレ格闘家の発したこの声に、いつものゆるさなどは微塵もなかった。暗闇のせいで見えないが、その眼差しもシンナバー達には見せた事のない鋭さを放っていた。二人の男はその場に足を止めると、カンテラを持ち上げてヘタレ格闘家を照らした。

 カンテラの光がヘタレ格闘家の姿を捉えると、スフェーンを担いでいた男がスフェーンを肩から地面へと降ろし、腰の曲刀を抜いて低い姿勢で構えた。

 男がじわりじわりとすり足によって間合いを詰めると、地面を擦る音や踏みつけられた小枝の折れる音が周囲に小さく響いた。



          ***



 篭った炸裂音が鳴り響いた室内、出入り口のドアの脇で、イシェルは鋭い目をして立っていた。イシェルがさっき立っていた場所の壁は、ずたずたに表面が崩れ、その周辺には土煙が舞っていた。

「ふうん、ボケた様に見えて随分と反応いいんだ」

 トリッサの右手に握られた短銃によく似た形をした武器から硝煙が上がっている。その銃口の狙いを左方向へ移し、再度目標をイシェルへと定めた。

「今の、当たってたら即死したかもね」

「かもねじゃなくて、確実にだよ。

 この銃は、対人の殺傷能力だけを追い求めた兵器だから」

 イシェルの横の崩れた壁は、トリッサの持つ銃によるものだった。円形状に両腕を回した程の面積の壁の表面のがえぐれ、見るも無残に崩れ落ちている。土壁が消滅して、その奥の木材が完全に露出しまっていた。

 この破壊力はトリッサが言う通り、人間であっても同じ状態になるのは確実だろう。


 トリッサが両手に構える銃は、扱い方は通常の銃と変わりないが、発砲すると強力な火薬の力によって、無数の小さな針が打ち出されるニードルガンと呼ばれる殺人兵器だった。その小さな針一つ一つの先端には、十字の切れ込みが付けられており、人体に触れると組織を四方八方へ押しのけて破壊しつつ直進する。

 針の密度が非常に高い為、至近距離ともなると命中した範囲が爆発したかの様に削げ落ちるのだ。射程距離こそ銃に比べて短いものの、命中範囲の広さと、その破壊力がその欠点を十二分にカバーする。

 しかしながら、生産には非常に精度を必要とし、尚且つコストもかかる為、軍ですら常用はできない特殊兵器であった。そんなものがこの小さな村で作られる訳がない。

 イシェルは、壁に突き刺さった小さな針を一本つまんで見つめると、部屋の隅に向かって投げ捨てた。床から極細の金属が跳ねる音が聞こえる。

「それ、この村で作られたものじゃないね、あの男達から手に入れたの?」

「だから何?」

 トリッサは鼻で笑う様に言い放ち、狙いを定めて引き金の指に緊張を走らせる。

「あの男達と関係してるなら、ボクは絶対に許さない」

 イシェルの目が一層鋭さを増す。もはや、いつもの丸い目の面影など微塵もなく、目の前のトリッサを敵と認識した目だった。その両手には、いつの間にどこからか出したのか、銀色の針が何本も握られていた。

 直後、再び篭った炸裂音が部屋中に鳴り響いた。テーブルの端は一瞬で円形にえぐれて飛散し、入り口付近の壁も粉袋をぶちまけた様に飛び散った。イシェルの立っていた周辺は、トリッサのニードルガンの無数の針によって一瞬で粉砕されてしまった。


「チッ」

 舞い上がった煙が収まる前に、トリッサは舌打ちをした。この時、イシェルは既に部屋には居なかった。トリッサが撃ち出す寸前、横のドアから外へと飛び出していたのだ。

 トリッサは逃げたイシェルを追わず、サフレインの入った寝室に入って行った。

 そして、壁にかけられた長弓と、銃をいくつも並べた様な奇妙な武器を手に取り背負った。その前でサフレインは膝を付き、手馴れた手付きでトリッサの腰にホルスターの付いたベルトを巻くと、トリッサは両手に持っていたニードルガンを小気味良い音をさせて収めた。

「サフレイン……大丈夫だからね」

 そう言って、トリッサがサフレインの頭を撫でると、サフレインは無言で頷いた。それをトリッサは確認すると一瞬だけ微笑み、すぐに早足で入り口へと向かって行った。


 トリッサは出口で止まると、慎重に周囲の気配を伺って警戒していた。近くにイシェルが居ない事を確認すると、素早く外へと飛び出した。それと同時に、近くの村人の家のドアや、窓が閉められる音がしていた。

 虫の声しか音が存在しない静かな村の夜に、銃声が響けば流石に気が付かない訳がない。だが、今のトリッサには、村人の行動など一切気にかける余裕はなかった。

 家の壁に密着し、物陰を這う様に進みつつ、イシェルの気配を探す。トリッサは、月明かりの届かない場所をひたすら進んだ。街灯がない為、月明かりだけが頼りとなるが、トリッサにとって月明かりは十分な照明として機能しする。しかし、先に暗闇に目を慣らしたイシェルの方が、自分より有利であると考えていた。

 トリッサは、家の角まで進んだ所で、イシェルが村の入り口に立っている事に気付いた。トリッサが気が付いた時、イシェルは既にトリッサを見つめていた。

 やはり、イシェルの方が先に暗闇に目が慣れていた様だ。それでも、イシェルが動く様子がないのを見ると、トリッサは物陰から立ち上がって真正面に立った。


「外に出た所を狙わなかったんだ」

「言ってくれれば狙ったけど」

 余裕を感じさせるイシェルの言葉と表情に、トリッサは苛立ちを感じつつも、イシェルの目の鋭さが緩められていない事で納得する。

 通常の人の目であれば、月明かりが照らしてるとは言え、真っ黒な服を着ているイシェルは、光が照らした部分だけがぼんやり見える程度であろう。

 しかし、過去に安らぐ場所もなく、暗闇を旅して戦って来た経験のあるトリッサにとっては、イシェルの表情を確認する事は容易かった。


「念の為に聞いていいかな」

 鋭い眼光はそのままに、イシェルはいつもの口調でトリッサに問いかけた。その心中はシンナバー達が気になって仕方なかったが、今はヘタレ格闘家を信じる以外はない。

「念の為? なに?」

 トリッサは肩の長弓を左手で持ち、右手で矢筒から矢を三本取り出しつつ答えた。

「キミが呼んだあの男達、何者か知ってるのかな」

 自分は知っているとでも言う口ぶりに、トリッサは腹が立った。

「はッ? 何者かなんてわたし達には関係ないね!

 あの連中はマトラの軍事主義と戦って崩壊させてやるって言ってた、わたしはマトラなんてどうでもいいし、自分の為に利用した。ただそれだけだよ!」

 トリッサが言い終わると、イシェルは大きなため息を吐いた。続けて話しを続けるつもりだったトリッサだったが、イシェルが想定外の反応をした為に、その言葉は喉の奥へと引っ込んでしまった。


「十年以上昔、小さかったけど平和な村があったの」

 突然、どこかの村の昔話を語り出したイシェルに、トリッサは何と言う表情をした。

「おいしい水の川もあって、子供達もいっぱい居て……。

 だけど、その村はある夜襲われてしまったの」

 ある夜と言う言葉に、トリッサはどこかで聞いた話だと思った。無意識の内に弓を持つ手が若干下がる。

「村の大人達は全員殺されて、子供達だけは残されたんだけど、みんなバラバラに売られてしまったんだ」

 どこかで聞いた様な気がする。それを、トリッサはすぐにどこだったかを思い出した。イシェルの話は、サフレインから聞いた話にとても似ていたのだ。

「いいよ、そういう話なら知ってる」

 トリッサは、サフレインから聞いた話を思い出したくなかった。それは、同時に孤児院に居た自分が、施設に裏切られて売られて行ったあの日の事を思い出してしまうからだ。サフレインと出会った記念すべき日ではあるが、人間の汚さを思い知った日でもあった。

 あの日、自分は買った男と、その使用人によって汚さてしまった。絶望と恐怖を味わい、自分の存在はとても希薄であり、ただの道具の様に思えた。

 しかしそれでも、未来の希望が経たれたとしても死への恐怖に怯え、ただその一瞬を生きる事だけを考えていた。その事は、未だにサフレインにも言えずにいる。いや、一生誰にも話す事はないだろうと思っていた。

 それからトリッサは、守ってくれる存在が居ない者は、自分で守らなければいけないと考えた。その為には、守れるだけの力が必要だと結論に至ったのだった。

 あの時の自分と同じく、今この村にも守る力が必要だと。


 黒い男達は、半年程前に旅人を装ってこの村にやって来た。それをトリッサは快く泊めてあげたのだが、その時に男達の話す計画をたまたま耳にしてしまった。それが全ての始まりだった。

 村の危機を感じたトリッサは、サフレインをニレの所に非難させて、一人で黒い男達の夜の相手をした。男は女の体に高い価値を付ける事を、過去の経験から得ていた事もあり、それをうまく利用すれば食い止められるかもしれないと思った。汚れるのは自分だけでいい、こんな事で村の平和が守れるのであれば安いものだと……。

 それから度々男達はトリッサの元へ訪れ、彼女は徐々に男達の信頼を得る様になって行った。男達は内部の情報をトリッサに話す様になり、自分達がマトラ王国と対立している事も聞かされた。

 トリッサは自らの犠牲で、あの男達がこの村を拠点にする計画を保留してくれていると信じ。誰にも言う事はできないが、自分は立派な功績を上げたのだと満足していた。

 しかし、全ては違っていた。保留されていると思われた計画は、次の段階へと進もうとしていたのだ。黒い男達は仲間を、村へ常駐させるから住む家を用意しろと言って来た。



――オレはね、この村を守って行きたいんだよ


 ずっと思い悩んで居たが、トリッサは昨晩のカルーノの言葉で決心した。マトラの戦力を取引きのカードにすれば、まだ止められるかもしれない。トリッサは誰一人にも打ち明ける事も出来ず、確証のない儚い望みに頼ったのだ。

 うまくすればこの村の脅威は完全に断ち切られ、カルーノの仕事も減って自分に振り向いてくれる様になるかもしれない。自分がして来た事が、今日の事に結びついてしまったなどとは思いもせず。

 その為に、外部の人間を犠牲にするのは仕方がない事だ。村人達には後で村を救う為の手段だったと話せば、きっと分かってもらえるだろうと考えていた。


 スフェーンとシンナバーを黒い男達に連れて行かせたのは、村を守る為の取引きだったのである。結果的には、表向きには二人を引き換えとして、この村には手出ししない約束をさせる事に成功した。

 そして、黒い男達から手に入れた、強力な睡眠薬を紅茶に混ぜ、それを飲ませるだけで全ては終わるはずであった。どうやってヘタレ格闘家と、イシェルが起き上がれたのかは謎だったが、二人を引き渡した後ならば、取引きは有効であるはずだ。トリッサはさらに儚い望みを描いていた。


「そう、知ってたんだ……。

 なら、ボクはやっぱりキミを許す訳にはいかない」

 イシェルの言葉に、トリッサは現実に引き戻された。

 トリッサは、少し話が食い違ってしまった気もしたが、自分を許さない理由など、シンナバー達を黒い男達に引き渡した事だけでも十分だと思って深く考える事はなかった。

「許してくれなくていいよ」

 汚れるのは自分だけでいい、トリッサはまた心の中で思った。

 すると、イシェルは両手の手のひらをトリッサへ向けつつ、顔のすぐ下までゆっくりと上げた。その手の指の間から、針がキラリと光るのが見えた。

 トリッサも弓を構え、三本の矢を右手で持って弦を引く。身の丈に対して少し大きく感じるその弓を、トリッサは苦も無く引ききった。

 弓は大きくしなり、長めのストロークのアーチを作っている。その内側にはいくつもの小さなアーチを作る仕組みがある。外側のアーチ以外に内側に複数のアーチを作る事で、飛距離や威力だけでなく命中力も高める効果があった。扱いやすさを向上させ、上下にぶれる事も少ない為、同時に複数の矢を射出させる事ができる様にもなっていた。

 トリッサの狙いに迷いは存在しなかった。三本の矢の標的はイシェルへと向けられている。この指を離せば、次の瞬間には標的へと到達するだろう。それは間もなく間違いない事実になるはずだ。

 イシェルは両手に針を持ったままの状態で、弓を引いているトリッサを真っ直ぐ見ている。自分へと向けられた矢を、少しも気にする事ないかの様に。


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