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【55】思惑

 朝、あたしは夢心地の中、いつもとは違う目覚めを迎えた。


『もう食べられない……そんな気がする……でもたべゆ』

 そんな寝言を呟いた時、周囲に異変が起こっている事に気が付く。

 辺りには、真っ白い靄の様なものが漂い、とてもそれが部屋の中とは思えなかった。いや、感じられる空気からして部屋の中ではなく家の外に居る。

 そして、この温かい感触……大きな背中に背負われている様だ。それも、とてもよく知っている背中だ。

「ん……? 起きたのか?」

 この声……聞いた事あるな。

 そう思いつつ温かなぬくもりに安心感を感じ、あたしはまた夢の中へと引き戻されて行った。


『うわぁーッ!』

 あたしは声を上げて飛び起きた。横でイシェルがクスクスと笑っているのが見える。いつもの光景だ。

 深い充実感と脱力感に襲われて、息を乱しているあたしに、イシェルがそっとキスをする。

「シンナバーおはよ」

『うぅ……おあよ』

 イシェルはあたしの袖の隙間から手を差し込んで、あたしの背中を撫でていた。


 まだ目が覚めきらない頭のまま、あたしは布団からむくりと起き上がると周囲を見渡してみた。

 当然の様にここは外ではなくベッドの上であり、靄らしきものも存在してはいなかった。

 あれは夢を見ていたのだろか。それでも、あの背中の温もりがまだ残ってる様に思えた。

 イシェルの向こうに、スフェーンが大の字で寝ているのが見える。そのさらに向こうには、スフェーンに追いやられたのだろう、ヘタレ格闘家が壁にくっついた状態で眠っていた。



 今朝の朝食は、平べったく焼かれたザブトンパンとか言う変てこなパンと、野菜のスープだった。それらをサフレインが皿へと盛ってくれ、ヘタレ格闘家が珍しく気を利かせてテーブルに並べてくれていた。

 ヘタレ格闘家が並べた朝食を、まだ眠そうにしているスフェーンは、目を閉じたままで器用に食べ始めた。

 隣に座るイシェルは、食べながらも子供の様に周囲の目を盗んでは、あたしに触れて喜んでいた。

 サフレインが、心なしか元気をなくしている様に見える。トリッサの姿も見えない。もしかして、まだ帰って来てないのだろうか? 村の仕事で出かけたのだろうけど、サフレインが少しかわいそうに思えた。


『ねぇ、サフレイン』

《はい? 何でしょう?》

 席に着いたサフレインに声をかけると、彼女はいつもと変わらない声で答えた。

『今日も食べたら畑に行くんでしょ?』

《はい、毎日お水をあげないといけないので日課なんですー》

 サフレインは、ほんの少しにこやかな顔を作った。

「あらぁ? そう言えばトリッサわぁ?」

 やっと目が開き始めたスフェーンが、辺りをキョロキョロしながら言った。

「あれ、そう言えば居ないね」

 イシェルはそう言って、野菜スープにザブトンパンを千切ったものをひたして口へと運んだ。

 コラコラーッ! 二人ともせっかく気を利かせて別の話題を振ったってのに、何で話を戻そうとするんだぁ!

《トリッサは、まだお仕事から戻ってないんですよー》

 この村の仕事って徹夜でする事もあるのか。一体何をしているんだろう。

『じゃぁ、また昨日みたいに畑に行く途中で寄ってみようか? 昨日のトコにいるんだよね?』

《それが、あそこには居ないみたいなんですよー》

 そっか、やっぱり昨日の夜に行ってみたんだろうな。でも、行き先を言わずに出かける事なんてあるんだろうか? ただの同居人って訳じゃないんだし。大事に思っている相手に、行き先を告げないと言うのは、何かしらの理由があるはずだ。

「それはひどいわぁ、戻ったらとっちめてあげないとねぇ」

《そ、そうですよね、うん! とっちめてやります!》

 スフェーンの言葉に対して、サフレインはにこっとして言った。しかし、あたしはこれと言った冴えた言葉も出て来ず、イシェルとヘタレ格闘家はただ黙って食事を続けるだけだった。


 その後、あたし達は畑の手入れへと出かけた。昨日と同じ様に水をやり、付いてる虫がいれば捕まえる。

 それが終わると、川でみんな揃って洗濯をした。旅の為、いくつも服を持ち歩いてはいないけど、下着類の洗い物は結構溜まる。洗える時に洗っておかないと、交換出来なくなってしまうからね。そうなる事は女として絶対に避けたい。

 因みに洗剤は、灰を水に漬けた上澄みだ、毎日火を使うから洗濯物の洗剤には困る事はない。


 干された洗濯物が、家の脇に張った紐にかけられて風に揺れている。その中にイシェルの黒い布も、あたしの修道着もスフェーンのローブも混ざっている。つまり、あたし達はさっきまで着ていた服も洗ってしまった為、代わりにタオルやシーツに包まっている訳だ。

『イシェルもやっとアレを洗ったねッ! 登場してから一度も洗う事がなかったアレをッ! 一張羅のアレをッ!』

「そんな事言うと汚いみたいじゃない、別に臭くなかったんだし……もしかして臭かったのかな?」

『んー、臭くはないけどイシェルっぽい匂いはしてたよ』

「え……、ボクっぽいってどんな匂いなの?」

 自分の匂いって分かんないからね、イシェルも気になる様だ。

『どんなと言われれば、お母さんみたいな匂いだねッ! 言い換えれば乳臭い甘い香りッ!』

「乳臭い……」

 イシェルは、くんくんと自分の匂いを嗅いだ。

『いい匂いだよッ! 着ればすぐ乳臭くなるから安心だねッ!』

「アハッ! あたしもイシェルたんの乳臭い匂い大好きよぉー」

 みんなはどうか分からないけど、あたしにとって匂いって結構重要なんだ。イシェルの匂いは、とても気持ちが安らぐいい匂いだった。

「オレから言わせてもらえれば、お前ら全員乳臭いがな」

『えーッ!? ヘタレは大雑把過ぎるよッ!

 匂いは個性なんだ、あたしは嗅ぎ分けれるよッ!』

「アハハハハッ! じゃぁさ、あたしはどんな匂いぃ?」

 スフェーンも聞いてきたよ、やっぱりみんな自分の匂は気になるんだろうね。

『スフェーンはね、新緑の葉の香りがする』

「ブッ、春でもないのに季節に関係なくずっと新緑の香りなんだッ!」

「ふーん、オレは?」

 まさかのヘタレ格闘家までが気にし出したよ。

『ヘタレはね、森の様な匂いがするよ。良くも悪くも人間離れした匂いだねッ!』

「森って……」

 森ボーイなヘタレ格闘家は、事もあろうか落ち込んだ。ゴミって言われないだけマシだと思うんだけど。

「アハッ! するするぅー! 何かと思ってたけど森の匂いかぁ」


 さてと、みんなも気になっていた事だし、あたしも便乗して聞いてみる事にしよう。

『ところで、あたしってどんな匂いがするんだろ? 乳臭い以外でッ!』

「シンナバーは、天日干しの後のお布団みたいな匂いがするよ、お日様の匂いって言うのかな?」

 と、イシェルが答えてくれた。お日様の香りか、自分では分からないだけに知る事ができないのが残念だけど。


 こんなやり取りをしていると、隣の部屋からサフレインとトリッサの声が聞こえた。サフレインとトリッサが言い争っている様な感じだ。その声に悪いと思いつつ耳を傾けてしまった。


《だから何で行き先も言わないで出かけたの!?》

「わかんなかったんだもん! しょうがないでしょ! 仕事なんだから!」

《いつもそう、しょうがないしょうがないって……わたしがいつもどんなに心配してるか》


 サフレインが話してる相手はトリッサだろうか。どうやら帰って来たらしいけど……。

「別に心配してくれなんて頼んでない! 大体いつもイチイチどこ行くとか言うなんてめんどくさいよッ!」

《なんで!? 一緒に暮らしてるんだから、めんどくさくても言うのが普通でしょ!?》


 あぁ、どんどん修羅場が激しくなってしまうじゃないか。

「いくら話し合っても平行線だね、もうサフレインとは暮らせない!」

《な……、何言ってるの? どうしてそうなるの? 何でも隠さず話し合うって決めたじゃない》

「どうでもよくなったの! サフレインには正直うんざりしてたんだから!」

《うんざりだなんて……わたし達》

「わたし、ここ出てくから、もう外で会っても話しかけないで」

 その後、乱暴にドアを閉める音がすると、サフレインが声を張り上げて泣き出す声が聞こえた。あたし達はシーツやタオルに包まったまま、ただ二人の言い争いに耳を傾けていただけだった。


 サフレインは、あれからあたし達にはごく普通に接していた。作り笑顔なのはとても痛々しいけど、こういう事に部外者が首を突っ込むのは難しい。

 でも、早めに仲直りできる様なきっかけを作らなきゃいけないね。頭を冷やす為に、ある程度の時間を空ける事は効果的だけど、それを過ぎると手遅れになるかもしれない。このままこの村を立ち去る事もできるけど、それでは余りにも後味が悪すぎる。


 その日の夜、サフレインがそっと出かけて行くのを、あたし達は静けさの中で感じ取っていた。



          ***


 その頃、トリッサはカルーノの家に居た。サフレインとのケンカを口実に、カルーノの家に入り込んだのだった。

 ゆらゆらと揺らめく、ランプの光に照らされるいくつもの本棚が並んだ部屋。本棚の中の本は皆、様々な方面の専門書ばかりだった。

 壁に向けて配置されている木の机に向かって座り、そこでいくつかの専門書を開いているカルーノ。

 その後ろで椅子に座り、カルーノの背中をじっと見つめるトリッサの姿があった。

「トリッサ、もう隣の部屋で休みなさい。

 朝になったら戻った方がいい、サフレインも心配してるだろう」

 カルーノはペンを走らせ何かを書きながら、振り返らずにトリッサに言った。トリッサは一旦両目を閉じると、数秒の後に開き、再びカルーノの背中を見つめる。

「もう戻る気はないよ」

 トリッサのその言葉に、カルーノはため息の様なものを吐くと、右手で本のページをめくった。

「そうか、それなら新しい家を用意しよう。

 それができるまではニレの所に居るといい、彼女は良く喋るから……ん」

 いつの間にかカルーノのすぐ後ろに立っていたトリッサは、後ろから彼の頭を包み込む様に抱きしめた。

「イヤだよ、わたしここに居たい……何でもするから」

 トリッサの腕で目隠しをされた様な形になったカルーノは、すぐにトリッサの両腕を払った。

「ここはダメだよ、仕事のジャマになる」

「大丈夫、ジャマなんかしないよ。

 何でも手伝うから! わたしが料理すればその時間も有効に使えるでしょ?」

 トリッサは右手の指で、カルーノのシャツの襟元をくるりと滑らせた。それに何も言わないカルーノを確認すると、左手でカルーノの体を抱きしめた。

 目を閉じて、カルーノの首筋から耳たぶへとゆっくりと唇を這わせて行く。静かな室内に、トリッサの息づかいが聞こえて来る。

 何かを確信したトリッサは、カルーノの右手を自分の体へと導いてゆっくりと滑らせる。が、カルーノは右手を払うと、トリッサの頭を押し返した。

「え?」

 カルーノの思いの外の行動に、トリッサは一歩下がって驚いた顔をした。

「これがジャマじゃないとしたら、何だって言うんだい?」

 カルーノは、再び机の上の本を引き寄せると、また作業の続きを始めた。

「ごめんなさい……。

 でもわたし、カルーノの事が……」

「この村が、ずっとそのままで居られるとでも思っているのかい?

 オレはね、この村を守って行きたいんだよ。トリッサだって分かってるはずだろ?」

「そうだよね、ごめんなさい……」

 俯いて部屋を出て行くトリッサの頬を、いくつもの涙が伝って床へと落ちて行った。


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