【53】狩り
トリッサが戻ったのは、あたしとイシェルが食事の片づけをしている時だった。
「遅くなってごめんねー、やっと終わったぁ」
トリッサは、椅子を回転させてまたがって座り、背もたれに肘をかけた。
《村の事だししょうがないよ、それでお昼は?》
「あ、食べて来ちゃった」
しまったと言う顔をするトリッサ。
《そうなの、でも食べるんなら言って欲しかったな、トリッサの分用意してあるんだから》
サフレインは、スネる様に口を尖らして見せた。
「ごめんごめん、ちゃんと食べるから怒らないでよ」
サフレインがよそった料理を、凄い勢いでかき込むトリッサを見て、イシェルは目を丸くしている。
「(食べて来たって言ってたのに、よくあんなにガツガツ食べれるよね)」
イシェルはあたしに小声で言った。
『(これが愛の力だね、きっと今に太るよ)』
トリッサは食べ終わると、あたし達を狩りに誘った。トリッサ達は、狩をした獲物を売ったり、物々交換しているそうだ。
この村の通貨について聞いてみると、マトラの通貨である丸はそのまま使う事ができるらしい。それと、魔の者の通貨であるカネとか言うものも使えるそうだ。しかも、丸とカネは名前が違うだけで、同じ数字なら価値も同じだと言う。よって、千丸はそのまま千カネに交換ができる訳か。魔の者の通過は使う事はないだろうけど。
トリッサは、屋根裏部屋からいくつものクロスボウと、たくさんのボルト。つまりクロスボウの矢を持って降りて来た。
クロスボウは、銃の先端にコンパクトな弓が付いた形をしている。しかも、軍で使われているもの並に出来の良い代物だ。
『それってクロスボウだよね? 何でそんなに持ってるの!?』
「村で作ったんだよ。
たまに村の人を連れて狩り行くからね、まだ他にもいくつもあるよー」
「へぇー、トリッサってクロスボウが得意なのねぇ?」
「まぁ、わたしは魔法が使えないから、何かしら得意なもの作らないとね」
トリッサは、クロスボウとボルトが入った筒をあたし達に配った。魔法で狩れない事はないと思うけど、万が一にも森は傷つけたくないし、せっかくのチャンスだから体験しておこうと思う。
「ボクは針があるからいいよ」
イシェルはそう言うと、一瞬で両手にたくさんの針を取り出して見せた。相変わらずどこから取り出したのか分からない手捌きだ。
きっとナイフもどこかにたくさん隠し持ってるんだろうけど、今まで一度もそれらの存在を確認出来た事はなかった。
あれ、確かイシェルって片手剣も持っていたはずだよね。武道大会の時以来見ていないんだけど、もしかして謎の収納スペースでも存在しているのだろうか。
『イシェル、だからって毒とか使っちゃダメだよッ! 食べれなくなるからねッ!』
「ボクに毒なんて必要ないよ、急所を狙うんだから」
イシェルは、自分の眉間と喉と心臓を順番に指差した。
「ふぅん、イシェルもハンターだったんだね。
だけど、針の射程は短いから、持ってった方がいいと思うけど」
「ありがとう、でも心配ないよ。
これでも狩りはやった事あるからね」
「そっか、うんわかった!
押し付けがましい事言ってごめんね」
結局イシェルは、がんとしてクロスボウを受け取らなかった。せっかくなんだからクロスボウもやってみればいいのに。どうもあたし達以外に対しては頑ななんだよね。
『あれッ!? トリッサもクロスボウじゃないんだ』
トリッサは、真っ黒い大弓を背負っていた。色が黒いのは獲物に気付かれない為だろうか、しかもよくよく見ると、通常の弓とも違う作りになっている。
外側のアーチの内側にも、いくつもの小さなアーチ状のものが作られている様だ。これは威力を上げるとかの仕掛けなのだろうか。
「うん、クロスボウは楽だけど、何かと制限が多くてね」
ふと横にいるヘタレ格闘家を見ると、クロスボウを持った手を呆然と眺めている。道具を使わないヘタれ格闘家には、こういうハイテクなものはチンプンカンプンなんだろうか。不器用ですから。
『トリッサ、あたし達こういうの使った事ないんだけど、どうやって使うの?』
「うん、今から説明するよ」
あたし達は、トリッサにクロスボウの使い方を習った。弓を引くのには先端を地面に押し付けて、ハンドルに足を乗せ全体重を乗せてカチッと言うまで巻き上げるのだそうだ。
そして、ボルトをセットして狙いを付けて撃つ。弓に比べて威力や連射速度は落ちるけど、その分必要熟練度が少ない為、初めて使う者でもそこそこ扱う事ができるらしい。
トリッサ達に連れられて、あたし達は狩り場までやって来た。その狩場は、村から東に三十分程度歩いた所で、近くには小さな川が流れている。
獲物は肉食動物以外、鳥やウサギや小型のイノシシ等で、食べれそうであれば特に問わないらしい。
まずはトリッサ達と一緒に行動して、狩りの見本を見習う事になった。
小さな川岸から三十m程離れた所で息を潜めつつ待つ。じっと見つめる先、小川の対岸に低く茂る草の間に、小さな獣道が出来ているのが見える。
あれは、小動物が水を飲む為に行き来する内に出来たものだろうか。トリッサは弓を立てたまま、じっと対岸を見つめていた。
しばらく待つと、茶色い小動物が草の間から現れた。小動物は鼻をひくつかせ、周囲を警戒しつつ水辺へと近づいて来た。
小動物が水を飲み始めた所で、トリッサは音も無く弓を引いて構え、そして躊躇わずに弓を射った。
ストッと言う篭った音がして、小動物に突き刺さる様は突然ターゲットに矢が生えた様に見えた。小動物は身動きする事なく水辺に留まったままだ。ほんの一瞬の出来事だったけど、狩りの醍醐味を見た気がした。
「こんな感じ」
トリッサはそう言うと、川辺に止まったままの小動物に向かって歩き出した。
小さな川は軽く飛び越せる程度の幅だった、トリッサは軽く飛んで対岸へ着地すると、小動物に刺さった矢を掴んで獲物を持ち上げて、あたし達に見せる様に翳した。
その小動物は茶色い毛のウサギだったが、既に事切れているのか微動だにしない。矢はウサギの頭部に突き刺さっていた。
トリッサはウサギから矢を引き抜くと、ウサギをサフレインが差し出した袋に入れた。
『ほぉー、見事だねぇ』
「流石ねぇ、あたし達にもできるのかしら?」
「わたしも毎回うまく行ってる訳じゃないし、狩りを楽しむつもりでやってみるといいと思うよ」
あたし達は適当に散開すると、さっきのトリッサに見習って獣道のある対岸で息を潜めた。川のせせらぐ音と、鳥達の鳴き声だけが聞こえる。
今あたしは一人だ。珍しくイシェルはあたしと別行動をとっていて、どこかへ行ってしまった様だ。考えてみたら、常にイシェルはあたしにくっ付いてたから、一人になるのは久々だった。
葉っぱに埋もれ、クロスボウを対岸の獣道に向けてじっと見つめながら待つ。しかし、動物がそうそう水を飲みにやって来る訳もなく、かつ息を潜めてじっとしているのはとても退屈だ。時折周囲にやって来るハチ等の虫が鬱陶しかった。
それからしばらくして、とうに緊張を解き眺めてるだけになった頃、対岸の獣道に変化が起こった。獣道の葉が小さく揺れている。
あたしは何が出てくるのかワクワクしつつ、クロスボウを構えて小さな獣道に狙いを絞った。
葉の揺れが段々と出口へと近づいてくる、そしてその本体がやっと現れた。
それは、豚の様に見えたが猪だった。それも複数居る。大きな猪と、三頭の小さい猪……。子供連れの猪だ。
しかし、あたしはどうしたらいいか分からなくなった。猪の親を撃ったらきっと子供は困ってしまうだろう。かと言って子供を撃つのもかわいそうだ。
あたしはクロスボウを構えたまま、どうする事も出来ずにただ見つめ続けた。
そして、猪の親子が水を飲み始めた頃、あたしのクロスボウは狙いを付ける事を止めてしまっていた。
猪達は水を飲んだ後、岸辺に寝転んだりして遊んでいた。それをあたしは微笑ましい気持ちで眺めている。
しばし眺め、母猪が獣道の方へと顔を向けて歩きかけたその時、母猪を追おうと起き上がった子猪達に、突然棒の様なものが突き刺さり、そして子猪は力が抜けた様にストンと倒れた。その音に母猪が振り返える。
『えッ……!?』
あたしは小さな声を上げ、思わず立ち上がって事の次第を確認した。三頭の子猪の内、二頭に細い棒の様なものが突き刺さっている様だ。
細い棒の様なものが突き刺さった二頭の子猪は、一度も動く事はなかった。
母猪は、地面に横たわった子供達をただ見つめ、一頭のみ残された兄弟であろう子猪は、二頭が地面に寝ている理由が理解できない様子を見せている。
あたしが立ち上がったせいで、周りの草がガサガサと音を立てた為、母猪の視線はあたしへと向けられていた。母猪とあたしの目が合った直後、母猪は悲しそうに叫び声を上げた。
その悲痛に聞こえる鳴き声は、あたしの体を貫くかの様に鋭く感じられ、体に震えが起こった。
そうしてる内、母猪が獣道へと去って行った、一頭だけになった子猪も後に続いて消えて行く。
あたしは立ち尽くしたまま、獣道の草の揺れるのを目で追った。
「お母さんは狙わない方がいいよ」
左斜め前の方向から聞き覚えのある声がした。声の方向に視線を向けると、わさわさと草が揺れてイシェルは立ち上がり、あたしの方へと振り返る。
『イシェル、ずっとそこに居た?』
「うん、シンナバーが撃たないみたいだったから、もしかしていけなかったのかな?」
『んーん、撃つの忘れてたよ』
「そう、獲物……取ってくるね」
イシェルが獲物の方へと歩いて行くのを見て、あたしも近付いて確認する事にした。
細い棒の様なものは、イシェルの放った投擲針だった。銀色に光る針は、子猪の急所にしっかりと撃ち込まれている。動く事がなくなった小さな猪は、安らかな顔で目を閉じていた。
『イシェル、さっきお母さんを狙わないって言ってたけど何で?』
「んとね、お母さんを殺しちゃったら子供達は生きていけないの。
それと子供も一頭は残すって、ボクが小さい頃にそう教わったんだ」
そうか、イシェルは小さい頃から狩りをしていたんだな。
そう言えば、イシェルの村って小さいって言ってたけど、どんな所だったんだろう。イシェルって余り故郷の事を話したがらないけど、あたしはやっぱ知りたいし、出来れば行ってみたいとも思った。
そのイシェルは子猪から針を抜くと、針についた血を小川で洗った後に一振りした。すると、その手にはもう針は握られていなかった。
それからまた狩りを続けて、結果的にあたしもウサギを一匹だけ狩る事が出来た。と言っても、仕留められる訳などなく、あたしのボルトはウサギにかすっただけで、イシェルがフォローしてくれたんだけど。
「へぇー、初めての狩りなのに随分仕留めたね」
《本当だ! お二人とも凄いですよー!》
ほぼイシェルが仕留めた獲物達、子猪二頭とウサギ二羽を見て、トリッサとサフレインが言った。
『あたしはウサギに一回掠っただけで、みんなイシェルが仕留めたんだけどねッ!
しょうがないよッ! 素人だからッ!』
「まぁまぁ、初めての狩はそんなもんだよ」
トリッサが慰めてくれた所に、スフェーンとヘタレ格闘家が帰って来た。
ヘタレ格闘家は、あたしの前に積まれている獲物達を見て、少し驚いた様子を見せている。
「それ……、お前達が獲ったのか?」
『まぁねッ! 因みにあたしは一回掠っただけッ!』
「アハッ! イシェルのかー! やるぅーッ!」
「今日は運が良かったのかも」
スフェーンに、頭をぐりぐりと過剰に撫でられたイシェルは、首をぐら付かせてなすがままになっていた。
『で、二人はどうだったのッ!?』
あたしが聞くと、二人は苦笑いしつつ両手を上げた。その手にはクロスボウ以外には何も持っていなかった。
あたしは、トリッサに手渡されたズタ袋に獲物を入れ、袋の口の紐をキュッと窄めてヘタレ格闘家に手渡した。
「お前達の獲物だろ?」
『女は男に華を持たせたいもんなんだよ、だから遠慮はいらないよ』
「そうなのか?」
意外だと言う顔をして、ヘタレ格闘家がスフェーンの顔を見る。
「そーよぉー、ねぇ、イシェル」
「そ、そうだね」
またも、イシェルはスフェーンに頭をぐりぐりと撫でられ、体全体を揺らしながら答えていた。
あたしがヘタレ格闘家に袋を渡した理由は、単に袋が重かったからなんだけどね。もし、それでヘタレが男子としての威厳を保てる様な気がしたなら、それは一石二鳥って訳さ。