【51】正直な心
畑の手入れは水やりの他に、作物にくっ付いている害虫も取っていかないといけない。
イモムシの様なのなら全然平気だけど、毛虫となるとちょっと苦手だ。まぁ、得意だって人も少ないかもしれないだろうけど。
畑の手入れを終え、水桶と台車を小川の脇に戻した。そして、小川の水をすくって顔を洗うと、水が冷たくて凄く気持ち良かった。
畑仕事はずっと前かがみだった為、あたしはくーっと空に向かって伸びをした。すると青い空に光り輝く太陽が眩しくて、あたしは反射的に目を閉じた。姿勢を戻しても太陽の残像が瞼に残っているのは不思議だ。
太陽のあの高さからすると、そろそろお昼の時間も近いな。トリッサは結局来なかったけど、まだ集会場に居るのだろうか。
《わたしは集会場に寄ってくから、皆さんは先に戻ってて下さい。
戻ったら、お昼ごはんにしましょう》
サフレインは、どことなく楽しそうに集会場へと歩いて行った。それもこれも多分……。
『イシェルったらもう』
「ウフフフフぅ~」
イシェルはまるで、葉っぱにくっついたイモムシの様に、あたしにぴったりとくっついていた。機嫌が直ったと思ったら今度はべったりだ。この子は他人にはツン多めなのに、あたしに対してだけあまあまなんだから。
「かーわいい、イシェルたんって自分に正直な子なのねぇ」
五つも年上の相手に対してかわいいですか。年下扱いですか。けど、スフェーンだって一見クールに見えるけど、本当はすごく子供っぽいって事を知ってるんだ。だって、どうしても割り切る事ができないからこそのこの旅だからね。
「じゃぁ戻るか」
ヘタレ格闘家は独り言の様に呟くと、あたし達に構わず歩き始めてしまった。いつもの事だけど素っ気無いヤツだ。
『そだねー、戻ろう』
あたし達は、ヘタレ格闘家の後ろに続いて歩いた。
「ねね、(一緒に)住むとしたら、こういうトコもいいかもね」
イシェルは、相変わらず体をぴったりくっつけたままで、手をぎゅっと握って来た。
『えぇッ!? アウトローなイシェルにはちょっとほのぼの過ぎるよッ! あたしはもっと殺伐とした所の方が似合うと思うッ! だって、やるかやられるかの世界の人間でしょ?』
あたしは言った後で、変な事を言ってしまった事に気付き赤面した。
「冗談言わないでよ、ボクはシンナバーと一緒にずっと平和に暮らしたいの」
そして、うっとりとした表情をして肩に寄りかかった。少し傾いて、バランス悪そうにヨタヨタと歩くあたし達。
ふぅ、どうやらさっきのは気付かれてない様だね、赤面して損したよ。
「そうねぇ、いっその事、イシェルと二人でこの村に住んじゃったらぁ?」
あたしはスフェーンのこの言葉を聞いて、とっさに彼女の顔を見てしまった。だけど、こういう状況ならそう言われるのも当然か。傍から見ればあたしとイシェルって完成してるもんね。あたし自身も、もうイシェルが隣にいる事が当たり前になってるし。
もはやスフェーンを監視し、あわよくばおチビを諦めさせようって言う作戦も、ここの所全然計画出来ていない。と、言うよりできない訳だけど。
「スフェーンもああ言ってくれてるし、ボクは本当に構わないよ?」
正直悩んでしまう。あたしはイシェルの事を本当に好きになっているし、既にイシェルとの未来が見え始めているんだ。短期間でここまで進展させたイシェルには、心底感心させられてしまう。
『うーん……』
「あのね、あの二人みたいに、小さなお家に住んで仲良く暮らすの。
朝起きたら一緒に畑の手入れしてさ、旅の人が来たら泊めてあげておもてなしするんだよ」
あたしはそういう生活もいいと思った。だから、おぼろげじゃない映像も思い浮かべる事ができるんだ。
この旅が終わった後、どうするかは考えなきゃいけない事だとは思ってた。いつかはどっかの街か村に住んで、平和な生活を送るんだろうと思ってた。あたしの最終目的は、戦いの中に居る事ではない。
――だけどさ
『まだだよッ! この旅が終わるまでは、途中で抜けるなんてできないよ』
あたしは、この旅の最後を絶対見届けるんだ。それがあたしにとって、たとえ悲しい事になるとしても……。んーん、そうじゃないよ。結果的にはスフェーンが幸せになって欲しいんだ。スフェーンさえ幸せになるんだったら、あたしは命だって惜しまない。これは出発の日に、あたしが心に誓った事だよ。今はちょっと事情が変わってはいるけど、旅が終わる時までは結論を急がない事にしよう。
あたし達が村の中へと入ると、村の住民達と自然に挨拶を交わしていた。見かけない顔に村人達は興味津々らしく、決まってどこから来たかと聞いてくる。それは人間であっても、魔の者であっても、化け……ワイルドタイプであっても変わらなかった。マトラから来たと言っても驚かないのは、やっぱり隣接した国だからだろうか。
ところで、この村の家々には扉に鍵が存在していなかった。どこの家も鍵どころかかんぬきさえもなく、ともするとドアを開けっ放しにしており、中で村人が寛いでいるのが丸見えだったりもする。そういう所から、この村がどれだけ平和なのかがよく分かる。
やがて、村の中央の道を真っ直ぐ反対側まで突っ切り、森の入り口にあるトリッサ達の家の前へと到着した。
部屋に戻ったものの、する事もなくぼーっとするあたし達に、ヘタレ格闘家は提案した。
「そうだ、時間も空いた事だし、ちょっと手合わせでもするか?」
ヘタレが自分から言うなんて珍しいと思いつつも、あたしはこの数日余り練習出来てなかったストレスを発散する為に、手合わせする事にした。
『うん、いいねッ! イシェルとスフェーンも行く?』
「もちろんボクも参加させてもらうよ、もっと強くならなきゃ守る側にはなれないからね」
もっと強くか。イシェルって実戦じゃ鬼畜並だから、今のままでも十分だと思うけど、あたしを守る為に腕を磨こうとする姿勢にはぐっと来るものを感じるな。
武道大会でイシェルと戦った時、目の錯覚を利用した移動法だけであたしは勝ってしまった訳だけど、彼女の本当の実力は相当なもんだと思う。
でもって、あの後あの技のからくりはイシェルに教えたから、今戦ったらどうなるか分からない。
『スフェーンもたまには体動かそうよ』
「んー、いいけど物理で戦うの素人だから、ちゃんと手加減してねぇ」
ベッドに座っていたスフェーンは、すっくと立ち上がるとウィンクした。
素人だって? スフェーンはとんだウソつきだ。
だって、あたしが師匠に棍術を習ってた時、暇だからってたまにやって来ては一緒に練習してたんだよ。二人で旅してた時もよく手合わせしてたんだ。それも、たまにしかやらないのに、普通に相手になってたんだから、もしかしたら才能はスフェーンの方があるんじゃないのかな。
こういう性格を含めて全てがあたしにとってはストライクな訳だけど、絶対的な火力を持つソーサラーだって、もしかしたら魔法が使えない場面に遭遇するかもしれないから習得しておいても損はないと思う。美容の為にも、あたしの目の保養の為にもさ。
「持ってくものはあるぅ?」
スフェーンが荷物袋からあるものを取り出したのを見て、あたしは目を輝かせた。それは久々の片手棍とベルトだったよ。
三年前の魔法学校の卒業式の朝に、ナボラの教会からまっ白い棍棒とベルトが届いたんだ。それで、それまであたしが使ってたものをスフェーンにあげたんだけど、ずっと大事に持っていてくれてるなんてやっぱ嬉しい。
因みにベルトは腰に巻くんだけど、棍棒二本は腰で交差する様に収納できる。何気に機能性と格好良さをも兼ね備えた逸品なのだ。
「ん? 何も要らないぞ」
「そっか」
ヘタレ格闘家が部屋のドアの所で振り返りざまに言うと、スフェーンは棍棒とベルトを再び荷物袋に戻していた。
あたし達は村から出たすぐの畑の手前に、ちょっとした空き地があるのを見つけた。
「ここにするか」
ヘタレ格闘家は、地面に落ちている小石を足で蹴って飛ばした。
『ここなら、トリッサ達が戻って来てもすぐ分かるね』
あたしは振り返ると、トリッサ達の家の入り口が見える事を確認してみた。
「うん、近い所で良かったね」
イシェルはバンダナをきゅっと締めた。隙間から少しだけ見えている艶やかな髪に見とれる。
「それでぇ? どうやって練習するのぉ?」
スフェーンは、体を左右に伸ばす準備運動をしながら、ヘタレ格闘家に聞いた。
「あぁ、お前は始めてだから知らないか。
相手の体に触れれば勝ち、手でのみ防ぐ事ができるが、防いだり防がれた手は必ず一度ひっこめること」
「わかったわぁ」
セクハラルールのこの練習、簡単だけどとても難しい。今の所、あたしもイシェルもヘタレ格闘家には一回も触れる事が出来ていなかった。
「まずは、シンナバーとイシェルでやって見せてやれ」
そう言えばあたしとイシェルって、まだ一回もお互いでやってなかったっけ。いつも二人がかりでヘタレ格闘家を攻めてるから。
『わかったッ! イシェルやろう』
「う……うん」
『手抜きはダメだからねッ! 本気でやるんだよッ!』
「わかってるよ」
少し気乗りしない感じでイシェルは渋々答えた。あたしは手抜きするつもりはない、イシェルがどれ程上達したのかも興味がある。
あたしとイシェルは、スフェーンとヘタレ格闘家の前で少し距離をとり向き合って立った。そして意識を集中する、イシェルの目つきも変わった。あの丸い目が今は鋭い輝きを放っている。
「用意、はじめッ!」
ヘタレ格闘家の合図と同時に、あたし達はほぼ一瞬で間合いを詰めた。お互いの間合いが交差すると、イシェルは低い姿勢から、あたしの右手目掛けて左手を伸ばして来た。
イシェルの左手をあたしの右手で受け止める。あたしの利き手を封じる作戦だろうか。考えはあるのだろうけど、ともかく残ったイシェルの右腕の動きに注意して、それが伸びて来た所をすかさずつかんで外側へと捻ってみる。
しかし、捻ったイシェルの腕には全く手応えがなかった。自分から差し出して掴まれたんだから当然なのだけど。
そう言えば、イシェルは相手の心を読む特殊能力を持っているんだったっけ。それがどの程度までかは分からないけど、あたしが何か仕掛けようとしても全て筒抜けだと思った方がいいだろうな。
次に、あたしは右手を内側に捻りつつ、左方向へ引いてみる事にした。例え読まれていても、はまってしまえばどうしょうもないからね。
イシェルは左手だけを出し、右手は引っ込めたままでいる。タイミングを見計らっているのは間違いない。
イシェルの左手を内側へ捻りつつ左へ引いた。またもや、くにゃっとして全く手応えがない。引っ張っているのになぜかと思ったら、イシェルはあたしが引いた分だけ左へと移動していたのだ。
右手を引き切った所で、唐突にあたしの左手は手応えを感じた。イシェルがあたしの腕を内側へと捻っている。あたしの腕はすぐに遊びを失い、腕全体を引き込まれ始める。そこであたしの左腕の登場だ。左手でイシェルの左の手首を掴み、右手をリリースさせる。そして、肘を掴んで持ち上げつつ、さらに回転を加えるのだ。
『わぁッ!?』
固定しているイシェルの肘の下から、彼女の右手が飛び出して来た為、あたしは驚いて声を上げた。胴を近づけていた為、彼女の潜らせた右手で容易に届く距離になっていた様だ。
あたしは三歩後ろに下がって間合いを取る。今のはちょっと反応が遅れてたら危なかったな。
「驚いたでしょ? 次はタッチしてみせるよ」
そう言って、イシェルがにやりとして見せる。
『やるなぁー、あたしも負けないよッ!』
その時、ヘタレ格闘家は、あたし達の間に手を差し出して練習を中断させた。
「ストップ! とまぁ、こんな感じだ」
『えーッ! 今いいとこなのにッ! タイミングが悪いッ!』
「ヘタレさん、せっかく楽しんでる所で止めないで欲しいな」
ヘタレ格闘家って、水を挿す天才なのかもしれない。もしやこれがヘタレの特殊能力か?
「あたしはもう大丈夫ぅ、ルールはわかったわぁ」
「そうか、じゃぁ最初はオレと組んでみるか。
二人は……すまん続けてくれ」
ヘタレ格闘家は、不満げな二人の目に睨まれている事に気が付き、目を泳がせて慌てている。
ヘタレ格闘家と組んだスフェーンは、早速練習を開始していた。ヘタレ格闘家は、スフェーンに好きな様に攻めさせている。大降りの動作でタッチを狙う、スフェーンの手を、少ない動作で軽快に交して行くヘタレ格闘家。
このヘタレ格闘家の動きを見ていると、なかなか勉強になる。ただ距離を開ける避け方ではなく、相手の動作に対して一番効率のいい動きで避けているんだ。
スピードに任せたり、ただステップで後ろに下がる避け方では、相手に攻める隙を与える事にもなる。次の自分の行動を考慮した動きをするのがいい気がして来た。
「ねぇ、ボク達も早く続きをしようよ」
『うんッ!』
イシェルに催促されて、あたしは再び身構える。そしてイシェルの呼吸を読んでリズムを作り、タイミングに合わせて移動を始める。これは、相手の捕捉から逃れる移動法だ。この移動法をした相手には、チラチラと点滅する様に見える。完全に消える訳じゃないけど、かなり認識し辛くなるはずだ。
あたしは、イシェルの斜め後ろに到達した。以前のイシェルなら、全く気が付かなかっただろう。しかし、種明かしした今では余り通用するものではない。
「息を止めれば見えるって、これ教えてくれたのシンナバーなのに」
イシェルは、移動するあたしを目で追いかけている。つまりあたしは捕捉されたままだ。だけどあたしは動くのを止めない、イシェルが振り向けばさらに回り込む。
これをしばらく繰り返していると、イシェルの顔に変化が起きた。呼吸をずっと止めている為に、息が苦しくなって来た様だ。
「ぷはーッ!」
イシェルはたまらず息を吐いた。あたしはその一瞬でイシェルの背中に近付くと、肩を揉みつつ耳元で決め台詞を言った。
『残念だったね、これがその方法の欠点なんだよ』
「息を止めるの苦しいのに、ずっと動くなんてひどいよ」
『次イシェルが同じ事やっていいよ、あたしも練習したいから』
そう言ったものの、いい対策なんてそうそう思い付く訳もなく、息が苦しくなるまでの勝負を何度か繰り返していた。
「シンナバー、いい対策法早く考えてよ」
『うーんうーん……あ、そうだ』
イシェルが背後に回り込んだ時、あたしはやっと一つの方法を閃いた。
「えっ?」
イシェルの目の前から、あたしは突然消えた事だろう。何て事はないんだ、あたしも同じ事をすればいいだけだった。
『ほらッ!』
あたしはイシェルの肩を両手でポンと叩いた。
「うそ……何で? ボクは動くのをやめてないのに」
困惑した表情で言うイシェルにあたしは言った。
『うん、あたしも息を止めるのをやめてないからだよ』
少し疲れるこの方法しか今は思いつかなかった。結論を言えば、息が続く短時間で何とかするしかないって訳だね。
休憩しつつ、あたしとイシェルは、スフェーンとヘタレ格闘家の様子を眺めた。
「あーもぅッ! なんでぇーッ! あぁッまたッ!」
そこにはムキになったスフェーンが居た。ヘタレ格闘家が、まるで風に舞う花びらの様に軽やかな動きで、スフェーンが伸ばす手のひらを交し、隙があれば肩をポンと叩いている。
スフェーンは何度肩を叩かれても負けを認めず、さらにヒートアップして行く前向きなスフェーンに、あたしの心がきゅんとなった。