【48】異種共生の村
トリッサの作った料理は、焼き魚と野菜スープと言うごく普通のものだったが、その味はコメントに困るものだった。
もしかしたら味覚の違いなのかもしれないと思ったけど、どう脳内補正しても気の利いたコメントは浮かばない。
具体的に言うとスープはいい匂いはするのに塩気が全くなく、焼き魚はやけにしょっぱい。そのせいで、焼き魚の塩気を味の無いスープで薄めて食べる事になる為、魚とスープを行ったり来たりな食べ方になってしまう。
そうしてるのはあたしだけじゃなく、スフェーンとイシェルも行ったり来たりしている。だけどもちろん、せっかく作ってくれた事だしありがたく頂こう。味わう余裕なんてないけどとにかく頂こう。
「あーーーッ! ごめん……塩の配分間違えたみたい」
唐突にトリッサは大声を上げ、味付けの失敗を認めた。良かった、やっぱりこれって間違だったんだね。どう間違えばこうなるのかはさておき、この村の味覚がこれだったら、間違ってもあたしはここには住めそうもないよ。
『いやいや、この魚はホントにいい焼き具合だよッ! ビンチョウタンでも使った?』
「うん、ボクもいい焼き加減だと思った」
「トリッサって焼き方上手よねぇ」
こらこら、なんで二人ともあたしの言った事と完璧にかぶせるんだ。少しは味についてのコメントを言わないと、ただの嫌みになっちゃうじゃないか。
しょうがない、あたしが味について感想を述べるしかないか。と、思ったけど「やっぱり味付けは塩味に限るよね」とかじゃダメだよね……スープはその決め手の塩気がないんだし。
当たり障りのなさそうな事を言いたいけど、さっぱり浮かばない。だからって「おいしい」なんて、思ってもない事を言うのもいくら何で白々しいし。
あたしが悩んでいると、ヘタレ格闘家は子供の様にスプーンを片手に立てて持ち、おぉっと声を上げた。
「ほぉ、こりゃうまいな」
ヘタレ格闘家め、いくら何でもその言葉はないと思うぞ。「キミの手料理は愛情たっぷりだな」とか言って引かれればいいのに。
「え? うまいって……本当に?」
ほーら、やっぱりトリッサも困惑してるよ。やっちゃったね。でも期待通りだね。
「あぁ、こんなうまい料理は久々だ」
そう言うとヘタレ格闘家は、食いしん坊の子供みたいにお皿にがっつき出した。「食えれば何でもいい」とか言う、クラスに一人はいる定番食いしん坊キャラじゃないのに、そんな下手な演技なんてしなくても……。
「たくさんあるからおかわりしてね」
「悪いな、じゃぁもらおうか」
トリッサは嬉しそうな顔をして、ヘタレ格闘家におかわりを勧めた。
あれ……? まさかとは思うけど、ヘタレ格闘家が演技するとも考えられない。これはもしかして……本当に美味しいと思ってるのか?
今ここで、ヘタレ格闘家の舌はあてにならないって事が判明したよ。今までどんな食生活して来たのか聞いてみたい。そんな疑問があたしの頭に浮かんで来たけどすぐに消えた。
トリッサがヘタレ格闘家が差し出したスープ皿を受け取った時、静かに入り口の戸が開いた。
《ただいまぁ》
落ち着きのある声が言った。
「あ、おかえりー! ねぇ、この人達、今日ここに泊まってもらうから」
どうやらこの家のもう一人の住人が帰って来た様だ。あたしはドアの前に立っている人物へと顔を向ける。
「「『え……?』」」
そこには、あたしと同じ位の年頃の女性が立っていた。だけど、その肌は色が抜け落ちた様に真っ白だった。
あたし達は絶句した。あたしの記憶が確かならば……その女性は魔物であるからだ。あたし達はお互いの顔を見合わせていた。
「紹介するね、この子がこの家のもう一人の住人で、サフレインって言うの」
《いらっしゃい。大したものはないですけど、ゆっくりしてって下さいねー》
サフレインと呼ばれた魔物の女は、硬直してるあたし達の方を見ると、にっこりと微笑んでペコリとお辞儀した。
「あれ? サフレインがどうかしたの?」
トリッサは、あたし達が固まっている様子に気が付いて言った。
「トリッサさん」
「なに? えーっと……イシェル」
「サフレインさんの肌なんだけど……」
わーッ! イシェルは何事においても直球だ。彼女の性格上「白くて羨ましい」とか、「海外の方ですか?」なんて表現は使わないだろう。あくまで的確、かつ最小限の言葉で済ます。これってイシェルのナイフと同じだな。
「肌?」
トリッサは、ぽかんとした表情でサフレインの顔を見ると、「はてな」と言う感じに首を傾げた。サフレインも、何だろうって顔をしてトリッサの方を見ていた。
「イシェルはサフレインが綺麗な肌の色してるから、きっとびっくりしちゃったのねぇ」
スフェーンがイシェルの直球発言をフォローした。
「あっ、そっかー! 何を言いたいのか分かっちゃった。
あなた達はマトラの人だものね、この子が珍しいんでしょ?」
トリッサの言う通り、確かにあたし達はサフレインが珍しかった。具体的には、珍しいの意味がちょっと違うんだけども。
「うんそうッ! ねッ? イシェルゥー?」
スフェーンは、イシェルの方へ振り返ると、ウィンクして合図を送った。
「あッ……う、うん 気を悪くしたらごめんね」
イシェルはスフェーンの合図で、自分の発言に問題があった事に気が付いた様だ。
「まぁ、マトラの人間なら驚くのも無理はないか……。
そうだよ、サフレインは人間が魔物と呼ぶ種族なの」
トリッサはサフレインの肩に手を置くと、「大丈夫だからね」と小さな声をかけていた。
「え……」
余りに簡単に言ったトリッサの言葉に、イシェルは小さな声を上げていた。
でも、あたしも少し驚いたよ。だって、あたし達は魔物と人間が共生する事は不可能だって、小さい頃に教え込まれていたからね。
魔物は無条件で、人間に襲い掛かって来る、危険な存在だって。それを一度も疑う事はなかったよ。
「あなた達には珍しいかもしれないけど、この村ではごく普通の事よ。
何しろこの村の住人の半分は、人間ではないからね」
えぇーッ!? 驚いた、驚いたよ、魔物と人間が仲良く暮らしてる村があるなんて。そして、人間と魔物が一緒に住む事が可能だったなんて。そもそも今まで、魔物に言葉ある事すら知らなかったよ。
「ねぇ、この村ってマトラ王国の村なの?」
イシェルは、トリッサに新たな質問を投げかけた。
「んーん、この村はどこの国の支配も受けてないの。
だから、マトラ王国ではないし、マトラ王国の地図にも載ってないはず」
『そっか、確かにこの村は地図には載ってなかったよ』
「でしょ? だってここは、どこの国にも属さない村だから」
あたしはこの村が、どの国にも属してない事を聞いて少し不思議に思った。この村はエクトから歩いて半日程度の距離にある。そして、ガーネットもこの村の存在を知っていた。当然王国もこの村を把握しているだろうし、絶対調査には来ているはずだ。
『ここにはエクトから誰か来たりしないの?』
「たまーにね。ラーアマーって街からも来るんだけど知ってるかな? そこからも年に一度は来るよ」
「へぇ、ラーアマーからもねぇ、調査か何かなのかしら?」
「ん……どうだろ? ただ泊りに来るだけで、特に目的はある感じじゃないけど。
ま、どっちも危害はないし、村にとっては全く問題ないよ」
エクトから来るとしたら、当然軍の人間だろう。住民の半数が魔物であるこの村にやって来ても、魔物には危害を与えずに戻っているのか。
ステクトールは、人間と魔物が仲良く共存する村だった。ガーネットは、何を言いたくて、あたし達にこの村を教えたのだろう。
色々と話す内、あたし達はサフレインに対しての疑念はすっかり晴れ、親しく話せる様になっていた。きっと今日は魔物に初めて心を開いた、記念すべき日となるだろう。
サフレインは肌の色以外、人間と全く変わる所がない様に見えた。それどころか、雪の様に真っ白な肌は美しく、清楚な佇まいに整った顔は、あたし達ですら見とれる程だ。
だけれども、あたし達は数日前に、確かに魔物達と死闘を繰り広げ、結果的に双方に取り返しの付かない被害を出してしまった事は確かだ。サフレインや、この村で暮らす魔物達が、特別に温和なのだろうか。
「いい村だな」
部屋に戻って寝る支度をしていると、ヘタレ格闘家が天井の方向を見つめて呟いた。
『爆弾発言でたーッ! ヘタレはあの二人のどちらかが気に入ったんだねッ! 今のはそのカミングアウトと見たッ!』
「はぁー? 確かに料理はうまかったが、そういう事を言ったんじゃねぇ」
『そっか、ヘタレの好みはトリッサの方なんだ。
でも残念だよ、この恋は片思いで終わるであろうから……アーメン』
「ぬ……?」
だがしかし、いい反応をするヘタレ格闘家は「何でだ?」とでも言いたさげな顔であたしの方を見た。
よもや気が付かなかったとは……本当におめでたい男だね。
「ヘタレさん、あの二人は恋人同士なんだよ?」
イシェルは、ベッドに座って足をぶらつかせつつ、ヘタレ格闘家にあの二人の関係を言った。
「何……だって? 恋……人?」
ヘタレ格闘家は、目を点にして放心状態に陥った。やっぱり気付いてなかったのか。だとすると、あの二人が終始目で合図し合っていた事も気が付かなかったろうな。
「アハハハハッ! あんたって本当に面白い男だねぇー」
スフェーンも、ここぞと言わんばかりに容赦なく悪魔属性全開だよ。ヘタレ格闘家は、止めを刺されてさぞショックだろう。
「違う! 本当にオレが……」
「ヘタレさん?」
「あいや、何でもない……すまん」
ヘタレ格闘家は何かを抗議しかけたが、なぜかイシェルが声をかけたとたんに中断した。そして、二つつなぎ合わせたベッドに潜り込み、あたし達に背中を向けてしまった。そんな、ヘタレ格闘家のしょげた姿を見るのも悪くないなと思った。
「さっ、あたし達も寝ましょ」
少し眠そうな声でスフェーンが言い、ヘタレ格闘家の横にゴロンと寝そべった。それに続いて、イシェルとあたしもベッドに寝転んだ。みんな、今日は朝から歩いたから疲れているのだろう。
スフェーンが棚の上のランプを指差すと、ランプの灯りが息を吹きかけた様にフッと消えた。
この村には街灯がない。灯りがなくなると、窓から差し込む月明かりがとても明るく感じる。あたしとスフェーンの故郷の村と同じだな。
横に寝ているイシェルは、いつもの様にあたしに絡み付いて満足そうにしている。あたしはイシェルの背中に手を回し、ゆっくりと背中を滑らせて手に伝わる温もりを感じた。
少しして、イシェルはあたしをぎゅっと抱きしめると、いつもの様に口づけをした。すると、すぐにあたしに大きな充実感がやって来る。やわらかくて暖かいイシェルの唇の感触が気持ちいい。
でも……でも、非常に問題だよ。だって、すぐ近くに二人が寝てる緊張感の中、あたしとイシェルは抱きしめあっているんだから。イシェルの背中のすぐ後ろにはスフェーンが寝てるし、その後ろにはヘタレ格闘家が寝ているんだ。
しかも、まだ眠りに落ちてはいないはず。充実感を得ながら息を潜めようとすると、どうにも息が苦しくなってしまう。
あたしが苦しくなって来た頃、イシェルはすっと身を引いて、あたしの頭を引き寄せると自分の胸へと埋めた。イシェル胸元からほのかに漂う甘い匂いにつつまれて、あたしはゆっくりと深呼吸をして息を整える。そのあたしの髪をイシェルは優しく撫でてくれた。
この時、あたしはなぜかお母さんを思い出していた。余り覚えてはいないけど、小さい頃にいつもこういう風にしてもらっていた様な気がする。
でもその後で、あたしはすぐに眠りについてしまっていた様だった。そして、懐かしい夢を見ていた気がした。そんな気がしたのだけど……。
『うひゃぁぁぁーーッ!?』
またしても、あたしは自分の絶叫で目が覚める。体中を圧倒的な感覚が駆け巡り、それを体は全身を震わせて受け入れている。これは少し屈辱的だけど、計り知れない幸福感で満たされての目覚めでもあった。
流石に毎日がこんなだと、スフェーンもヘタレ格闘家も、いちいち気にする事もなくなっている様だ。すやすやと眠っている。
そしてもちろんこの犯人は……。
「クスクスクスクス……」
隣でイシェルがいたずらな目をして笑っている。イシェルは満たされた顔で指をぺろっと舐めると、まだ息を弾ませているあたしに「おはよう」と言って軽くキスをしてくれた。