【47】親切な村
お昼を食べた後、再び歩き出したあたし達は、日が傾き始めた頃にやっとステクトールの村に到着した。
予定より大分遅くなってしまったのは、半日程度で着くと聞いて、ハイキング気分でおしゃべりしながらのんびり歩いていたせいなのは言うまでもない。
ステクトールの村は、森の中にあるにも関わらず、あたしが想像していたよりも大きな村だった。村の周囲をぐるりと畑が囲み、その畑の周囲を森の木々が囲っている。
村の中央には民家が大雑把に数えて五十戸程見えた。聞いてた通り、村には雑貨や食料を扱うお店もあった。それは例え民家の軒先程度のお店だとしても、この村では重要な存在のはずだ。それ程多く物を売らないだろうけど、あたし達が必要とする位は手に入る事だろう。
さて、夕日も傾き始めている事だし、まずは今夜泊まる宿を探さなければいけない。あたし達は、丁度すぐ近くにいた村の女性に声をかけ、村に宿はないかと聞いてみた。
すると女性は、村に宿屋はないけど自分の家に泊めてくれると言う。と言うことでいきなり宿探しは終了した。宿が無いのは、この村に旅人が訪れる事が余りないからだろう。そう考えてこの村を眺めると、商人も観光客も立ち寄る要素が見つからなかった。
村人の名はトリッサと言う名の、ショートの赤い髪の女性だった。彼女の他にもう一人住んでいるらしく、今は丁度出かけているけど直に帰って来るそうだ。
質素な作りのトリッサの家は、家族で暮らす家程は広くはなかった。一つ一つの部屋は小さいながらもキッチンと別に二部屋あり、その一つを貸してくれる上に、食事までも用意してくれるらしい。それも無料で。
「泊めてくれて助かるわぁ」
スフェーンがトリッサにお礼を言った。だけど、その顔に若干好奇心が表れているのをあたしは見逃さない。
「旅人を家に泊めるのは、この村の方針だから気にしないでね。
それより、そっちの人も一緒の部屋でいいのかな?」
トリッサがヘタレ格闘家を見つめて言った。
『あー、ヘタレが居たか』
今更、部屋を分ける必要なんてないと思うけど、あたしはトリッサの話題に合わせて困った顔をしてヘタレ格闘家を見つめた。ヘタレ格闘家は「何がだ?」と言う様な顔をして戸惑っている。
「あーそうか、オレも一緒の部屋かって事を聞いてたのか。
オレは別に廊下とかでもいいぞ」
おや、今日はやけに理解が早いな。
『百歩譲ってヘタレも一緒でいいよ、だってヘタレがあちこち散らばるとトリッサ達に迷惑かけるからッ!』
「オレが散らばるって何だそりゃ」
不満の言葉と言うより、お約束に合わせるヘタレ格闘家だ。うむ、ヘタレもやる様になって来たね。
「ヘタレさんとシンナバーの間にはボクが入るよ。
万が一、何かあったら大変だからね」
「アハッ! もしかしたらイシェルに間違いを起こすかもよぉ?
横にあたしが入ってあげようか、と言うか入るからイシェルも安心してね!」
「心配してくれてありがとう。
じゃぁシンナバーがはじっこになるんだね、スフェーンは強いから絶対間違いは起こらないだろうし、お願いしようかな?」
「はーい! かわいいイシェルたんにお願いされちゃったぁ」
隙あらばアピールしようとするスフェーンは、嬉しそうにイシェルにすり寄った。それを見て、あたしは少しイラッとする気持ちを心の奥に押し込めた。
「……何だかんだでオレって利用されてるんじゃないのか?」
ご名答、ヘタレは常に利用されてるんだよ。何たっていい様に騙されるお人よしのお手本だから。
ふと視線をトリッサに移すと、全く驚いた様子もなく、あたし達の戯れを見つめて微笑んでいた。流石いきなりやって来た”馬の骨かもしれない変な一行”をすんなりと泊めてくれるだけの事はある。
「夕食にはまだ早いから、その前にお風呂でもどうぞ」
お言葉に甘えて、二人位が入れる程度の広さのお風呂に、あたしとスフェーンとイシェルの三人は湯船に入れ替わりつつ入った。その間、ヘタレ格闘家は暇だろうから外で釜の火を見ててもらった。
お風呂から上がった頃には、日はもう落ちかけていたけど、あたし達は夕涼みを兼ねて素敵な村を一周してみる事にした。その間にヘタレ格闘家がお風呂に入る。
「こんな森の中に、村があるって驚いたね」
「そうねぇ、小さな川はあるけど舟で行き来出来そうもないし、物資なんかは自給自足かもねぇ」
エクトの街まで半日とは言っても、道の存在しない森を通って定期的に物資を運ぶには難がありそうだ。確かにある程度、自給自足できないと困るだろう。
それに、定期的に物資を運んでいるのならば、道が自然と出来ているもんだ。少なくともあたし達が通って来たルートには、道らしいものは全くなかった。その割りに、この村は文化的な生活を送っているのは凄いことかもしれない。
『この村の建物ってシンプルだけど、何だか作りがいいよね』
「そう言えばそうだね。ボクの居た村の家は、もっと簡単な作りだったよ」
確かに村の建物にしては随分としっかりした家が並んでいる。それはまるで街の建物の様に、設計図とかがちゃんとありそうな作りだ。もしかしたら村には建築に心得のある人でも住んでいるのかもしれない。
「んー、イシェルの育った村にも行ってみたいわぁ」
『そうそう、おまると哺乳瓶を発掘する計画だったよねッ! オークションで高値が付きます様に……特におまるが』
「哺乳瓶は分かんないけど、おまるなんてないから……だって使ってないもの」
「アハハッ! おまるは冗談だけど、たまには故郷に帰ってみたいでしょぉ?」
「んと、実はそんなにでもないかも、結構小さい頃出てきたからあんまり覚えてないんだ」
『出て来たって、イシェル一人で出て来た訳じゃないよね? 家族の人と出て来たの?』
「一人じゃないけど、一緒だった人達は知り合いって訳じゃないからね」
辺りはいつの間にか、表情を確認する事ができない程に闇に包まれはじめていた。イシェルのシルエットの方向から聞こえる声のトーンは淡々としつつも、余り楽しそうには聞こえない。前にもこの話が出た時に思ったけど、やはり昔の事には余り触れて欲しくはないんだな。どんな事があったのかわからないけど、もしかしてあたしが消してあげた背中の傷跡に関係ある事だったりするのだろうか。
あたし達はぐるりと村の反対側までやって来ていた。その頃になると、灯りを持たず、真っ暗闇の村の周りを歩き続けるのにも厳しさを感じる様になっていた。スフェーンとイシェルに、村の中を通って戻る事を提案していると、あたし達の後ろからこちらに近づく足音があった。
「やぁ、こんばんは」
カンテラを持った、穏やかな声の男性が挨拶と共に現れ、あたし達も自然に挨拶を返した。
「見ない顔だけど、もしかしてキミ達は旅人かい? こんな田舎だけど精一杯歓迎するよ」
男性は、カンテラを持ち上げてあたし達の顔を照らした。その明りのお陰で男性の顔も見える。声のイメージ通り、穏やかそうな青年の顔がそこにあった。
「そうだ、泊まる所は大丈夫? まだだったらお世話しようか」
この村の方針で、外部の者を家に招いて歓迎する事に例外はなさそうに感じた。
『ありがとう、でもトリッサの家に泊まらせてもらう事になったんだ』
「そうかい? まっ、トリッサの所なら心配ないね」
穏やかな声の男性は、安心した様で「それじゃおやすみ」と言い残して村の中へと歩いて行った。
スフェーンは、穏やかな声の男性の影が見えなくなってから言った。
「この村の人達って随分と親切なのねぇ」
「そうだね、街なら誰が居ても気にしないもんね」
そう言われてみれば、あたしとスフェーンの出身の村カイナでも、こんな風に通りすがりの人に挨拶してたっけね。
『ふっふー、二人ともそう思うなんて、都会に慣れたせいで心が荒んでしまったんだね。
はー、きっと心は都会の石畳の様だろう……何と言うかわいそうな二人』
「ブッ! 一番荒んだのは、誰の目から見てもあんたでしょうがッ!」
『えーッ! どこがッ!? だってまだ穢れなんてこれっぽっちも知らないよ!? 断っておくけどいやらしい意味じゃないからねッ!』
「大丈夫、ボクにはどんなシンナバーだって受け止める自信があるよ、たとえどんなにいやらしくなったとしても」
そう言うとイシェルはあたしをぎゅっと抱きしめ、背中に回した手ですべすべしはじめた。イシェルはむしろウェルカムな様だ。
「アハハハハッ! あんた達ってサイコーッ! いいなぁ、あたしも混ざりたーいッ!」
スフェーンの言葉に超高速で反応できるあたし。イシェルをしがみ付かせたまま、目にもとまらぬスピードでスフェーンの唇を奪った。
「……へ?」
あたしがとった行動に、きょとんとして呆然とするスフェーンに、あたしは満面の笑みを送っている。暗くて見えてないだろうけど送り続けた。
「ん? どうかしたの?」
『ギャハハハハハーッ! 何でもないよーッ!』
ヤッタァ! これで二回目だ。一回目はスフェーンは酔っ払ってたから、次の日には覚えてなかったみたいだけど、今回のは絶対に忘れないはず……んーん、絶対に忘れて欲しくないよ。
でも、ちゃんと伝わっただろうか、冗談だとか思われてないといいな。気まずいそぶりとかしてくれたら萌え死ねる。あぁ、これを機に親友の壁を越えて行ったりして……そしてそして!
「もう真っ暗だし帰ろうか」
イシェルがあたし達に提案した。とてもいい事あったしそれでいいよ。真っ暗な夜道が脳内でばら色に変わって行く気がした。
帰り道、スフェーンは一言も喋らなかった。もしかして、さっきキスをしたのを気にしてくれてるのだろうか。
はッ!? まさか……怒っちゃったのかな? 「あんたとじゃなくて、イシェルたんとしたかったのにぃ!」とか思ってるとか。うぅー、そう考えるとどんどんそんな気がしてくる。
あたし達はトリッサの家に戻った。部屋に入ってベッドに腰掛けているスフェーンは、何だか思いつめた様な表情をしてる。おかしい、一体どうしたと言うのだろう。
「スフェーン? どうかした?」
「ん……何でもないわぁ」
イシェルが気にかけて声をかけても、スフェーンはイマイチな反応を返した。
『スフェーン、ちょっと来て』
その様子に我慢出来なくなったあたしは、スフェーンの手を掴むと部屋を出ようとした。
「なになに!? どこに行くの!?」
事情を知らないイシェルはただ慌てている。
『ごめん、イシェル。
すぐに戻るからここで待ってて』
付いて来ようとしたイシェルを制して、あたしはスフェーンを外に連れ出した。それをイシェルが悲しそうな顔をして見つめていた。
外に出ると、月明りが雲に遮られて真っ暗だった。あたしは手のひらの上に神聖魔法で小さな光の玉を作り、その光で畑のあぜ道の中央付近まで歩いた。ここまであたしに手を引かれるスフェーンは黙ったままだった。やっぱり怒ってるのかも……調子に乗って大変な事をしてしまったかもしれない。
『スフェーン……』
スフェーンの方へ振り返り、声をかけても彼女は俯いたままで顔を上げようとしなかった。やっぱりちゃんと謝ろう。謝るなら行動は早い方がいいよね。
だけど悔しいな。あたしには無理だったって事なのかな。その事実を受け入れなきゃいけない時が、こんな時に来てしまうだなんて。
『ごめんなさいッ! 調子に乗りましたッ!』
この言葉を発した事で、諦めが確定された様な気がした。頭を下げるあたしの目からは、涙がぽたぽたと地面に零れ落ちている。
「……の」
『さっき、スフェーンはイシェルに言ったんだよね、あたし……とんだジャマしちゃったよね』
あたしのこれからの人生は、そして旅の目的はどうなるんだろう。ちくしょう、今すぐ世界から消えてしまいたい。
「だから違うの! ふぅ……外の風に当たったら何だか落ち着いて来たわぁ」
『う?』
どういう事か分からず、あたしはスフェーンの顔に視線を向けた。
「心配かけてごめん、ちょっとこの間の事を思い出しちゃってね……。
全く、あんたってしきりに毒吐くくせに、意外と泣き虫な所あるよね」
『だって、だってだって……』
駄々をこねるあたしの涙を、スフェーンはそっと拭ってくれた。
「覚えてる? あんたと初めて会ったあの夜も、あんな月が出てたよね」
空を見上げると、雲の隙間から抜け出た月がとても明るく輝いていた。
その後、スフェーンはエクトの街で、一緒に戦って命を落とした魔導士とその友人の事を話してくれた。なぜあたしがキスした事で、それを思い出したのかの追求はあえてしないけどね。
「……お帰り」
部屋に戻ると、一人残されていたイシェルは、入り口に背を向けたまま振り返らずにふて腐れていた。その手前では、お風呂から上がったヘタレ格闘家が、困った表情をしてお手上げの様子を示している。
「イシェルたーん! 心配させてゴメンねぇ」
スフェーンは、ベッドの上でこちらに背中を向けたままでいるイシェル目掛けて飛びついた。
「わひゃッ!?」
スフェーンに飛びつかれ、前のめりにコケたイシェルが声を上げた。
『心配したぞぉー! こんちくしょぉーッ!』
あたしも負けじと縺れ合っている二人に向かってダイブする。そして、二人をぎゅーっとして幸せをせいいっぱい表現した。
「何だか知らないが安心したぞ……ん? なんだその手は」
ヘタレ格闘家がそう言った時、三つの手のひらがヘタレ格闘家に向けて伸ばされていた。
「いや、オレは……」
当然意味が分からず、かつ遠慮するヘタレ格闘家。
『ほらおいでッ!』
あたしが叫んだその直後、三人の悲鳴と笑いが小さな部屋を満たした。あたしはこの時ふと、おいしそうな料理の匂いがしている事に気がついた。