【45】決意と涙と
夜、ガーネットとヘリオと少数の兵達は、魔物の要塞ラーアマーの付近に軍の車両でやって来ていた。
「ほぉー、あれが魔物の要塞か、魔物にも文明ってもんがあったんだな」
ヘリオは月明りの下で、細々と光りを灯すラーアマーの街を見つめ、意外そうな顔をした。
「残念だけど、魔物の文明は人間よりずっと進んでいるわ」
ヘリオは「へぇ」と興味なさそうに言い、車から降りて屋根の荷台に乗せていた、真っ赤な大剣を取って背中へと収めた。そして、風を感じてなびく様に、両手を左右に広げると、気持ち良さそうに深呼吸をする。
「仕事はきっちりとやるぜ」
「今回は、多少手を抜いてもいいのよ。
だって、あなたのプロパガンダも兼ねてるんだから。
少しは残しとかないと、伝えてもらえないでしょ?」
「あ? なんだ? そのプロパンガスってのは」
キョトンとしたヘリオの顔に、ガーネットは苦笑いする。
「いいわ……とりあえず行ってらっしゃい」
目を閉じて、お手上げのポーズをとるガーネット。
「ま、行って来るわ」
ガーネットの様子に肩をすぼめる仕草をした後、ヘリオはラーアマーの方へ振り返り、真っ直ぐ街の方向に歩いて行った。
その頃、ラーアマーでは既にヘリオ達の動きを掴んでおり、ザサス司令の命によってスフェーンを捕獲したあの四体の魔物が送り出されていた。
《人間が兵力を増強したと言う情報は確かだった様だな。
だが、たった一人で来るとは、いささか愚かであると言わざるを得ない》
《その様な事を我々が考える必要はない、ただ排除すれば良いだけだ》
《その通りだ、あの魔導士でなかったのは不幸中の幸いであるな》
《アローラ亡き後、過剰防衛に出る可能性はやはり高かった様である》
四体の魔物は相変わらず前方を見る事もなく、顔を左右に向けて会話に集中している。
その時、魔物達に真っすぐ向かって来るものがあった。暗闇の中、それを肉眼で確認する事は出来ないが、地面を切り裂きながら迫る音によって、存在を認識する事が出来た。
四体の魔物達は、左右に首を向けたまま、迫り来るものを止めるべく重力シールドを大きく展開させた。漆黒の巨大な穴が魔物達の前に現れる。
迫り来るものは、高さ十メートルを越える巨大な衝撃波だった。その衝撃波は、魔物達の展開する重力シールドに到達すると、辺りに重い音を響かせて衝突し、そのまま渦巻状に回転を続けてその場に留まった。巨大な衝撃波を受ける魔物のシールドが、ギシギシと音を響かせて歪み始める。
《消失しない!? これは……どうした事だ?》
《理由はともかく、我々がこれを維持できる残り時間はおよそ五秒だ》
《うむ、これ程長時間の攻撃を受け続けるのは、我々の魔力では無理がある》
《残念だが、想定の範囲外であると言わざるを得ない》
魔物達が一通り言い終わった時、重力シールドはシャボン玉がはじける様に消滅した。衝撃波は、四体の魔物を吹き飛ばして突き進み、背後に位置していたラーアマーの巨大な壁に到達すると、また重い音を響かせた。その衝撃により、スフェーンの魔法で脆くなっていた建物のいくつかが砂を吐き出しながら倒壊していった。
壁に衝突した衝撃波は、高速で回転しながら強固な石の壁を削って粉砕すると、直進を続けて次々と建物をなぎ倒して行った。それはついに街の反対側の壁までにも到達し、それも突き破ると暗い闇へと消えて行った。
この衝撃波に吹き飛ばされ、散らばって倒れた四体の魔物達の横を、真っ赤な大剣を持ったヘリオが通り過ぎてゆく。魔物達は、瀕死の重傷を負ったものの、かろうじて死は免れていた。魔物達は動く事こそ出来なかったが、横を通るヘリオの顔を確認する事が出来た。
《わ、我々は見逃してもらえたのか……》
《その様だが、あの男の顔を見たか?》
《あぁ、狂気の目をして笑っていたな》
《あの様な恐ろしい存在を我々は、未だかつて目の当たりにした事がない事は明らかだ》
ヘリオの表情は笑っていた。だが、その狂気を帯びた眼差しを見た者は、それが尋常な者の目ではない事を一目見て理解するだろう。
バーサーカーと言うクラスはその能力を発揮する際、何かが切り替わったかの様に豹変する。そして敵も味方も関係なく、動く者全てを標的として粉砕するのだ。
ヘリオが街に入って十分も経たない内に、街の機能は見る影も無く崩壊し尽されてしまった。
ラーアマーから逃げて行く魔物の列が、暗闇の中にあった。少しでも街から離れなければ。それだけ思いつつ、魔物達は何も持たずに必死で走っていた。
その魔物達の向かう先に、一台の軍用車が止まっていた。
《あれは……!》
《我々の車ではないぞ》
《まさか人間の!?》
立ち止まった魔物達がその軍用車両を警戒していると、車両から一人の人間が降りた。それは薄紫色のワンピースを着た女性だった。
「十、二十、三十……、五十体位かしらね」
ワンピースの女性は、指を差して魔物達の数を大雑把に数えた。
とっさに逃げ道を探す魔物に、ワンピースの女性は周囲にけたたましい音を轟かせて魔法を発動させ「逃げようとしても無駄よ」と牽制した。数体の魔物は魔法の直撃を受け、炭化して燃えながら煙を吐き出している。その容赦のない様に、魔物達の顔は怒りの表情へと変わった。
≪き、貴様は人間か……?≫
一体の魔物がワンピースの女性に問いかけると、「そうだけど?」と落ち着いた声で答えた。
《くッ……、すると街を襲ったあの化け物も人間か……》
その魔物の問いに対し、またも「そうだけど?」と落ち着いた声で答えるワンピースの女性。
「彼は化け物じゃなくて、れっきとした人間なんだけど」
《そうか、だがもういいだろう……今回は我々も負けを認めよう。
だから道を開けてくれないか?》
そう言った魔物に対し、ワンピースの女性は表情を全く変えずに口を開いた。
「あなた達の畏怖していたアローラはもう居ないわ」
対して、何を言い出すのかと言った表情で、魔物達がワンピースの女性を見ている。すると、ワンピースの女性は「だけどね」と付け加え言葉を続けた。
「今の人間達には、さらに強大な魔力を持つスフェーンや、バーサーカーのヘリオも居るのよ、よーく覚えてみんなに伝えてちょうだい」
物静かに話すワンピースの女性の言葉に、魔物達の顔には恐怖の色が現れていた。何も言わずコクリと頷くと、魔物達はワンピースの女性を避けて先に進もうと歩き出した。
「でも、それを伝えてもらうにしても、あなた達は数が多過ぎるのよね」
魔物達の背後からその言葉が聞こえ、魔物達は立ち止まる。そして、震える体でぎこちなく振り返ると、視界に天を指差す女性の姿が目に入った。
翌朝、シンナバー達はエクトの街を出発する準備をしていた。
彼らの次の行き先は、エクトからそれ程遠くないステクトールと言う小さな村なのだが、マトラ王国の街や村の名前は決まって三文字なのに対し、その村の名前は法則に従っていなかった。その理由は明らかではないが、ガーネットが立ち寄る事を強く推奨した為、魔戦士組合がないにも関わらず行き先となったのだった。
『ステクトールかぁ』
シンナバーは独り言の様に呟いた。
「そんなに遠くない所にあるみたいだね、今日中にはたどり着けそうだよ」
シンナバーの横で、イシェルはその呟きに反応して答えた。
『そかー、あれ? スフェーンは?』
シンナバーは、スフェーンが居なくなっている事に気が付いて辺りを見渡した。
「そう言えば居ないね、さっきまでは居たんだけど」
「スフェーンなら、すぐに戻るってちょっと前に出てったぞ」
向いの部屋で横になっているヘタレ格闘家が答えた。魔戦士組合員の宿舎には今はシンナバー達しか残って居ない。親衛隊の四人も、今日の朝早くに出発してしまった。アローラの研究資料を王国に届ける任務の為に。
その頃、スフェーンは街の南側へやって来ていた。岩の上に座ったまま息絶えていた、あの魔導兵の魂に花を供える為に。
遺体は既に軍によって回収されていたが、その岩にはべったりと血の跡が付いたままだった。
スフェーンは、その岩の上に摘んで来た花を供えた。そして横目で岩の下の地面を見つめると、あの魔導兵が倒れこんだ姿が鮮明に蘇って来た。地面に力なく倒れ、もう何も発する事のなくなったあの唇は、確かにスフェーンに口付けをしたあの唇だったのだと心の中で思った。
「スフェーンさん、来てくれたのですね」
スフェーンの後ろで声がして振り返ると、亡くなった魔導兵と三人で南を守った、もう一人の魔導兵が立っていた。
魔導兵は岩の上に付いた血痕を指で撫でると、その岩に頭を付けてしばらくそのままの体勢を続けていた。おそらく泣いているのかもしれないが、スフェーンは少し離れて見守っていた。
そよそよとさわやかな小さな風が吹いて草木が揺れ、辺りに静かな草木のざわめきが起こる。スフェーンは無意識に風が吹く方向に顔を向けると、その方向がラーアマーの街の方向だと言う事に気が付いた。
「あの子は、わたしの親友だったのです」
いつの間に側に来ていた魔導兵は、スフェーンに死んだ魔導兵との事を語り出した。魔導兵にスフェーンは無言のままそっと頷く。
「小さい頃からずっと一緒で、一緒の学校に通って、一緒に軍に入ってここに配属されて、今年で五年目でした」
伏し目がちにうっすらと笑みを浮かべている魔導兵だったが、スフェーンはその目に込められた悲しさを感じとっていた。
「わたし達、約束をしていたんです。
五年目が終わったら、軍を辞めて村に戻って、一緒に小さなお店をやろうって。
魔導士だし、どうせ男にはモテないから、二人でずっと一緒に暮らそうねって……ハハ」
スフェーンはその話を聞いて、ふとシンナバーの事を思い出した。幼馴染の境遇は、この魔導兵と似て居ない事もない。もし、旅の途中でどちらかが息耐えたとしたら、その時残された方はどうするんだろうと考えた。
「わたしはあの子の為にも、約束を守ろうと思うんです。
五年目が終わったら、わたしは軍を辞めて村に戻ってお店をやります」
にっこり笑う魔導兵の目から涙が零れ落ちた時、スフェーンも無意識のうちに涙を流していた。
その涙の理由はスフェーン本人も分からなかった。この魔導兵に同情したのか、亡くなった魔導兵の事を想ったのか。ただ一つだけ心に強く思った事は、少なくとも目的を達成するまでは、絶対に死んではいけないと言う事だった。
スフェーンのこの旅の目的は、魔法学校の失踪した同級生を探す事である。もしかしたら既に生きて居ないのかもしれないし、探し出せたとしても、その後はどうなるか分からない。
そしてこの旅の間に、今の自分がマトラ王国にとって重要な役割を期待されている事にどう向き合って行くのかや、アローラの事も考えて行こうとも思った。具体的にどうするかは分からないが、決意の様なものがぼんやりと見える気がした。
自由で居られる時間はそれ程長くは続かない。スフェーンは、子供で居られた三年前までの事を懐かしく思い出していた。