【43】自分本位
アローラは生まれつきの特異体質で、通常の水の二倍の比重を持つ重い水を体内に溜め込む性質を持っていた。奇しくもその特性を生かした切り札、人体核融合こそがアローラの特殊能力なのだった。
核融合の強力なエネルギーを魔力に変換すると言う荒業であるが、体力を消耗した状態からの発動は更なる体力の消耗を招いてしまった。その為に、美しい髪も視覚をも失う事になったのだ。
では、なぜアローラはそうなるまで切り札を使わなかったのか。それは、一度人体核融合を発動させてしまうと、アローラ自身にも止める事が出来ないからに他ならなかった。つまり、それを発動する事はそのまま死を意味する。生への執着。アローラもまた、最後の時まで諦めきれなかったのだ。
アローラの起こした大爆発の炎を目の当たりにした全ての人間、そして魔物は心の底から恐怖し、そして後悔した。
その後、残された魔物達は生温い雨が降りしきる中、人間達の前から去って行ったと言う。
太陽が空高く上った頃、エクトの街の治療所では負傷者の治療が行われていた。治療所は街の中心に位置し、広い室内にたくさんの質素なベッドが並べられている。そこで少数の負傷者がベッドに横になって治療を受けていた。
今回の戦闘は、数の上から言えば奇跡的に犠牲者が少なかった。死者三十四名。この数は今まで日常的に行われていた小規模な戦闘と比べてもずっと少ない。ただし、そのほとんどが魔導士である為、戦力的には大きな被害だったとも言える。
神託では、主な攻撃目標であった南北を除き、魔力を持たない者を最終防衛の人員とする作戦であり、実際にその通りにはなっていた。しかし、結果はシンナバー自らが北に参加した事、スフェーンがラーアマーに単独で侵攻した事、アローラが出した後退指示により、若干異なる結果をもたらしている。
もし、神託の通りの配置であったなら、魔導士が全滅した後にエクトの街での戦闘に移行する事になっていた。その場合、ヒーラーのバックアップを受けつつの物理攻撃メインの比較的長めの戦闘となったろう。負傷者数は大くなるものの、最小の犠牲で最大の効果が得られるはずだった。大きく結果を変えたのは、アローラが出した後退の判断だった。そのおかげで、本来全滅するはずだった魔導兵数人が、生き残る事となったのだ。
あくまでも『最終的には北は全滅します、南の助けが必要です』と神託された事によって、導かれるはずの未来の一つなのである。
***
ヒーラー達が作り出した部屋いっぱいに広がるヒーリングフィールドには、シンナバーとスフェーン、そしてイシェルやヘタレ格闘家、親衛隊員達も居た。しかし、皆互いに一言も会話を交わす事もなく淡々と時間を過ごしていた。
シンナバーは、唯一の再生魔法担当として重傷者の治療を行い、その近くにスフェーンが天井を眺めて寝転んでいた。
軽症だったイシェルはヒーリングフィールドにより回復すると、ぴょこんとベッドの上に飛び起きた。その視線の先には治療を行っているシンナバーが居る。
「後にしてやれよ」
イシェルの横のベッドで、背を向けて寝ているヘタレ格闘家が言った。
「わかってるよ。ただボクは、シンナバーが一生懸命な姿を見ていたいんだ」
真剣な顔で再生魔法の眩い光を放っているシンナバーを、イシェルはその丸い目で見つめた。イシェルは珍しくバンダナを外していた。その為、普段は隠されて見える事のない艶のいい黒髪が、回復魔法の緑色の光を浴びて美しく輝いて見える。
「ねぇ、ヘタレさん」
シンナバーからは目を離さず、イシェルはヘタレ格闘家に話しかけた。
「どうした?」
背中を向けていたヘタレ格闘家は、顔をイシェルの方に向ける。
「ボク達って何で魔物と戦ってるのかな?」
ヘタレ格闘家は一度視線を天井に向け、少ししてイシェルの方に戻す。
「知らん」
イシェルがその理由に疑問を抱くのはごく当たり前だった。人間はなぜ魔物と戦うのか、こんな辺境の何もない土地を、常に犠牲を払いつつ五百年もの間、死守する必要がどこにあったのか。それは、この街で戦う兵達も必ず考える疑問だった。
元々は魔物達の領土だったこの地域を、五百年前に人間は武力によって制圧した。だが、この地域にはエクト以外に街が存在しない。一時避難所はあくまで避難所として利用されているだけで、最も近いコウソの街との間に他に街は存在していなかった。
通常ならば、せっかく勝ち取った領土を有効活用しようとするものである。それをせず、ただ死守するだけと言うのは不自然と言える。
「それに魔物って、思ってたのと全然違うんだね」
イシェルが少し時間を空けた後に呟いた。
「確かにな」
ヘタレ格闘家は即答した。それは彼もまた同様に感じていた事だった。
「ボクはもっと……言葉とか通じない相手だと思ってた」
イシェルはあの背の高い魔物と、小さな魔物の事を思い出していた。そして、小さな魔物が事切れる寸前に言ったあの言葉を生涯忘れる事はないだろうと思った。
「余り深く考えるな」
ヘタレ格闘家はそう言うと、またイシェルに背を向けた。
シンナバーは再生魔法の治療を終え、スフェーンの寝転ぶ椅子の近くに腰掛けた。見計らった様にイシェルはベッドから降りると、シンナバーの方に向かおうとして立ち止まる。
イシェルはシンナバーの悲しそうな表情に、かける言葉が思いつかなかった。そのシンナバーの横で、スフェーンも、ずっと天井を見つめたままだった。
少し離れた長椅子には親衛隊員達が座って居たが、彼らの誰もが一言も会話する事もなく、それぞれの目線はどこを見ているのかすら分からなかった。
その様子にイシェルはくるりと反転すると、ヘタレ格闘家の目の前に立った。
「ヘタレさん、ちょっといい?」
イシェルがヘタレ格闘家に、親指で外に出る様に合図して言った。
「ん……? あぁ」
ヘタレ格闘家は、イシェルに言われるままに体を起こし、ベッドから立ち上がった。
イシェルとヘタレ格闘家は、横目でシンナバー達を見ながら治療所から出て行った。
イシェルとヘタレ格闘家の二人は、昨日シンナバーと三人で特訓した広場にやって来た。その広場には四体のルクトイが置かれている。ルクトイは微動だせずに丸くなっている。その脇を通り過ぎつつ、イシェルはヘタレ格闘家に話し始めた。
「昨日、ここで特訓する前の事なんだけど」
イシェルはヘタレ格闘家の顔を見つめる、身長差のせいで見上げる事となる、イシェルの首は少し苦しそうだ。
「ん……」
ヘタレ格闘家はピクリと反応し、イシェルの顔を二度見した。そして、昨日の事を思い出していた。
「ボクが起きる前、ヘタレさんはシンナバーと何してたの?」
「あ……あぁッ? 何って何がだよ?」
ヘタレ格闘家が明らかに同様した様子で質問返しする。
「ボク、本当はあの時寝てなかったんだけど?」
イシェルは不満げな表情で、ヘタレ格闘家を見つめ続ける。
「……そ、うだったのか。なら聞くまでもないだろ」
するとイシェルが立ち止まり、それに合わせてヘタレ格闘家も立ち止まった。イシェルは丸い瞳を光らせてヘタレ格闘家の目を見つめていた。風がふわっと吹き、イシェルの髪がその風になびいている。
「ヘタレさん、シンナバーの事好きなの? シンナバーって女の子なんだけど」
「だからッ! つーか、それって全然普通じゃねーか」
ヘタレ格闘家は参ったなと言う顔で頭を掻いた。
「だからって何であんな事したの? シンナバーはボクのものなんだよ?」
イシェルはシンナバーを自分のものだと主張した。ヘタレ格闘家は、理解はしていたものの、やはり自分の常識から外れるその主張に、頭の中が混乱してしまっていた。
「う……」
イシェルの丸い目にじっと見つめられ、ヘタレ格闘家はどんどん追い込まれて行く気がした。
「それに、無理やり、だ……抱いてたよね」
イシェルは視線をはずし、少し言いにくそうに言った。だが、無理やりと言う言葉にヘタレ格闘家は少し不満を感じた。
「いや、アイツはそうでもなかったと思うぞ。……髪をなでてやったら、オレにしがみ付いて来たんだからな」
確かにあの時、シンナバーはヘタレ格闘家にしがみ付く様にしていた。その事にヘタレ格闘家は満足感を得ていたのだ。
「ったッ!」
ヘタレ格闘家の足元で、ボコッと言う鈍い音がした。イシェルがヘタレ格闘家の足を、思い切り蹴飛ばしたのだ。だが、イシェルの足の方が痛かったらしく、足を押さえてその場にうずくまっている。
「何でボクの邪魔するかな」
「……」
ヘタレ格闘家は何も言い返さず、しゃがみ込んで足を抱えているイシェルを見つめた。
「もうボクのものなのに、凄く頑張ったのに」
イシェルはシンナバーと出会ってから、自分のものにしようと考えられるありとあらゆる方法を尽くして来た。シンナバーがスフェーンに向けている目を、いかに自分へ向けるかを必死に考えて実行して来たのだ。
努力の甲斐もあり、シンナバーにも周囲にも認知され始めたと安心していた所で、ヘタレ格闘家と言う思わぬ伏兵が現れた訳である。それはイシェルにとって寝耳に水の如くの出来事だった。
「お前達……、本当にそれでいいのか?」
「え……?」
思わぬ問いかけに、イシェルは少し驚いた顔で、ヘタレ格闘家を見上げた。
ヘタレ格闘家は、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「同性では子孫は得られない。
今はいいかもしれないが、何十年か経って……。
仮にどちらかが先立った時、残された方はまた一人になるのだぞ」
その言葉にイシェルはヘタレ格闘家の顔をにらむ。
「何でキミに……」
イシェルは続きの言葉を続けようとしてやめた。
「もしアイツが一人になる方だったとしたら、お前はそれで平気なのか?」
「平気な訳ないよ……、だからボクはそんな事はとっくに考えてあるんだ。
ボクが考えてる事はシンナバーの事だけなんだよ?」
イシェルが得意そうな顔をして立ち上がった。
「何だって?」
イシェルはニッと口元を上げる。
「例えばね、ボクがヘタレさんに種をもらって子供を産んで、シンナバーとボクの子として育てるんだ」
そのイシェルの言葉に、ヘタレ格闘家は一分近くも固まってしまった。そして、例えばと言ったそれが絶対に例ばえではないとも感じた。
「はぁーッ? なんだそりゃ……ありえんだろ」
イシェルの自分本位な計画に巻き込まれ、ヘタレ格闘家は呆れた声を上げる。
「ボクは、それが一番いい方法だと思ってる」
イシェルは立ち上がり、足元の芝生を蹴るような仕草をした。
「いい訳ないだろ、百万歩譲ったとしても何でお前とオレなんだ……。
いや、問題はそこじゃなくてだな、その為に犠牲となる者が二人も出るんだぞ?」
「もう一人ってボクの事? お互い納得した上なら問題ないんじゃないかな?
シンナバーは男に興味ないんだから、関われるだけでも喜ぶべきだよ」
「その例えで言うと一人目はオレだが、もう一人はお前じゃなくて生まれて来る子だ。
子供は親を選べない、自分たちの勝手な都合で、子供は生まれた時から一生問題を背負わされる事になるんだぞ」
イシェルは頭をフル回転させて考えていた。どうすれば全て自分の思い通りに行くかと言う事を。
「ねぇ。ヘタレさん、ボクって結構魅力的だと思わない?」
「な……」
イシェルがヘタレ格闘家にギュッとしがみ付いた事に、ヘタレ格闘家が小さく声を上げた。
「ボクならいつでもして……いいんだよ?」
ヘタレ格闘家の手がわなわなと震え始めた。
「お前……」
「だって、シンナバーは胸とかぺったんこでしょ? ボクに変えちゃおうよ。
それにね、本当の事言うと、ヘタレさんの事をボクも好きになって来ていたんだ」
ヘタレ格闘家は震える手をギュッと握り締めた後、力強くイシェルの両肩を掴むと抱きつくイシェルを剥がした。
「いつでもと言ったな!」
「え?」
ヘタレ格闘家は一瞬でその場にイシェルを押し倒し、イシェルが纏っている黒い布を剥ぎ取ると放り投げた。唐突の出来事に、イシェルは小さく悲鳴を上げて反射的に抵抗する。だが、ヘタレ格闘家は暴れるイシェルの両手を難なく掴み、残った衣類を乱暴に剥がした。この時、イシェルの白い肌は太陽の光の下で全てが露になっていた。
「なら、ここでも平気って事だよな」
少し伸びた芝生が、イシェルの肌をチクチクと刺している。息を乱したまま、イシェルはヘタレ格闘家の顔を真っ直ぐ見つめた。
「もちろん……平気だよ」
そう言うと、イシェルは体を強張らせたまま、ぎこちなく目を閉じた。閉じた目に涙が溢れて玉になっている。するとバサッと言う音がして、イシェルの体に黒い布がかけられた。
「余り自分を粗末にするな」
一言言い残して、ヘタレ格闘家はその場から去って行った。
残されたイシェルは芝生を握り締め、それを引きちぎると辺りに投げた。涙を拭った後、散らばっていた下着や靴を拾い、黒い布を素早く羽織ると、ヘタレ格闘家の後をはだしのまま走って追いかけて来た。
「ちょっと待ってッ!」
ヘタレ格闘家に追いついたイシェルは、真後ろから呼び止めた。しかし、ヘタレ格闘家は止まる事なく無言で歩き続けている。イシェルはヘタレ格闘家の前に回り込むと、両手を思い切り突っ張って止めた。
「さっきの事、シンナバーには言わないでッ!」
真剣な顔で言うイシェルが羽織った黒い布ははだけて、イシェルの足元には靴や下着が散らばっていた。それを見てヘタレ格闘家がやれやれと言う表情をする。
「さっきの事など何も覚えてないな。
それより戻るのならちゃんとしとけ。その……落ちてるぞ」
地面を指差して言われ、落ちているものの存在に気が付いたイシェルは慌ててそれらを拾い集めていた。ヘタレ格闘家は、先に戻ってるぞと言うと治療所の方へと歩いて行った。