【41】囚われたスフェーン
スフェーンは4体の奇妙な魔物に、人間のサンプルとして捕らえられてしまった。
土の塊に貼り付けられたまま運ばれるスフェーンを4方向から囲み、4体の魔物は会話しながら歩いている。
「ちょっとぉッ! サンプルってどーいう事なのぉ!?」
スフェーンは魔物達に話しかけた。だが、その問いに魔物達は答える事はなかった。魔物はスフェーンの言葉が全く聞こえないかの様に、マイペースな会話を続けていた。それに腹を立てたスフェーンは、ギャーギャー騒いで会話を妨害した。
《人間と言う生き物は煩いのだな》
《うむ、だがそれは人間に限った事ではない、女と言う生き物は共通して煩いものなのだ》
《そうだとしても、それはここだけの話にしておいた方が得策だ》
《失言の謝罪を要求される事は、火を見るより明らかだ》
「プッ! 魔物が謝罪ってッ! アハハハハハッ!」
魔物のイメージとかけ離れた会話が、余りに面白かったのか、スフェーンは大笑いを始めた。すると、魔物達はムスッとした表情で黙ってしまった。
しばらく歩いた所に荷馬車が置かれており、そこで魔物達は停止した。そして、スフェーンを土の塊ごとその荷台へと乗せると、魔物達も荷馬車に乗り込み走らせた。
「(アローラ先生大丈夫かなぁ……? シンナバーはちゃんとやってるのかしら?)」
スフェーンはそう心の中で呟いた後、ゴトゴトといい具合で揺れる荷台のせいか、それとも何か魔法をかけられたのか、数分後には眠りに落ちていた。
その後、10分程でスフェーンを乗せた荷馬車は、魔物の要塞へと到着した。スフェーンは、周囲の騒々しさに目を覚ます。ゆっくり開いた目に最初に見えたのは、煌々と輝く街灯だった。その周囲には高い建造物の影も見る事ができた。それらの全ては、エクトの街よりもずっと作りが良かった。スフェーンは意外に感じていたが、それらを見るだけでも魔物の文明レベルが、人間よりも上なのは確実だった。
スフェーンが視線を下げると、大勢の魔物達が、荷馬車を両脇から覗き込むようにしているのが見えた。
《これが人間か!? 我々とそっくりじゃないか!》
《おい、人間の魔導士を捕えたらしいぞ!》
《くっそー! こっからじゃよく見えやしねぇ》
《人間を中に入れたりして……危険じゃないのか?》
様々な声が混ざり合って居たが、それらの反応は人間と似たようなものだった。
スフェーンは、魔物と言うものが、もっと凶悪で好戦的な存在だと思っていただけに、肩透かしを食らった様な気がした。
だが、スフェーンの目には、異形の魔物の姿も映っていた。人間の形をした魔物以外に、割合的には少ないながらも、あからさまに化け物にしか見えない固体がそこらに居た。
具体的には、大きな口に鋭い牙を生やし、近くに寄った者は無差別に噛み付こうとする部類の生物の特徴そのものだった。ワッカ運河に流されて来た兵についていた噛み痕は、彼らによるものである可能性が高そうに思えた。
人間を食らう魔物なら、人間そっくりの魔物でも食らうのではないか。それとも魔物は不味いのか毒があるのか。そんな憶測がスフェーンの思考に浮かんでいた。
ともかくそれは、アローラから魔物の種類は様々と聞いているものの、生物学的には同種と思えない程には異なっていた。
おかしいのは、見た目こそ化物の様なのに、その喋り方は人間タイプの魔物と全く変わらない事だ。一見すると「キシャァァァ!」としか喋りそうもないのだが、ごく普通の人間と変わらない声を発し、ごく普通の人間と変わらない言葉使いで話している。スフェーンはその見た目とのギャップには、少し残念さも感じた。
その後、スフェーンは荷馬車から移動式のベッドの上に移され、近くの大きな建物の中へ運ばれた。移し変えられる時、背中にあった土の塊ともやっと切り離された。
だが、今度はベッドの上に貼り付けらる事になった。スフェーンは、ずっと4体の魔物が近くから離れない事に、この強力な引力は至近距離でなければ維持できないのだろうと考えた。
スフェーンの背中をがっちりと貼り付けている強い引力は、接している表面にだけに作用していて、少し浮いた箇所には作用していない。例えるなら背中を糊などで貼り付けられた様な感覚だ。その為、身動きはできないが、さして苦しさを感じる事もなかった。
移動式のベッドは、長い廊下をスムーズに進んで行き、やがて突き当たりのドアの前に到着した。そのドアを、魔物の1体がコンコンと2回ノックしてから扉を開けていた。
《ご苦労だったな。それが人間の魔導士かね?》
部屋の中から低く渋い声が聞こえた。
《はい、これが捕獲した人間の魔導士です》
《女なので、少し騒がしい様です》
《アローラの疑いもあります》
《あくまで可能性ですが、否定出来ません》
4体の魔物は、その低い声の魔物に対して敬語で話している。その間に、スフェーンは部屋の中央へと運ばれた。
《少し体を起こしてやってくれ、人間の魔導士と話をしてみたい》
4体の魔物が上官らしい人物に従っている様子に、スフェーンは少しホッとした。それは、4体の魔物の余りにマイペースな会話から、全ての魔物がこうなのかと心配したからだ。
魔物がベッドの脇のハンドルをくるくると回転させると、徐々にスフェーンの上半身だけが起き上がって来た。
視界に入り始めた魔物の上官は、見た目的には50代半ば位に見える、がっちりした男性の魔物だった。ついでに見える範囲で部屋の中も見渡すと、品の良い装飾の施された贅沢な壁が見えた。その作りはやはり人間のものより材質が良い。
《ふむ……、人間の魔導士よ、まずは我々の街ラーアマーへようこそ。
私がこの街の指揮を執っている、ザサス司令だ》
「はじめましてぇ、ソーサラーのスフェーン・アウインですわぁ」
スフェーンが自己紹介で名前を名乗った時、4体の魔物に動きがあった。
《あ……》
《名前が違う様だな》
《スフェーンと言っている、やはりアローラではないのだな》
《確定的なものになってしまった》
4体の魔物はガッカリした表情をした。最初に眉間に指を当てて苦悩していたあの魔物など、今にも泣き出しそうな顔をしている。
《スフェーンとやら、今キミがおかれている状況を、理解した上で答えて欲しい。
我々と取引きをしようとは思わないかね? もし、受け入れるならば身柄の安全は保障してやってもいい……》
「んー、つまりあんた達に協力しないなら、あたしは殺されるって事かしらぁ?」
《そういう事だ。だが、今行われている戦争への協力と言う訳ではない。既に我々が勝利する事は間違いないのだからな。
それより、我々が欲しいのは人間側の新しい情報だ》
アローラを知っていて、スフェーンを知らないと言う事は、魔物達が把握しているマトラ王国の情報は、少なくとも10年は古い様だ。その裏付けは、スフェーンが最強の魔導士の看板を引き継いで、既に10年程が経過している事にある。
「とりあえず、具体的にどういう情報が欲しいのか、それを聞いてから考えるって言うのはダメなのかしらぁ? だって、たまに人間の兵隊を捕まえて、それなりの事は知ってたんでしょぉ? だからこの戦いの勝利を確信したんだろうしぃ」
スフェーンの言葉に、ザサス司令が一瞬ニヤリとした。
《察しがいいな。その通り、エクトの残存兵力が少数と言う事は分かっていた。
そして我々が欲しい情報とは……》
「情報とは?」
《人間の、今の魔導士の情報と、特殊能力についての情報だ》
魔法が存在する国の特徴とも言えるが、兵器開発は余り発展しない。その為、国力は保有する魔導士の数にほぼ比例する。
よって、それを知りたがるのは当然だが、ザサスは人間が持つ特殊能力に目を付けていた。
人間には魔力の有無と無関係に、様々な特殊な能力を持つ者が居る。例えばイシェルは魔力こそ持たないが、相手の思考をある程度読み取る能力を持っている。シンナバーは神託と言う特殊能力を持つが、特殊と言う事ならば見つめ合った相手に魔法をかけられる事もそれに該当するのだろう。ただし、魔力と同様に、全ての人間に特殊能力が備わっている訳ではない。
「特殊能力ねぇ、確かに持ってる人も居るわねぇ」
《我々にとって、その特殊能力は好ましくないのだ》
「へぇ、実はよく知ってるんじゃなーい?」
スフェーンはザサス司令にニヤリとすると、ザサスはその強い目力に一瞬ハッとした様だった。
《人間は、この数百年の間に、2つもの能力を手に入れているのだ》
「もしかして、人間って昔はそういう能力ってなかったのかしら?」
《そうだ、人間はかつて魔力も、特殊能力も持って居なかったはずなのだよ」
「でも、あんた達の魔力や高い身体能力も、固定の特殊能力だって考え方もできるんじゃないのぉ?」
「ふむ、確かにそうとも考えられるが、特殊とまで言える程の能力がある訳ではない。
ところで、人間は我々の事を魔物と呼ぶが、その理由を知っているかね?》
ザサス司令は、スフェーンの右横を通り、斜め後ろに立った。スフェーンは、視界から外れたザサス司令の声のする方向に、目を向けている。
「もちろん知らないわぁ」
《そうか、魔力を持たない時代の人間に対して、我々は魔力を持っていたからだ。
魔力を持つ者……魔の者、それがいつしか魔物と言う、まがまがしい存在と同一視される様になったのだよ》
「そうだったの。案外と単純な理由だったのねぇ」
スフェーンはふふっと笑った。魔の者と魔物では、明らかに定義の異なる存在だった。目の前の魔物は、他のどの生物よりも人間に近いだろう。
ザサスはスフェーンの背後を通り、左側面へと回って来た。再び目視できる位置に来た事で、スフェーンの視線がザサスの顔へと向けられた。
《そして、今や人間の魔力は、我々と対等と言えるまでに成長した。数としては非常に少数だが、中にはアローラの様に飛びぬけた者も存在している》
「アハッ! そのアローラって人、あんた達と比べても凄いのかしらぁ?」
《余り口外したくはないが、この10年間では極めて脅威の存在とされている。
魔力も去る事ながら、その本領は適切な判断による指揮能力、そして非常に高度な魔法技術にある。
一体どうやって習得出来たのか……》
確かに……とスフェーンは思った。今やスフェーンは魔力においてはアローラを圧倒的に上回り、魔法技術も同等の域まで習得出来ているはずである。しかし、アローラには一日の長と言うべき豊富な実戦経験や、人間をまとめて的確に動かす力がある。その差を埋めて近付こうとするスフェーンは、膨大な魔力に頼る傾向だった。だが、それでもまだ実力の差を補えていない事は、シンナバーの神託によっても明らかにされていた。
スフェーンは最強のソーサラーとは言われているが、魔力の潜在能力からそうなる資質があると言うだけで、実践での実力は伴っていないのだ。
「なるほどねぇ、先生ってやっぱ凄いわぁ」
スフェーンは口をニッとした。
《だが、1つ気になる事がある、アローラはなぜ北に居るのだね? 先に南から攻めたと言うのに》
ザサスはスフェーンの目の前でくるりと体を回転させた。
「さぁ? 何でかしらぁ?」
スフェーンが明らさまにしらばくれて言うと、ずっと黙っていた4体の魔物が一斉に喋り出した。
《人間よ、答えるのだ》
《お前に守秘する権利はない》
《答えられないのであれば、取引き契約不履行と見なすぞ》
《それは知っていると言っているに等しい》
しかし、スフェーンは4体の魔物の言葉に、全く動じる様子もなかった。囚われて、敵陣の要塞へと連行されて、絶体絶命と言える状態であるのにだ。
「アハッ! まだどうするか考えてる途中なのよぉ」
ザサスが少し驚いた様な表情をした。その顔は、とっくに協力する流れになっていたではないかと言うかの顔だ。
《人間の魔導士スフェーン。慎重なのもよいが、そろそろ結論を出してもらわなければならない》
ザサスが険しい表情で、スフェーンを真っ直ぐ見つめた。
「そうねぇ、そろそろはっきりさせようかしらねぇ」
ギンと言う音がしそうな程、スフェーンの強い目力に見つめられて圧倒したかの様に、ザサスと4体の魔物達が小さく唸った。そして一呼吸を置き、スフェーンが口を開いた。
「残念だけど、あたしは例え殺されたとしても国を売ったりなんかできないわぁ」
その言葉に、魔物達は短く驚きの声を上げた。
《そうか、残念だがあっぱれだ……。
この人間の事はお前達に任す……下がっていい》
お前達と言われた4体の魔物達は、疲れた様な声で返事をすると、ベッドをガラガラと後退させて部屋を出ようとした。扉が閉まりかかった時、ザサスがボソッと独り言の様に言った。
《エクトの北には我々の切り札を向かわせている、アローラと言えど持ちこたえられまい》
その言葉にスフェーンは眉をピクリとさせ、閉じられたドアを睨みつけた。その表情を見て魔物達が話し始める。
《やはり人間と言えど、死ぬのは恐ろしいのだろうか》
《負ける事が確定していて、尚も守秘する必要性があるものなのか》
《だが、国家の為に犠牲になろうと言う忠誠心は評価に値する》
《それを愛する国家が知る由もない事は明らかであるが》
スフェーンは魔物の取引きを断った。即ちそれは殺される事を意味する。おそらくこのベッドは牢獄か、処刑場へと連れて行かれるのだろう。スフェーンは黙ったまま、真っ直ぐドアの方向を見つめていた。
ベッドが建物の外に出ると、また左右を魔物達が囲った。
《人間が出てきたぞ》
《やっぱ処刑されるのか?》
《まだ若い子なのに……》
どうやら魔物達は、この後どうなるかを知っている様子だ。会話によるとこの後、牢へは収容せずに即処刑が行われるらしい。もっとも魔導士を牢へ収容したとしても、そこで魔法など使われたらたまらない。無力化出来ないのであれば、即処刑をするしかないのは当然と言えば当然なのだが。
「止めて、ここまででいいわぁ」
スフェーンが4体の魔物に声をかけた。魔物達は首をかしげつつも、そのままベッドを移動させている。
《ここまででいいと言うのは理解できないな》
《ここで殺せと言う事ではないか?》
《ダメだ、処刑するにはそれなりの場が必要なのだ》
《その要望を聞き入れる事はできない》
4体の魔物が喋り終わった時、いきなり周囲に集まっていた魔物が悲鳴を上げて逃げ出した。逃げた魔物達の声が遠くなると、すぐ近くで金属が鳴り響く様な音が聞こえて来た。音がする方向は4つ、それはまさに4体の魔物の頭上から聞こえる。
4体の魔物の頭上には、小指の先程の大きさの小さな光の玉が出来ていた。
《うむ、これは》
《魔法……一体誰が》
《高い魔力が込められている》
《シールド展開の必要性は100%と思われる》
魔物達は頭上に重力シールドを展開した、空中に漆黒の穴が現れる。小指の先ほどだった小さな光は、異なる次元と共鳴を始め、その光を強めていく。
「アハッ、その魔法って重力シールドなんかじゃ防げないのよねぇ」
スフェーンはすくっとベッドから起き上がると、4体の魔物達を見下ろした。
《なんと言う事だ……人間が拘束から逃れているぞ》
《だが、拘束魔法は解いてないはずだ》
《確認したが、完璧に今も魔法は展開されたままだ》
《これは前例のない事なのは確定的……》
膨張する光は、魔物達の展開する重力シールドを突き破り始めた。光と重力シールドとの干渉で、大きな虫の羽音の様な音が発せられている。膨張し続ける光が、魔物達の頭上へと迫ると、遂には悲鳴を上げ始めた。
「そう言えば、あんた達ってあたしをすぐに殺そうとしなかったわねぇ」
スフェーンはそう言うと、きゅっと腕を握り締めた。すると光の玉も徐々にしぼんで、やがて消滅してしまった。顔を汗だくにした魔物達が、息を乱してその場にへたり込んだ。その顔は顔面蒼白で、言葉も出ない様だ。
その魔物達に強い風が吹きつけると、とっさに腕を翳して防御する様な体制を取った。
魔物が翳す腕の隙間から、スフェーンが空に浮かんでいるのが見える。そのスフェーンは地面を指差している。その瞬間、4体の魔物達は再び悲鳴を上げるとバラバラに走って逃げてしまった。
スフェーンは、魔物達が逃げるのを見届けた後、魔法を発動させた。
「エクストランス・クエイク!」
スフェーンが地面を指差しながら叫ぶと、軽い目眩が起こった様に、辺りの建物の影が歪む。そして、街全体が唸りはじめると、建物が次々と砂を吐き出し始め、壁や天井が剥がれ落ちて行った。
輝かしかった街灯も全てが消えて、街を暗闇が包み込んでいた。その暗闇の中、街全体から魔物達の悲鳴が上がった。
「砂の粒子の結束を少しだけ外しただけだから、死にはしないわぁ……多分」
このスフェーンのその言葉は、ただの1体の魔物にすら届く事はなかった。