【37】神託
シンナバー達が到着する二日前の夜、エクトの街は今までに無い数の魔物が一斉に押し寄せ、軍は五千近くの兵力を失っていた。
残存する兵力は、生物兵器ルクトイが五体と、軍の魔導士が二十二名、その他の兵士が約二百名と、魔戦士組合員の十名のみとなっていた。
「組合員達の事は、アローラさんにお任せします」
アキレサンド将軍は、食堂内を満たす兵士達の異様な空気に圧倒されていた。
「えぇ、了解したわぁ」
アローラは微笑を浮かべて引き受けた。
「では、次に兵の配置についてだが……」
アキレサンド将軍が兵の配置についての指示を行おうとした時、独り言をつぶやく様な声が聞こえた。
『魔物と呼ばれる敵の総戦力一万と二千、今から二時間後、南と北に分かれて押し寄せて来る事でしょう。
南の戦力は八千、北の戦力は四千、東と西からも少数……』
その声はシンナバーが発したものだった。シンンバーは目を閉じ少し斜め上を向き、その体の周囲を靄の様な光が包んでいた。
「あんたいきなりどうしたの? 一万二千ってまさか敵の数?」
スフェーンは、突然口調が変わったシンナバーに驚いている。
「んー? いちまん? 一体何の事だね?」
アキレサンド将軍は、途中で話を止めて振り返った。
「お静かに、どうやら神託が始まった様ですわぁ。
シンナバー、戦力の配置はどうしたらいいかしら?」
アローラは落ち着いた口調で、シンナバーに問いかける。一呼吸置いてシンナバーは口を開いた。
『南は数が多いですが全て囮です。北に火力を集中させて下さい。
アローラ、ルクトイ全機、魔導士は二名を除いて北側へ配置、南側にスフェーンと魔導士二名。
東にアローラ親衛隊、西にイシェルとヘタレ……。一般兵は、街の中に入った敵を殲滅、魔法治療士も街の中に居てください』
「わかったわぁ。それでなら勝てるのかしら? 被害予測は?」
『……被害予測は……』
シンナバーはそう言った後、十秒程口を閉ざした。彼女の周囲を包む光の靄が、ゆるやかに動いている。二百名の兵達も黙って見守っていた。
『最終的には北は全滅します。南の助けが必要です』
「――ッ! そ……う……わかったわ」
アローラは、一瞬時が止まった様な感覚に苛まれ、指先と膝が震え出すのを自覚した。
「待ったッ! あたしが北じゃダメなのッ!? 魔力だってあたしの方が上なんだからッ!」
スフェーンは大きな声を発し、シンナバーに抗議する様な口調で言った。
『経験の浅いスフェーンでは、北の護りは不可能です。
また、アローラが南だと魔力を使い果たしてしまいます。その後、南北双方から壁を破られてしまい、その勢力を抑える力は中央にはありません』
シンナバーの言葉に、スフェーンは何も返す事が出来なかった。愕然とした表情で、シンナバーを見つめ続けるだけだった。
「ちょっと聞く。
私一人だけ、東から北に移動すると言うのはダメか? 東は中央の兵力を、数人回すなりでどうにかなるだろう?」
バーライトは、自分の配置先を変えられないか問いかけた。
『バーライトの北への移動は、中央から三名の兵を足す事にで、東の護りは保たれます。しかし、バーライトが北に加わる事によって、北の戦況に何の変化もありません』
「クッ……、なら構わん! 私は北を護る!」
そう言い切ったバーライトに、アローラはほんの少し微笑んで見せた。
「「ならば我々も北を護ります!」」
バーライト以外の親衛隊も北の配置を望んだ、しかしバーライトは首を振る。
「お前達には、あの資料を届ける任務を託したい」
「大事なお仕事よぉ? お願いできるかしらぁ?」
バーライトとアローラの言葉に諌められ、親衛隊達は俯いたまま静かに頷いた。
「ところで、シンナバーはどこに配置になるの? 気になるよ……」
イシェルは、シンナバーの手をギュッと握った。
『シンナバーは、魔法治療士と共に中央……違うよッ! 北だよッ!』
突然シンナバーの口調が戻ると、光の靄もすっと消えた。
「シンナバー、あなた?」
驚いた表情で、シンナバーを見つめるアローラ。
『あたしだって、攻撃魔法位は使えるよッ! スフェーンが来るまで持ちこたえればいいんだし。神託をしたあたしが言ってるんだからそれで間違いないッ!』
そう言って、シンナバーは泣きじゃくりながらアローラにしがみ付いた。
「わ……、わかったわぁ。
よろしくねぇ、シンナバー」
アローラは、シンナバーの頭を優しく撫でた。アローラの青いローブには、シンナバーの涙が落ちた痕が付いていた。
***
エクトの全軍は、シンナバーの神託通りに配置を行う事にした。時間的猶予もない為か、将軍は即座に配置の合図を送り、兵も速やかに移動した。
――街の西側
イシェルとヘタレ格闘家が、ワッカ運河周辺の様子を伺っている。
ワッカ運河は、月の光を転々と反射してゆらめき、ごくたまに小さな水音を立てていた。
「シンナバー、大丈夫かなぁ?」
エクトの北側の星空を見上げつつ、イシェルは呟いた。
「そんなに心配なら北に行ってもいいぜ? ここはオレ一人でやる」
腕を組んだヘタレ格闘家が、イシェルに背を向けたまま言った。
「ん……、やめとくよ。多分ボクが北に行ってもどうにもならないだろうし。
だったらボクにできる事をやらなきゃ」
しばらくの沈黙の後、ヘタレ格闘家が口を開く。
「なぁ」
「どうかした?」
イシェルはヘタレ格闘家の方へと振り返る。
「アイツの神託で、オレってヘタレって呼ばれてなかったか?」
その言葉にイシェルがふっと笑った。
――街の南側
スフェーンと、軍の魔導士二名が、街から少し離れた場所へと移動していた。
威力のある攻撃魔法は、街の近くで使う事が難しいからであるが、今向かっている場所は、小さな丘になっている為、見晴らしもいいからだ。
軍の魔導士の一人が言う。
「この辺りがいいでしょう、敵は必ず中央から来るか分かりませんが」
「そうねぇ」
そう答えるスフェーンは、内心言い表し様がない程の悔しさで満たされていた。そして自分の経験不足を恨み、一刻も早く敵を片付けて、北に行かなければと気を焦らせていた。
「神託での予定時間まで、後三十分程です。頑張りましょう」
もう一人の魔導士が、うっすらと指先を光らせて、懐の時計の時刻を確認した。
辺りは生暖かい風が吹き、足元の草をさらりと揺らしている。
――街の東側
バーライトを除く、アローラ親衛隊三人と、軍の兵三名が待機していた。
「バーライト隊長……」
一人の親衛隊員が呟いた。
「隊長なら大丈夫だ、きっとアローラさんを護ってくれるだろう」
もう一人の親衛隊員が答え、肩をポンと叩いた。
「そうだな、我々が信じてあげないとな」
別の親衛隊員がそれに返し、そのやり取りを軍の兵達が黙って見つめていた。
――街の北側
ルクトイ五体、魔導士二十名と、残存する少ない軍の火力のほとんどがここに集結されていた。
「ルクトイは、左二右三で分かれて外側の敵に撃たせてちょうだい。
魔導士は二人一組で行動してねぇ。一人が魔法を撃ったら、もう一人は次の準備をして、常に隙を作らない様にすれば大丈夫」
アローラは、ルクトイと魔導士達の配置を指示をしていた。火力の強い魔法攻撃は、正しい配置を行なわないと、味方を巻き込んでしまい、場合によっては、魔法そのものを発動させる事ができなくなるからだ。
『それなら、あたしはアローラ先生とペアを組むよッ!』
シンナバーはそう言って、アローラの背中にくっついた。それに対し、フーッとため息を吐くアローラ。
「あなたは中央後方で、みんなに強化魔法や回復魔法をかけるのが役目よ。
それに、あなたが攻撃魔法を使うと言う事は、皆の寿命を短くする事になるわぁ」
『そんな……』
大粒の涙を浮かべ、シンナバーはアローラからゆっくりと離れた。
「わかってくれるわよねぇ? シンナバー」
アローラは、シンナバーの涙をそっと拭った。
「安心しろ。私にだって魔法に負けない必殺技の真空の刃がある。必ずやアローラは守ってみせようぞ」
バーライトは鞘を握り締め、シンナバーににこっと微笑んで見せた。
「さぁさぁ、もう時間がないわぁ。皆さん配置についてねぇ? シンナバーは強化魔法をお願いね」
アローラはパンパンと手を叩き、魔導士達に配置の合図をすると、シンナバーもしぶしぶと言った表情で、魔導士達へ強化魔法をかけて行った。