【35】神の子
あたし達が食堂で食事をしていると、スフェーンとアローラ先生が遅れて現れた。
「いやぁ、遅くなっちゃったー!」
スフェーンは、あたし達に向けて手を小さく振った。
「さぁて、今日のお食事は何かしらねぇ」
アローラ先生はスフェーンの後ろから、少し背伸びをしてテーブルの上の料理を覗き込んだ。
『二人ともどこ行ってたのッ!? もし変な事してたら承知しないよッ!』
「あはッ! そんな事する訳ないでしょー? ちょっとお喋りしながら散歩してただけだよー」
「変な事ってぇ? 具体的にどういう事を言うのか、詳しく教えて欲しいわぁ」
アローラ先生は、ちょっと意地悪そうな顔でにやけると、あたしのほっぺたを左右から人差し指でツンツンした。もちろんそう言ったのは冗談だけどさ、この二人がそういう関係ではないのは分かってる。
「うわッ! それよりシンナバーとイシェルはまたカレー? ほんっとーにあんたってカレー好きだよなぁ」
スフェーンは、あたしとイシェルの四角い金属製のトレイの上に乗ったお皿を見て言った。
『また!? 全然違うよッ! お昼のは粗末な肉なしカレーで、これは粗末な肉なしたまごカレーだよッ! たまご入りなんだよッ!』
「はいはい、そうだったね。たまご入りだから全然違うね。
イシェルも毎回、シンナバーと同じのばっか食べる事ないのに」
スフェーンは、白いタオルターバンを巻いたイシェルの頭をなでなでして言った。イシェルは、年下のスフェーンに子ども扱いにされた事に、ほっぺを膨らませていた。
「大丈夫だよ。ボクもカレーは好きだし、同じのを食べたいからね」
流石に二食続けてカレーはかわいそうだったかな? 次はイシェルの為にも別なのにしてあげようか。
「スフェーンはやくぅーッ! のんびりしてるとなくなっちゃうわぁ」
アローラ先生がスフェーンを呼んだ。ここの食堂はバイキング方式で、好きなものをお皿に盛って行く方式を取っている。だから人気のあるものは最初になくなり、最後の方は余り物ばかりになってしまうのだ。食堂の様子も食べ終わった人が、トレイを返却口へと片付けている姿が多くなって来た。
ふと斜め前に座るヘタレ格闘家を見ると、丁度彼もこっちを見ていた。彼の手元にある、ほとんど食べ終わったお皿には、最初てんこ盛りの肉が乗っていたのだけど、今はそれももういくらもなかった。
『ヘタレって肉好きだよね』
「まぁ体が資本だからな。だが野菜もちゃんと食べてるぞ?」
ヘタレ格闘家は、ボールに入った野菜で肉をくるんでモリモリと食べた。
「おいしそうだよね、シンナバーも次はああいうの食べてみたら?」
イシェルがあたしに肉料理を提案した、もしかしてイシェルってお肉が好きなのかな?
「イシェル、そりゃぁ無理だろ?」
「どうして?」
「シンナバーって聖職者だぜ? 神に仕える人間は肉を食わないからな」
「あ……そうなんだ」
イシェルはヘタレ格闘家の皿の上に乗った肉を見て、ごくりと喉を鳴らした。
『何言ってんの? 肉は全然ご法度じゃないよ? 大体昨日だって船で干し肉サンド食べてたじゃない?』
「あ……」
「そういやそうだった……って、聖職者でも肉って食って良かったのか?」
『んー、どうだろ? 知らない』
厳密にとか言わずもがな、本当はダメに決まってる。お肉の代わりに豆を食べるんだ。だけど、豆はどういう訳か必ず甘く煮られるのでちょっと苦手だった。
「シンナバーはお肉大好きだよー?」
スフェーンはテーブルの上に、トレイを置きながら会話に入って来た。トレイの上は仕方なく選んだ感じの、余り物の揚げ物や惣菜が乗せられていた。
「ホント、祝福された“神の子”なのにねぇ」
アローラ先生って多分、あたし以上に毒舌だと思う。そのアローラ先生のトレイの上もスフェーンと同じ感じだった。
「あのさ、シンナバーが“神の子”ってどういう事なの?」
とうとう“神の子”と言うワードに、イシェルが食いついた。
『その話は面白くないよ、黒歴史なんだから』
余り話題に出して欲しくないあたしは、気が進まない口調を込めて訴えた。
「黒歴史ならなお更聞きたいな。ボクはシンナバーの事は何でも知りたいからね」
「いいじゃなーい? 教えてあげればぁ?」
気が向かない口調で言ってるって事に、一人位気が付くやつは居ないのか。
「あのね、シンナバーって小さい頃、ナボラの大きな教会に住んでて、そこで神様の言葉を告げていたのよ」
「それって神託って言うんだよね、聞いた事はあるよ? 教会は神様の言う通りに方針を決めるって」
「そうそれッ! だからね、昔はこの国にある全ての教会も、もっと言えば国も。みんなシンナバーの言った通りにしてたのよ」
「えー!? そうなんだー! 凄いよね? どんな事言ってたの?」
イシェルは、あたしに視線を合わせて聞いた。
『うーん、うーん……。10年も前の事だし、全然覚えてないや』
“神の子”をしていた頃からもう10年も経つ。その時のあたしが、どんな内容を人々に伝えていたのか、今となっては全く覚えていなかった。覚えているのは薄暗い部屋に閉じ込められ、毎日外を眺めていた事位。楽しい事なんて何一つあった気がしない。
「そっか、10年も前の事じゃ、覚えてなくてもしょうがないよね。無茶言ってごめんね」
『いやいや、そんな気にしなくていいよ。全てを脳内から消去してくれればっ!』
丸い目でじっと見つめるイシェルの黒い瞳には、あたしがくっきりと反射して映っていた。
「でもさ、何で“神の子”だったシンナバーが教会の外に出ちゃったの?」
イシェル……。脳内から消去する気なんて全くないな。
「それはね、話すと一つの物語になっちゃう位の長さがあるんだけど」
スフェーンは面白い物を見つけた時の様な顔をした。
――そうだ、覚えてる
その日、あたしは初めてスフェーンと出会ったんだ。
月明かりが一際明るかったその夜、あたしはこっそりと教会を抜け出て、街のすぐ横のナボラ湖を散歩していたんだ。教会を抜け出るなんて初めてで、一人で外に出れた事にすっごくワクワクしていたっけ。
あたしが湖のほとりで水の音を聴いて休んでいると、どこからともなくアレが現れたんだ。人々の心の闇の集合体。欲望や恨み辛み嫉みなどが集まった思念体が。水の中から現れたその存在に、あたしは余りの恐怖で体が動かなかった。
その物体は、月明かりを浴びながら、ゆらりゆらりとあたしに向かって近付いて来た。辺りには生ゴミの様な悪臭が漂い、思考能力すら奪っていた。
「何してる! 早くこっちへ来い!」
突然後ろから聞こえたその声に、もう少しの所で化物に潰されそうだったあたしの体が動いた。
その声の方向へ駆け寄ると、その声の主が岩陰にあたしを押し込んだ。
『あなたは?』
声の主にあたしは問いた。
「あんた“神の子”ってやつだろ? さっき外見てたら白い変な服着てるやつが、フラフラ歩いてたから追っかけて来たんだ」
『変な服……。これは、れっきとした神託をする者の装束で、神様の御言葉を……』
「あぁ、話は後で聞くよ。ただし、神様の話は抜きでね」
声の主は、目力の強いあたしと同じ年頃の少女だった。月明かりに照らされ、その少女は銀色に光り輝いて見えた。
「へぇー、アイツが噂の思念体ってやつかぁ! しっかしすっごい臭いだなー」
『噂? 思念体?』
「はぁ? あんた“神の子”なのに思念体も知らないの? 思念体って言うのは、人間の弱い部分がより集まって出来た化物だよ、どうせここで修行してる連中から出て来たんだろうけど」
『……でしたら司祭様達に伝えに行かなければ』
「アハッ! あんた面白い事言うんだね? そんな事してたらコイツが街に入っちゃうじゃん」
『でも、わたくし達の様な子供にはどうしようも……』
「ふふん、まぁ見てなって」
そう言うと、その少女は真っ直ぐ天に向かって指を差した。その直後、化物が光の柱に包まれ、少し遅れて雷の様な音が耳に鋭く轟いた。
それは余りにも衝撃的な出来事だった。あたしと同じ年頃に見える少女が放ったその魔法は、巨大な思念体を消滅させてしまったのだから。それを目の当たりにして、もし神様が制裁を与えるとしたらこの様な感じなのだろうと思った。そして、心の内に熱いトキメキが突然あふれて身も心も震えが止まらなくなったんだ。
『あ……あなたのお名前を』
震える体を抑えながら、その少女にあたしは名前を聞いた。
「あたしの名前? スフェーンだよ! スフェーン・アウイン。あんたは?」
その少女……、スフェーンがあたしの名前を聞き返してくれた事が凄く嬉しかった。
『わたくし……いえ、あ……あたしの名前はシンナバー・アメシス』
あたしが名前を告げると、スフェーンは、あたしの震える手を両手でぎゅっと掴んで、そしてニコッと笑ってくれた。
騒動を聞き付けて駆けつけた、大人の聖職者達に保護されたあたしは、教会の部屋に鍵をかけられ、二度と夜の散歩をする事が出来なくなってしまった。
その後、何日経ってもスフェーンの事で頭が一杯になってしまった。結果的に、あたしにとって本当に大切なのは、神様ではないと結論付けるに至った。
それからあたしは神託する事を拒絶する様になり、話し方も今の様に変えて毒を吐き続けた。豹変したあたしに人々は“神の子”は湖の怪物に汚れてしまったのだと噂し、遂には司祭議会によって、歴代の神の子としては初の一時解任を言い渡された。
その一時解任の期間は、両親により浄化が完了するまでだった。浄化を行う為に、ナボラの教会を離れて両親の故郷である、カイナの村で暮らす事になったんだけど、そこでスフェーンとめでたく再会したって訳だね。本当にとっても長かった。略さなかったらこんなもんじゃなかったろうけど。
スフェーンとの再会で、あたしは生き甲斐と言うものを初めて知ったんだ。