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【28】軌道修正

 すっかり綺麗になったイシェルの背中を、あたしとスフェーンで執拗にすべすべ撫でた。

 お風呂から上がった後、イシェルは嬉しそうに脱衣所の縦長い鏡に背中を映して眺めていた。


「うふふ……ふふん」

 こんな感じでイシェルらしくない声を出し、上機嫌に体の角度を変えては眺めてる。

『そんな事してると湯冷めしちゃうよ? あっちで一緒にお酒飲もうよ』

「わかったーッ! じゃぁはいッ!」

 イシェルはあたしに向けて両手を差し出した。何かを催促している様だ。

『全くもー、すっかり甘々なんだから』

 そう言いつつもあたしはイシェルの期待に応えてあげた。イシェルはあたしをぎゅっと抱きしめ、あたしもお返しにイシェルの背中をぎゅっとした。


「アハッ! お楽しみねぇー?」

 その声にあたしは思わずビクッとしてしまった。いつの間にかスフェーンが脱衣所の入り口に立っていたんだ。やっぱスフェーンには見られたくなかったな。

「いいなぁ……、あたしも混ざりたいなぁ」

『あれれ?』

 スフェーンの口から意外な言葉が飛出した。あたしは願ったりな上にウェルカムだったりするんだけど、よく見るとスフェーンの顔が少し赤い……。あー、こりゃぁ酔ってるわ。

「ハーイッ!」

 イシェルがやってた様に両手を差し出すスフェーン、やっぱさっきの見てたのか。でもこれは思わぬタナボタ式チャンス到来じゃないのか!?

『よぅしッ! スフェーンにもハグハグしちゃおうッ!』

「うんッ! ハグハグしちゃおうッ!」

 あたしとイシェルはスフェーンに飛び込み、その勢いに乗じてあたしは遂に念願だったスフェーン様との初キッスを経験した。

 あたしは止まっていた時が少しだけ動いた様な気がした。



 ベッドの上でスフェーンはすっかり寝息を立てていた。

 もちろん並びはさっき決めた通りに、中央にイシェル、右にあたしで左がスフェーンだ。

 スフェーンはひしっとイシェルにしがみ付いて寝ている。その姿はまるで子供と母親の様に思えた。

 それにしても、今日のスフェーンはいつもと違ったな。いつもは大人っぽく毅然としてるのに、お酒を飲んだからと言って、こんなにも甘えて来るなんて。

 あたしはイシェルにしがみ付いているスフェーンの肩と背中を往復して手を滑らした。スフェーンはあたしとキスした事、明日になっても覚えててくれるのだろうか。


「今日はありがとうね」

 薄暗いランプの光に照らされながら、イシェルが至近距離からあたしを見つめて言った。

『んーん、あたしこそ役に立てて嬉しいよ』

 そう言ったら、イシェルはスフェーンを撫でていたあたしの手を掴んで自分の体へと導いた。

「そう思うなら……今も……ね」

 意味を含ませつつ、少し恥ずかしそうな表情をするイシェル。

『うん……』

 あたしは、イシェルが満足するまで彼女の体を確かめてあげた。スフェーンが気持ち良さそうに寝息を上げている中、あたし達は愛し合ったんだ。


 翌朝、予定通り街の魔戦士組合で、ヘタレ格闘家と待ち合わせた。

 今後の行き先を決める為なんだけど、その決定権を有するのはスフェーンだ。

「ところで、気に入った依頼はあったのか?」

 着の身着のまま風来坊のヘタレ格闘家は、旅の名目が出来た事に少し嬉しそうに見えた。いつもは風の赴くままの旅をしてるからだろうか。

「んと、ワッカ運河でマトラ王国の最南端まで行こうかと思ってるの」

 そう言って、スフェーンは組合の壁に貼られた大きな地図をツツっと指でなぞった。

 実は近郊の依頼を眺めていたのだけど、面白そうなと言うか、戦えそうな依頼が見つからなかったんだよね。この街周辺は全くもって平和そのものらしい。

 よさげな依頼が見つからなければ、次の街に行くのがいつもの事で、同じ所に長く居てもおチビの捜索は遅れるだけだから。

 それに武道大会の賞金が入ったから、しばらくは路銀を稼ぐ必要もなくなったって言うのもあった。

「南かぁ、そっちは行ったことないな、いいんじゃないか?」

 ヘタレ格闘家はあたしとイシェルの顔を見て「決まりだろ?」と言う顔をした。

『オッケーだよッ! 南に行って南国のフルーツをたらふく食べようッ!』

 もちろん、南国フルーツと言うのは適当だ。マトラ王国内にそんな楽園の様な所はないだろう。

「えッ!? 南ってそんなにいっぱいフルーツがあるの? いいなぁ、ボクも食べてみたい」

「プッ! イシェルっておもしろーい!」

 あたしの冗談に、イシェルは簡単に釣られた。


 雑貨屋で保存食や消耗品を少しばかり買い込むと、ワッカ運河の船着場から出ている南方行きの定期便に乗り込んだ。

 定期便は、10メートル四方程のイカダ船がいくつも連なっているもので、船の内部はもちろん甲板の上にまで荷物が積まれ、その重さでずいぶん船が沈み込んでいる。

 この定期便は物資の運搬が主な目的だから、人が乗れるスペースは少ない、と言うより荷物の隙間の空いている所に適当に乗り込む感じだ。あたし達はそこらの荷物の隙間を見つけると適当に座った。期待はしてなかったけどやはり快適には程遠く窮屈だ。


 最南端の街はエクトの街と言う名前で、船でも丸一日はかかるらしい。出発はもうじきみたいだけど、とにかく道中が暇になる。暇つぶしに寝ると言っても今はまだ眠くないし、寝床が船の床だから下手すると寝違いかねない。

「早速だけど暇ねぇ、釣竿とか持ってくれば良かったかな」

 船がまだ出発もしてもいないのにスフェーンは早速音を上げた。いけない、あたしがスフェーンを楽しませなきゃ。

 だけど何をしたらいいのかな……。あたしとした事がしまった……。退屈しのぎのプランを考えるのを忘れていたのだ。

「ならさ、お前達の旅の目的を教えてくれないか? 一応オレもしばらく付き合う訳だし、知っておきたい。いいだろ?」

 困ってたらヘタレ格闘家がネタを提供した。気を利かせたとも思えないけど、とりあえずそこから話を膨らませていけばいいか。

 そっか、あたし達の旅の目的ってイシェルには話したから知ってるけど、ヘタレ格闘家はまだ知らなかったんだったっけ。

『この旅の目的はね、スフェーンの……』

 本題を言いかけた所で、スフェーンがあたしの口の前に手をかざして止めた。

「シンナバーゴメン、あたしから話させてぇ」

『あ……、うん』

 そしてスフェーンは一呼吸置くと、落ち着いた口調で話し始めた。

「この旅そのものの大きな目的はあたしの人探しなの。だから、必然的に行き先は行ったことない街になる訳。

 約三年間かけて、このマトラの主要な街はほとんど巡ったんだけど、南側はまだ行ってなかったから」

「ふぅん、人探しか……。

 もしかして昨日言ってた心に決めた人ってやつか?」

 ヘタレ格闘家とスフェーンって、もうそんな事まで話してたのか。

「そ、あたしの心に決めた人を探してるの」

 スフェーンは少し目線を落とし、かすかに微笑んだ表情で言った。

 やっぱりスフェーンの口から”心に決めた人”って言われると重いなぁ。分かってた事だけど、直接は聞きたくなかった。

「そうか、逢えるといいな」

 ヘタレ格闘家は、その目的をすぐに理解して納得した。人探しという目的は、簡潔にして最大の理由だ。当然文句などはあるまい。


 スフェーンの説明に納得した様子のヘタレ格闘家が、あたしの方を見た。

「そんで? シンナバー。お前はどうなんだよ?」

 ヘタレ格闘家は、旅の目的をあたしにも聞いてきた。なんであたしにも聞くんだろ?

『え? なんであたしにも聞くの? 今スフェーンが言ったのがこの旅の目的なんだよッ!?』

「だってありゃスフェーンの目的だろ? お前の目的ってないのか?」

 ヘタレ格闘家はあたし個人の目的を聞いたのか。あたしのこの旅の当初の目的は、スフェーンにおチビを諦めさせてあたしの方を向かせる事だった。だけどそんな事は絶対に言えない。今はイシェルだって居るし、事情が変わってるんだから。

 もし最初はそうだったなんて言ったら、今後の色んな事に影響を与えるだろう。一度言った事実に訂正は効かないから、いい加減な事言う訳にもいかないし……どう言うべきなんだろう。困った……こんな事わざわざ聞かれるなんて思ってなかったよ。

『あたしは……その……』

 今までこんな風に、追い詰められた経験が余りなかった。今まで言葉を受け流すスキルだって、攻めるスキルだって、人一倍はあると思ってたのに。イザ自分の事になるとうまく言えないもんなんだね。

「あのね、ボクが先に言ってもいいかな? ボクにもちゃんと目的があるんだよ?」

 そこにイシェルが割って入った。あたしが困ってると思って助け舟を出してくれたのかもしれない。

「んあ? いいけど、イシェルの目的って何なんだ?」

 するとイシェルが突然真っ赤な顔になり、人差し指で床をくるくると、いくつかの小さい丸を書いた後、真っ直ぐあたしを見て言った。

「ボクの目的は、大切な人……シンナバーの心を満たしてあげる事だよ」

 イシェルの丸い目がまっすぐあたしを見てる。その黒い瞳は少しうるんで、その中にあたしが映り込んでいた。

 驚いた、驚いたよ……。イシェルはこんな事を素直に言う事が出来ちゃうんだね。

『あ……、ありがとうッ! ありがとうだよッ! おかげで身も心も満たされちゃってるよーッ!』

 少し硬直しかけてしまったけど、うまく切り返して言えただろうか?

「アハッ! イシェルゥー! ついででいいからあたしの寂しい心も少しは慰めて欲しいんだけどぉ?」

「いいけど……、ボクが好きなのはシンナバーだけなんだからね」

「うん、そんな事わかってるって、だから仲間として……ね?」

 仲間として!? 何ていい口実だろう。よし早速だけど使わせてもらうよ。仲間として!

『それなら、あたしだって全力でスフェーンを癒してあげるよッ! 眠れないならあたしを抱き枕にしたっていいんだよッ! それ以上だっていいんだよッ! 仲間としてッ!』

「アハハッ! シンナバーあんた今日も冴えてるなぁーッ!」

 クッ……、こんな受け流しにヘコたれるもんか。とにかく近くに寄れなきゃ進展なんてしないんだから、使えるカードはどんどん活用してかなきゃ。

「ダメッ! シンナバーを汚していいのは……ボク……だけなんだから……大切な人として」

 そしてイシェルはあたしの肩をグイっと引き寄せて、その小さな肩に寄りかかる様にした。イシェルはあたしを自分のものだと言うアピールに手抜きがなく、ポイントも堅実に押さえている。

「アハハハッ! 愛ってホントいいものねぇー? あたしもガンバらなきゃって力が湧いて来ちゃった!」

「あぁ……そうだな……、立派な目的だよな、多分……、人それぞれだよな」

 ヘタレ格闘家は毎度の様に、ちょっと引きぎみだった。


「それで? シンナバーも同じなのか?

 スフェーンとは三年も旅してんだから、昨日今日の目的以外の事だってあるんだろ?」

 やっぱり忘れずに戻って来たか。いっその事正直に言うべきなのかな? だけど本当の事言ったら大変な事になりそうだ。


『あたしが旅を始めた時の目的は、スフェーンとは離れたくなかったからだよ。

 それにもし、スフェーンがケガしてもあたしならすぐに治せるからねッ!

 だって、旅に戦いは付き物でしょッ!? 後は戦えそうだったから』

 あたしはさりげなくスフェーンの想いを盛り込んでみた、深く読めば告白みたいなもんに聞こえなくもないだろう。

「お前の目的って、一番最後に全てが集約されてる気がするな」

 ヘタレには分からないだろうな。心の繊細さなんてカケラもなさそうだし。

「でしょぉー? シンナバーって戦いが大好きだから」

 スフェーン様にいつか届け……この想い。戦いが……じゃなくて戦いも!なんだよ。

『コラーッ! 離れたくないって所も重要なんだよッ! 明日のテストに出るよッ!』

「シンナバーって本当に優しいよね、きっと親友のスフェーンを放っておけなかったんだ。

 良かったね、スフェーン」

 あれ?

「うん、シンナバー本当にありがとうねぇ」

 あれれ?


 今イシェルによって軌道修正が入った。イシェルはあたしが意思表示した事を意図的に軌道修正をしてるね。周囲にも、あたしがイシェルを見てる様に見せる事に余念が無いや。きっと今のも周囲へのアピール効果は絶大だろう。

 考えてみれば当たり前か、あたしが必死にアレコレ考えてる様に、イシェルもスフェーンも必死に考えてるんだ。

 あたしは何だか少しおかしく思えてしまった。あたし達三人は、それぞれ必死に流れを修正し合ってるって事にね。


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