【10】トリックアンド…
あたしの次の相手は、一人称がボクって言うちょっと口の悪いナイフ使いだ。
あのナイフ使いとは絶対100%全力で戦いたいから、この10分の休憩中に柔軟をしつつ体を暖めていく事にした。
前屈で体を垂直に起こした時、離れたベンチに座るあのナイフ使いのボクと目が合った。
明らかにこっちを意識してるみたいだけど、目が合ってすぐに視線を他に移した。
ナイフ使いの容姿は全体的にとても黒い。
頭にはバンダナを巻いていたけど、端から出ている髪は黒髪で、とてもシャープな印象だ。
反面顔や目はまん丸で、どちらかと言うと人懐っこそうにも見えるその眼差しとのギャップ。瞳は黒く、周囲の光りがきれいに映りこんで輝いていた。
『あのボク、何か見た目と中身が全然違う気がするなぁ』
「は? 戦いに見た目なんて関係ないだろ」
『そりゃそうか、ところでそれもヘタレ名言集からの抜粋? いい事言うよねッ!』
「あぁ、名言集の抜粋だ……(もう好きにしてくれ)。
そんな事より今回は随分とやる気じゃないか?」
『そうだね、やる気は満点だよ』
あたしは両足を左右に開き、体を地面にぺたんと付けながら、ヘタレ格闘家に答えた。
少しして、10分の休憩時間も終わり、あたしは格闘場へと移動していた。
ブロック1の格闘場に立つ、あたしの目線の先に、ナイフ使いのあのボクが立っていた。
全身黒ずくめの風貌に、あの丸い目が一際目立っている。
『あのボク、最初にナイフ飛ばしてくるんだったっけね』
あたしはポツリと独り言を言って、両手に持った純白の片手棍をクロスさせ構えた。意識を集中すると、時間の流れがとてもゆっくり経過する様に感じる。
これは体が戦闘態勢に突入して、集中力が高まった為だろう。
戦いとは瞬きの一瞬さえあれば、勝負を決する事ができるシビアな世界だからね。
多分「一瞬たりとも気が抜けない」って言うのは、こういう状態の事を言うんじゃないかな?
やがて、中央のドラが鳴ったその瞬間、ナイフ使いはどこから出したかすら分からない手捌きで何本ものナイフを取り出し、それを真っ直ぐあたしに向かって放った。
やはりヘタレ格闘家が言った通り、ナイフ使いが投げたナイフの後ろから全力で向かって来ている。
さて、この迫り来るナイフ達をどうしたもんだろね。多分、誰に聞いても弾き飛ばすとか避けるとか言うだろう。
あたしの選択も「避けずに弾き飛ばす」だった。
ありきたりな選択ですまないね。
全てのナイフを弾き飛ばした瞬間、ナイフ使いの丸い目が一際丸く大きくなった。
その目は想定に反する事が起こったと言う目だった。
そしてナイフ使いは走るのを止めて、即座に左へと飛んだ。
その理由は、あたしが弾いたナイフは全てナイフ使いのボクに向かってはじき返したからだ。
『人ってさ、無意識だと決まって左に飛ぶんだよね』
あたしはあの目を見た時、ナイフ使いが必ず左へと飛ぶと予測していた。
だからナイフをはじき飛ばした瞬間に、左に先回りしていたんだ。
今ナイフ使いはあたしの目の前にいる。
あたしはその小さな肩に手をあてて、そのまま手のひらをするりと背中まで滑らせてみた。
何でこんな事するのかって? それは美味そうかを調べる為に決まってるよ。
「くっ!」
あたしの手を振り払ったナイフ使いは、少し離れた所に飛んで距離を取ると、その丸い目でこちらを睨んだ。
「キミ……、今どうやって移動したの?」
『えッ? どうって、普通にスタコラさっさって走ったけどそれが何?』
「ウソだ……、今一瞬でボクの後ろに移動してた気がするんだけど?」
『あー、ボクにはそう見えたかもね。でも企業秘密だからタネは明かさないよッ!』
「???」
もちろんあたしは魔法など使ってないし、ナイフ使いのボクが言う様な瞬間移動的な事もしていない。ただ走って移動しただけなんだ。
ちゃんとトリックはあるんだけど。
そのトリックは、極単純な事なんだけど、今はあえて明かさないでおこうと思う。
観客達には、あたしがごく普通に回り込んだ様にしか見えなかったろう。とだけは言っておく。
『次、こっちから行ってもいいよね? ありがとーッ!』
「はッ!?」
『ボクは女の子だよね? 分からないとでも思った?』
再びナイフ使いのボクの背後を取ったあたしは、その両手を掴んで動きを封じていた。
掴んだ両手から、かすかに震えが伝わって来た。
「またか……。
降参するよ……。完全にボクの負けみたいだ」
後ろからボクの顔を覗き込むと、大きな黒い瞳から、今にも涙が溢れそうになっていた。
いやぁ、これってあたしの好物なシチュエーションの一つだ。いいねいいねー。
「キミも……。ボクに分からないとでも思ってた?
ボクは最初に一目見ただけですぐに分かってたよ」
勝負が着き、帰り際にナイフのボクが言った。
『えーッ!? あたしは隠してなんかないよッ!? それはとんだ濡れ衣だよッ!
それと、あたしはキミじゃなくて、シンナバー・アメシスなんだから!』
と言うと、ナイフ使いのボクがにっこりと微笑み。
「シンナバー・アメシス。覚えたよ。ボクはイシェル。イシェル・プレナ」
イシェルのその笑顔は屈託がなかった。
その後、ベンチに戻ったあたし達の様子を、ヘタレ格闘家は不思議そうな顔をして迎えた。
「何だか……、不思議な勝負だったが。それよりも今は、見てはいけないものを見てる気がする」
『それはだね、トリックのタネを見てしまったからだよ』
「トリック? そんなもんがあったのか? どれの事かわからんな……。
むしろ、今の状況こそトリックではないのか?」
ヘタレ格闘家の指さした先には、ナイフ使いのボクことイシェルが、あたしにべったりとくっついてる図があった。
なぜだかわからないけど妙に懐かれてしまったよ。
こんな所、絶対スフェーンには見せられないな。
しっかし、イシェルは何でさっきまであんなに尖がってたんだろ?
ヘタレ格闘家も言う様に、この豹変ぶりは確かにトリックだとあたしも思った。