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アンケート-選ばないという選択-  作者: 菊池まりな


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第5話 選択癖

 休みの日の朝は、いつも時間を持て余す。




 美佳はベッドの上で目を覚ましてから、三十分近くそのままでいた。起きるか、もう少し寝るか。そんなことを考えているうちに、眠気はどこかへ消えてしまっていた。結局、起きるという選択をしたわけでも、寝続けるという選択をしたわけでもなく、ただ時間が過ぎていた。




 これも癖になってきた、と美佳は思った。




 選択を先送りにすることで、選ばなくて済む。でも結果的には、何かを選ぶことになる。起きるか寝るかで迷って動けないでいれば、その間ずっとベッドにいることになる。それは「寝続ける」に近い選択だ。でも選んだわけじゃない。ただ迷っていただけだ。




 選ばないのと、選べないのは、違う。




 美佳はようやくベッドから出て、顔を洗いに行った。




 洗面台の鏡に映る自分の顔は、特に変わりない。少し眠そうで、化粧もしていなくて、髪が少し跳ねている。美佳はドライヤーを手に取って、跳ねた部分だけ直そうとした。そこで気づいた。全部直すか、跳ねた部分だけ直すか、あるいは何もしないか。




 三択だ。




 休みの日で、どこかへ出かける予定もない。誰かに会うわけでもない。だったら何もしなくていい。それが一番合理的な答えのはずなのに、美佳の手はドライヤーを握ったまま、しばらく動かなかった。




 どうして、こんなに考えてしまうんだろう。




 アンケートが届く前の自分は、こんなではなかったはずだ。ドライヤーで髪を直すかどうかなんて、考えた記憶がない。考える前に手が動いていた。なんとなくそうしていた、という感覚だけが残っている。




 今はその「なんとなく」が、ない。




 美佳は結局、跳ねた部分だけ直して、ドライヤーを置いた。完璧でもなく、何もしないわけでもない、中間の選択。それが今の自分にできる精一杯だった。








 午前中は部屋の片付けをすることにした。




 特に散らかっているわけではないが、することがないよりはいい。美佳は本棚の整理から始めた。並んでいる本を一冊ずつ取り出して、必要か不要か判断していく。




 最初の一冊は、すぐに決まった。もう読まない本だ、と分かる。




 次の一冊も、すぐに決まった。




 三冊目で、止まった。




 数年前に買って、途中まで読んで、そのままになっている小説だった。面白くなかったわけじゃない。ただ、読み続ける気力が続かなくて、気づいたら積んだままになっていた。捨てるべきか、残すべきか。いつか読むかもしれない。でも、いつかなんて来ないかもしれない。




 美佳は本を手に持ったまま、五分ほど考えた。




 五分、本一冊の処遇を考え続けた。




 自分でも馬鹿らしいと思いながら、それでも答えが出なかった。最終的に美佳は本を元の場所に戻した。決断を保留した。それは選択ではなく、選択の先送りだと分かっていたが、他にどうしようもなかった。




 片付けは、そこで終わった。本棚の前に座り込んだまま、美佳はしばらく動けなかった。




 こんなんじゃ、何もできない。




 苛立ちが、じわじわと湧いてくる。自分自身への苛立ちだ。こんな些細なことで立ち止まって、本一冊捨てるかどうかで五分も悩んで、何をしているんだろう。




 でも、分かっていた。




 これはただの優柔不断じゃない。アンケートのせいだ。あの問いに何度も何度も向き合ううちに、美佳の中で何かが変わった。選択することに、意味を見出しすぎるようになった。どんな些細な選択にも、何か重要な意味があるような気がして、慎重になりすぎている。




 理性では分かっている。本一冊の処遇に、大した意味はない。




 でも体が、思考が、勝手にそれを重大なことのように扱ってしまう。








 昼過ぎに、宮下ユリから連絡が来た。




 『ねえ、今日暇?カフェでも行かない?』




 ユリとは、アンケートを通じて知り合った。感情を率直に表現する人で、一緒にいると空気が軽くなる。美佳は少し迷ってから、『いいよ、どこにする?』と返信した。




 待ち合わせは十四時、駅の南口だった。




 ユリは三分遅れてやってきた。薄いピンクのトップスに白いパンツ、小さなショルダーバッグ。駅の改札から出てきた瞬間に美佳を見つけて、大きく手を振った。




「待った?」




「全然」




「よかった。ごめんね、電車乗り換えミスって」ユリはそう言いながら美佳の隣に並んだ。「どこいく?あそこの新しいカフェ、気になってたんだよね。パンケーキが有名らしくて」




「いいよ」




 美佳はすぐに答えた。どこのカフェにするか、パンケーキを食べるかどうか、そういったことを考える前に「いいよ」と言っていた。ユリと一緒にいると、選択が軽くなる気がした。ユリが勢いよく決めていくから、美佳はただそれについていくだけでいい。




 カフェは混んでいたが、十分ほど待って席に案内された。ユリはメニューを開くと同時に「やっぱりパンケーキにしようかな」と言い、美佳は「じゃあわたしも」と答えた。




 飲み物だけ、少し迷った。コーヒーかハーブティーか。




 ユリが「アイスのロイヤルミルクティー!」と元気よく決めるのを見て、美佳は「ホットコーヒーで」とだけ言った。




「ねえ、最近どう?」ユリは頬杖をついて、美佳を見た。「なんか、ちょっと疲れてない?」




「そう見える?」




「なんとなく。目が、ぼんやりしてるっていうか」




 美佳は少し驚いた。ユリは感情に敏感だ。理屈ではなく、雰囲気で人の状態を読む。朝倉とは別の種類の観察眼を持っている。




「最近、ちょっと考えすぎてるのかも」美佳は正直に言った。「些細なことで、いちいち迷っちゃって」




「分かる」ユリはあっさりと頷いた。「わたしも最初そうだった。何食べようか考えるのに、異常に時間かかったりとか」




「今は?」




「慣れた」ユリは言った。「なんか、開き直ったっていうか。迷ったらとりあえず好きなもの選べばいいじゃん、って」




 好きなもの。美佳はその言葉を頭の中で繰り返した。




 好きなもの、か。




 自分が何を好きなのか、最近分からなくなっている気がした。選択することに気を取られすぎて、そもそも何を望んでいるのかを、忘れかけている。




「ユリは」美佳はゆっくり聞いた。「アンケートのこと、もう気にしてない?」




 ユリは少し考えてから、「気にしてないわけじゃないけど」と言った。「引きずってもしょうがないかなって。終わったことだし」




 終わったこと。




 美佳は頷きながら、終わっていないかもしれない、とは言わなかった。朝倉から聞いた話を、今ここで持ち出すべきかどうか、判断がつかなかった。




 パンケーキが運ばれてきた。ふわふわとしていて、上にバターとメープルシロップがかかっている。ユリが「おいしそう!」と声を上げて、フォークを持った。




 美佳もフォークを手に取った。




 一口食べると、甘かった。素直に、おいしいと思った。それだけのことなのに、今日初めて、選択について何も考えずに何かをした気がした。




 ユリが楽しそうに話し続けている。職場のこと、最近見たドラマのこと、気になっているお店のこと。美佳はそれを聞きながら、相槌を打ちながら、パンケーキを食べた。




 悪くない午後だった。




 でも帰り道、一人になった瞬間に、また考え始めている自分がいた。今日ユリに話すべきだったか。話さなくて正解だったか。パンケーキは正しい選択だったか。




 正しい選択って、何だろう。




 美佳は夕暮れの中を歩きながら、答えのない問いを抱えて、アパートへ向かった。





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