第六話「繋がっていた線」
第六話では、物語における重要な要素――
「世界の狭さ」 を描きました。
創作の世界、特に出版・芸能・表現の業界は、外から見れば巨大で華やかに映ります。
しかし実際には、驚くほど人間関係が密接で、偶然の再会や意外な接点が日常的に発生する場所でもあります。
今回明かされた八島歩と奈那峰亜紀の関係は、まさにその象徴です。
重要なのは事実そのものではなく、
それを受け取る雄大の感覚。
自分の知らないところで繋がっていた線。
自分だけが外側にいるという違和感。
この感情は、物語の今後において非常に大きな意味を持ちます。
才能や努力とは別の次元で動く「環境」という現実。
その輪郭が、ここで初めて明確になりました。
「――世間って狭いんですよ」
八島歩は何気ない調子でそう言った。
だが、その場にいた二人には妙に引っかかる響きだった。
狭間雄大はわずかに眉を寄せる。
編集者がこんな前置きをする時、
大抵ろくな話ではない。
「……何の話ですか?」
歩はすぐに答えなかった。
原稿の束を指先で整えながら、
どこか確信めいた目で篤を見る。
「藤堂くん」
その呼び方が、ほんの僅かに変わっていた。
先ほどまでの事務的な響きではない。
「あなたの彼女……」
一拍の間。
「奈那峰亜紀さんですよね?」
空気が止まった。
音が消えたような感覚。
雄大の思考が一瞬、理解を拒否する。
なぜ、その名前がここで出る。
なぜ、編集者の口から。
篤の視線が鋭くなる。
普段の気だるさが完全に消えていた。
「……なんで知ってんだよ」
低い声。
露骨な警戒。
だが歩はまったく動じない。
むしろ、小さく笑った。
「ああ、やっぱり」
その反応が答えだった。
「親友なんです」
あまりにもあっさりとした一言。
「……は?」
今度は雄大の口から声が漏れる。
理解が追いつかない。
歩は淡々と続けた。
「奈那峰亜紀の」
「高校の頃からの付き合いで」
現実感のない言葉が、次々と重なる。
雄大の脳内で無理やり構図が組み上がる。
篤の彼女。
目の前の編集者。
繋がらないはずの線。
「……マジかよ……」
篤が小さく吐き捨てる。
その表情には明らかな動揺が浮かんでいた。
だが同時に、どこか面倒くさそうな色も混ざっている。
歩は肩をすくめた。
「言う機会ありませんでしたし」
少しだけ視線を逸らし、
そして戻す。
その目には僅かな面白がりがあった。
「まさか亜紀の彼氏が持ち込みに来るなんて思いませんよ」
空気が変わる。
完全に私的な声音。
編集者の顔ではない。
雄大の胸の奥がざわつく。
この距離感。
この自然さ。
篤と歩。
亜紀と歩。
自分だけが外側にいる感覚。
「……聞いてねえぞ……」
篤の呟き。
歩は軽く笑う。
「言ってませんから」
悪びれた様子はない。
その態度が妙に腹立たしい。
雄大の中で、言いようのない違和感が膨らんでいく。
偶然にしては出来すぎている。
いや――この業界では、これが普通なのか。
世界の狭さ。
人間関係の密度。
逃げ場のなさ。
「……ちょくちょく話は聞いてましたよ」
歩が何気なく言う。
「彼氏がいるって話」
雄大の心臓が一瞬強く打つ。
自分の知らない場所で語られていた篤の存在。
自分の知らない世界で成立していた会話。
完全な疎外感。
「……最悪だな……」
篤がぼそりと呟く。
だが次の瞬間、口元が歪む。
笑っている。
「まあいいけど」
その反応に雄大はさらに混乱する。
なぜ平然としていられる。
なぜ受け入れている。
歩の表情が変わる。
柔らかさが消える。
編集者の顔。
完全な仕事の視線。
「でも、都合はいいですよ」
静かな声。
「私はあなたを特別扱いしないで済む」
「親友の彼氏だから甘くなる、なんて誤解も起きない」
篤が小さく鼻で笑う。
「甘くされても困るけどな」
歩の目が細くなる。
「ええ」
「むしろ――」
ほんの僅かに間を置く。
「厳しくなりますから」
その一言には冷たい圧があった。
場の空気が完全に引き締まる。
篤の目が光る。
「上等じゃねえか」
挑発的な笑み。
雄大だけが取り残されていた。
この異常な展開の中で。
才能の世界。
業界の世界。
人間関係の世界。
全てが自分の知らない理屈で動いている。
確信だけが残る。
この偶然は、決して軽くない。
そして――
自分は今、完全に未知の領域へ踏み込んでいる。
見えない線は、すでに二人の足元へ絡みついていた。
第六話の核は、偶然ではなく必然です。
物語における偶然は、しばしばご都合主義と紙一重になります。
ですが、現実世界ではむしろ「あり得ないような繋がり」が自然に成立することも少なくありません。
特にこの物語では、
篤の世界
亜紀の世界
歩の世界
それぞれが独立しているようでいて、すでに交差していたという構造を意識しました。
そして、最も重要なのは雄大の立ち位置です。
彼は中心人物でありながら、常に外側にいる。
理解しようとしても理解できない場所へ踏み込んでいく存在。
この「ズレ」が物語の緊張感を生み続けます。
また、歩というキャラクターもここで大きく性質を変えました。
優しい編集者ではない。
親友の知人でもない。
容赦なく作品を見るプロ。
その冷徹さが、今後篤の才能と真正面から衝突していくことになります。
見えない線は、まだ増えていきます。




