第五話「持ち込み」
第五話では、物語の舞台がいよいよ「業界」へと踏み込むことになりました。
学校という閉じた世界から、出版社――月園舎へ。
ここから物語は、単なる青春や対立だけではなく、より現実的な競争の匂いを帯びていきます。
持ち込みという行為は、創作の世界において非常に象徴的なイベントです。
評価される側と評価する側。
夢と市場。
期待と現実。
その最初の接点として、編集者・八島歩を登場させました。
重要なのは「才能がある」という言葉ではありません。
むしろその直後に続く――
「このままでは通らない」
この落差こそが、本話の核心になります。
創作の世界では、才能は入口に過ぎない。
それだけでは決して成立しない。
その厳しさを物語に織り込み始めた回でもあります。
月園舎――。
その巨大なビルを見上げた瞬間、狭間雄大は軽く息を呑んだ。
漫画を読まない人間ですら知っている名前。
業界最大手。
そして、篤が当然のように口にした雑誌。
ジョップ。
数々の大ヒット作を生み出し続ける、怪物のような漫画雑誌。
「……マジで来たのかよ……」
思わず漏れる。
隣では藤堂篤が欠伸をしていた。
「何ビビってんだよ」
「ただの出版社だろ」
「ただのじゃないだろ……」
雄大の声は硬い。
ここは憧れの場所などではない。
本来、自分の人生とは無関係のはずの世界。
それなのに今、自分はここに立っている。
理由は単純だった。
――持ち込み。
篤が言い出したのだ。
「描いたんだから見せりゃいい」
それだけの理屈。
だがその異常な行動力に、なぜか逆らえなかった。
受付を済ませ、待合スペースへ通される。
静まり返った空間。
壁に並ぶ人気作のポスター。
雄大の視線が自然と吸い寄せられる。
知っているタイトルは少ない。
だが、それでも分かる。
ここは「選ばれた作品」だけが並ぶ場所だ。
「緊張してんのか?」
篤がニヤリと笑う。
「……してない」
即答したが、手のひらには汗が滲んでいた。
やがて名前を呼ばれる。
「藤堂篤さん、狭間雄大さん」
現れたのは――女性だった。
雄大の動きが僅かに止まる。
年齢は二十代後半ほどか。
落ち着いた雰囲気。
どこか柔らかい空気をまとった女性。
「担当の八島です」
静かな声。
名刺が差し出される。
八島歩。
雄大の脳内で一瞬、違和感が走る。
女性……?
編集者という職業に偏見はない。
だが、なぜか意外だった。
篤は気にする様子もなく椅子へ座る。
「よろしく」
相変わらず遠慮がない。
雄大も慌てて頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
八島歩は微かに笑う。
そして原稿へ視線を落とす。
空気が変わる。
先ほどまでの柔らかさが消える。
編集者の目。
完全な仕事の顔。
ページがめくられる。
沈黙。
紙の擦れる音だけが響く。
雄大の鼓動が早まる。
篤は無表情だった。
数分。
異様に長く感じられる時間。
やがて八島が小さく息を吐いた。
「……なるほど」
短い言葉。
表情は読めない。
雄大の喉が渇く。
「率直に言いますね」
静かな声。
だが妙な緊張感を帯びている。
「かなりの確率で当たっています」
時間が止まる。
「……え?」
雄大の思考が停止する。
篤の眉が僅かに動く。
「構図」
「キャラクターの線」
「画面の見せ方」
淡々と続く言葉。
「偶然では説明できないレベルです」
雄大の背筋が冷える。
理解が追いつかない。
「……当たってるって……」
八島が視線を上げる。
まっすぐ篤を見る。
「才能があります」
断言だった。
一切の迷いがない。
その言葉に、雄大の胸がざわつく。
篤は一瞬だけ黙り――
そして、笑った。
「は」
軽い笑い。
だがその目は鋭かった。
「マジで言ってんの?」
八島歩は即答する。
「ええ」
「かなり珍しいタイプです」
雄大は言葉を失った。
冗談ではない。
社交辞令でもない。
業界の人間の断言。
現実感のない現実。
八島が続ける。
「ただし」
その一言で空気が再び引き締まる。
「このままでは通りません」
甘くない声音。
編集者の冷酷な部分。
「武器はある」
「でも作品としては未完成」
雄大の胸に刺さる。
篤ではない。
自分の方が強く反応していた。
八島歩の視線が二人を往復する。
「……面白い組み合わせですね」
意味深な言葉。
雄大の嫌な予感が強まる。
篤が不敵に笑う。
運命の歯車が、静かに噛み合い始めていた。
第五話で意識したのは、「期待と違和感」です。
まず、編集者が女性であること。
特別な設定ではありませんが、雄大の視点を通すことで、彼の固定観念や緊張を自然に浮かび上がらせています。
そして最大のポイントは、評価。
否定ではない。
絶賛でもない。
「かなりの確率で当たっている」という、極めて編集者らしい言い回しを選びました。
この表現には二つの意味があります。
一つは、篤の持つ異常性。
もう一つは、業界特有の冷静さ。
才能を認めながらも、作品としては容赦なく切り分ける。
この距離感こそが編集者という存在のリアリティになります。
また、今回さりげなく示唆された「組み合わせ」。
ここから物語は大きく動き始めます。
二人の関係は偶然ではなく、徐々に必然へと変わっていく。
その予兆として読んでいただければ嬉しく思います。




