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半身のペンネーム2  作者: マーたん


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第十一話 ― 才能の値段

物語の裏側には、いつも別のドラマがある。


天才も努力家も、問題児も優等生も、

誰かの机の上で赤ペンに裁かれ、

誰かの一言に救われ、

誰かの期待に追い詰められる。


本編では描かれない、編集部という戦場。


これは、そんな小さな一幕。


ほんの少しの休憩時間。

月園舎 編集部。


空気が、いつもと違った。


ざわつきではない。

期待でもない。


**「査定」**の空気だった。


「……これが、二人のネームね」


八島歩は机に原稿を置いた。


紙の束が触れた瞬間、妙に重い音がした。


藤堂篤と狭間雄大は、向かい側で黙って座っている。


昨日まであれほど騒がしかった二人が、今日は一言も発していない。


編集部の奥――


ベテラン編集、デスク、営業担当、そして副編集長。


まるで会議でも始まるかのように、人が揃っていた。


「新人でここまで描けるのは珍しい」


誰かが言う。


褒め言葉のはずなのに、声に温度がない。


「ただ――」


別の編集がページをめくる。


「売れるかどうかは別問題だ」


篤の喉が小さく鳴った。


雄大は表情を変えない。


だが、拳が白くなっている。


「藤堂君」


副編集長が篤を見る。


「君の絵は荒い。だが、妙な引力がある」


篤は何も言わない。


言葉を挟めば、全部崩れそうだった。


「狭間君」


今度は雄大。


「構成は圧倒的に上手い。理屈も通っている」


一瞬の沈黙。


「だが、綺麗すぎる」


雄大の眉が僅かに動いた。


「綺麗な漫画は、記憶に残らないことが多い」


その言葉は、刃物だった。


正確で、容赦がない。


歩は黙っていた。


助け舟を出さない。


担当編集としてではなく、審判の席に座っている顔だった。


「結論を言おう」


副編集長が指を組む。


編集部の視線が集まる。


「この作品――」


静寂。


篤の心臓の音だけが異常に大きく響く。


「連載候補に残す」


空気が一変した。


だが、歓声はない。


代わりに続いた言葉が、全てを凍らせた。


「ただし条件がある」


篤と雄大が同時に顔を上げる。


「次のネームで結果を出せ」


「……結果?」


篤が絞り出す。


「アンケート順位だ」


営業担当が淡々と言う。


「数字が全てだよ」


夢も才能も、熱意も関係ない。


紙の上の数字。


それだけ。


「もし低迷すれば――」


副編集長の声が静かに落ちる。


「この企画は終了」


その瞬間。


編集部から、仕事の音が消えた。


誰も動かない。


篤の頭が真っ白になる。


雄大は、ただ一点を見つめていた。


「質問は?」


歩が初めて口を開く。


篤は唇を噛んだ。


言いたいことは山ほどある。


だが――


何も言えなかった。


代わりに雄大が立ち上がる。


編集部の視線が突き刺さる。


「やります」


一切の迷いがない声。


「数字、取ります」


篤が驚いて雄大を見る。


その横顔には、いつもの優等生の影はなかった。


あるのは――


意地だった。


歩は小さく息を吐く。


「いい顔になったわね」


静かな笑み。


だが優しさではない。


「連載は戦争よ」


ページを指で叩く。


「才能に値段が付く世界」


篤がゆっくり立ち上がる。


喉の奥が焼ける。


「……上等だ」


低い声。


「売れるかどうか、試してやるよ」


編集部の空気が、僅かに揺れた。


新人の言葉ではない。


獣の声だった。


その日。


二人は初めて知る。


漫画家という夢が、どれほど冷酷な秤の上にあるのかを…。



編集部を出た瞬間。


張り詰めていた空気が、ようやく切れた。


「……はぁ……」


篤は壁にもたれ、深く息を吐いた。


背中に嫌な汗が滲んでいる。


さっきまで平然を装っていた身体が、今さら震え始める。


「数字って……」


小さく呟く。


「漫画ってそういうもんだろ」


雄大は即答した。


だが、その声もわずかに硬い。


エレベーターホールの白い光の下で、二人の沈黙が重なる。


さっきの宣告。


連載候補――ただし査定付き。


それは希望ではなく、猶予だった。


「ムカつくな」


篤が言う。


「面白いかどうかじゃなくて、アンケートかよ」


雄大の視線が僅かに揺れる。


「……違う」


低い声。


「面白いから数字が出るんだ」


理屈は正しい。


だが、どこか自分に言い聞かせている響きがあった。


「綺麗すぎる、か……」


雄大が自嘲気味に笑う。


あの一言。


胸の奥に刺さったまま抜けない。


「ずっと褒められてきたんだけどな」


篤が横目で見る。


雄大は天井を見上げていた。


「上手いって」


静かな声。


「でも、売れないって意味だったのかもな」


その言葉に、篤は何も返せなかった。


代わりにポケットの中の指先が強く握られる。


悔しさは同じだった。


質が違うだけで。


その時。


カツ、カツ、と規則的な足音。


振り向いた瞬間――


「……あ」


空気が変わった。


奈那峰亜紀だった。


大きなサングラス。

ラフな私服。


だが隠しきれない存在感。


編集部の入口前で立ち止まり、二人を見た。


「……え?」


亜紀の動きが止まる。


一瞬。


本当に時間が止まったかのようだった。


サングラスの奥の目が、ゆっくり見開かれる。


「篤……?」


雄大の表情が凍る。


篤の喉が音を立てる。


「なんで……」


亜紀が言葉を失う。


視線が篤と雄大を往復する。


「え、ちょっと待って……」


困惑。


理解不能。


そして――


確信に変わる表情。


「……持ち込み?」


篤が何も言えない。


沈黙が答えになる。


亜紀の眉がわずかに寄る。


「嘘……」


小さな声。


冗談を見る目ではない。


現実を見た顔だった。


「編集部って……」


雄大が口を開きかける。


だが、亜紀はそれを遮った。


「本気なの?」


まっすぐ篤を見る。


恋人ではなく、別の目。


試すような視線。


篤の胸がざわつく。


「遊びで来る場所じゃないよ」


その一言。


鋭く、容赦がない。


だが――


どこか怯えも混じっていた。


「……知ってるよ」


篤が低く答える。


初めて目を逸らさずに。


「だから来たんだろ」


亜紀が言葉を失う。


その沈黙に、微かな苛立ちが滲む。


「何その顔」


篤の声が荒れる。


「無理だって言いたいのか?」


「違う……!」


亜紀が強く否定する。


思わず声が大きくなる。


通り過ぎる編集部員がちらりと視線を向ける。


「違うけど……」


言葉が続かない。


視線が揺れる。


「漫画家なんて……」


飲み込む。


だが遅かった。


篤の表情が変わる。


「なんだよ」


空気が軋む。


「言えよ」


亜紀の唇がわずかに震える。


「……安定しない仕事でしょ」


静かな声。


だが致命的な言葉。


雄大が目を伏せる。


篤の頭の奥で何かが切れる音がした。


「女優は安定してんのかよ」


反射的な言葉。


亜紀の目が揺れる。


「それとこれとは……」


「同じだろ」


篤が遮る。


怒りではない。


傷ついた声だった。


「夢で食ってんのは」


沈黙。


誰も動かない。


エレベーターの到着音だけが虚しく響く。


亜紀はゆっくりとサングラスを外した。


その目には――


不安があった。


責める色ではない。


怯えだった。


「怖いんだよ」


小さく呟く。


篤が息を止める。


「篤が……」


視線が落ちる。


「遠くに行く気がして」


その瞬間。


篤の怒りが、音もなく崩れた。


言葉を失う。


胸の奥に別の痛みが広がる。


雄大だけが、静かに二人を見ていた。


何も言わず。


ただ――


どこか苦しそうな目で。



「遠くに行く気がして」


その言葉が、妙に現実味を帯びて胸に残った。


篤は何も言えなかった。


怒鳴り返すことも、笑い飛ばすこともできない。


ただ、喉の奥が詰まる。


「……バカじゃん」


やっと出た言葉は、ひどく弱かった。


亜紀が顔を上げる。


篤は視線を逸らさない。


「行くわけねぇだろ」


強がりではない。


だが、確信とも違う。


夢に向かう人間の言葉は、いつだって不安定だ。


「俺、まだ何も始まってねぇし」


自嘲気味に笑う。


「連載も決まってないし、金もないし、将来性ゼロだぞ」


「それが怖いんだよ……」


亜紀の声は小さい。


責める響きではなかった。


「ゼロの人間が、一番遠くへ行くんだから」


篤の表情が止まる。


その発想はなかった。


何者でもない今だからこそ、何にでもなれる。


それは希望でもあり、恐怖でもある。


沈黙を破ったのは雄大だった。


「……俺は」


二人の間に割って入るように一歩前へ出る。


「遠くへ行きたいけどな」


空気が変わる。


亜紀の視線が雄大へ向く。


「絶対に」


静かな声。


だが、芯があった。


「今いる場所から」


篤が目を見開く。


雄大は続けた。


「安全圏って、地獄に一番近いから」


その言葉は、自分自身への告白だった。


優等生。


名門大学。


親の期待。


用意された未来。


「レールってさ」


自嘲気味に笑う。


「落ちない代わりに、どこにも行けないんだよ」


亜紀が息を呑む。


篤は初めて、雄大の目に剥き出しの感情を見る。


焦りでも、劣等感でもない。


渇望だった。


「だから描いてる」


雄大の拳が僅かに震える。


「漫画でしか、俺は逃げられない」


篤の胸がざわつく。


逃げる。


それはずっと自分の言葉だと思っていた。


だが違った。


雄大も同じだったのだ。


形が違うだけで。


亜紀はしばらく黙っていた。


やがて、ふっと小さく笑う。


「……なんかさ」


二人を見る。


少しだけ困ったような顔で。


「ズルいよね」


「は?」


篤が間抜けな声を出す。


「そんな真顔で夢語られたら」


肩をすくめる。


「反対できないじゃん」


篤が固まる。


雄大も言葉を失う。


亜紀は続けた。


「安定とか現実とか言ってる自分が、すごくつまんなく思える」


ほんの少しの寂しさを滲ませながら。


「同じ夢の仕事してるくせにね」


篤の胸が強く締め付けられる。


亜紀は笑っていた。


だがその笑顔は、どこか大人だった。


「たださ」


指先で篤の胸を軽く突く。


「売れる前に捨てないでよ?」


「……は?」


「夢も」


真っ直ぐな視線。


「私も」


言葉を失う篤。


完全に思考停止。


雄大が思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えている。


「な、何だよそれ……」


篤の声が情けなく揺れる。


「知らねぇよそんなの……」


亜紀はくすっと笑った。


「知っといてよ」


サングラスをかけ直す。


いつもの奈那峰亜紀の顔に戻る。


「未来の人気漫画家さん」


そう言って歩き出す。


数歩進んでから立ち止まり――


振り返らずに言った。


「連載決まったら教えて」


軽い調子。


だが、確かな重み。


「一番最初に」


そして去っていく。


静寂。


しばらく誰も動かなかった。


「……何あれ」


篤が呆然と呟く。


雄大が小さく笑う。


「いい彼女じゃん」


「うるせぇ」


だが声に力がない。


顔が赤い。


完全に動揺している。


雄大はふっと視線を上げた。


編集部のビルを見上げる。


高い。


遠い。


だが――


「行くぞ」


静かに言う。


篤が顔を上げる。


「どこに」


雄大の目が、珍しく熱を帯びていた。


「締切の向こう側」


篤の口元が歪む。


ゆっくりと笑みへ変わる。


「……上等」


二人は並んで歩き出す。


まだ何者でもない二人。


だが確かに、同じ方向へ。


才能の値段も知らないまま。


夢の請求書も見ないまま。


それでも――


ペンだけは、離さなかった。






おまけ ― 編集部のその後


月園舎・編集部。


夜。


静まり返ったフロアに、キーボードの音だけが響く。


八島歩はモニターを睨んでいた。


「……何なのあの二人」


ぼそっと漏らす。


隣の席の先輩編集が苦笑する。


「また新人?」


「新人以前ですよ」


歩は椅子にもたれた。


「問題児と優等生ですよ? 組ませたら事故るに決まってるじゃないですか」


だが、その口調にどこか楽しげな響きが混じる。


「で、原稿は?」


「……面白いんですよね」


先輩編集の眉が上がる。


「ほう」


歩は悔しそうに唇を尖らせる。


「腹立つくらい」


机の上にはネームのコピー。


赤ペンだらけ。


だが、その書き込みの量は異常だった。


「直しがいがあるってことだろ」


「違います」


即答。


「放っておけないだけです」


先輩編集が笑う。


「それを“担当向き”って言うんだよ」


歩は一瞬黙り――


「……最悪」


と呟いた。


だが完全に否定はしない。


その時。


編集部の自動ドアが開く音。


振り返る歩。


入ってきたのは――


「お疲れさまでーす」


奈那峰亜紀だった。


変装なし。


堂々。


編集部の空気が一瞬でざわつく。


「え?」


「本物?」


「何で?」


歩が立ち上がる。


「亜紀!? ちょ、ちょっと何でここに――」


亜紀は悪びれもなく笑う。


「差し入れ」


コンビニ袋を掲げる。


「歩、今日遅いでしょ」


編集部が静まり返る。


先輩編集の視線が歩に集中。


「……知り合い?」


歩の顔が引きつる。


「えっと……その……」


亜紀がさらっと追撃。


「親友です」


編集部、軽く騒然。


「えええ!?」


歩が頭を抱える。


「言わないでよそういうの!!」


亜紀は笑っている。


完全に楽しんでいる。


「で?」


歩の席を覗き込む。


「例の未来の人気漫画家さんは順調?」


歩の動きが止まる。


編集部の空気がまた変わる。


「……何で知ってるの」


「さあね」


意味深な笑み。


歩は深いため息をついた。


「順調じゃない」


即答。


「でも」


一拍置く。


「面白くなりそう」


亜紀の目が細くなる。


嬉しそうに。


「へぇ」


歩はネームの山を軽く叩いた。


「問題だらけだけど」


少しだけ口元が緩む。


「光ってるのよ、あのバカ」


編集部の先輩が小さく笑う。


「担当、完全にハマってんじゃん」


「違います」


歩は即座に否定する。


だが耳が赤い。


亜紀はそれを見逃さなかった。


「ふーん」


楽しそうに頷く。


「じゃあ売れたら教えて」


歩が睨む。


「何で」


亜紀は当然のように言う。


「自慢するから」


歩は絶句し――


やがて小さく笑った。


「……まだ早いわよ」


モニターへ視線を戻す。


「でも」


赤ペンを握り直す。


「絶対、上に行かせる」


編集部の空気が、ほんの少しだけ変わった。


静かな夜のフロアに――


新しい物語の匂いが漂い始めていた。

漫画家を目指す者の戦いは、

原稿用紙の上だけでは終わらない。


編集者もまた、同じ場所で戦っている。


怒鳴り、悩み、笑い、

それでも「面白い」を信じ続ける人たち。


そして――


問題児ほど、なぜか放っておけない。


次の物語は、もう始まっている。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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