第十話 「連載会議」
どうも。
この物語、気付けば十話を超えました。
まだデビューすらしていない高校生二人が、なぜか編集部に出入りし、
なぜか連載会議の空気を味わい、
なぜか人生を賭け始めています。
冷静に考えるとだいぶ危険な話です。
ですが――
夢を追う瞬間というのは、たいてい理屈を無視します。
安全計算を始めた時点で、物語は止まってしまうからです。
今回から、いよいよ「描き直し」という名の地獄編。
才能ではなく、精神力の戦い。
高校生なのに生活はほぼ漫画家。
果たして彼らは耐えられるのか。
少し空気の変わる第十話、続きをどうぞ。
会議室の空気は、いつだって乾いている。
静まり返った長机。
壁の時計の秒針だけが、やけに大きな音を立てていた。
狭間雄大は、自分の喉が異様に渇いていることに気付く。
隣に座る藤堂篤は、相変わらずの無表情だった。
緊張しているのか、していないのか、外からは全く読み取れない。
(なんで平然としていられるんだ……)
雄大は思わず横目で篤を見る。
編集部の奥。
連載会議。
ここで「はい」と言われるか「ダメ」と言われるかで、
漫画家人生の明暗が決まる。
「じゃあ、次」
低い声。
編集長の一言で、空気が切り替わる。
「新人持ち込み。八島」
名前を呼ばれた瞬間、
向かい側に座る八島歩が静かに立ち上がった。
無駄のない動作。
「はい」
その声音は、驚くほど落ち着いている。
「作品名『灰色の境界線』」
雄大の心臓が跳ね上がる。
篤は腕を組んだまま動かない。
歩は淡々と資料を配り始めた。
「原作・狭間雄大。作画・藤堂篤」
紙が机の上を滑る音だけが響く。
編集長がネームをめくる。
一枚。
二枚。
三枚――
沈黙。
何も言わない。
その時間が、地獄のように長い。
別の編集者が口を開いた。
「……絵はいいな」
雄大の背筋が伸びる。
篤の眉が僅かに動いた。
「新人とは思えない」
別の声。
「キャラも立ってる」
だが。
「ただ――」
来た。
雄大の胃が縮む。
「話が地味じゃないか?」
会議室の空気が変わる。
「盛り上がりに欠ける」
「フックが弱い」
「悪くはないけど、決め手が……」
言葉が次々と突き刺さる。
雄大の視界が揺れる。
(やっぱり……)
分かっていた。
自分でも感じていた弱点。
安全で、整い過ぎている。
その時だった。
「そこが武器です」
歩の声。
はっきりとした断言。
全員の視線が彼女に集まる。
編集長が目を細める。
「武器?」
「はい」
歩は一歩も引かない。
「この作品、派手ではありません」
静かな口調。
だが、芯がある。
「ですが、感情の熱量が異常に高い」
雄大が目を見開く。
「読者は“爆発”だけを求めているわけではありません」
会議室が静まり返る。
「積み上げた感情の爆発」
ネームを指で叩く。
「この作品はそこに特化しています」
編集長が腕を組む。
「……ふむ」
歩は続ける。
「それに」
一瞬の間。
「藤堂篤」
篤の名が出た瞬間、空気が揺れる。
「この作画は埋もれさせるべきではありません」
篤の視線が僅かに上がる。
「誌面に出せば、確実に目を引きます」
編集者たちがネームを見直す。
歩の言葉が波紋のように広がっていく。
「新人の初連載として十分な個性があります」
編集長が黙り込む。
再び、ページをめくる。
ゆっくり。
何度も。
やがて――
「……藤堂」
突然の指名。
篤が顔を上げる。
「はい」
「この先、描き切れるか?」
一瞬。
会議室の空気が凍る。
新人への、最も重い問い。
技術ではない。
覚悟の確認。
篤は一切迷わなかった。
「描きます」
即答。
「絶対に」
編集長の視線が鋭くなる。
「根拠は?」
篤は、薄く笑った。
「描きたいからです」
沈黙。
誰かが小さく息を呑む。
理屈ではない。
打算でもない。
ただの衝動。
だが――
それは創作者にとって、最も強い動機。
編集長の口元が僅かに歪む。
「……面白いな」
雄大の鼓動が止まりかける。
編集長が資料を閉じた。
そして。
「テスト連載」
世界が止まる。
「三話」
歩の目が光る。
雄大の呼吸が止まる。
篤は無言のまま、拳を握った。
「結果次第で本連載」
編集長の声が響く。
「やれるな?」
歩が即答する。
「はい」
雄大は声が出ない。
篤が小さく呟く。
「上等だ」
夢への扉が、わずかに開いた。
まだ確定ではない。
だが。
確かに、前進だった。
会議室を出た瞬間、
雄大の膝から力が抜けた。
「……は?」
自分でも間抜けだと思う声が漏れる。
「テスト……連載……?」
現実感がない。
つい数分前まで「ダメ出しの処刑場」に座っていたはずなのに、
今は廊下の壁にもたれて呼吸を整えている。
「おい」
低い声。
篤だった。
「座り込むな。邪魔だ」
相変わらず容赦がない。
だが、その口元は僅かに緩んでいた。
「……いや、お前はもっと喜べよ!」
雄大が顔を上げる。
「三話だぞ!? 掲載だぞ!?」
「まだ決まってねぇ」
篤は淡々と言い放つ。
「結果次第だ」
夢を見ない男。
いや――
夢を見ないふりをしている男。
そこへ、コツコツと規則正しい足音。
八島歩が歩いてくる。
いつもの冷静な顔。
だが、ほんの僅かに頬が紅潮していた。
「お疲れ様です」
営業スマイルではない。
純粋な達成感が滲んでいる。
「……八島さん……」
雄大の声が震える。
「通りました……よね……?」
「仮ですが」
歩はきっぱりと言う。
「大きな前進です」
その言葉が、やっと現実を連れてくる。
雄大の胸の奥で何かが爆発した。
「よっしゃあああああ!!」
編集部の廊下に響き渡る絶叫。
遠くで誰かが「うるせぇ!」と怒鳴った。
歩がため息をつく。
「静かにしてください」
「いや無理でしょ!? 無理でしょこれ!?」
雄大は完全に壊れていた。
「掲載ですよ!? 漫画雑誌ですよ!?」
篤が横で鼻で笑う。
「みっともねぇな」
だが。
「……まあ」
一瞬の間。
「悪くねぇ」
小さな呟き。
雄大は聞き逃さなかった。
「今、デレた?」
「殺すぞ」
いつもの調子。
なのに、妙に嬉しい。
歩が手帳を開く。
一気に編集者の顔へ戻る。
「浮かれている時間はありません」
空気が切り替わる。
「三話分、すぐにブラッシュアップします」
「え?」
雄大が固まる。
「え、もう?」
「当然です」
歩の目は真剣そのものだった。
「テスト連載は“様子見”ではありません」
冷酷な現実。
「実質、本連載の最終試験です」
雄大の背筋が凍る。
「読者アンケート」
「掲載順」
「打ち切りライン」
次々と並ぶ単語。
夢の世界の言葉ではない。
戦場の用語だ。
「一話目で掴めなければ終わりです」
沈黙。
さっきまで浮かれていた雄大の頭が急速に冷える。
「……マジかよ……」
篤がニヤリと笑った。
「面白くなってきたじゃねぇか」
この男は本当におかしい。
プレッシャーを燃料に変えるタイプだ。
歩はネームを軽く叩く。
「まず導入を強化します」
「フックを増やす」
「感情の爆発を前倒し」
完全に戦闘モード。
「狭間さん」
「はい!」
条件反射の返事。
「泣き言は禁止です」
「はい!!」
「藤堂さん」
「任せろ」
短いやり取り。
だが。
三人の間に、確かな熱が生まれていた。
歩が小さく息を吐く。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……勝ちにいきますよ」
雄大の心臓が跳ね上がる。
篤の目が鋭く光る。
夢ではない。
もう後戻りもない。
漫画家への道は、
甘くも優しくもなかった。
「勝ちにいきますよ」
その一言の余韻が、しばらく誰も動けなくさせた。
編集部の喧騒は変わらない。
電話の音、キーボード、笑い声、怒号。
なのに――
三人だけが、別の空気の中にいた。
「……具体的には?」
最初に口を開いたのは雄大だった。
さっきまで浮かれていた男とは思えないほど真剣な声。
歩は即答した。
「一話目の描き直しです」
「え?」
「全面改稿します」
さらりと言う。
だが内容は爆弾だ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
雄大の顔色が変わる。
「もう完成してますよ!? あれで通ったんですよ!?」
「“仮”です」
容赦ない。
「通ったのは素材です」
机を指で叩く。
「完成品ではありません」
ぐうの音も出ない。
篤が面白そうに笑う。
「いいじゃねぇか」
完全に他人事の顔。
「どう変える?」
歩の目が光る。
「主人公の感情導線を強化します」
「今のままだと冷静すぎます」
「読者は最初に“感情”を掴みます」
編集者の理論。
冷たく、的確。
「怒りか、焦りか、絶望か」
「どれかを初速で叩きつけます」
雄大の喉が鳴る。
自分の作品が解体されていく感覚。
だが――
不思議と嫌ではなかった。
「……例えば?」
歩はネームをめくる。
「このシーン」
物語冒頭。
何気ない日常から始まる場面。
「ここで事件を起こします」
「ページ三以内に」
「早っ!?」
「遅いくらいです」
篤が横から口を挟む。
「バトルに寄せるのか?」
「いいえ」
歩は首を振る。
「心理に寄せます」
「読者の脳ではなく、心臓を殴ります」
静かな言葉。
だが破壊力がある。
篤の口元が歪む。
「最高だな」
この男、本当に戦闘狂である。
雄大はまだ混乱していた。
「で、でも……間に合います?」
スケジュールという現実。
歩は一切迷わない。
「間に合わせます」
断定。
「そのためのテスト連載です」
手帳を閉じる音が妙に重い。
「今日から缶詰です」
「え?」
「学校帰りでは無理です」
「え?」
「生活を連載仕様に変えてください」
「えええ!?」
雄大の悲鳴が再び廊下に響く。
遠くでまた誰かが舌打ちした。
篤は肩を鳴らす。
「望むところだ」
迷いが一ミリもない。
「俺はいつでも描ける」
雄大は思わず叫ぶ。
「お前授業出てないだけだろ!」
「効率化だ」
「不良の理屈だろそれ!」
歩は冷静に言う。
「狭間さん」
「はい……」
「覚悟はありますか?」
まっすぐな視線。
逃げ道のない問い。
雄大の胸が締め付けられる。
名門大学。
親の期待。
安定した未来。
頭の中でそれらが高速で回転する。
だが。
ネーム用紙の束が視界に入る。
篤の横顔が目に入る。
歩の真剣な目が突き刺さる。
「……あります」
自分でも驚くほど静かな声だった。
歩は頷いた。
それだけ。
過剰な賞賛も感動もない。
「では始めましょう」
戦闘開始の合図のようだった。
「まず一話目、全ページ持ってきてください」
篤が歩き出す。
雄大も慌てて続く。
廊下の先。
編集部の奥。
プロの現場。
そこはもう「憧れの場所」ではなかった。
逃げ場のないリングだった。
そして三人は――
その中心へ、迷いなく踏み込んでいった。
おまけ ― 編集部のどうでもいい日常
「……で、どっちが先に壊れると思います?」
昼下がりの編集部。
八島歩はコーヒーを片手に、まるで天気の話でもするような口調で言った。
向かいの席では、校正紙の山に埋もれた若手編集が顔も上げずに答える。
「壊れるって、精神的に?」
「ええ」
「うーん……藤堂篤かな」
「意外ですね」
歩は少しだけ眉を上げる。
若手編集はペンを止め、苦笑した。
「だってああいうタイプ、勢いで走ってるから。壁にぶつかった時が怖い」
「なるほど」
「狭間雄大は逆。最初からずっと悩んでる顔してるから、案外しぶとい」
「経験則ですか?」
「編集十年やってるとね」
その会話を、少し離れたコピー機の前で当の本人たちが聞いているとは、二人は気付いていない。
「……おい」
篤が小声で呟く。
「俺、壊れる前提で話されてんだけど」
「安心しろ」
雄大は真顔で返した。
「俺もだ」
「フォローになってねえよ」
「でも当たってる気もするだろ?」
「否定できねえのが腹立つんだよ」
コピー機がウィーンと唸る。
やけに間の悪い静寂。
やがて、紙が吐き出される音だけが響いた。
その時――
「聞こえてますよ」
背後から、あまりにも平坦な声。
二人の背筋が同時に凍る。
振り向くと、そこには八島歩。
笑っていない。
まったく笑っていない。
「人を勝手に壊す側みたいに言わないでください」
「い、いや……」
「私は壊しません」
歩は一拍置いた。
「限界まで使うだけです」
「ほぼ同義だろ!?」
編集部に、篤の叫びが響き渡った。
遠くの席で、誰かがぽつりと呟く。
「……あの新人たち、長生きしないな」
誰も否定しなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
物語的にはまだ序盤ですが、
キャラクター的にはもう引き返せない地点まで来ています。
特に雄大。
優等生が一番危ない世界に足を踏み入れました。
そして歩。
ついに本格的に「鬼編集モード」へ。
漫画作品ではよくある構図ですが、
現実でもこのフェーズが一番過酷だったりします。
描き直しは地味で、報われず、終わりが見えない。
ですが、作品の質が跳ね上がるのもまたこの工程。
次回から、さらに創作寄り・修羅場寄りになります。
静かな戦闘回が続く予定です。
引き続きよろしくお願いします。




