第一話「最悪の再会」
『半身のペンネーム2』は、新たな世代、新たな関係性から物語を始めました。
前作が「成功とその重み」を描いたのに対し、本作はその対極――
まだ何者でもない、未完成な人間たちの衝突から幕を開けます。
優等生・狭間雄大。
不良・藤堂篤。
本来なら決して交わらない二つの人生。
価値観も、努力の方向も、未来への姿勢も真逆。
それでも物語は、最悪の形で彼らを出会わせました。
第一話では、才能や夢よりも先に「嫌悪」と「苛立ち」を前面に置いています。
なぜなら、創作の世界において最も強い結び付きは、必ずしも共感や友情から始まるとは限らないからです。
むしろ理解不能な相手との摩擦こそが、人間を大きく動かすことがあります。
この二人の関係がどのような形へ変化していくのか。
その出発点としてお楽しみいただければ幸いです。
教室の空気は、いつも通り退屈だった。
黒板に走るチョークの音。
単調な教師の声。
眠気を誘う午後の授業。
狭間雄大は窓際の席でノートを取っていた。
几帳面な文字。
乱れのない行間。
誰が見ても優等生のノート。
だがその視線は、どこか虚ろだった。
――納戸井大学。
名門。
約束された勝ち組。
親の誇り。
その言葉が頭の奥で重く響き続けている。
「雄大、お前なら絶対行ける」
「期待してるぞ」
「失敗は許されないからな」
何気ない言葉の皮を被った圧力。
努力している。
結果も出している。
それなのに――息苦しい。
ペンを握る指先に、僅かな力がこもる。
その時だった。
ガラッ――
教室の扉が、乱暴に開いた。
一瞬で空気が変わる。
視線が集まり、ざわめきが止まる。
教師の言葉が途切れる。
そこに立っていたのは――
藤堂篤だった。
「……は?」
誰かの呟き。
無理もない。
ここ数ヶ月、まともに姿を見せなかった男。
制服は着ているが、着崩し方が異常だった。
髪も整っていない。
目付きは鋭く、どこか投げやり。
完全な異物。
教師の顔が引きつる。
「……藤堂……お前……今さら何の用だ」
篤は無言で教室を見渡した。
興味も緊張もない視線。
そして――
空いている席へと勝手に歩く。
周囲の生徒が露骨に距離を取る。
雄大は小さく舌打ちした。
最悪だった。
よりによって、あの男。
同じクラスでありながら、最も関わりたくない存在。
問題児。
不良。
授業妨害装置。
象徴的な「駄目人間」。
篤が椅子へだらしなく腰を下ろす。
教師が苛立ちを隠さず言い放つ。
「出席日数分かってるのか」
「……知らねえよ」
気の抜けた返事。
教室の空気が凍る。
雄大の中で何かがざらついた。
変わらない。
何も変わっていない。
努力も責任もない空気。
それが妙に神経を逆撫でする。
授業終了のチャイム。
教師が足早に去る。
ざわめきが戻る。
だが、どこか落ち着かない。
そんな中、篤が突然口を開いた。
「なあ」
教室の空気がまた止まる。
「俺、漫画家になるわ」
一瞬の静寂。
次の瞬間――
失笑。
「は?」
「何言ってんだあいつ」
「頭大丈夫かよ」
当然の反応だった。
だが雄大の苛立ちは笑いでは済まなかった。
「……お前」
気付けば立ち上がっていた。
視線が集まる。
篤が気だるそうに顔を上げる。
「……あ?」
「何ふざけたこと言ってんだ」
声が低くなる。
抑えていた感情が滲む。
「漫画家?」
「お前が?」
篤は鼻で笑った。
「悪いかよ」
「悪いに決まってんだろ」
教室の空気が一気に張り詰める。
雄大の中で何かが切れた。
毎日必死に勉強し、押し潰されそうになりながら未来にしがみついている自分。
それを横目に、学校にも来ない男が軽々しく「夢」を語る。
許せなかった。
「業界知ってんのか?」
「甘くねえんだぞ」
「……知らねえよ」
篤は椅子へもたれたまま言う。
「でもまあ、描けばいいんだろ」
その瞬間――
完全に火が付いた。
「舐めてんのかお前」
机を強く叩く。
篤が立ち上がる。
視線がぶつかる。
険悪な沈黙。
「……やるか?」
篤の挑発的な一言。
次の瞬間、殴り合いが始まっていた。
椅子が倒れる。
悲鳴。
後ずさるクラスメイト。
だが――
予想外の展開はすぐに訪れた。
篤の動きは荒い。
力任せ。
そしてどこか雑だった。
完全な油断。
雄大の拳が、正確に入る。
鈍い音。
篤の身体がぐらりと揺れ――
倒れた。
教室が凍りつく。
「……え……?」
誰かの声。
篤本人でさえ呆然としていた。
床に倒れたまま、信じられないという表情。
雄大もまた、僅かに息を荒げながら立ち尽くしていた。
勝った。
優等生が。
問題児に。
だが胸にあったのは勝利感ではなかった。
ただの苛立ちの残滓。
そして奇妙な違和感。
篤がゆっくりと起き上がる。
口元を拭い、小さく笑う。
「……はは……」
そして吐き捨てる。
「お前……ムカつくな」
その言葉は、今後の関係を決定づけるには十分だった。
最悪の出会い。
最悪の再会。
だがこの日――
二人の運命は、確実に交差した。
――漫画家という、最も不確かな道の上で。
第一話のテーマは非常にシンプルです。
「交わらないはずの二人」
優等生と不良。
計画された人生と破綻寸前の人生。
そして最も重要なのが――
喧嘩の勝敗。
不良である篤が負ける。
しかも「油断」という極めて人間的な理由で。
この結果は単なる意外性ではなく、物語の力関係を歪ませるための重要な装置でもあります。
強者と弱者の固定構造を壊すことで、二人の関係はより不安定で面白いものへと変化します。
勝った雄大は爽快ではなく苛立ちを抱え、
負けた篤は屈辱ではなく興味を持つ。
このねじれこそが、物語の核になります。
ここから先、才能・努力・運――
前作とは異なる角度で「漫画家」という博打の世界を描いていきます。
物語はまだ始まったばかりです。




