第4章 10キロ
ムーランはVRヘッドセットを外した。
まだ本格的にゲームに入ることはできない。「神への挑戦」の完全オープンは、あと2日後だ。
キャラクター作成は、ただの第一歩にすぎない。
その直後、ベン・ゼンもヘッドセットを外し、ムーランを見た。
「……で、お前のゲームネームは?」
ムーランはまっすぐ彼の目を見返した。
「ゴッドスレイヤー。」
「うわっ……」ベンは口笛を吹いた。「マジで『ゴッドスレイヤー』にするのか? それ、ちょっとやべえな。
縁起でもないことにならねえか?」
「馬鹿げてるな」ムーランは薄く笑った。「お前のは? せめてパラディンにふさわしい名前にしてくれよ。」
ベンは胸を張った。「スカルハンター! カッコよくね? お前ほど壮大じゃねえけど、十分イケてるだろ?」
――スカルハンター?
ムーランは一瞬、固まった。
前世では、ベンはそんな名前を使っていなかった。
当時の彼はウォリアーを選び、「リアルマン」と名乗っていたのだ。
だが今、クラスはパラディン。名前はスカルハンター。
……すでに、蝶の効果が始まっている。
小さな変化が、やがて大きな波紋となって未来を塗り替える――
それを、ムーランは肌で感じていた。
それでも、彼は微笑んだ。「いい名前だ。
ゴッドスレイヤーとスカルハンター――俺たちがこのサーバーを支配する。
誰にも止められない。俺たちは、“神に挑む”んだ。どうだ?」
ベンは目を見開いた。「“神に挑む”……? それ、マジで言ってんのか?
100枚の挑戦の巻物、全部集められると思ってんのか?
仮に集めたとしても……本当に“神”を倒せるのか? 何年かかるか分かんねえぞ!」
誰もが知っているゲームのルールがあった。
100枚の巻物を集めなければ、挑戦資格すらない。
そして、“神”が一体何者なのか――
その真実は、最後の巻物の奥に隠されている。
それが「神への挑戦」最大の謎だった。
ベンは少し躊躇してから、こう聞いた。
「なあ、ムー……ステータス割り振り、どうすればいいか分かるか?
ちょっと調べたけど、パラディンってどう振るのがベストなんだ?
お前がこのクラス選ばせたんだろ? 何か計画あるだろ?」
ムーランは即答した。「全部、防御に振れ。
ステータス最適化は俺に任せろ。お前を“殺されない男”にしてやる。
ダメージなんて出す必要ない――すべての攻撃は、俺が受ける。」
心の中で、ふと静かな思いがよぎった。
――本当に、パラディンを選んでくれたのか……。
こんな友を持てて、本当に良かった。
声に出して言った。「ゲームにはまだ入れない。
なら、武術の訓練を現実に活かそう。この体を、戦うために鍛え直す。
今夜、5時起きでアラーム設定しろ。10キロ走って、シャワー浴びて、学校行く。
どうだ?」
「了解」ベンは力強く頷いた。
こうして、二人の新たな日々が始まった。
—
さらに1〜2時間、二人は訓練を続けた。
服は汗でぐっしょりと濡れ、体は限界寸前だった。
だが満足感に包まれながら、彼らはシャワーを浴び、ベッドに倒れ込んだ。
明日の本当の試練が、夜明けと共に始まることを知りながら。
—
午前5時。
耳障りで容赦なく、しかし完璧に眠りを引き裂くアラームが鳴り響いた。
ムーランとベンは半分夢の中のままベッドから這い出し、
洗面台で顔に水をぶっかけた。
廊下で二人はまたもやぶつかりそうになり、重たい瞼と筋肉痛に呻きながら顔を見合わせた。
昨日習った技は高度すぎる。未熟な肉体にはあまりに過酷だった。
今なら、二日間眠り続けても足りない気がした。
「おはよ、ムー。」
「おはよ、ベン。」
二人は黙ってキッチンの棚を開け、軽いスナックを取り出してテーブルについた。
ゆっくりと噛みながら、無言で朝を迎えた。
ムーランがぼそっと言った。「もう死にそう……
本当に10キロ走れるのか不安だな。もし途中で倒れて死んだら、墓石に『リアルマン』って彫ってくれ。」
ベンは鼻で笑った。「大丈夫だよ。
“殺されないものは、人を強くする”って言うだろ?
痛みこそ、男を育てる。」
その言葉に、ベンはハッとした。
――それは、まさに自分の人生のモットーだった。
突然、体内に熱いエネルギーが湧き上がってきた。
「よし、ムー! 早く食え! 10キロ走るんだぞ!」
ムーランはにやりと笑った。
さっきまでぐったりしていたベンが、今や目を輝かせている。
その姿に背中を押され、ムーランも素早く食べ終えた。
二人は外へ出た。向かう先は、いつもの公園。
夜明け前の街は静まり返り、数人の早起きランナーだけが、同じように強さを求めて走っていた。
無駄口を交わさず、二人は『古武術』で学んだ呼吸法と歩幅を意識しながら、走り始めた。
1キロ地点で、すでに息が切れていた。
これが二人にとって、初めての本格的なランニングだった。
だが、足を止めなかった。
残り9キロ。絶対に、走り切る。
2キロ――脚が焼けるように痛んだ。
3キロ――足が鉛のように重く、上げるのもやっとだった。
それでも、心が折れなかった。
「できる」と信じたからだ。だから、進んだ。
4キロ……
5キロ……
8キロ……
10キロ。
スタートからちょうど2時間後、二人は10キロのゴールラインを越えた。
完璧な走りではなかった。歩いたことも、休んだこともあった。
それでも、最後まで走りきった。
今の彼らの体は、まだ完成されていない。
だが勝利とは、完璧であることではない。
毎日、ここに来ること――それこそが、強さの始まりだった。
汗だくのまま帰宅し、学校に行く前にシャワーを浴びた。
ベンは、まるで3〜4キロ痩せたような気分だった。
古い自分を、文字通り“脱ぎ捨てた”ような感覚。
一方、ムーランは元々痩せていたため、1キロ程度の変化しか感じなかった。
脂肪なんて、最初からほとんどなかったのだ。
さっと身支度を整え、二人は学校へ向かった。
アパートからわずか2ブロック――
この近さが、これから始まる規律ある生活にぴったりだった。
旅は、すでに始まっていた。
そして今回は――
決して、後れを取らない。




