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謁見の間ー2

 謁見の間は、国王陛下の座する玉座の置かれた、この国でも最も貴い場所である。治世をなし、国を統べる陛下は、ここより全てを決定される。国内の諸侯も、他国の外交官も、商会の開設を求めるギルドの役員も、「白銀の大国」で事を成そうとするならば、この場所を避けて通ることはできない。


 それは同時に、遍く全ての民と諸外国に対して、国の威信を示す場でもあるということを意味している。この場所こそ国の中枢、そして同時に、国の写し鏡なのだ。なればこそ、謁見の間は必然的に、大国の栄華を象徴するかのように立派で壮観なものだった。


 空間の間取りは、両端の大理石の壁が視界の端から端に収まらないほどに広く、天井は遥かに見上げるほど高い。そして、その黄金の天井から提げられた巨大なシャンデリアの、目も眩むほどの光が部屋中を照らしていた。


 四方の壁には、部屋を取り囲むように白銀の鎧に身を包んだ騎士がずらりと居並ぶ。彼らは剣を床に突き立てた姿勢のまま、微動だにせず前を見つめていた。


 床に敷かれた真紅のカーペットは長く続き、やがて三段ほど高くなった壇上の玉座へと続く。その玉座には、この「白銀の大国」メルキセドを統治する現国王、アレキウス・マグルガー・メルクリウス陛下が、巨大な国旗を背景にして鎮座していた。王冠を頂き、長い白髭をたくわえたその姿は年老いてはいるが、瞳にはまだ、確かな活力を宿しているようだ。更に玉座の両脇には、大国最強の騎士と名高い「メルキセド三将」のうちの二人、アロセリア・リッツォーノとラゴン・スラグルムが泰然と佇み、国の主君の守護を担う。


 その光景を目にしただけで、私はあまりの威圧感と厳かな雰囲気に気圧されてしまった。何かとんでもない場所へと、場違いにも迷い込んでしまった気分だ。


 私たちは国王陛下の前へと進み出ると、深く頭を下げた。それから、私を含む側近の騎士たちは脇へとはけて跪き、五人の皇女だけが更に国王陛下の元へと近づく。そのまま壇の目の前まで歩み出ると、彼女達はそこで立ち止まり、両手を揃えて会釈した。


 ポジションとしては、やはり主役である姫さまが真ん中だ。右隣に第一皇女エカテリーナ様、その隣に第三皇女アレナ様、左隣には第二皇女マチルダ様、その隣に第四皇女ペトラルカ様という立ち位置だった。


 国王陛下は、娘達が自分の元へとやってきたのを見ると、ゆっくりとしわの入った片手をあげた。


「ご苦労」


 陛下が短く労うと、案内の侍従が下がっていく。それを見送ってから、改めて陛下は口を開いた。


「今日、再びこの時を迎えられたことを嬉しく思うぞ、我が娘たちよ。そして……よくぞ再び戻ってきてくれた、シルフィリディア」


「ありがとうございます、陛下。陛下こそ、変わらぬご壮健の様子、大変喜ばしく思います」


「ふむ。どれ、シルフィリディアよ。もっと近く、その顔をよく見せてくれ」


 国王陛下は目を細めて、姫さまを手招きする。姫さまはそれに従い壇上を登り、陛下の前に立った。


「おお、おお。本当に立派になった。あの体の弱い幼子だったそなたが、こんなにも……」


 身を乗り出すようにして姫さまの顔を覗き込むと、陛下は感慨深そうに言う。続けて、昔を懐かしむようにポロリと。


「それに、亡き母に似て美しく育ったな。レーネを思い出すようだ」


「私のお母様……」


 姫さまは、何か思う所のある様子で俯いた。国王陛下は目を瞑ると、過去を思い出すようにして語る。


「十五年前……大陸に流行る不治の病にかかったレーネがそなたを産んだ。静かな夜だった。最後の力を振り絞って我が子を抱く彼女の胸の中で、そなたは力強く産声をあげていたのだ」


 そう話す国王陛下の声色は、切なさを滲ませながらも、どこか誇らしげだった。姫さまは下を向き、ただ黙ってそれを聞いている。


「レーネは死んだ。彼女の体が出産に耐えきれないことなど、誰もが分かっていた。……だが、彼女はただ死んだのではない。シルフィリディア、そなたという掛け替えの無い宝を残してこの世を去ったのだ。そしてレーネの面影は、確かにそなたの中に宿っておる」


 その瞳は遥か遠くを見るようで。届かない過去に触れようとするようで。儚くも美しい、今にも壊れてしまいそうなものを、優しく抱きとめようとするようで。


 国王陛下は最後に、姫さまの頬をそっと撫でると。


「やはり、間違っていなかった。お前を産むという彼女の選択は」


「温かいお言葉……とても光栄です、陛下」


 姫さまは、陛下の掌に自分の手を重ね、その感触を確かめるように返した。


 そうして陛下との再会の挨拶が終わると、姫さまはゆっくりとまた壇を降りて、他の皇女に並んで立った。


 陛下は玉座の肘掛けに手を置き、改めて五人の娘達を見下ろす。それから、満を持して話の本題へと踏み込んだ。


「さて、こうして私の末の娘が、めでたく十五を迎えた。そして、エカテリーナ、マチルダ、アレナ、ペトラルカ。そなた達の成長もまた、すめらぎに対する何よりの献身だ。今宵は存分に食事と宴を楽しみ、明日より王都をあげての式典となる。そなた達の晴れやかな姿を、民も心待ちにしていることだろう」


 そこで一度、陛下は逡巡するように視線を落とした。それから、しばし葛藤した様子で間を置いて。


「このようなめでたい時にするべきではないのかもしれぬが……私もどうやらあまり長くないらしい。そなた達にもそろそろ話しておくべきだろう」


 陛下の言葉に真っ先に反応したのは、私の隣で跪いているエカテリーナ様の騎士、アリスだった。僅かな動きだが、確かに彼女の耳がピクリと動き、目線が上がったのだ。


「なるべく早く、正式に決定しようと思っている。私の後継……即ちメルキセドの次のすめらぎを、な」


 途端、周囲に緊張が走った。皇女も、騎士も、みな、陛下の言葉の行方を追った。


 だが、ただ一人、第一皇女のエカテリーナ様だけが、それを遮るように凛として異議を申し立てる。


「お言葉ですが、陛下。まだその事については時期尚早ではないでしょうか? 我ら姉妹、長姉である私でさえ、たかだか二十五の若輩。陛下のお体であれば、まだまだ玉座を譲るようなことは……」


「そうもいかんのだ、賢いエカテリーナよ」


 国王陛下は、難儀そうに眉間を指で揉みほぐしながら首を横に振った。


「戦が迫っているのだ」


「……!!」


 今度こそ、誰もが明確に顔を上げた。皇女達も一斉に表情を強張らせる。


 驚くべきことだった。長らく平和のための中立体制を保っていたこの大国に、戦が迫っている、なんて。


「それはどういうことですか、陛下。我らメルキセドは、旧時代、国の興りより長らく不戦の誓いを果たしてきたはず! それが今になって戦だなどと、まさか「イルシアの悲劇」をお忘れですか!」


 狼狽る皇女達の中でも、エカテリーナ様だけが怯むことなく国王陛下へと物申す。


「いかに耄碌もうろくしたとて私も王だ。まさか、かの伝承を忘れるはずもない。だが……此度の戦、誓いで国を守るにはあまりにも大きすぎるのだ」


「そんな……!」


 陛下の言葉に、エカテリーナ様が愕然とした様子で唇を震わせた。


 「イルシアの悲劇」。この国に住まうものであれば、一度は聞いたことのある事件だろう。何せ、母親が枕元で子供に語り聞かせるお伽話の定番にもなっているほどだ。


 イルシアとは、旧時代に存在した大国の名前だ。というより、地理的にも文化的にも、ほとんどこのメルキセドの前身といってもよい。かつて、大陸で栄えた一大教派「救星教」の総本山を置く、豊かな国家だったという。


 だが、イルシアはおよそ五百年以上も昔に滅亡してしまった。大陸を飲み込む大いなる「聖戦」の戦火に飲み込まれたのだ。


 勇者の存在を巡って勃発した彼の聖戦において、「勇者の祝福」を為し得た救星教、そして、その総本山を置き、国教として祭り上げていたイルシアが最初の標的となるのは、ある種必然のことであった。大陸諸国はイルシアの首都メルセブルクを血で染め上げ、王族を皆殺しにし、国中を蹂躙した。しかし、例えどんなに一方的な戦局になったとしても、イルシアは決して降伏することはなかった。「救星教」の信奉する「星明かりの神」の名の下に断固とした抵抗を続け、勇者も彼らと共に戦ったといわれている。


 結局、勇者も、都も、教会も、何もかもが消えてなくなり、国そのものが完全に滅んでしまうまで、戦いは続いた。それによって戦場は拡大し、次第に大陸の中原へと移ろっていったのだとか。やがて、イルシアを淘汰した頃には、各国の体制は既に一枚岩ではなくなっており、すぐに次なる覇権を巡った争いが始まることとなる。そうして連鎖した火種は遂に大陸を分断させ、戦乱は収まることなく、大陸の全てを巻き込んでいったのだった。


 終戦後、祭祀ステラの予言によって亡国の跡地を引き継ぎ、現在のメルキセドを興したメルクリウス一世は、かの国の文化と歴史に最大限の敬意を払い、できうる限りの再生を目指した。そしてまた、その滅亡の経緯と大陸の惨状を「イルシアの悲劇」と呼んで教訓とし、二度と再び同じ過ちが繰り返されぬよう、後世に伝えたというわけだ。


 ところが、その数世紀にもわたって伝わる訓戒が、今しも破られようとしていると陛下は言う。皇女達が激しく動揺を示すのも無理のないことだった。


「私は嫌ですわ、陛下! 戦だなんて、恐ろしい! 汚らわしい! 焼けた土の匂いが大嫌いです!」


 マチルダ様が声を上げる。それに同調するように、アレナ様とペトラルカ様も頷いた。


「戦……嫌いです。多分みんなも」


「戦って、人が殺し合うんでしょ!? どうしてそんな恐いことをしなくちゃいけないんですか!」


 彼女らに引き続き、エカテリーナ様がもう一度、険しい顔で陛下に尋ねる。


「陛下、どうかお聞かせください。何故そのようなことを? 代々の戒めを覆えしてまで、この国に軍靴ぐんかの音を鳴らそうとお考えになった、その理由を」


「ふむ……」


 エカテリーナ様の要請を受けて、陛下は一つ息を吐いた。それから、苦悩を示すように頭を抱えた後、天井を見上げて、ポツポツと語り始めた。


「大陸の東、炎の海を越えた先にある軍事大国ログレインズが動き出したのだ」


「……っ!」


 エカテリーナ様が、はっと息を飲み込む。他の皇女達も、少なからず陛下の口から出た国の名前に反応を示した。


 「燃える海の国」ログレインズ。大陸の東に広がる広大な炎の海の、その先にある軍事国家だ。発展した軍需産業と強大な兵力を擁する大陸有数の列強であり、加えて好戦的な性格で、ことあるこどに周辺諸国との小競り合いや紛争を起こしている。また、地理的な関係上、鎖国国家である「黄金の国」と隣接し、唯一交流を持つことのできる国でもあった。


 表向きは共和制を謳いながらも、その内実は国家元首である大総統と、それを取り囲む元老院の独裁体制。軍事支援のための駐留軍と称して小国に軍隊を派遣し、半ば強引に実効支配してしまったり、戦争資源を横流しして国家間の争いを助長し、そのまま我が物顔で仲介役として調停の席を取り仕切ってしまうなど、最近ますます横暴さに拍車がかかってきているという。


「百年戦争の開戦以来、どういうわけかかの国は長らく、戦局への表立った介入をせずに息を潜めていた。だがそれは、どうやら全て来るべき時のためだったようなのだ」


「来るべき時……」


 陛下の言葉を噛みしめるように、姫さまが反芻する。


「そう。大陸の国々が長引く戦争によって磨耗し、その国力が衰退する時だ。大戦の裏で暗躍を続けながら、奴らは虎視眈々とその時を待ちわびていた。今こそかの国はこの大陸の覇権を掌中に収めんと、これまでに蓄えてきた巨大な戦力を用いて進軍を始めようとしている。そして……今のログレインズに対抗できるほどの余力を残している国は、最早このメルキセドしかないのだ」


「そ、そんな……」


 衝撃の事実を告げられて、エカテリーナ様が固唾を飲んだ。マチルダ様は額に汗を浮かべ、アレナ様やペトラルカ様に至っては、小刻みに肩を震わせているのが分かる。


「当然、奴らもそのことを理解しているだろう。故にまず真っ先に、全力でこの国を落としに来るはず。そうなれば、最早衝突は避けられぬ。あのようなならず者の徒輩ともがらに、我がメルキセドの悠久の平和のみならず、大陸の未来までも脅かさせるわけにはいかないのだ」


 唐突な戦端の兆し。それも、大陸に名を轟かせる東の大国の蠢動しゅんどうという、余りにも不穏な報せを従えて、謁見の時間は終わった。皇女達はどこか深刻な雰囲気を漂わせたまま、国王陛下に頭を下げてその場を後にする。専従の騎士達も彼女らの背中に続いて謁見の間から引き上げようとしていた。


 私も、すぐさま不安げな姫さまに駆け寄り、この息のつまるような空間から立ち去ろうとしたのだが。


「待て、そこの騎士よ。……そうだ、亜麻色の美しい髪のそなただ。そなたはしばし、ここに残りなさい」


 なんと、私はいきなり国王陛下から直々の指名を受け、呼び止められてしまったのだった。正直、内心で「うええ」と呻いたし、本音を言えば絶対にご遠慮願いたかったのだけれど、縋るように姫さまの方を見ると、彼女の無言の瞳が「言う通りにしろ」と仰っていたので、渋々陛下の言葉に従うことにした。本当は嫌だったけど。

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