皇女の謁見ー2
自らの「故郷」へと久しぶりに帰ってきた姫さまは、華やかな街の景色をぼんやりと見送りながら目を細めていた。彼女の視線には、生まれの地を懐かしむ気持ちと、一方でどこか恨めしいような、疎んじているような後ろ向きな感情が混在しているように感じられた。
「賑やかな街ですね」
「えっ?」
私が声をかけると、不意打ちを受けたように姫さまがこちらを振り向く。それから、小さく嘆息して。
「……そうね、相変わらずだわ」
「長らくぶりの帰郷ともなれば、感慨深いものもあるものですか?」
「いいえ……と言えば嘘になってしまうけれど。でも、この街はやっぱり私には煩わしすぎるわ。せいぜい、辺境の地で郷愁にふけるくらいが丁度いい塩梅ね」
「ははは、手厳しいですね」
苦笑いで返しつつも、私は姫さまのそういう姿勢にも好感を覚える。このような華美な世界に対しても全く物怖じせず、どころか、何と堂々としていて気位のある態度だろう。姫さまの隣に立つ限り、私も胸を張って歩かなければ、恥をかかせてしまうというものだ。
「まあそれでも。そうね、一つだけ」
姫さまは、視線を銀の山脈の果てに広がる青空に移しながらポツリと呟いた。
「お父様……いえ、国王陛下とお会いできるのは楽しみだわ。お姉さまの凱旋の折以来だもの」
姫さまが、視線を下にやりながら照れ臭そうにそう語る。
「樹氷の街」の領主を幼い頃より任されている姫さまは、父親であるメルキセドの現国王、アレキウス・マグルガー・メルクリウス陛下とは長らく離れ離れだったのだ。この年齢でたった一人、辺境の地を治める任に就くことがどれ程心細いことだろうか。それを思えば、彼女のその言葉は当然のものだとも言えるだろう。
それにしても、姫さまのお父様である国王陛下とは一体どんな人物なのだろうか。きっと素晴らしい人物なのだろうな。何せこの姫さまの生みの親であらせられるお方だ、うん、そうに違いない。
「リアスはこういう場所で暮らしたい?」
私が彼女の思いを肯定するように微笑んでいると、不意に姫さまが問いかけてくる。突然話題を振られた私は、質問の意図を解し損ねつつも、間髪入れずそれにに答えた。
「私は姫さまのいる場所で暮らしたいです!」
少々食い気味に、暑苦しいくらいの勢いで返事を返すと、姫さまは驚いたように目を丸めた。そして、困ったように笑いながら肩を竦める。
「まったく。あなたっていう人はどうしていつも、そんなに上手なお世辞が言えるのかしらね。たまに驚かされてしまうわ」
「え! 私は別にお世辞を言っているわけでは……」
「はいはい、分かっているわ。いつもありがとう」
姫さまは私の抗弁を遮って柔らかく微笑む。
「でも、それなら早く用事を済ませて、私達の街へ一緒に帰りましょう」
「はい! わかりました!」
やがて、王都のメインストリートを更に進むことしばらく、私たちはついに目的の場所へと到着した。馬車がゆっくりと停止し、扉が外から開かれる。
すると、眩い煌きを放つ豪奢な皇宮と、緑豊かな宮廷広場が私たちを出迎えた。皇宮へと続く大理石の一本道には、ズラリとメルキセド皇立騎士団の面々が居並び、私たちの行手を示している。翼の生えた蛇の紋様が描かれた皇家の御旗がいくつもたなびき、それを掲げる騎手達は輪を描くように馬車の周りを旋回していた。
「シルフィリディア・スライン・メルクリウス皇女殿下、ご到着〜!!」
道の真ん中に立つ、際服に身を包んだ儀典官が大声で告げる。それと同時に、一糸乱れぬ統合された動きで、列をなした騎士達が一斉に剣を掲げた。アーチを作るように、その剣先は空を向いている。
圧巻の光景に、私が息を飲んで固まっていると、向かいに座った姫さまが私のひざを細い指でつついてきた。
「ほら、リアス。私をエスコートして」
いつになく真面目な表情で、彼女はそう催促してくる。
「ひ、ひゃい!」
緊張のあまり、思わず上擦った声で答えてしまった。姫さまは何も言わなかったものの、今の私の無様な反応を目にしただけでも先が思いやられるような気持ちになったに違いない。というか、何を隠そう、私自身が一番不安を感じている。
うう、本当に大丈夫かな。
私は段差につまずいてしまわないように注意しながらも、急いで馬車を降りた。それから、大勢に囲まれて注目されているという状況に目を回しそうになりつつも、振り返って姫さまに手を差し出す。と、それに応えるように、姫さまが私の手を取り、ゆっくりと席から立ち上がった。
落ち着いた振る舞いで、姫さまが衆目の前へと現れる。周囲を回っていた騎馬隊はピタリと静止し、儀典官とそれに従う奉迎の騎士達が、恭しく頭を下げた。
姫さまは、最後の段差を下り終えると、片手でスカートの裾をつまみながら、お辞儀をする。それを合図としたように、再び統制された動作で、騎士団が掲げた剣を鞘へとしまった。
続けて、行事を取り仕切っている初老の儀典官が私たちの元へと近づいてくる。彼の両脇には、その守護を固めるように二人の騎士がついていた。片方は長く伸びた金髪と尖った耳、エメラルド色の瞳を持つエルフの女騎士。そしてもう片方は、カールのかかった赤髭を蓄えた筋骨隆々のドワーフの騎士だ。特別な役目を与えられている辺り、恐らくは皇立騎士団でも一、二の精鋭ということだろう。ということはもしや、彼らが「白銀の大国」の擁する三本の剣、「メルキセド三将」と称えられる英雄だろうか。
……は、いかんいかん。つい、いつもの癖で下世話な詮索を行ってしまった。ここは戦場ではないんだ。あまり無粋な真似をするべきではないだろう。
ひとまず姫さまのことを見て落ち着くとしよう。
「遠路遥々のご足労、大変痛み入ります、殿下」
私たちの前にまでやってきた儀典官が、低頭しながら姫さまに挨拶をした。姫さまの方も小さく頷いて、それに返答する。
「お出迎えご苦労様です、ギルバート」
「いえいえ、とんでもございません。シルフィリディア皇女殿下におかせられましても、此度は十五の誕生日をめでたく迎えられたとのこと。我々も大変喜ばしく思っております」
「ありがとう。式典の準備の方は?」
「ええ。もちろん、万事整っております。既に他の皇女殿下方もお着きになられ、国王陛下もシルフィリディア様の謁見を大変心待ちにされているそうで」
「そう。お姉さま達もいらしているのね」
姫さまは、少し思うところがあるような表情でそう言うと、次に、儀典官の両脇に控える二人の騎士に顔を向けた。
「あなた達も変わりなさそうね。アロセリア、ラゴン」
姫さまがそう告げると、二人の騎士は胸の前に拳を当てて敬礼する。
「はっ、勿体なきお言葉にございます」
アロセリアと呼ばれたエルフの女騎士が厳粛な口調で言った。
「シルフィ様の方こそ、随分と大きくなられましたな」
対して、馴れ馴れしくそんなことをのたまってくるのは、ラゴンというドワーフの方だ。彼らの表情を見る限り、この二人と姫さまはある程度親しい間柄にあるようだ。一体どういう関係なのだろうか。何より、姫さまのことを愛称である「シルフィ」の名前で呼んでいる辺りは、このドワーフの男、いくら旧知の仲であったとしても、少々失礼ではないだろうか。
「して、シルフィリディア様。失礼ながら、そちらの御仁は? まだ子供のようにも見受けられますが」
私が頭の中で無用な勘ぐりを入れてケチをつけていたところ、アロセリアがこちらに胡乱な視線を向けながら、姫さまに尋ねた。話題の的となった私は、慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正す。
「ああ、そうね。あなた達と会わせるのははじめてになるかしら」
姫さまはアロセリアの問いに頷くと、私の手を握ったまま紹介してくる。
「こちらはリアス。私の側近を務める騎士よ」
「よ、よろしくお願いします! り、リアスと言います! えっと、き、騎士です……ひめさまの!」
すっかり上がってしまっている私は、無様な自己紹介をかましてしまう。あまりにたじたじな挨拶を受けて、アロセリアの視線は一層厳しくなった。
「こちらがシルフィリディア様の……?」
「なるほど、そうですか。であれば、よろしくお願いしますよ。シルフィ様の護衛は骨が折れますからな」
一方、気さくなドワーフの方は、面白そうにニヤつきながら、無骨で大きな手を差し出してくる。
「私はラゴン・スラグルム。アレキウス国王陛下に仕える忠実なる剣。この国においては「アメジストの騎士」などと呼ばれたりもします」
「は、はい! お願いします!」
「アメジストの騎士」。どうやら間違いないらしい。この軽薄な笑みを浮かべたドワーフの男は、大陸にその異名を轟かせる剣士のようだ。超大国メルキセドが誇る「三将」の内の一人であろう。
となると、やはりこっちも……。
「ふむ、そうか。ご苦労だったな、騎士よ。私はアロセリア・リッツォーノ。この男と同様、国王陛下の直属に置かれる騎士だ。戦場においては「ダイヤモンドの騎士」と名乗ることにしている」
「り、リッツォーノ!?」
彼女の名乗りを受けた途端、私は素っ頓狂な声をあげてしまう。なんだかさっきから失敗続きな気がしないでもないが、むしろここで飛び上がってしまわなかっただけ自分を褒めてやりたいところだ。
というのも、リッツォーノといえば、先代勇者の血族の子孫が持つ性なのである。私の愛読書の一つである「アルゴ英雄記」によれば、かの勇者は元々は平民の出だったが、魔王討伐の後にその功績を称えられて「イルシア連邦」……つまりかつての「白銀の大国」から騎士号を授与されたという。そして、一族の全員が貴族と同等の待遇を受けて、姓を名乗ることを許された。
その性が「リッツォーノ」なのだ。これは知る人ぞ知る情報であり、私とて、姫さまの許可を得て立ち入ることのできる特別な書庫に置かれた資料からそれを得ることができたのだが。
「何か?」
アロセリアは私の反応に、怪訝そうに眉を潜めている。私は慌てて首を振ると。
「い、いえ! すみません……。えっと、その、恐縮です」
急いで、二人の差し伸べる手を順にとり、握手をかわした。
私は、盗み見るようにアロセリアの顔を伺う。まさか、それでは彼女が「勇者の血族」ということなのだろうか。神の祝福はその血にも宿るというけれど、だとすれば彼女が王国の剣に選ばれる理由についても納得がいくというものだ。
ただ、ひとつだけ気になることは、アロセリアの外見が正真正銘のエルフ族であるということだ。言い伝えによれば先代勇者はヒューマンの出であるし、歴代の勇者の中にもエルフはいなかったはず。となれば、やはり同性なだけで彼女自身は勇者とは無関係なのだろうか。
「騎士よ。そなた、性は何という? こちらが名乗りを上げているのだ、ファーストネームだけで済ませるのは騎士の礼儀に反しよう?」
深い思索に陥っていた私は、突然アロセリアに聞かれて、思わず「へ?」と間抜けな声を漏らしてしまう。いよいよ、隣に立つ姫さまの表情が曇っていくのが分かった。
「あ、あ〜? せい? えーと、せい……あ、性か!」
何が「あ、性か!」なのか分かったものではない。きっと今の私の姿は、笑い芸者か何かのように滑稽に映ったに違いない。
……ここがそれを笑ってくれるような場所であるかどうかは別にして、だ。
「リアスは正統な騎士の家系の出身ではないの。だから性はないわ。ただのリアスよ」
見かねた姫さまが、たまらず助け舟を出してくれる。しどろもどろになりながら、私は頭をかいてそれに同調した。
「あ、実はそうなんです。は、ははは……っ!」
姫さまに後ろからつねられてしまった。大分ご立腹らしい。
「何……? ではこの騎士は市井の出であると?」
途端、アロセリアが眉間にシワを寄せ、険しい顔をする。彼女の言葉を聞いた周りの騎士達までもが、急にどよめきはじめた。私を見つめる彼らの視線に、奇異の色が混じり始める。見れば、儀典官の方まで面食らった表情をしていた。
自分で言うのもなんだが、私は見た目だけでいえば貴族か騎士の出身を思わせる風態をしているらしい。だから苗字がないという事実を聞いて驚く気持ちも分かるが、しかし果たしてそこまでオーバーなリアクションをとることあるだろうか。剣の腕も、姫さまを思う気持ちも、そんじょそこらの騎士なんかには決して負けない自信が私にはある。
まあ、騎士にはお誂え向きの、こういった派手派手しくて堅苦しい世界は苦手ではあるのだけれども。
「ええ、そうよ。でも心配いらないわ。私が直々にリアスに任命したの。信頼もしてる」
「そういう問題ではありません。一国の皇女たるあなたが、よもやどこの馬の骨とも分からぬ平民上がりを側に仕えさせているなど……! もし人手不足ということであれば、一言仰って頂くだけで、我らが騎士団有数の精鋭をすぐにでも派遣し……」
「まあ待てよ、アロス。そんな硬いことをわざわざここで言わなくてもいいんじゃないか。シルフィ様だってもう十五、立派な大人だ。 側近の一人くらい、自分で選び、自分で決めるさ」
「適当なことを言うな、ラゴン。それで万が一にもシルフィリディア様の身に……あるいは名誉に傷でもついてみろ。貴様が責任を取るとでもいうのか?」
「なーんでそこで責任の話になるんだ。シルフィ様の御身は必ず守る、それは責任云々の話じゃなく、騎士団全員の使命だろうが」
「なればこそ……!」
「二人とも! それくらいにして」
目の前で言い争いを始めた二人の騎士を窘めるように、姫さまが割って入る。アロセリアとラゴンはすかさず姿勢を正し、敬礼をとり直す。
「申し訳ありませんでした」
「いいの。気にしないで。でもね、みんなも聞いて。リアスは少し頼りない所もあるけれど、腕は確かだし、絶対に私のことを守ってくれる。それは他でもないこの私が保証します。だから、思うところはあるかもしれないけど、彼女を認めてあげて。私の騎士はリアスだけだから」
「……!」
その言葉に一番驚いてしまったのは、他の誰でもないこの私だった。いや、驚くどころの騒ぎではない。感銘を受けた。感動した。胸が熱くなった。
決めた。いや、元々決めていたけど、改めて。私は一生姫さまについていきます。私の全てを掛けて守ります。これからは一瞬たりとも離れずお側にいます。
……多分、それは怒られるだろうな、色々と。
「……なるほど、ひとまずシルフィリディア様のお気持ち、あい分かりました。元より、このことは我々ごときが意見することのできる問題ではありません」
姫さまの堅い意志を聞いて、さしものアロセリアも食い下がる。だが、それでもなお、腕を組んで厳格な態度で忠告した。
「ただしこのこと、国王陛下には報告させていただきます。よろしいですね?」
「……ええ、もちろんよ」
「よろしい。では参りましょうか」
アロセリアは姫さまの返事を了解すると、踵を返して皇宮の方を示す。ラゴンの方も、同じようにこちらに背を向けた。
と、ようやっと自分の出番が回ってきたとばかりに、ギルバートとかいう名前の儀典官の方が口を開いた。
「ええ、ええ。それではご案内いたしましょう。謁見までは今しばらく時間がございますので、まずは宮廷にご用意させて頂いているお部屋の方にまで。お荷物の方も、後ほど運ばせていただきますので、まずはそちらへ」
彼はそう言いながらも、私の方へは訝しげな視線を向けてくる。どうやら、一瞬にして彼の中で私の存在は平民上がりの分際で姫さまに付き纏う不届き者、と言う評価に落ち着いたらしい。
くそぅ、なんだその目つきは。ここが宮廷広場じゃなかったらぶっ飛ばしてるところだぞ。
ついつい、剣呑な目つきでやり返そうとしてしまう私だったが、姫さまがそんな私の手を強く握り、我に返らせた。ハッとして姫さまの方に目を向けると、彼女はいつになく物憂げな顔で、道の先に続く巨大な宮殿を見つめていた。
「リアス。私の手を離さないでね。いつもみたいに、こうしてずっと握っていて」
「……当然です。絶対に離しませんよ」
私は、目の前に続く大理石の道の、その先にそびえる巨大な皇宮を見つめながら、彼女の柔らかな手を握り返して静かにうなずいた。
そう。叶うことなら、私はこうしてずっとあなたの手を握っていたい。
それだけが、私の安らぐことのできる場所なのだから。