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エピローグー3

「まだ皇宮にいたころ、ね」


 アロセリアの背中を見送りながら、隣の姫さまが突然、ポツリと語り始める。私が続きを促すように見つめると、彼女は気恥ずかしそうに苦笑いをして。


「ほんの一時期、ラゴンとアロス……アロセリアにお世話になったことがあったの。だから今でも、アロセリアの方は定期的に私に書簡を送ってくることもあってね。騎士の二人が幼い皇族の世話をする、なんておかしいでしょ?」


「そうだったのですか……」


「それで、二人とも慣れないことをするものだから……普段はあんな感じなのにすごく不器用で、めちゃくちゃで。しかもすぐに、喧嘩を始めるの。お風呂が先だ、お食事が先だ、お外で遊ぶべきだ、お話を読んであげるべきだって。だから、結局最後は、見兼ねられてお役目を外されちゃったわ」


「へええ、あのお二人が」


 私は、思わずあの大物騎士二人がそんな滑稽な口喧嘩をしている姿を想像してしまい、意外すぎるあまりに声を漏らす。姫さまも、思い返している内におかしくなってきたのか、口元に手を当ててクスクスと笑い始めた。


「本当に酷かったわ、あれは。でも、なんだろう。今になって振り返って見ると、ね。あれは皇宮にいた時間の中で数少ない……居心地の悪くないものだったなって思えるの」


「そう、なんですか?」


 姫さまは遠くを見るように、微笑む。とても美しく、素敵なものだったが、私にとっては初めて目にする表情だった。こんな表情(カオ)もされるものなのだな、姫さまは。


「ええ。あの二人は、私の人生の中で心を許すことのできた、数少ない人達だから」


「数少ない……?」


 私は、その内訳が気になって、ついつい食い気味に言葉を返してしまう。そんなみっともない私を、姫さまは人差し指で制して。


「安心して。もちろんあなたも入っているわ、リアス。でなければ、側仕えになど任命していないもの。あとはリーズレッタくらいかしら」


「そ、そうですか……あ! いえ、すみません、その、無様に取り乱してしまい」


「気にしていないわ、あなたの無様なところは日頃から目にしているもの」


「ははあ」


 これはこれはお手厳しい。ぐうの音も出ない彼女の言葉に、私はすっかり参ってしまう。


 と、姫様はそんな私に対して、今度はずいっと身を寄せて眉尻をあげた。


「それで、そんな私の騎士様は、どうやらまだ私に話していないことがあるようですけれど?」


「あ! そ、それは……」


 彼女の追及に、私は何処から申し上げたものかと狼狽える。対して、姫さまは腕を組んで嘆息しながら。


「全く……。どういうことなの? あなたの言ってること、正直言って少し無茶苦茶よ。よりにもよって皇宮襲撃の実行犯を庇うなんて、私もどうするべきか迷ったわ。それも、こともあろうにあのアロセリアを相手に、ね」


「それは……返す言葉もありません」


 ですが、と続けてから、私は一度言葉を途切り、俯いた。


 分かっている。これは私のエゴだ。


 あの少年の姿に、勝手にも自分と同じような幻影をどこかで感じてしまい、無意識に肩入れをしているのだ。決して公正なことでも、崇高な行いでもない。罪の轍を引きずる命を増やしただけのこと。


 だから、彼を「助けたい」というような、ご立派な表現をすることに、少し気持ちの憚りがあった。


 私は、姫さまに対して誠実でありたいという想いから、慎重に言葉を選んだ。


「彼は……人を殺しています。皇宮の騎士を何人も。それに恐らく、これが初めてじゃない」


「……」


「決して、許される行いではありません。報いが……いえ、贖いが必要です。それは、私も分かっています」


 姫さまは何も言わない。ただジッと、先を促すように私の唇の動きを見つめていた。その先に、何かを見出そうとするように。


「その贖いは、いつ終わるものなのか、あるいは果てしないものなのか。……でも、少なくとも。彼の命が今、消えることではない。私はそう思ったんです」


 そこでまた、言葉を切る。


 自分が嘘を言っていると分かったからだ。


 でも、そのことについて私は、我ながらかなり驚き、目を見開いた。そこでようやく、自身の本心に行き着いたからだ。そしてそれが、殊私にとってとても意外なものだったから。


「……いえ、少し違いますね。消えることであってほしくない(・・・・・・・・)。私が、彼に生きて行くことを……勝手に望んでしまったんです。それはどこまで行っても、私のわがままなのですが」


 苦笑しながら、頭をかいた。


 姫さまからまた、何かお小言を言われるかもしれない。呆れたように肩をすくめられるかもしれない。そう思うほど、私の弁はあまりにも無様で、最早道理を通しているとは言い難かった。


「……」


 けれど姫さまは黙ったまま、そんな私に向けて、ただ静かに微笑んだ。


「……姫さま?」


「本当に変わったわね。成長した、って言えばいいのかしら」


「へ?」


 予想外の反応に、私は困惑を示した。だが、姫さまはただただ嬉しそうに、目を細める。


「あなたが、他の誰かの命を救おうとする、だなんて。本当に変わったわ。不思議ね、嬉しいはずなのに……どこか寂しいような、そんな気持ちもある」


「え、えと……」


「リアス。きっとあなたの想いは、望みは、間違ってはいないわ。だから安心して」


 幼な子を諭すように、姫さまは柔らかい口調で言った。


「そして忘れないで。あの少年を助けるということは……あなたが初めて手に入れた、あなた自身の、あなただけのものだから。責任も、結果も、でもそれだけじゃない、とても大切な想いも、すべて」


「大切な……想い」


「優しさよ。痛みを知ることで、誰かを愛おしく思うことのできる感情。あなたは誰よりも痛みと苦しみを知っている。だから……本当はきっと、誰よりも優しいんだわ」


 優しい。


 私が。


 そんな感情は……今まで抱いたこともなかった。言葉でしか知らなかった。


「よく分かりません。でも……」


 この暖かな感情が、もし優しいということなら、それは……。


「とても素敵ですね……」


「そうでしょう? だから、決して見失わないで。今日、あなたが見つけ出した、あなただけの「優しさ」を。いつまでも、絶対に」


 姫さまはそう語りながら、そっと私の腕を握ってくる。私を見上げてくる彼女の儚げな白い瞳は、まるで希うかのように切実で、でもどこか切なくて。私は、きゅうう、と胸が苦しくなるような気がして、思わず目を背けてしまった。


 私なんかのことよりも、姫さまの切なさが、不安が、あらゆる苦しみが少しでも無くなればいいのに。そんな風に感じてしまったから。姫さまほどの方が、私如きに願いを映してほしくなかったから。


「……私は、姫さまが大切です」


 返答に窮するあまり、ついついそんな言葉足らずのものを返してしまう。だが、姫様はそれを嗜めることもなく。


「あなたの大切なものは、これからもっと増えていくわ。もっともっと、手を伸ばせば、この世界はあなたにとってかけがえのないもので満ち溢れて行く。その中できっといつか、私の存在なんて取るに足らなく感じてしまうほどに」


「そんなはずありません!!」


 思わず、大声を出してしまった。


 周囲の騎士たちが、何事かとこちらを振り向く。が、すぐに異常がないことを理解すると、再び各々の持ち分へと意識を戻していった。


「どうして、そんなことを! 私が……私は姫さまが、何より! ずっと、きっと、永遠に……!」


 私が、泣きそうな声音で、不器用に想いを紡ぐ。


 言葉というのはあまりに不便だ。こんな時、目の前の、手を伸ばせば抱きしめることさえ容易い場所にいる彼女に対してさえ、全てを伝えることができない。こぼれ落ちる、漏れ出てしまう。この大きすぎる想いを、そのまま表すことができない。


「いつか分かるわ」


 姫さまがまた、優しく笑う。


 その笑顔を見ていると、まるで彼女がどこか遠くへ行ってしまうような、そんな気がした。


 行かせない。どこにも行かせやしない。


 私はこの世界の全てよりも、姫さまの方が大切だ。今この場で、それを宣言し、誓いを立てることだってできる。いや、すぐにでもそうしたい。


「私は……!」


「リアス。あなたはまだ、知らないのよ。三年先、五年先、十年先の自分が何を思い、どう生きているのか」


「そんなもの、捨てたって構いません!」


「そんなことないわ。ねえ、それって素晴らしいことなのよ? 夢や、愛や、幸せや、それらを見つけて、大切に感じて。いつかこの世界がとても素晴らしいものだと思えるようになる。たくさんの、かけがえのない思い出や、人々と一緒に」


 姫さまが、そっと身を寄せてくる。温もりが、全身に伝わってくる。そっと彼女の柔らかい掌が、私の背中を撫でた。駄々を捏ね続ける、小さな子供をあやすように、落ち着けるように。


 私はそれだけで力が抜けていき、どうしようもない焦燥感と歯痒さを噛み殺しながらも、静かに彼女の言葉を待つことしか出来なくなる。


 その時、どこかで陽気なラッパの音が鳴り響いた。


 華々しいパレードの開始を告げる合図だ。


 ガタン、と馬車が一度揺れる。


「私はね。リアスにとっての、そんな大切な思い出の一ページであればいい。一欠片になれたら、とても嬉しい。ただ、それだけでいいの。あなたの空白だらけの世界に、これから埋まって行くであろう沢山のピースの……」


 太鼓の音と賑やかな喧騒、高々と何事かを宣言する騎士の声。それら全てが、まるで別世界にいるかのように遠く聞こえる。ぼんやりと、言葉も、思考も澱んでいくようだ。


 整列を成して、ゆっくりと馬車が進み始めた。


「その、いつかは上書きされて埋もれて行ってしまう最初の一つになれたなら。それは幸せなことなのかもしれないから」


 道の先から私たちを待ち受ける歓声。旗を掲げる騎兵隊、楽器を鳴らす歩兵隊。白銀の宮を囲んで並ぶ華やかな街並み。その背後に聳える眩しい銀嶺の山脈と、果てしない青空。


 ああ、一体どうしてだろう。


 あれほど薄暗く、絶望に満ち溢れていたはずなのに。


 今この時、こんなにも世界が、美しく見えてしまうのは。


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