エピローグー2
翌日。
眩しい朝日が東の地平の果てより昇ると共に、王都を上げてのセレモニーは予定通り始まった。まるで昨夜の事件などなかったことのように、賑やかに、晴れやかに。
当然と言えば当然だ。まさか、宴に浮かれている間に皇宮が襲撃を受けた、などという騎士団の失態を、民間に公表するわけがない。ましてや今は戦時中、国際的にも不安定な情勢にある。他国に対して僅かな隙も見せるわけにはいかない。つまり、飽くまでも表向きは無事に、セレモニーを開始させる必要があるのだ。
「浮かない顔ね」
「え?」
姫さまと共に、パレード用の儀装馬車へと乗り込んだ私は、前を向いたままの彼女にポツリとそう言われて、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。それからバツが悪そうに頭をかき、苦笑する。
「すみません、顔に出てしまっていましたか」
「丸わかりよ。今日はいつになく顔色が悪いもの」
「ははは、姫さまには敵いませんね」
なるべく明るく、気さくに返事を返してみる。だが、聡い姫さまはまるで納得していない風だった。
「どうしたの? まさか緊張で昨日は眠れませんでした、っていうわけでもないでしょう?」
「ああ……実はそれもあります」
儀装馬車は、普通の馬車よりも車体がさらに高く、周囲からよく見えるように天井が取り除かれている。極めて開放的で、つまりは丸見えなのである。目立つのである。しかも周囲には、取り囲むかのように列になった、数多の正装の騎士たち。
それは、私にとっては一番居心地が悪い場所である、ということを意味しているのだ。
だから、正直乗りたくなかった。あんまり我儘を言える雰囲気ではなかったので、黙っていたのだけれど。
「ただ……」
しかし、もちろんただそれだけで姫さまから苦言を呈されてしまうほど、私があからさまに落ち込んでいるわけではない。そんなことは、姫さまもよく分かっているだろう。
「頭から離れないことがありまして」
「頭から離れない?」
「はい、それが……」
「リアス!」
私が姫さまの問いに対して答えようとした所で、不意に誰かが背後から私に声をかけてくる。私は、はてと首を傾げ、自分などに呼びかけてくる物好きの姿を伺った。
「あっ……」
そして、相手の姿が目に映った途端、思わず背筋を伸ばす。
そこに立っていたのが、あの生真面目な大物騎士、アロセリアだったからだ。今のところ自分の中では、割と苦手な相手の一人である。
それにしても、彼女が私の名前を呼んでくるのは初めてではないだろうか。昨日はひたすらに私のことを「おい、そこの」とか「やれ、騎士よ」とか、随分と距離を感じさせるような呼び名で指していたものだが、これは一体どういう風の吹き回しだろう。
「は、はっ! なんでしょう、アロセリアさん……殿?」
アロセリアは私の返事に一つ頷くと、そこで隣に立っている姫さまの方へと目を向け、丁寧に頭を下げた。
「これはこれは、シルフィリディア皇女殿下。失礼いたしました、お話の途中でしたか」
「いえ、構わないわ。リアスに何か用?」
姫さまは、アロセリアに対しても、凛とした振る舞いで応対する。というより以前も思ったことだが、どこかアロセリアに対して手慣れているというか、顔見知り程度の間柄というわけではないような雰囲気を感じた。
「はい。……リアスよ、昨夜の働き、見事であったな」
「へ?」
何故かアロセリアの姿を見ただけで、勝手にまたお叱りを受けるのだろうと思い込んでいた私は、まさかの賞賛の言葉を受けて、ついついポカンと口を開いた。それから、慌てて姿勢を直して。
「あ、いや! その、とんでもありません! 自らの使命を果たしたまでのことで!」
不慣れで不器用な返事を聞いて、アロセリアは一瞬眉をひそめた。だがすぐに嘆息して首を振ると、咳払いをする。
「そんなに硬くならずともよい。そなたの働きはガルタスから聞いている。そなたがいなければ、謎の侵入者を撃退することはできなかっただろう、とあの男も語っていたぞ」
「は、はあ」
謎の侵入者。きっと、ヴォイドと名乗ったあの不気味な男のことだ。確かに、奴には私の攻撃しか通用していなかった。どうやらそのことで、ガルタスから不要に持ち上げられてしまったらしい。
「全く、そなたは自信なさげだな。手柄は誉れだ、胸を張れ。騎士の栄誉なのだぞ」
「それは、その……感謝いたします」
慣れない賛辞になんと反応すればよいか分からず、私はへどもどと低頭する。対して、アロセリアは尚も何か言いかけて口を開いた。
「だから……まあ良い。ここでクドクドと説いたところでせんなきことか」
しかし、すぐに思い直したのか、言葉を途切って話を変える。
「それよりも、本題はあの少年のことだ」
「……!」
彼女の発言に、私は思わず眉を上げて反応する。と、それに気づいたのか、姫さまが伺うようにこちらを見つめてきた。
アロセリアは尚も続ける。
「昨晩の襲撃者と共にいたあの少年。身元は不詳、名前も分からず、捕らえられてから一度も口を開いていない。故に我々も彼についての情報を得られないでいるのだが……」
そこで彼女は一度言葉を切り、何やら思案げに目線を横へやった後。
「そなたが、あの少年の後見人を務めたい……と言ったというのは誠か?」
「えっ?」
アロセリアの問いに、驚いたように声をあげたのは、隣に立つ姫さまだった。無理もないことだろう、皇宮の襲撃という大罪に加担していた者の身柄を預かろうとするなど、正気の沙汰ではない。私自身、ほとんどダメ元で提案してみたことだ。
「はい。本当です」
私は大真面目な顔で頷き、その問いを肯定する。
「ふむ。……ではそなたは、彼が何者であるか分かっているのか?」
「……」
彼が、マルスが、何者であるか。
彼は大罪人だ。
この大国の中枢、皇宮を襲撃し、姫さまの誘拐を画策し、人も殺している。
もしそれが知られれば……いや、その如何に関わらず、マルスのしたことは到底許されないことだ。この国のルールに則っても勿論、極刑に値するものである。
例え彼がどんなに幼く、今まで何を思い、どれほど過酷に生きてきたとしても。ただ全ての結果だけが、彼を裁く。断罪する。無慈悲に、冷酷に。
それを私は……。
「彼は……襲撃者の一味に捕らえられていた孤児のようです。恐らくは無理やり、事件に加担させられていたのでしょう。一味の首領と思われる女に、肉壁のように扱われている場面も目撃しました」
「ほう」
私は否定した。彼を裁くルールを、世界を、身勝手に、独善的に。嘘と偽りで持ってして、罰に抗した。
「ですから、適切な教育を施せば、更生の余地は充分にあるかと」
「ふうむ」
私の申し出に、アロセリアは難しい表情で腕を組む。
「なかなかに酔狂だな。何かに当てられたか? 今や華々しくも皇女に仕えるそなたにとっては、ただ厄介ごとを背負いこむようなものだぞ?」
「分かっています。それでも……見捨てることができなくて」
「どこか思うところがあったか」
私の言葉を聞いて、アロセリアは頷いた。
「ガルタスの証言と照らし合わせても、特に矛盾する点は見受けられん。今回のそなたの手柄に免じて、その申し出を受理することもできるが」
彼女はそこまで言ってから、ちらりと視線を姫さまの方へと移した。
「しかし、事が事だ。そなたの言葉一つで決定するというわけにもいかん。そこで、シルフィリディア皇女殿下」
「……!」
唐突に話の矛先を向けられた姫さまは、じっとこちらに向けていた視線を慌てて外し、思わずと言った様子で居住まいを正した。
「ガルタスの話では、皇女殿下も現場にいらっしゃられたと聞いております。そこで、是非ともお話を伺いたいのですが……そこの騎士、リアスの語る内容に間違いはございませんか?」
「え、私、は……」
姫さまは珍しく、どこか動揺した様子で言葉を選ぶ。直前まで、何か別のことを考えていたようだ。
私は、額に汗を浮かべながら、横目に姫さまのことを見やる。彼女にはまだ何も話していない。私の意図も、マルスについても。即ち、彼女を襲撃した者を庇おうとしている私の行為は、ともすれば姫さまに対しての背信と受け取られてもおかしくないものだ。
それを抜きにしても、彼の行ったことは、間違いなく許されるものではない。だから私は、平静を装いつつも、心の中では祈るような気持ちで姫さまの言葉を待った。
ああ、姫さま。すみません。私の不忠が、あなたを混乱させてしまうなんて。無論、あなたが命ずるのであれば、私は即座にこの場で自刃することも厭わない覚悟です。
ですから、どうか。
「彼女の……リアスの言っていることに、間違いはないわ。それは私が保証します」
やがて、永遠とも思える数秒が過ぎ去った後、姫さまはゆっくりとそう告げた。それを聞いて、アロセリアは神妙に首を縦に振り。
「では、後見人としてあの少年を引き取りたいというリアスの申し出についても?」
「ええ、承諾します」
「分かりました」
再び、アロセリアの青い瞳が私に戻る。
「では、その旨、審問会に私から伝えておこう。此度のパレードが終わる迄には結論がでるはずだ」
「あ、ありがとうございます!」
私は、糸が切れたように胸を撫で下ろすと、アロセリア、そして姫さまに対しても深々と頭を下げて礼を言った。だが、アロセリアは毅然と腰に手を当てて、私を嗜める。
「早まるな。まだそなたの申し出が通ると決まったわけではない。それに、仮に物好きであの少年の身柄を引き取ったとしても、そこからは過酷だぞ。お互いにな」
「そ、それは……」
「あの少年はこの国で暮らす限り、一生分の執行猶予を申し渡されるようなものだ。彼は咎人として生きていかねばならぬ。そしてもしも何か不祥事を起こそうものならその時は、その身元の責任を預かるそなたも、彼と共に首を斬られることになる」
「……」
同じようなものだ。
私の背負っている重さに比べれば、一人分も、二人分も。今ここで、息を吸っていることでさえ、私にとっては奇跡的で、刹那的だ。
「勿論、心得ています」
それでも、彼にも教えてやりたかった。その奇跡、その刹那の素晴らしさ、眩しさを。光の当たる場所で、大切な存在と生きることの尊さを。
私を大切に思ってくれ、とは言わない。ただいつか、そんな存在を見つけて、私と同じ気持ちになって欲しい、という淡い期待だけがあった。例えそこに続くまでの道が、荊の道であろうとも。千の罪、万の咎を、贖い続けるだけの日々であったとしても。
それならば、私も共に歩む。……いや、道連れが一人増えるだけだ。そう思えば、私自身にとっても、こんなに荷の軽いものはなかった。
「ならいい。そろそろパレードの時間も近い。私も持ち場に戻るとしよう」
私の意思を確かめたアロセリアは、幾分柔らかい表情でそう言う。私が無言で頭を下げると、彼女はそんな私に振りかけるように、尚も言葉を続けた。
「改めて、今回のこと、ご苦労だったな。そなたがシルフィリディア皇女殿下のよき騎士として身を振るえることを期待している。胸を張って務めを果たせ」
「……!」
私にとって、それは、姫様以外で初めてのものであった気がした。
褒められた。労われた。誰かに、期待を寄せられた。説教でもなく、軽蔑でもなく、皮肉でもなく。ただ純粋な賞賛と激励の言葉を身に浴びた。
つい数年前までは、ただ憎悪と呪詛の中に身を置き続けてきた。人の目は、人の言葉は、人との触れ合いは、私を傷つけ、罵り、呪うものでしかなかった。
そんな私が、歴史ある大国の最高位にある、彼女のような貴い騎士に、褒められた。
不思議な感覚だった。たしかに初めてなようであり、それでも遠い記憶の彼方、幼い日々の追憶の中に微かに感触の残り香があるような気がした。
きっと、私は嬉しかったのだろう。
姫さま以外の言葉になど、興味はなかった。姫さま以外に期待されたところで、せんなきことだと思っていた。姫さま以外の世界の全ては、些事だと思っていた。
でも、違った。
その時、私は確かに喜んだ。自分が認めてもらえたような気がして、胸が高鳴った。瞳孔が開き、鼓動が早くなり、口元が緩んだ。
「シルフィリディア様を、頼んだぞ」
アロセリアは最後に、切実な思いを込めた声音で、そんなことを言ってくる。
私が顔を上げて見ると、彼女は切ないような、嬉しいような、複雑な感情の入り混じった表情で、姫さまのことを見つめていた。
「は、はい!」
私はその期待に応えるべく、精一杯に胸を張って、高く声を張る。それを受けて、アロセリアは満足げに点頭すると、最後に姫さまに対しても一礼した。
「それでは、シルフィリディア様。どうか、素晴らしいひと時をお過ごし下さい」
「……ええ、ご苦労様です」
姫さまがそう返事を返すと、アロセリアはそれ以上は何も語ることなく背中を向け、ゆっくりと立ち去って行ったのだった。




