皇女の謁見
現行ステラ歴294年。
大陸ハイニウムは動乱の百年戦争、その終末期に差し掛かっていた。
デルクラシア、ネザークリフを中心とする列強連合と、中原の小国同盟による大陸連盟は一進一退の攻防を続けていたが、双方共に消耗は大きく、次第に国力の限界を隠しきれなくなっていた。
戦火は大陸中を巻き込み、村を燃やし、街を焦がし、国を飲み込んだ。またその影で、かつて脅威をほこった魔獣達が着々と増殖の兆しを見せ、それに同調するように怪しげな新興宗教や、武器商売を生業とする闇の組織が台頭を始めていた。
そんな、有史以来の大戦の真っ只中。開戦より長らく中立を決め込んでいた「白銀の大国」メルキセドにも動きがあった。
北の大国の王都「銀嶺の都」ダイヤモンドパレスにて、つい先日、十五の歳の誕生日を迎えた皇国第七皇女が国王への謁見にやってきていたのだ……。
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「……ス! ……アス! ねえ、リアス! 聞いているの?」
「……はっ!」
私は、何度も自分の名を呼びかける女性の声で目を覚ました。どうやら、いつの間にかうとうとと眠り込んでしまっていたらしい。
「あ、す、すみません、姫さま! あの、少し考え事を! いえ、決して眠っていたわけではないんです!」
私が目を開けると、向かいには白いドレスに身を包んだ黒髪の美しい女性が座っていた。女性、といってもまだ私と同い年、少女と言っても差し支えない年齢なのだが、彼女はとても落ち着いた美貌を持っていて、実際よりも随分と大人びて見える。
その女性は私の言い訳を聞くと、まるで純度の高い真珠のような白く美しい瞳を細めて、呆れたように言った。
「どう見ても眠っていたじゃない。涎が垂れてるわ」
「え! ほ、本当ですか!?」
「嘘よ。でも、やっぱり眠っていたのね」
「は、ははは……」
私はバツが悪そうに頭をかいた。
向かいに座る姫さま、ことこの「白銀の大国」の第七皇女シルフィリディア・スライン・メルクリウス様は、やれやれとため息をつく。それから、視線を外して窓の外に目をやった。
「もうすぐ着くわ。お昼寝をするのもいいけれど、宮廷では私に恥をかかせないでね」
私は今、姫さまと共に、北の大国の辺境地より王都「ダイヤモンドパレス」へと向かう馬車に乗っていた。揺れる車内で窓際に肘をつきながら流れる景色を眺めていたところ、ついうっかり眠気に襲われてうたた寝をしてしまっていた、というわけだ。
馬車の中は、皇族が利用するということもあり、良質な紅の布で設えられた豪華な内装で、とても広々としていた。その気になれば足を伸ばして思い切りノビをすることもできるだろう。そんなことをすれば姫さまは少し怒るだろうか。
怒るだろうな。少しどころではなく。
「は、はい! ひめさまのために頑張ります!」
私は精一杯背筋を立てて敬礼をする。対して、姫さまは景色を見つめたままポツリと。
「昨日は眠れた?」
「あ〜……はい! とてもよく!」
「嘘。明け方まで起きていたでしょう? 知っているわ」
「う、うぅ……それは、その。こ、皇宮というのは初めてなもので、色々と考え込んでしまい……。申し訳ありません」
「まあ無理もないわ。私も、戻るのは久しぶりだから」
姫さまが領主をつとめる大国の辺境、「樹氷の街」シルフドタウンを出発してより、およそ半月以上が経つ。こうして遠路遥々、国の中心部まで遠征をしている理由は、もちろんお忍び旅行などではない。
先日、姫さまはめでたく十五の誕生日を迎えられた。それはこの国の皇族にとっては、成人を迎えた、ということになり、加えて皇位継承の権利を持つ存在の一人になった、ということでもある。
故に、この年齢を迎えた皇族は必ず、皇宮へと凱旋して国王陛下、即ち国家元首である「皇」への謁見を行わなくてはならないのだ。同時に、皇族の成人式は王都を挙げてのセレモニーとなり、姫さまはその主役となられるわけである。そして私は、そんなめでたい式典において、光栄なことに姫さまの従者、つまり専属騎士として任命され、こうして旅路に同行しているというわけだった。
窓の外にはいつの間にか、白銀に輝く尾根が連なっているのが見える。大国の中枢を守護する自然の砦、北のギルカルド山脈だ。これが見えているということは、本当に王都までもういくばくもない、ということになるだろう。
私は、太陽を反射する眩い雪景色に目を細めながら、姫さまに問いかける。
「王都はやはり懐かしいですか?」
「そうでもないわ。あそこは私には合わなかったから」
「そうなのですか?」
「ええ。誰も彼も格式ばかり。それに、みんなこの一面の積雪よりもキラキラと輝いている衣装に身を包んでいて、居心地が悪いのよ」
「うええ、それはなんというか……ますます緊張してきました」
姫さまの話を聞いて、なんだか、私にはとても場違いな場所に向かっているような気がしてくる。キラキラした場所か、嫌だなぁ。行きたくないなぁ。きっと街行く人誰もが眩しく見えるんだろうなぁ。
「あら、リアスだって黙っていれば、皇宮の麗人なんかには決して見劣りしないわよ。むしろ街中を歩くだけで注目の的になるんじゃないかしら」
「そ、そうですか? 私のことなんか、誰も気に留めないと思いますが。……いえ、もしかしたら唾をかけられるかも!」
「つばを?」
「そうです! 姫さまのような美しくて聡明で可憐で優しく……えーと……あと、思慮深くて闊達で勤勉で痛快で、分け隔てなく平和主義者で動物が大好きで、それから……」
「もう、それくらいにしなさい。目の前でいきなりそんなに褒められると恥ずかしいわ」
私が大真面目で姫さまを称える言葉を探していると、姫さまは顔を赤くしてそれを遮ってくる。
とりあえず想い浮かぶ限りの称賛の言葉を並び立てていたわけだが、どうやら私のちっぽけな語彙力は姫さまの素晴らしさを表すには随分と足りていないらしい。はあ、もっと勉強して、この素晴らしさを表現する言葉を学びたいなぁ。
「すみません。とにかく、姫さまのような人の近くに私なんかがいたら、誰かが怒って唾をかけてくるんじゃないかって思って」
「まあ、そんなこと!」
姫さまは私の馬鹿馬鹿しい懸念を聞くと、驚いたように目を丸めた。それから、口元に手を当てて小さく笑う。
こんな所作まで、姫さまはとても美しくて上品だ。
「ふふ、おかしなことを考えるのね、リアスは。でもそんなことないわ、大丈夫よ。自信を持ちなさい」
「そうでしょうか?」
「ええ、そうよ。だってあなたは、私が選んだ騎士さまなんだから」
「……姫さまにそう言われると、なんだか大丈夫な気がしてきました!」
私はグッと両手を握り、胸を張った。
姫さまはすごい。私の小さな不安なんか、簡単に吹き飛ばしてくれる。いつだってそうだ。まるで魔法でも使っているみたいだった。
「そう? よかったわ。さあ、到着までもう少しの辛抱よ」
「辛抱なんてとんでもない! 姫さまがいるだけでとても楽しいです!」
「……はあ。本当に変わった子ね、あなた」
私の脳天気なセリフを聞くと、姫さまはすっかり調子が狂った様子で、ぷいっとまた窓の外を向いてしまった。
「あ、あれ?」
何か気に触ることを言ってしまっただろうか。私はいつも姫さまを困らせてばかりだから、また調子に乗って、何か姫さまの気分を害してしまったのかもしれない。ああ、どうして私はこういつも上手くやれないのだろうか。
すぐに先ほどの自信がなくなって、私はしょぼんと小さくなってしまう。そんな私に向かって、姫さまは外を見つめたまま、ポツリと零すように。
「ねえ、リアス?」
「は、はい、なんでしょう!」
「実は私もね、昨日は全然眠れなかったのよ」
そう告白する姫さまの表情は、確かに笑っているようだった。
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雪溶けの公道に沿って馬車が進む。もうすぐ、この国では随分短い夏が始まるのを、色づき始めた野の草が告げていた。
長いこと座ったままでいると、足がむくんでパンパンになってしまいそうだ。市井のものと比べれば驚くほどに質がいいとはいえ、やはりずっと座りっぱなしでは退屈になってしまう。
だから、とりあえずそういう時は姫さまのことを見ていることにした。姫さまはどんな時にも気品を欠かさず、たまに思わず漏れ出るあくびでさえ美しい。この長い旅路の中でずっとお側に付き従っていたというのに、見ていてまるで飽きることがない。いや、それどころか、叶うことならずっとこうして姫さまのことを眺めていたいとさえ思うのだから、やっぱりすごい。
一方、彼女の方も所在がないせいか、しきりにこちらと目が合うのだが、とうとう先程、
「あまりこちらを見つめないで。いつまでも見られているとやりづらいわ」
と諭されてしまった。姫さまは人に見られるのはあまり好きではない。今度からはもっとバレないように見ることにしよう。
そんな風にして旅の時間は過ぎ、やがて周囲の景色はだんだんと、活気のある市街地へと移ろい始めた。歓声の入り混じった賑やかな喧騒が私たちの耳にも届いてくる。私たちが乗っている皇家の馬車を歓迎してくれているようだ。
「白銀の大国」は、現在大陸中を取り巻く百年戦争の戦火を免れ続けている数少ない国の一つだ。永世中立国「虹の橋の国」、大陸の東端にある鎖国国家「黄金の国」、反対の西端にある「死と岩の国」、そして不可侵地帯として認定されている「雨雲の国」及び「降り積もる塵芥の国」を除けば、すべての国が、当代の長い戦争に携わっている。気の遠くなるような話だが、これは私や姫さまの生まれる、ずっと以前からのことだ。
だから、戦乱の長引く大陸では、我が国の王都「銀嶺の都」ダイヤモンドパレスのように煌びやかで、争いとは無縁の場所は極めて少ない。雅な街並みと、絢爛な衣装に身を包んだ貴族や上流騎士達の往来とが視界を彩る。その光景は、私のような人間には眩しすぎるようで、なんだか目がチカチカとするような感覚を覚えた。
私が身を置き続けてきた世界と見比べると、危機感がないというか、世間知らずというか、どうにも浮世離れしているように感じる。しかし、それこそがこの国が「平和」である、ということの証左なのかもしれない。得てしてそれは、世の中の本当の「苦味」を知らないからこそ、生まれるものなのだから。