襲撃ー4
「はあっ、はあっ!」
傷口の止血もままならぬまま、私は襲撃者たちが姫さまと共に消えて行った城内の廊下を走る。姫さまを連れて逃げていることを考えれば、そうかからない内に追いつけるはずだ。
「……ん?」
と、しばらく行ったところで、前方から大勢が争い合うような音が聞こえてきた。見れば、廊下の先には見覚えのある集団がいた。間違いなく、先ほどの襲撃者の一味である。
となると姫さまは……いた。両手を後ろに縛られたまま、少し離れた場所に座らされている。一見すると目立った怪我はなく、一応無事であるらしい。
そしてどうやら、襲撃者たちは行手を阻む一人の騎士との戦闘になっているようだった。
「あれは……」
私はその巨漢の騎士の姿を目にして、既視感を覚える。武装した十数人を相手取りながらも、押されるどころか一歩も引き下がらずに彼らを足止めするその男。私の記憶が正しければ、彼の名は確かガルタス・ザビオと言ったはず。第三皇女アレナ様の近衛騎士を務めている男だ。
「ふん!」
多勢に無勢の状況にもガルタスは表情一つ変えず、四方から斬り掛かってくる連中の攻撃を難なく捌ききると、お返しとばかりに大剣を一振り。それを受け止めようと剣を構えた五人ばかりの男達をまとめて吹き飛ばした。
「ぐああっ!」
情けない声を上げて地面に倒れる男たち。両腕が折れてしまったのか、立ち上がることすらできない様子だ。それを見て、一番後ろに立った一人の女性が苛立たしそうに地団駄を踏む。あの時、マルスに呼びかけた女だ。
「何やってんだい、たかだか一人を相手に! 本当に使えない奴らだね!」
二十代半ばほどだろうか。黒い髪を伸ばした背の高い女だ。筋肉質な上半身にレザーメイルを装備し、顔にも化粧っけはまるでなく、表情や瞳の光も随分と荒っぽい。頬にノ字型の傷跡があり、まさしく無法者を束ねる女頭領といった風情だった。
女性は顔にシワを寄せ、一つ舌打ちをすると、すぐ側に立っていた少年、マルスに向かって言う。
「おい、マルス! あんた、片付けな!」
「……待って、ダイアン。こっち」
しかしマルスの方は静かに首を振り、続けて私の方を振り向いた。釣られてダイアンと呼ばれた女が私の方へと顔を向け、その姿を確認すると。
「あいつ! あいつはお前が相手をしていたはずだろう! なんであたしらを追ってきてるんだい!」
癇癪を起こしたようにマルスへと怒鳴りつける。すると、表情こそ見えないものの、マルスは申し訳なさそうに肩を落とし、弁解をした。
「ご、ごめんなさい。思いの外手こずって……でも、今から始末するから!」
「バカ言うんじゃないよ! それなら前のあのデカイのはどうするんだい!」
「そ、それは……それも僕が!」
「あんな小娘一人ろくに始末できないのにかい! 冗談言ってんじゃないよ!」
「でも……っ!」
二人が言い争う内に、私は瞬時に彼女らを間合いへと捉える。そのまま腕を振りかぶると、まずは長身の女ダイアンに向けて手刀を放った。
『不可視の斬撃』。その使い方は、ただ目に見えない刃として用いるだけではない。時には体にまとい、大幅に体術を強化することができる。鍛え抜かれた肉体に纏えば、ただの斬撃とは比べ物にならない爆発的な破壊力を生み出すことが可能なのだ。
『徒手空剣』。私はこの技術をそう教わった。素手の状態からでも、剣による渾身の一振りにも勝る一撃を繰り出せる。
その力を使って、ダイアンの首元を正確に狙う。今しも、私の手刀が彼女の首と胴を分かとうかというところだった。
「やめろ……っ!」
その瞬間。私の耳に届いたのは、懇願にも似た切実な声音で。
私とダイアンの間に割り込むように、白髪の少年マルスが無防備な五体を投げ出してきた。たった一瞬の躊躇いもなく、彼は自らの命を投げ打ったのだ。こんなにも幼い少年が、この先に続いていくであろう、自身の何を顧みることもせず。
そんな彼の姿が、あまりにも切なく見えてしまったからだろうか。
『――傷つけない』
「……ちっ!」
視界がにじみ、私の手元が狂った。
外すはずがなかった。マルスの華奢な胴ごと後ろに控えるダイアンの首筋まで両断することなど、造作もないはずだった。ただ、勢いに任せてこの腕を振り切るだけで。
……それでも、私の手刀はマルスの急所を外れ、胸への浅い切り傷を残しながら彼の体を吹き飛ばすに留まった。軽々と宙に投げ出されたマルスは脇の壁に背中から激突し、呻き声をあげて地面に落ちる。しかし尚も、彼は痛みに顔を歪めながら、すぐに立ち上がろうとした。
「ぐっ!」
だが、体が言うことを聞かなかったのか、再び倒れ込んでしまう。
その近くに捕われていた姫さまが、マルスの姿を見て、こちらへと視線を向ける。そして私のことを確認し、目を輝かせた。
「リアス! 来てくれたのね!」
「勿論です! ご無事ですか、姫さま!」
姫さまに呼びかけられた私は、もはや仕留め損ねた女のことなど捨て置き、足早に彼女の方へと駆け寄る。そのまま、急いで彼女の腕を縛る縄をほどきにかかった。
一方、命を拾ったダイアンの方は、顔中に冷や汗を浮かべながら、吹き飛ばされたマルスを振り返った。
「マルス!」
「ぐうう……」
しかし、彼が簡単には起き上がれそうにない様子であることを見て取ると、今度は焦った様子で別の仲間へと呼びかけようとする。
「くそ! お、お前たち……」
「残念だが、もう残っているのはお前だけだ。宴の間に残って時間稼ぎをしている連中も、もうじき片付けられるだろう」
それを遮るように、一味の粗方を制圧し終えたガルタスが、剣を鞘にしまいながら告げた。現実を突きつけられたダイアンは、受け入れがたい様子でフラフラと数歩後ずさる。それから、恨めしげに唇を噛み、へたりこんで地面を叩いた。
「くそっ! くそっ! これが上手くいけば、ようやく手に入れることができたのに!」
やり場のない怒りをぶつけるように、床に敷かれた絨毯を睨み付けるダイアン。そんな彼女を冷静に見下ろしながら、ガルタスが重々しく口を開いた。
「何故このような無謀を働いたのか、つくづく疑問ではあるが……聞きたいことはいくらでもある。首謀者のことも含め、後でじっくりと尋問させてもらおう」
重厚な鎧を鳴らせながら、ガルタスはダイアンを捕縛しようと進み出る。すると、倒れていたマルスが即座に起き上がり、足を引きずりながらダイアンを庇うように駆け寄った。そのまま彼女の前に立ちはだかると、戦意を見せるようにベルトのナイフに手をかける。
「こんな子供まで利用するとは……見るに耐えんな」
軽蔑するように目を細めるガルタス。マルスは、自分の何倍もの体躯を誇る巨漢の騎士と相対しても、一切退く姿勢を見せなかった。
ところが、彼に庇われる格好となっているダイアンが、肩を落として何やらブツブツと呟き始める。
「今更なんのつもりだい、マルス。そんなことをして何の意味があるんだ」
それは、どうやら目の前に立つ仲間の少年に向けられた恨み言のようで。
「そもそも、お前が上手くやっていれば成功したんだ。成功すれば、あたしは……ずっと求めてた……」
彼女の言葉を耳にして、マルスの動きが止まる。
「ずっと欲しかったのに……それだけなのに……」
「ダイアン……」
「それだけなのに! あんたなんか拾って! あたしは何のためにあんたを拾って世話してやったと思ってんだ!? これまで、何のために……!」
突如、タガが外れたかのようにダイアンは声を荒げて喚き始めた。パニックに陥ったのか、歯を剥いてマルスの背中に食ってかかっている。
「ごめん、僕が……」
「もう口を開くんじゃないよ、役立たず! あんたなんか、今使えなかったら最初っから必要ないじゃないか!!」
ダイアンが口汚く彼を罵倒する言葉を口にした瞬間。
「ふん!」
待ってやる義理はない、と判断したか、あるいは聞くに耐えかねたのか。ガルタスが、隙を見せたマルスを手の裏で払いのけた。マルスが横に倒れる。ダイアンはそれを見て、腰をついた体制のままガルタスから距離を取ろうともがいた。
「あ、あたしは……あたしはまだ……!」
「観念しろ。貴様の目論見は失敗に終わった。大人しくお縄にかかることだ」
「ち、違う! まだ終わってない!」
何を思ったのか、ダイアンはカッと目を見開き、立ち上がる。やけくそになったのだろうか、この状態でもまだ抵抗しようというつもりのようだ。そんな彼女に対して、ガルタスは最早呆れたように首を振った。
「まだ悪あがきをしようとでも言うのか? 全く、貴様らのような手合いは理解に苦しむ」
「ああ、そうさ! お前たちには一生理解できないだろうさ! あたしらみたいな人間のことはね!」
啖呵を切るようにそう言って、ダイアンは自身の懐に手を入れ、何かを取り出した。小瓶に入れられた、黒い液体のような何かだ。
彼女の不穏な行動を目にして、私とガルタスは眉をひそめる。奥の手だろうか、あるいは服毒自殺でも図るつもりか。
「だ、ダメだ……それは……」
と、ガルタスの脇で倒れていたマルスが顔だけを起き上がらせ、這いずるようにしてダイアンに訴えかけた。だが、ダイアンは彼の声など耳に入らない様子で続ける。
「だから、これが一体何なのかもお前らには分からないだろう! ははは! あたしはこれを使えば……!」
ダイアンは小瓶の蓋を開け、そこに唇をつけた。そして、一気にそれを飲み干したのだ。
「そうだ、最初からこうすればよかった! 気に入らないお前らを皆殺しにするために!」
「貴様、何をした!」
ガルタスが身構えながら叱声を飛ばした。
「ふふふ、ふっふっふ! あたしは、もらったんだ……お前らには、分からなくていい。ずっと、ずっと……ぐふっ!」
正気を失ったような様子で、意味の分からない言葉を並べ立てていたダイアンが、そこで突如胸を押さえる。続けて大量の血を吐き出すと、苦しげに呻き始めた。
「ダイアン!」
ただごとではない彼女の様子に、マルスが血相を変えて、這いずるようにしながら近寄ろうとする。ダイアンは苦痛に顔を歪ませながら、私たちのことを睨みつけた。
「くそっ、こんな時まで……ごほっごほっ、欲しい、欲しいと……がはっ、思っちまう。あたしは……」
やはり、自暴自棄になって毒を煽ったのだろうか。彼女の口ぶりからすれば、それだけではないようにも伺えるが……。
「命も……夢も……世界がそれを許さないなら、あたし達は奪い取るしかない。そんなことが、認められないことなんて、最初っから分かりきってた……」
口元から大量の血を溢れさせながら、朦朧とした状態のダイアンが言葉を紡ぎ続ける。ガルタスは、これ以上は無意味と断じたのか、剣の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。
一方、マルスは腕だけで必死にダイアンに這い寄ろうとする。何かに縋ろうとするように、何かを引き留めようとするように。
ダイアンは最後に大きな血痰を地面に溢すと、そんなマルスの方を見やり、小さくため息をもらした。
「ほんっとにこんな時まで……さっさと行っちまいな、役立たず」
次の瞬間、彼女の上半身が風船のように膨れ上がり、破裂した。




