襲撃ー3
「……何?」
私はしばし、彼の言葉の意味がわからず、聞き返してしまう。少年は目隠しをとると、閉じられた瞳をこちらに向けて答えた。
「女だと思って、甘く見てた。……ごめん」
次の瞬間。
閉じられていた彼の瞳が大きく見開かれる。
「……っ!」
血。
……いや、それよりも暗く、おぞましく、濁った赤。
刺すような、射抜くような、それでいて飲み込まれるような、鋭く深い瞳孔。それは、まるで奈落、まるで深淵。一体彼は、今まで何を見てきたというのか。
その瞳が私の像を捉えると。
「ぐっ! がはっ!」
貫かれるような胸痛と共に、私は吐血した。胸を押さえて膝をつくと、口から溢れ出た鮮血が床に広がり、染みをつくる。即座に乾きはじめた血痰が、美しい絨毯にこびりついた。
「うぐぅっ!」
続けて、締め付けるような頭痛。それに従って今度は、目と鼻からも血が溢れ出してくる。
突然、何が起こったというのか。この異常は、彼の瞳が私を見つめた瞬間からだ。
顔中を血だらけにしながら、私は目を細めて少年の方へと視線を戻した。
彼は相変わらずその場に立ち尽くし、赤黒い大きな瞳で私のことを見つめていた。視線が重なると、全身の痛みがより一層強くなるような気がした。
「即死しないなんて。すごいね」
淡々と、彼はそんなことを言う。
即死だって? 馬鹿な、彼は見ただけで人を殺せるとでも言うのか? 目で殺す、なんて言うことはあるが、てっきりものの例えだと思っていたよ。
しかし、私のその疑問に答えるかのように、少年はチラリと目線を変えた。その先には、こちらに向かって応援に駆けつけようとしている数人の騎士たちがいた。どうやら、膠着している私たちの状況を察したようだ。あるいは、その奥にいるマチルダ様の救助に向かおうとしていたのかもしれない。
そして彼らは、少年に見つめられた途端、まるで破裂するかの如く全身から血を吹き出して、その場に崩れ落ちた。そのままピクピクと何度か体をひくつかせ、すぐに事切れてしまう。
そう、確かに少年は騎士たちを「目で殺した」のだった。
だが、私にとってはその事実よりも……。
「……あ」
私は魅入られるように、折り重なる死体へと釘付けになった。
血溜まりに倒れ伏す彼らの姿が、まるで陽炎のように揺らめき、過去を想起させた。フラッシュバック……一瞬にして、かつての私が見ていた景色が脳裏に過ぎる。
……同じだ。全く、同じだった。
「ふふ……」
私は全身を襲う激痛を感じながら、不意に堪えきれなくなったように笑う。確かに、のたうちまわってしまいたい程の苦痛なのに、私には何故か、それが心地よかった。
懐かしい、いい感じだ。私にとても相応しい。ずっと、こうあるべきだった。こうなりたかった。
「何がおかしいの?」
そんな私を見て、少年は少しだけ怪訝そうに尋ねる。私はそれに対して、自嘲気味に首を振った。
「……いや。こんな私でも、血は赤いんだな、と思ってね」
顔の穴という穴から血を吹き出しながらそんなことを口にする私の姿は、果たして傍目にはどんな風に映ったのだろうか。
私は、少しだけかつての自分に戻る気持ちで姿勢を直し、少年の瞳を真っ直ぐ見つめたまま、腰にさした長剣の柄頭に手をかけた。
「やれやれ、可愛らしい見た目をして、随分ひどいことをするじゃないか」
すると、私の全身を襲っていた痛みが、一瞬にして消え去った。
「おいたはそこまでだよ」
剣柄にはめられた禍々しい宝玉「断魔石」に私が手を置いた途端、周囲の空気が冷たく凍てついた。そして、大気の熱を奪い取る黒いオーラが、取り囲むように漂い始める。
魔法剣オルドビス。
私が姫さまより賜った、メルキセドの秘宝。あらゆる魔を断ち切るとされる秘伝の剣に触れることで、私は本来の力の一端を「解放」した。
「……!」
あからさまな変化を感じ取ったのか、相対する少年の表情も硬くなる。眉をひそめ、慎重に、私の動向に注視した。
一方の私は、頭の中を蝕む黒い衝動をひしひしと感じながら、目の前の相手を見つめる。そして、顔を歪めながら、魔剣の柄を強く握った。
一瞬で終わらせる。
心の中でそう呟くと、腰を低く据え、全身の力を抜いて構えを取る。と、私の意思に呼応するかのように闇が広がり、瞬く間に少年に向かって伸びて行った。
「これは……!」
慌てて逃れようとする少年だったが、既に遅い。意思持つかのように荒れ狂う闇の奔流は、すぐに少年の身体を捉えて絡みつく。
「ぐっ!」
闇に捕われた少年は、脱力したように片膝をつき、顔をしかめた。闇は更に、締め付けるかの如く少年を覆う。
一瞬で昏倒してしまわなかっただけでも驚きだった。彼は、この「力」に耐性があるのだろうか。
私が放ったのは「瘴気」だ。
そう、世界の果てに口を開く「嘆き落とし」から溢れ出る負のエネルギーである。大地を汚し、肉を腐らせ、死を運ぶ力。例え一身の「祝福」を身に受けた巫女でさえ、触れることの出来ない穢れ。奇跡を否定し、世に遍く全てを無に返すとも言われる。それが「瘴気」なのだ。
そして私は、生来の呪いによってこの瘴気を身体に蓄積し、操ることができた。それ故に、私は世界から憎まれた。
「あ、アンタは、まさか……アリエス……!」
苦痛に目を細めながら、少年は言う。祝福の巫女の聖なる肉体をも焼き尽くす瘴気に晒されて、普通の人間が意識を保つどころか言葉を話すことなど不可能なはずだ。
一体、この少年は何者だというのか。
「スウウウ……」
だが、ほんの一瞬浮かび上がったその好奇心でさえ、心の奥底より吹き出る暗い衝動に飲み込まれる。ただ、今は目の前に立つ存在を「壊す」。それだけが私の目的だ。
ならば、これ以上の詮索は必要ない。目的を果たせ。
ただ、あの方のために。
ただ、全身を侵蝕する欲求に身を任せるように。
私が魔剣を引き抜こうと一歩踏み込んだその時だった。
「リアス!」
暗闇の中に立つ私の耳に、一つの声が響いた。
私の名前を呼ぶ声。あの時と同じ、美しく、澄み渡るような声。
「姫さま……?」
刹那、その声が、洗い流すように私に全てを忘れさせ、心の闇を払った。瘴気が霧散し、私は鮮明な意識を取り戻す。
そしてすぐに、私は声のした方を振り向いた。
「姫さま!」
「リアス! 助けて!」
見れば、姫さまは襲撃者の一味に捕らえられ、今しも奥の出口へと連れて行かれる所だった。後ろ手に縛られ、無理やりに引っ張られている彼女を追おうと走り出そうとした私だったが。
「っぐ!」
突然、背中に強烈な痛みを感じて足を止める。振り向けば、先ほどの少年が息を荒げながら、こちらに手を伸ばしていた。油断した。私が見せた一瞬の隙に、ナイフを投げつけられたようだ。この少年は、私の操る瘴気を目にしても尚、怯まなかったというのか。例えそれから解放されたとしても、普通であれば恐怖に身を竦ませるはずだ。
つくづく、この少年は厄介だ。一体なぜ、彼はそこまで……。
「マルス! 何してるんだい! ずらかるよ!」
一味の中から、少年に呼びかける声があった。姫さまを捕らえた襲撃者の一味の一人、背の高い荒くれた女性だった。他の連中にも指示を出しており、どうやらリーダー格の存在であるようだ。
マルスと呼ばれた少年は、その女性の声を聞くと、敏感に反応した。すぐに目をつむり、隠し布を上にかぶせて立ち上がる。その瞳が閉じられる一瞬、暗く淀んでいた彼の瞳に、少しだけ光が灯っているように見えた。
マルスは素早い身のこなしで私を追い抜かし、すぐさま一味の後を追う。
片や私の方は、焼けるように痛む刺し傷と、刃先に塗られた毒の痺れによって思うように体が動かず、ぎこちない手つきでナイフを引き抜くのにさえ四苦八苦していた。
「……くそっ!」
ようやくナイフを投げ捨てると、私も足を引きずりながら、急いで彼らの姿を追いかけるのだった。




