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襲撃

 「気」とは、世界に遍く満ちるエネルギーである。世界を流転、変容させ、抑止に抗う力として知られている。


 かつて神が星海に浮かぶたった一つの小岩から大陸を生み出した時、ただそれだけでは世界は静止したままだった。何も生まれず、何も滅びず、悠久と不変だけが全てを支配していた。


 しかしやがて、その様子を眺めていた星々の内の一つが大陸へと堕ちてきた。その星は「偽りの神」を名乗ると、完全なる均衡と調律の中にあった世界に「気」を充満させ、変化を与えたのだ。この世には生と死、破壊と再生がもたらされ、変化の流れが時間となり、あらゆる物は進化と退廃という二つの道を得た。


 ……と、「星海の詩」の中ではこのように伝えられているが、これは飽くまでも神話の物語だ。これほど膨大なエネルギーをたった一人で生み出せる存在がいるというのは、些か荒唐無稽が過ぎる。


 ただし、この世界には確かに、「変化の流れ」を生む力が実在している、これは事実だ。世界を流れ巡り、季節を循環させ、生命のサイクルを生み出すエネルギーを、それを発見した古代の大国の言葉にあやかり、我々は「気」と呼んでいる。


 そしてまた、これらを人為的に操る技術も、遥か昔より研究されてきた。「気」についての研究は、現在でこそ、より汎用性のある「マナ」、即ち魔法に対してのそれにとって変わられつつあるが、それでも由緒正しい文化の一つだ。


 特に、その最たる収穫と言えるものが、「生気」と「闘気」である。前者は人々を癒し、病を払い、長寿をもたらすものとして、後者は奇跡に頼らず超常的な力を振るい、極める武術として、長く人々の歴史に根付いてきたのだ。


 ー大陸の高名な歴史学者サルコフの名著『科学と研究の歴史 上巻』よりー

 ♦︎


「あのっ! ちょっと!」


 手を引かれるまま、宴の間の人気のない片隅にまで連れてこられた私は、そこでようやく立ち止まり、前の彼女を引き留めた。


 彼女は手を離すと、こちらを振り向き、不思議そうに小首を傾げる。


「どうしたの、リアス。二人だけで話したいことがあるのだけれど、嫌かしら?」


「嫌というわけではありませんが……」


 私は首を横に振ると、改めて目の前に立つ彼女を見やり、尋ねた。


「あなたは一体何者ですか?」


 その問いを聞いて、相手は一度、驚いたように目を見開いた。それから、すぐに無理やり笑顔を取り繕って笑いかけてくる。


「な、何者って、どう言う意味かしら? 私はあなたの主君で、この国の皇女であるシルフィリディア……」


「様ではないでしょう? どうやら敵意はないようですが、私の前で姫さまを騙る行為は慎んで頂きたい」


 少しだけ語気を強めて、私は告げた。すると彼女は、すっかり調子の狂ってしまった様子で嘆息し、肩を竦めた。そして、唐突に誰かに呼びかけるように。


「私の魔法、不完全だったかしら?」


 と、彼女の言に、柱の陰から何者かが歩み出てきて答える。


「とんでもありません。完璧な仕上がりでしたよ、姫」


 現れたのは、見覚えのある背格好をした金髪碧眼の美少年だった。私の記憶が正しければ、この少年は確か、マチルダ様の直属の騎士であるはずだ。名門貴族家の跡取りで、サカール・ファルアとか言う名前だった。


「肌の色、髪の艶、瞳の輝きまで、見事に再現されておられました。隣に並べられたとて、私には見分けがつかなかったでしょう」


「そう? ……でもそれなら」


 姫さまの姿をした彼女は、そこで一度ちらりと私の方を見やると、不意にぱちんと指を鳴らした。それを合図とするように、彼女の体が淡い光に包まれる。そして、それが晴れるとそこには。


「あなたは……マチルダ様?」


 寸前まで確かに姫さまの形を取っていた彼女の姿は、その一瞬の内に、姫さまの姉君にしてメルキセド皇族第二皇女である、マチルダ・ファンシルビア・メルクリウス様のものへと変わっていたのだ。現れたマチルダ様は、肘を抱えて怪訝そうに私の様子を伺ってきた。


「そう。お前は確か、リアスと言ったわね。平民上がりのシルフィの騎士」


「はっ。しかし、マチルダ様は今、確かに姫さまのお姿を……」


 私が尋ねると、マチルダ様はふん、と軽く鼻を鳴らす。それから、見下すように冷めた視線でこちらを見やると、


「なんだ、知らないのね。まあ、平民風情では当たり前か」


 と、毒を吐きながら、再び指を鳴らした。


 途端、彼女の姿がまたもや光に包まれ、今度はその中から、金髪の女騎士が出現する。私はそれを見て、目を丸めた。


「あ、あれ? わ、私……?」


「ふふん、驚いたかしら? これは皇家に伝わる変幻の魔法「イミテイト」よ。ほら、そっくりでしょ?」


 私にそっくりの姿となったマチルダ様は、優雅にクルリと身を翻して、その魔法とやらの効果を見せつけて来る。鏡像のごとく、あまりにも些細に再現された自身の姿形を目にして、私はなんだか気持ちが悪くなりそうだった。


 とはいえ、純粋にその出来に感服した私は、思わず賛辞の拍手をマチルダ様へと送る。


「うわぁ、本当に瓜二つですね! なんて不思議な魔法……とても素晴らしいです!」


 すると、マチルダ様の方も私の姿のままで得意げに胸を張り、鼻を伸ばした。


「そうでしょうとも! メルクリウスは元々魔法使いの血族。今では随分と廃れてしまったけれど、魔法を習うことは皇族の嗜みなのよ!」


 そう言って三度みたび指を鳴らすと、彼女の姿が元へと戻る。そして、肩をすくめながらポツリと。


「まあ、私はこれしか使えないのだけれど」


「ですが、見事なものですよ! 今の変身、きっと真横に並んだとしたって、どちらが本物の私かを見破ることは出来なかったはずです!」


 初めて目にする「皇家の魔法」に興奮する余り、私はついつい身を乗り出して、無礼にもマチルダ様へ顔を近づけてしまった。マチルダ様が眉根を寄せながら身を引き、そこにすぐさま、側仕えのサカールが割って入るようにして私を制止する。


「お下がりください。それ以上は不敬ですよ」


 彼の最もな忠告を受けて、私は慌てて後ずさった。


「あ、ああ、失礼しました! ついうっかり!」


 果たして皇族に対する不敬について、「ついうっかり」などという無様な弁解がまかり通るのかという点については甚だ疑問である。だがしかし、幸いなことにマチルダ様は怪訝そうな表情を浮かべるのみで、そのことについてとやかく追求したり、咎めたりはしてこなかった。サカールの方も、牽制するようにマチルダ様の前に立ちはしたものの、それ以上に何か厳しく諫言してくる様子はない。


 意外と二人とも、心が広いタイプなのかもしれないな。


「そんなことよりも。あなた、どうして私の魔法を見破ることができたの? あなた自身がそれだけ絶賛する私の魔法を、一体なぜ?」


 しかしマチルダ様は、不服げに腕を組んで、代わりにそんなことを問いただしてくる。どうやら、さっきからそのことが気になって仕方がなかったようだ。やはり自分の魔法の出来には自信があるということだろうか。


「それは……私はマチルダ様の魔法を見破ることができたわけではありません。確かに先ほどの術は完璧な姫さまの似姿を再現しておられたと思います。ですが、私にはそれが姫さまではない、ということが分かってしまったのです」


「どういうこと? それはつまり、やはり私の魔法が不完全であったから、ということではなくて?」


「いえ、そういう訳ではなく……」


 説明にあぐねる私に、マチルダ様はじれったそうに問い詰めてきた。私は必死に視線を逸らしながら、慎重に言葉を選ぶ。


「なんと申し上げればよいのか……上手く表現できているかはわかりませんが、「雰囲気」とでもいうのでしょうか? 姿形は同じでも、些細な声の抑揚や話す時の所作、語尾のトーン、滑舌、歩き方や姿勢、顔の角度に佇まい、加えて……」


「ちょ、ちょちょちょちょっと待ちなさい! 一体いくつあるのよ! そんなに一気に言われても分からないわ」


 ヒートアップしかかっていた私の言葉を、マチルダ様が慌てて遮る。指摘を受けてはじめて、私はハッとして口をつぐみ、かぶりを振るのだった。


「ああ、失礼しました。姫さまのこととなると、つい……。小さな相違点は挙げればキリがありませんが、一言で纏めるとするならば「癖」ですね」


「癖?」


「はい。つまり無意識の動作ですよ。人の数だけ動きには癖が存在しますし、それはその人の生き方や主義によって変わって来ます。私は、「癖」というのは人の内面が滲み出てきて、個性の外殻、即ち「雰囲気」を生み出すものだと思っています。外見だけを真似ることができたとしても、一朝一夕でその内面までを再現することは至難の技でしょう?」


 そうだ。例え姿写しの術が使えたとしても、その生き様、これまでの歩みまでもが転写されるわけではない。そしてそれは、一見小さなようで、実は大きな雰囲気の違いを生み出しているのだと思う。


「特に分かりやすい一例を挙げれば……姫さまは私と話をする時、必ず一度視線を外します。恐らく本人も気付いていないと思いますが、ほんの一瞬、ご自分の足元を見られるんです。絶対に」


「むう」


 私の説明を聞くと、未だに眉を潜めているマチルダ様は、下唇を突き出してうなった。ひとまず頭では理解できたようだが、どうにも納得しがたいという様子だ。


「それは、そうかもしれないけど……でも! だからと言って、姿が全く同じ相手が現れたのに、すぐにそんな些末なことを気にするかしら? その上、相手が本人ではないと確信するまでに至るなんて、根拠としては少し弱くないかしら!」


「はい、仰る通りですね」


 私は一瞬の間も置くことなく、彼女の言葉を肯定する。その返事に、マチルダ様とサカールは拍子抜けしたように眉を上げた。


「私も、それが姫さまでさえなければ、そんなことには全く頓着しなかっただろう、と思います。ですが……」


 バツが悪そうに苦笑しながら、私は頭をかく。


「いつも、どんな時も、姫さまのことを見ていますから。笑顔を、寝顔を、横顔を。あの方の見せた仕草がどんな小さなものであっても、考えてしまうんです。その日の機嫌や、体調や、色々なあれこれを。だから、それで気がついてしまいました」


「……」


 マチルダ様達は、しばらくポカンと口を開けて私の方を見ていた。だが、やがてすっかり調子が狂ってしまった様子で嘆息する。


「はあ、全く驚いたわね。あの子の騎士というから、少しからかってやろうかと思っていたのに。まさか私の方が、魔法のダメ出しを受けるなんて。結構自信があったのだけど」


「そんな! ダメ出しだなんて! 先ほども述べた通り、マチルダ様の魔法は素晴らしかったですよ!」


「いいわよ、別に。無理に取り繕わなくても。結局それ(・・)がこの魔法の穴なんだから」


 鬱陶しそうに腕を振り、マチルダ様は続けて呆れたように。


「しかし、あの子も随分と懐かれたものね。ここまで来ると狂信的と言えるような気もするけれど」


「はは、ありがとうございます」


「褒めてないわ」


「はい……」


 なかなかに辛辣な口上を受けて、私はがっくりと肩を落とした。謁見の間の前で出会った時からずっと、このお方の口調は兎角トゲトゲしい。その可憐な容姿に似合わぬ排他的な態度は、まるで茨に覆われた一輪の花を思わせる。けれど、それもまた、マチルダ様の持つ、特有の雰囲気というものなのだろう。


「まあまあ、リアス殿。そう肩を落とされないよう。私としては、あなたの主君に対する忠節の形は非常に……」


 と、そんな私を気遣ってか、サカールの方が慰めの言葉をかけようとした時。


「……っ!」


 私とサカールは同時に息を呑み、辺りを振り返った。


 異様な雰囲気を感じ取ったからだ。恐らく彼も同じ理由であろう。


「あら、どうしたの? 二人して急にこわい顔をして」


 そんなことが分かるはずもないマチルダ様は、首を傾げて私達を交互に見やる。サカールが彼女を庇うように身を寄せた。


「マチルダ様、お気をつけください。何かきな臭い気配がします。これは恐らく……」


「殺気、ですね」


 彼の言わんとしている言葉を私が引き継ぐ。そう、恐らく間違いない。皇族の集まるこの場のすぐ近くで、剣呑な気配を漂わせている者がいる。それも恐らく、かなりの人数だ。


 私の言葉を耳にして、マチルダ様は顔をこわばらせた。


「殺気!? そ、そんな! でも、ここは皇宮の中よ!?」


「だからこそ、余計に危ういのです。宴の折、警備の手薄な時分を狙われたのかもしれません」


 サカールが、ふためくマチルダ様を諭すように言う。既に彼は、腰にさした剣の柄へと手をかけていた。


「ですが、ご安心ください、マチルダ様。このサカールがいる限り、何人たりとも貴女の御身に触れさせはいたしません」


「……勿論よ。お願い、サカール」


 私は、そんな二人のやり取りを眺めながら、自身も主君である姫さまの身を案じ、その無事を確かめに動き出そうとした。


 だが、その瞬間。


 けたたましい音と共に宴の間の窓ガラスが、何者かによって破られた。


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