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宴の夜にー3

 その声に私が振り向くと。


「なんだ、アリスじゃないか。……それにそちらは確か」


 そこに立っていたのは私を見下ろすほどの、スラリとした長身の女性だった。メルキセドの皇族の象徴とも言える長く美しい黒髪に、透き通るような白い肌。胆力のある真っ直ぐな瞳を持ち、そして威厳さえ感じるほどの堂々とした佇まいながら、同時に、彼女は決して女性らしい柳腰な気品と立ち振る舞いを損なっていなかった。


 エカテリーナ・レノ・メルクリウス様。姫さまを連ねるメルキセド皇女姉妹の長姉であられるお方だ。


 私は、彼女のいかにも自分への自信に満ち溢れたような高邁な態度に、無意識の内に尻込みし、身を引いてしまう。何も悪いことをしているわけでもないのに、引け目を感じるようなナイーブな感情を、一瞬のうちに抱いてしまった。


 だが、勿論そんなことはお首にも感じさせぬよう素早く腰を折り、私は深々と頭を下げる。それから、なるべく視線を合わせないようにしながら改めて自己紹介を行った。


「はっ! これはこれは、エカテリーナ皇女殿下! 私はリアス、僭越ながら殿下の妹君であられるシルフィリディア様にお仕えする騎士でございます」


「そう、リアスだ。あのシルフィリディアが騎士を側につけたと聞いた時は、大層驚いたが」


 エカテリーナ様はそんなことを言いながら、何やら測るような目つきで私のことを見下ろしてくる。完全に尻込みしてしまっている私は、ただただ視線を伏せて、彼女の次の言葉を待つことに徹した。


「なるほど、どうやら丸っきりの酔狂というわけでもなさそうだが……。しかし、下ばかり見るその姿勢はあまり感心しないな。目線の先は、即ち自らの進む先を示す。そなたはあの子と共に、まさか奈落の底へと沈むつもりでもないだろう?」


「は、申し訳ありません」


 るせえ。俯きがちなのは私の性根だ。


 などと、素直に悪態をつくわけもなく、私は彼女の言葉に対して謝罪する。


 と、エカテリーナ様は怪訝そうに首を傾げて、更に続けた。


「先ほどよりも顔を伏せておきながら、一体何を謝る? 顔をあげろ、と。私はそう言っているのだが」


「そ、それは……」


 エカテリーナ様の強い言葉に完全に気圧されてしまった私は、すっかりたじろぎながらも恐る恐る顔を上げた。目の前の彼女は、しかし厳しい口調とは裏腹に、怒るでもなく、見下すでもなく、ただ穏やかな表情でこちらを見つめている。その捉え難い不可解さが、逆に私には気味が悪く思えて、より一層苦手意識を感じてしまった。


「そうだ。己の身分に負い目を感じているのかもしれないが、なればこそ、人一倍胸を張り、自信を持つことだ。生まれの格の低さは、逆に言えばそなたがこれまで積み上げてきたものの高さを裏打ちする、これ以上ない誇りなのだぞ」


「は、はあ……お褒めに預かり、光栄です」


「褒めてはいない。嗜めている」


「……」


 相手のペースにまるでついていけず、私は引きつった笑いを浮かべる。


 と、背後から、見かねたアリスが助け舟を出すように口を挟んできた。


「エカテリーナ。新人いびりもいいが、あまり困らせてやるな。この子はまだ若いんだ、このような場所は慣れていないのだろうさ」


 皇族の、それもあろうことか長姉であられるエカテリーナ様に向かって、まさかの呼び捨てに、あまりにも砕けた口調。加えて、アリスは壁に背を預けたまま、礼の一つもして見せる様子はない。いくら皇国の三騎士とはいえ、まるで旧い友人と話すかのような態度である。


 果たして、これほどの不遜が許されるものなのだろうか。少なくとも、ただの騎士風情が同じような狼藉を行えば、不敬罪として首を飛ばされたとしても文句は言えないだろう。


 しかし、対するエカテリーナ様の方は、彼女の言葉遣いについて一切咎めるような姿勢は見せず、ただ純粋に、彼女の言葉について抗弁するのだった。


「別にいびっているわけではない。私はただ、彼女に己を誇れと言っているだけだ。人はどう生まれたかじゃあない……」


「どう生きるかが重要だ、だろう?」


 先周りするように、アリスがエカテリーナ様に言葉を被せる。エカテリーナ様は、それに対しても憤るようなことはせず、その台詞を肯定するように頷くのみだ。


 二人のやりとりの様子からして、この関係は通常営業であるらしい。少なくとも、アリスが見た目以上に酔っ払ってしまった挙句、主君に対してうっかり不敬を働いてしまった、というようなまぬけな展開ではなさそうだ。なんとも奇妙ではあるけれど、もしかすると、これもまた忠義の一つの形ということなのかもしれない。


「ま、君の考えは素晴らしいと思うけどね。ただ、良くも悪くも分相応に生きたいと願うのもまた、人の性だ。誰にだって、自分に定めた器がある。リアスにはまだ、その器を壊すほどの勇気はないんじゃないかな」


 アリスは肩をすくめながらそう言って、私たちに背を向ける。そして、後ろ手を振りながら。


「じゃあ、諸用があるから僕はここで。後は二人で仲良くやるといい」


 それだけ言い残して、立ち去っていくのだった。


 早くも仲介役を失った私は、エカテリーナ様とたった二人で残されるという状況に、胃が痛くなってきてしまう。


 だが、当のエカテリーナ様の方は、まるで垣根を感じさせない調子で積極的にこちらへ話しかけてくる。


「妹たちのこと、勘違いしないでやってほしい」


「……へ?」


 全く想定していなかったような言葉を投げられて、私はついつい、間抜けな声を漏らした。それから、その意味を問うように、彼女の視線の先を追う。


 それは、大食堂の中央に置かれた円卓へ向けられていた。


 私にとって誰よりも一際目を引く存在である姫さまが、そこに腰掛けている。彼女の両隣には、姫さまの姉君に当たる、アレナ様とペトラルカ様が挟むように座り、三人で何やら団欒しているようだ。


 けれど、その様子は、先ほど謁見の間の前で見られたような、剣呑で危ういものではなく、とても楽しげなものであった。お互いに笑顔を見せ合い、時に軽口を交わしながら、食事を楽しんでいる。姉妹として、同じ皇女として、決して各々に臆面を感じるようなこともなく。そのような感じだ。


「決して嫌いあっているわけではないんだよ。ああして笑いながら語り合っているのも、別に今が特別だから、というわけではない。ただね……」


 エカテリーナ様はそこまで言うと、一度言葉を途切らせた。


 はて、と私が彼女のことを見上げると、彼女は困ったように苦笑して。


「シルフィリディアに、時にあの子らがきつく当たってしまうのにも、理由があるんだ。納得してくれとは言わないが……理解はしてほしい」


「理由、ですか?」


「ああ」


 エカテリーナ様は、どこか遠くを見るように、視線を天井に上げた。その仕草は、時々姫さまがして見せるものに、どこか似ているようにも思えた。


「レーネ様……シルフィリディアのお母様さ」


「それって……」


 まさか、姫さまの母君が、平民の出生であるという話だろうか、と続けかけた私を遮るようにエカテリーナ様は首を振る。


「レーネ様の身分のことではないよ。むしろそんなことは、私たちにとってはとても小さなことだった」


 懐かしむような、けれど、どこかに悔いを残すような。麗しい第一皇女の表情は、複雑な物哀しさを孕んでいた。


「少し、昔話になるよ?」


「構いません。是非お聞かせください」


 私が答えると、エカテリーナ様は一つ頷いてから、ゆっくりと語り始めた。


「私たちの母上……つまり、国王陛下の正室でもあられるお方は、完全な政略結婚でメルキセドの皇室に嫁いで来たんだ。二人の間に育まれた愛はなく、世継ぎのためとして多くの娘をもうけても、その関係は冷え切っていたと言われている。だから母上は、陛下との子である私たちへの愛情も薄くてね。というより、愛着が薄い、というべきかな」


 彼女の言葉に、私はなんと反応していいか分からず、ただ黙って先を促す。


「けれどそれでも、陛下は母上のことを尊重していてね。皇という位置にありながら、母上以外の側室は一切とらなかったんだ。愛してはいなかったかもしれないが……もしかしたら陛下自身、母上に対して申し訳ないという気持ちがあったのかもしれない」


「なるほど」


「まあ、しかしね。少し哀れまれたくらいでは、二人の関係が良くなるわけもなく。母上は自室に閉じこもることが多くてね。はじめに産まれた私の世話も、乳母に任せっぱなしだった」


「……」


「ちょうど、第二子である妹のマチルダを産んだ頃だった。市井から、宮廷仕えの乳母としてレーネ様が徴用されてきたのは。そして、彼女はなんと、皇族の世話係として召し上げられたんだ」


 そうか。


 そうして、先にエカテリーナ様が言われていた通り、姫さまのお母様が、実質的にマチルダ様達のことを育てることになった、というわけか。


「彼女はとても明るく、強く、それでいて優しい女性だった。皇族である私たちに対しても、まるで臆する所がなくってね。むしろ、実の娘であるかのように、親身に、大切に育ててくださった。……だから、みんなとてもよくあの方に懐いていたよ。いつもあの方の周りには、妹達がべったりで……引き剥がされそうになると泣き喚いて、よく困らせていたな」


 エカテリーナ様が懐古するように目を細める。


 私も、そのレーネ様なる人物について、思いを馳せた。


 姫さまを産んだという女性だ。彼女の言う通り、きっととても素晴らしいお方であったに違いない。もう亡くなられているとのことだが、叶うことなら一目、実際にお会いしてみたかったものだ。


「そして、そんなレーネ様のことを……国王陛下も深く愛していたんだ。いや、彼女が宮廷にやってきた頃から、二人は想いあっていたのだろう。母上との愛なき夫婦関係が、もしかすると陛下の想いをより強くしたのかもしれない」


「では、それで……?」


「そう。レーネ様はついに陛下の側室となり、そして、一つの命を授かった。それがシルフィリディアだ」


「姫さまが……」


 はじめて、姫さまの生い立ちについて詳しいことを聞かされた私は、噛み締めるようにその言葉を反芻する。


 一方、エカテリーナ様の方は、段々と表情を曇らせながら、尚も話を続けるのだった。


「ただね。元々体が弱かったことに加えて、身重となったレーネ様は、段々私たちと触れ合うことのできる時間が減っていった。それでもしばらくは、僅かな時間を見つけては幼い妹たちのこねる駄々に精一杯応えてくださっていたのだけれど……出産が近づくと、いよいよ彼女の容態は絶対安静となり、国王陛下と医師以外は顔を見ることさえ叶わなくなってしまった」


 無念をこらえるように、エカテリーナ様は瞑目して眉間にシワを寄せる。


「妹たちにしてみれば、育ての親であるレーネ様を奪われたように感じてしまうのも、無理のないことだった。理不尽に引き離され、顔を見ることも叶わない。そして、極めつけには……」


「姫さまを産んだレーネ様は亡くなられた、というわけですか」


「……ああ、そうだよ」


 エカテリーナ様は、静かに答えた。


「結局、私たちはその最後の瞬間に立ち会うことさえできなかった。再会することのないままレーネ様は命を落とし、後には幼いシルフィリディアだけが残されたのだ。その寂寥せきりょうによって、妹たちは屈折してしまったんだよ。シルフィリディアに対して、時に辛く当たってしまう一方で、レーネ様の忘れ形見でもあるあの子を家族として切り捨てられない。いつしかそんな、歪な姉妹関係ができあがってしまった」


 長姉として、長く皇女姉妹のことを俯瞰して見てきたであろうエカテリーナ様の表情には、どうしようもない葛藤が表れていた。恐らく彼女はずっと、そんな姉妹の「傍観者」であり続けたのだろう。妹たちと同じく乳母の愛を欲することも、かといって姫さまに肩入れすることもなく、飽くまでも達観した立場に身を置き続けたのだ。


 もしかすると、妹たちに介入し、その関係を修復できずにいたことに、どこかで罪悪感を感じているのかもしれない。


「あの子たちがなぜ、シルフィリディアの前でレーネ様をそしるのか。……それは、彼女らにとって、あの方を侮辱することが、最も心の痛む行いだからだ。欲しているのだろうさ、あの方の温もりを。とりわけ、一番よく懐いていたのが……」


 遠い目をしたエカテリーナ様が、そう言葉を続けようとした時だった。


「リアス!」


 不意に、背後から私の名を呼ぶ声があった。


 あまりにも聞き覚えのある声に私が振り返ると。


「こんなところにいたのね」


「……姫さま?」


 そこには、先ほどまで確かに中央の円卓に座っていたはずの姫さまの姿があった。彼女は私を見上げて微笑んでいる。


「おや、シルフィリディア。もう団欒は済んだのかい?」


「エカテリーナお姉様。はい、お食事も、お姉様達とのお話も楽しませて頂きました」


「うん、それは何よりだ。それで、一体どうしたと言うんだ?」


「ええ、その……もしかしてお取り込み中でしたか? 少し、リアスと話がしたくて」


 姫さまは申し訳なさそうに視線を落として、エカテリーナ様に尋ねた。すると、エカテリーナ様は「なんだ、そうか」と笑って首を振る。


「そういうことなら構わないさ。私が勝手に昔話をしていただけだ。リアス、引き止めてすまなかったね」


「え? あ、いえ! とんでもない、貴重なお話をありがとうございました」


 私が低頭して、そんな風にエカテリーナ様に挨拶を告げたのも束の間、ひったくるように姫さまが私の手を取って引っ張った。


「さあ。リアス、ちょっと来て」


「あ! ちょ! あの!!」


 戸惑う私を一切顧みずに、姫さまは半ば強引に手を引いて歩き出すのだった。



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