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宴の夜に

 「白銀の大国」メルキセド。


 勇者の一味と運命を共にした悲劇の国「イルシア連邦」を前身とする、ハイニウム有数の大国の一つ。伝統ある歴史文化と随一の面積をほこる国土、強大な国力を持ちながら、百年戦争を俯瞰して中立の立場を貫いている、五大国の一つである。


 国中を跨ってそびえるいくつもの銀嶺山脈が自然の砦の役割を果たし、また、広大な氷原やブリザードなどの過酷な環境が侵略者を阻み続けている。しかし、それを越えた中心部の都には豊かな大地と賑やかな街並みが広がっているのだ。


 かつて、たった一人でこの秘境の大国を興したメルクリウス一世は、「暁の三百年」を予言した祭祀ステラの啓示を受けた者だった。その時代にはまだ世界に竜が存在しており、メルクリウス一世は一匹の竜に三つの宝石を贈ることで「契約」を交わし、巨大な力を手に入れた。


 「力」の石、ダイヤモンド。「忠節」の石、アメジスト。そして「英知」の石、エメラルド。


 いつしかそれらの宝石は、メルキセドの栄華と国力の象徴となった。代々、皇立騎士団の最も誉れある三人の騎士には、三つの宝石の名を冠した騎士号が与えられ、「メルキセドの三将」などと呼ばれる。そして彼らこそが、三百年の昔に竜の加護を受けて築かれた超大国の最も巨大な戦力として君臨しているのだった。

 宴が始まった。


 宮廷一階にある大食堂が解放され、そこに名のある貴族や王家に仕える騎士、大臣、その他の文官らが集まり、宴の席を囲う。主役である姫さまを含む皇女達は中央の円卓で国王陛下と食事をし、私たち騎士はその左手側、文官達は右手側の長テーブルについた。


 上物の果実酒や豪華な肉料理などが次々と運ばれてきて、食卓を賑わせる。騎士達はその匂いと味を楽しみながら、めでたい今宵の主賓を祝福した。そして、大層ご立派な己の使命と誇りと、加えて小綺麗な鎧につけられた擦り傷についての昔話に花を咲かせる。


 私の方はと言えば、そんな高邁な宮廷物語になどついていけるはずもなく、どころか知り合いさえいないこの空間はすこぶる居心地が悪く感じられ、料理の味にも集中できていなかった。周囲が盛り上がっていく中、一人肩を狭めて下手くそな愛想笑いに終始するばかりだ。全く酒が飲めない体質であることも相まって、周りの雰囲気にさっぱり馴染めないでいた。


「しっかし、なんだ? 貴公、確か名前は……?」


 対面に座った騎士が、赤らんだ顔を向けて私に聞いてくる。正装をぴっちりと着こなし、由緒正しい家系を思わせる端正な顔立ちだ。


「あ、り、リアス、と申します。シルフィリディア皇女殿下の近衛をさせて頂いています」


 素面のまま突然話しかけられて、私は無様に声を裏返らせながら返答した。と、相手の騎士は腕を組んで大仰にそれに頷く。


「うん、大したもんだ。平民上がりの名もない騎士が、まさか皇女直属にまで昇進するとは。さぞかし立派な武勇をお持ちなのだろう?」


「は、ははは。いえ、それほどでも……」


 苦笑いをしながら、ぎこちなく首を振った。


 続けて、今度は右隣に座った、壮年の騎士が話しかけてくる。その右胸には幾つもの胸章が飾り付けられており、中々の功績を上げているようだ。


「いやはや。それに何より、まだ若いながら平民上がりとは思えぬ麗しい容姿。我ら貴族顔負け、いや、それ以上の美貌をお持ちでいなさる。どうかな? 貴公が望みさえすれば、是非とも我が家の息子との縁を考えられてみては?」


「あ、いやぁ……、今はそういうことは考えていないので……」


 肩を引いてやんわりと断りを入れようとした所、途端に今度は左隣の騎士が大きくこちらにもたれかかってきた。思わず背筋を伸ばし、飛び上がりそうになって振り向くと。


「お〜お〜、こりゃまたお高いねぇ。名門ベルパール家のご縁談を迷いなく蹴っちまうたあよぉ」


 既にすっかり出来上がった様子の髭面の騎士が、私の方へと身を乗り出していた。あろうことかその男は、そのまま私の肩に手を回し、酒臭い息を吐きかけてくる。


「ま、そんなお話よりも、別嬪さんよ。遠慮せずにどんどん飲みなさいよ。美味い酒の味を覚えることも騎士の仕事ですぞ」


 不快感のあまり本気で顔を引きつらせている私に向かって、髭面の騎士はグイグイと詰め寄ってきた。背筋がゾクゾクとして、思わずテーブルをひっくり返してしまいそうな衝動をグッと堪える。


 お、落ち着け、私。ここで下手なことをしたらまた姫さまに恥をかかせてしまうぞ。


「こら、バジル! いい加減貴様の酒癖はどうにかならんのか! それにそのだらしない口髭もどうにかしろと言っているだろう!」


 すると、見かねた右隣の壮年の騎士が、眉を潜めて苦言を呈した。対して、バジルという騎士の方は悪びれる様子なく、私ごしに唾を飛ばした。


「あぁん? べっつにいいだろ、酒の席でくらいよぉ! いつも窮屈な鎧に身を包んでお国を守護してるのは俺たちだろう! こんな時くらいハメを外すことの何が悪い!?」


「度がすぎると言っているのだ! 騎士としての矜恃はないのか!」


「矜恃だぁ〜? そんなものよぉ……隣にこれだけの上玉がいるんだぜ!? 放っておく方が人間としての矜恃に反するってもんだ」


 いよいよもって、頬と頬が触れ合いそうなほどにバジルは顔を近づけてくる。我慢の限界が訪れつつある私は、必死に引きつった笑いを浮かべながら、無言のまま自分を押さえつけた。


「バジル! 今の発言、取り消さないか! 皇宮騎士にあるまじき態度だぞ!」


「あぁ!? 偉そうなこと言ってんじゃねえよ! 戦もねえ国で、何が皇宮騎士だ! そこらの人間と変わりやしねえんだよ! てめえだって所詮は剣で食い繫いでるだけのゴロツキじゃねえか」


「貴様ぁ! 言わせておけば……!!」


「おやおや、一体なんの騒ぎだい? 二人とも立ち上がったりなんかして」


 迷惑なことに、私を挟んでとうとう口論にまで発展した二人の騎士を、不意に背後からかけられた声が制止する。二人はその声を聞いた途端、凍りついてしまったかのように動きを止めた。


 いや、それどころか、私でさえ一瞬体を固まらせていた。


 何故なら、その声が聞こえてくるまで、自分の背後に立つ人物の気配に全く気がつかなかったからだ。私が過去に生きてきた環境において、それは即座の死を意味する。故にこれまで、例え身体を休めて眠る時でさえ、周囲への警戒を怠ったことはなかった。


 そんな私が。


 宴の席で気を抜いていたとはいえ、まさかここまであっさりと、そして完璧に後ろを取られるとは。


「……」


 私は無言の内に、ゆっくりと振り向いた。


 そこに立っていたのは、見覚えのある女性だった。


 特徴的な長い赤毛に、男装のサーコートとスラリとしたキュロットという正装で、足には皮のブーツを履いている。蛇のような黄色い瞳が、こちらを飲み込むように見下ろしていた。


 アリス・テンバート。


 姫さまは彼女のことをそう呼んでいた。そしてアリスは、この国における最高の騎士号である「三将」の名を冠する者の一人なのだという。


「やあ、お楽しみのところ済まないね。お取り込み中ならば続けてもらっても構わないのだけど……まあ、まずは二人とも座ったらどうだい?」


 アリスは目を細めて、気さくな調子で言いながらバジルの肩に手を置いた。


 バジルは打って変わって、酔いが覚めたように目を見開き、額に大粒の汗を浮かべて首を振る。


「い、いやいや、まさかそのような」


 それから、緊張感からなのか、自身のコートの首元の調子を忙しなく整え、大人しく着席した。もう片方の騎士も恐る恐る席に直り、一言も喋らずに酒を口につけはじめた。


「おや、そうかい。なんだか悪いね、気を使ってもらったみたいで。……それなら少しの間だけ、この子は僕が借りて行っても構わないかな?」


 アリスは、今度は私の肩に手を乗せる。バジルは、まるで壊れたおもちゃみたいに何度も頷きながら。


「ええ、ええ。もちろん構いませんとも」


「ありがとう。感謝するよ」


 不敵に微笑むアリス。彼女はそのまま私の方に視線を移した。いかんせん死角に潜られるという極めて馴染みのない経験をした私は、正しく蛇に睨まれたなんとやら、という具合に、身動き一つ取れなかった。


「それじゃあ、ついてきてくれるかな。……リアス」


 だから、彼女にそう問いかけられた時も。


「……はい」


 私はほとんど無意識のうちに、彼女の言葉に従っていた。


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