八話
「ぬっわっはっはっはっ! ついに一年生チームの秘密兵器、有馬堅太郎の登場であーーるっ!」
長髪を輪ゴムで括った堅太郎が肩を揺らしてピッチに立った。上級生のなかに混じっても、その長身は一際、目立つ。
上級生チームで、最も大柄な先輩がマークについた。
「──うん? なんだこいつは!?」
コーナーキックを迎えて、長身の堅太郎を投入。一年生チームの魂胆は見透かされていた。
「こんにゃろぅ、グリグリと体を押し付けてきやがって……」
ゴール前のポジション争いは熾烈さを極める。大柄な先輩が堅太郎を中に入れまいと、背中を張ってブロックしている。
「くそっ! 邪魔だ。どけっオラッ!」
堅太郎が懸命に体を前に入れるも、先輩も負けじと入れ返す。堂々めぐりでキリがない。激しいぶつかり合いが続く。
ならば──、
──!?っ
何を血迷ったのか、堅太郎はゴールとは逆方向、センターサークルに向かって逆走した。
そして、センターサークル付近で立ち止まったや否や、突然、踵を返して、ゴールに向かって猛然と走り出した。
急転直下のとんぼ返り。
──!?っ
もの凄い形相で走り込んでくる堅太郎の意図を汲み取ったキッカー、福永は間合いを測り、堅太郎の最高到達点目掛けて、ボールを放り込んだ。
センターサークルからペナルティエリアまでの距離は約30m。その間を助走区間として、スピードに乗った堅太郎が、まさに滑走路から飛び立つジェット機のように、──跳んだ。
加速する大飛翔を防ぎ止める者はいない。
堅太郎の影がペナルティエリアを黒く塗り潰す。
更に堅太郎は、空間に階段でもあるかの如く、一歩、二歩、三歩、──空中を闊歩した。
その姿はまるで、バレーボール選手がアタックを決めるかのように、バスケットボール選手がダンクシュートを決めるかのように、時間の静止した世界を謳歌するように、──優雅に、華麗に、──空中を翔け上がった。
見上げる視線。呼吸すら忘れる静寂な戦慄が、地上を飲み込む。
最高到達点に達した堅太郎は、それでもなお、高度を保ちその場でボールを待った。上半身を反らし、流れてくるボールを待ち構えている。天空で裁きを下すかの如く、狙いを定める眼光、それはまさに──神の視点。
切り取られた空間に押し込まれた傍観者たちの、半ば虚ろな視界の端に、一筋の影が映り込む──全知全能の神に抗うように、地上から放たれた一閃の矢。
ゴールキーパーの川田だった。
高さでは勝てまいと、拳を突き立てた右腕を伸ばし、天を衝く勢いで跳躍する。
弧を描いたボールが、二人の間に吸い込まれていく。前方からは川田の拳。それを迎え撃つ、反り返しから、しなりを効かせた堅太郎の頭。
意地と意地がうねりを上げて激突する。川田の拳がボールの下腹部を突き上げたのと同時に、ボールの横っ腹に、堅太郎のヘディングが捻り込まれた。
瞬きも許されない僅かな時間、一瞬、時間が止まってしまったかのような錯覚に見舞われ、そして──、
ズバァーーーーンッ!
落雷のような軌道のヘディングシュートがゴールネットに炸裂した。
凄まじい重さと勢いを持った衝撃に弾き飛ばされた川田の背中が、地面に叩きつけられ、ポン。ポン、ポン、ポンポンポン──。
静まり返ったフィールドに、ネットから溢れたボールの音だけが刻まれた。
見上げる川田の視界には、澄んだ青空が広がっていた。
川田は立ち上がることが出来ずにいた。
負けた、──だとか、悔しいだとか、そんな感情を超越した得体の知れない、圧倒的な、──何か──。
言葉も、感情も奪われて、ただ、天を見上げる。
余韻だけが拳に残る。
一年前の地区予選決勝での敗北。川田はその日から屈辱を燃料源として、闘志の炎を燃やしてきた。今も、そうあるべきだと、当然のように自覚している。途絶えることなく燃やし続けてきた炎。
──なのに、突如として現れた、『強大な何かに』、あまりに呆気なく踏み躙られ、絶え間なく焚べてきた炎が、燃え落ちる──そして、すぐさま、魂が、再び──吠える。
──こいつは一体、──何者だ?