七話
──全国高校選手権大会地区予選決勝。
武の活躍で先取点を奪った優駿高校は、気の緩みから逆転を許し、二対一というスコアで後半戦を迎えていた。
「あーーっ、ダメダメだ武君わっ! 足が止まっているじゃないかっ! 何をやっているんだっ!」
金子が髪をくしゃくしゃと揉みしだき狼狽している。
武だけではない。鍛え上げられた強豪校の執拗なプレスに優駿高校の選手たちは全員、息を切らしていた。公立高校と強豪高校の地力の差。それはフィールドだけに留まらず、両校のスタンドにも現れていた。
黄色い声援をあげていた優駿高校の生徒たちの表情は翳り、一方で強豪高校の応援席は、ベンチ入りを勝ち取れなかった大勢のサッカー部員たちが躍起になって声を張り上げている。
点差は一点。スコアの上では諦めるにはまだ早い。しかしそれを許さない、勢いみたいなものが会場に渦巻いている。
「私の最高傑作もここまでですか……」
金子がか細い声を漏らした。
「残り時間10分。まだ試合が終わったわけではありませんよ」
絶望にも似た敗戦ムードに包まれている最中、吉田の目には一人の男の姿が飛び込んできた。
優駿高校のゴールキーパー、川田達成。
ペナルティエリアの最前線にポジションを取り、チームを鼓舞している。
その顔つきに、諦めの様子は見受けられない。ただ一人、猛獣のような咆哮を放ちチームに喝を入れている。
静かに吉田が口を開いた。
「金子先生、私は思うのです。我々が創っているものは『器』に過ぎないのではないかと──」
「──器ですか……?」
頭を抱えた金子が項垂れたまま、一瞥する。
「ええ、器です。才能溢れる肉体を遺伝子操作で創りあげたとしても使いこなせるかは未知数。本人次第です。どんな人間にでも才能はあります。ただその才能に気づかない者。または使いこなせない者。すべては才能に同調する精神が重要だと思うのです」
「──精神? 要するに精神力を司る因子が重要だとおっしゃりたいのですか?」
「さあ、どうでしょうね? 精神──人間の魂までも、遺伝子操作で創り出すことが可能なのでしょうか?」
「我々の研究が無意味とでも?」
「いえ、そうではありません。ただ──、いつの時代も英雄とは創られるものではなく、突如として現れるものだと──」
「つまり、我々が創りあげた肉体に、偶発的に英雄の魂が宿った時──、英雄は誕生すると──」
電光掲示板の時計が5分を切る。
フィールドでは川田が腕を伸ばして激を飛ばしていた。
吉田は、彼の姿に見覚えがあった。
いや、正確に言うと、──似ていた。
──父親によく似ている──。
当然、父親と言っても戸籍上ではなく、遺伝学上の話だ。
彼の父親は日本サッカー史上、最も記憶に残る選手だった。思い出すだけで胸が熱くなる。そんな選手だった。
魂のストライカー。
人は彼の父親をそう呼んだ──。
吉田にとっては一九九三年、ワールドカップアジア地区最終予選での勇姿が印象深い。敗色濃厚の後半43分。味方からの縦パスをゴールライン寸前でスライディングによって食い止め、そのまま角度のないところから振り向きざまにシュートを決めた。
追加点をあげるも一点差。
残り時間は2分にも満たない。
彼はゴールに転がるボールを脇に抱え、大声で叱咤しながらセンターサークルへと走り出した。
諦めるな。
まだ終わっちゃいない。
彼の声が遠くの地、日本にいても聞こえてくるようだった。フィールドだけではなく日本中を揺るがした──魂の雄叫び。
後に遺伝子提供者となった彼に、吉田は最大の敬意を表して、こう名付ける。遺伝子名称、コードネーム──『魂の咆哮』 【ラインコードR-2】
ストライカーとゴールキーパー。
ポジションは違えど、その遺伝子が川田達成に受け継がれている。
川田の頭上で試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
川田は誰よりも泣いていた。人目を憚らず天を仰いで顔を覆う。
涙は敗者の証じゃない。魂ある者だけに許された、次の勝者への特権。歴代の英雄たちがそれを証明してきた。
魂のストライカーを彷彿させる煮えたぎるような闘志。
吉田は目を細めた。
「勝ち続ける人間なんていません。誰もが悔しさを糧に這い上がるのです。川田君も武君もまだ若い。将来が有望な選手たちですよ」
ピッチを去る選手たちに拍手を送る吉田の傍らで、
「──英雄は創られるものではなく、突如として現れるもの──」
金子は、その言葉が心の片隅に引っかかっていた──。