五話
武 遼平 【ラインコードZ-2】
新入生が加入する一年前──、
「凄いよ凄いよ、今年のチームはっ!」
全国高校サッカー選手権大会地区予選決勝。その会場のスタンドで、一年生マネージャーのかなえは目を爛々と輝かせていた。
毎年初戦敗退の優駿高校が全国大会出場まであと一つの所にまで迫っていた。前代未聞の快挙に大型バスがチャーターされ、大勢の生徒が応援に駆けつけている。
割れんばかりの声援のなかに、ひっそりと佇む二人の男性。プロジェクトG──遺伝子研究班。
「ついにここまで来ましたよ。私の最高傑作が──」
得意げに口角を吊り上げるサングラスをかけた男に、フフフと微笑ましく見守る初老の男性。
「さすがは金子先生ですね」
落ち着き払った口調で話す初老の男性とは対照的に、金子と呼ばれるサングラスをかけた男は、興奮冷めあらぬ様子で声を震わせている。
「吉田先生、しかとご覧下さい。私の研究成果を、いや、もはや芸術とも言える私の作品を!」
一方で吉田と呼ばれた初老の男性は微動だにすることなく、落ち着いた眼差しで試合を注視している。
一際、黄色い声援が飛ぶのと同時に、金子が腰を浮かせて身を乗り出した。視線の先には、弱小サッカー部を大舞台に導いた期待の一年生、武 遼平がボールを奪取して、ドリブルで攻め上がろうとしていた。
相手チームは県内屈指の強豪校。三年生を主体に鍛え上げられたチームは、ついこの間まで中学生だった武と比べると、選手たちの体格はひと回りもふた回りも大きく見える。
武の前に筋骨隆々としたディフェンダーが立ち塞がった。武が果敢に立ち向かうかと思われた刹那、予想に反して武は急激にスピードを停止させた。ビクンッ。トップスピードからの急停止にディフェンダーの重心が揺らぐ。チェンジオブペース。
一瞬の隙を武は見逃さない。
ディフェンダーが体勢を立て直す僅かな間に、一足でトップスピードに乗り、置き去りにしていく。初速が圧倒的に速い。常人離れしたギアチェンジにディフェンダーが翻弄される。しかし、動線を読んでいた次のディフェンダーがカバーに入った。強豪校に相応しい連携がとれた鉄壁のディフェンス陣。
武は先程とは真逆に今度はスピードを緩めない。速度を維持したまま、更に加速してディフェンダーの脇をすり抜ける──、スピードでは太刀打ちできないと踏んだディフェンダーが力まかせに肩をぶつけた。ショルダーチャージ。すると──ぐにゃり。まるでしたたる水滴をいなす青葉のように負荷を吸収して、擦り抜ける。
軟体動物を彷彿させる柔軟性。バランス感覚が優れた強靭な体幹。
そして、水中を泳ぐ蛸をも連想させる、筋肉の収縮から、──爆発する敏捷性。一気に解放されたフレクシブルな筋肉が弾け跳ぶ。
ギュイィィィーーンッ!
そこからはスピードに身を任せた直線的な軌道で切り裂くようにゴールまで駆け抜けた。
誰も追いつけない。
視線だけが武のシュートを追う。
放たれたボールがゴールネットを揺らしていた。
轟く歓声よりも先に、金子は立ち上がっていた。サングラスを外し、あんぐりと口を開けて硬直している。
しばらく余韻に浸ってから、
「み、み、み、みましたあぁぁ〜〜〜〜? 吉田先生ぇぇ〜〜〜〜っ?」
ゆっくりと振り向いたその顔には、恍惚とも言える隠しきれない喜びが滲み出ていた。吉田は動じることなく、金子の物欲しげな視線に「パチパチパチパチ」拍手を送り、「さすがは金子先生」と称賛した。
「で、す、よ、ねぇ〜〜〜〜♡」
金子は小刻みに体を震わせて、ご満悦とばかりに表情をとろけさせる。
「私の研究は正しかった。私は発見したんですよ。『万物の霊長』の中に眠る、まさに神と呼ぶに相応しい隠れた遺伝因子を!」
「──と、言いますと?」
吉田の穏やかな目の奥が突如として光った。
「『創造主』の遺伝子から最初に作られた『万物の霊長』。彼らに受け継がれた『創造主』の遺伝因子。柔軟性、強靭性、敏捷性。アスリートに必要なすべての因子を纏めて内包する神の遺伝子。
私はそれを掛け合わせることで『創造主』をも超える英雄を創り出そうとしました。
ところが、神の遺伝子を保持する人間など『創造主』の他に存在していませんでした。対になるものがない。まさに神に選ばれた特別な因子だったのです。そしてそれは潜性遺伝子。劣勢遺伝とも呼ばれる形質が現れにくい遺伝形態でした。
そこで私は神の遺伝子と対なる因子のなかで、より遺伝性の低い究極の潜性遺伝子を探し出しました。つまり、神の遺伝子よりも更に潜性の最弱の因子。強者と強者を掛け合わせることで、より優れたアスリートを生み出そうとしていた私にとっては目から鱗でしたよ。まさか弱者を掛け合わせることで、隠れた究極の因子を引き出すことになろうとは──」
「神の因子を目覚めさせるための潜性遺伝子、……衝撃的なお話ですね……」
「探究の果てに辿り着いた衝撃。武君がもし遺伝子保持者としての道を進んでくれるなら、コードネームは『最果ての衝撃』【ラインコードZ-2】が相応しいでしょう」
「──『最果ての衝撃』──、ですか……」
吉田は話を聞き終えると、
「金子先生、素晴らしい研究成果だとは思いますが、プロジェクトの本来の目的をお忘れではございませんか?」
そう言って、怪訝な表情を浮かべた。
「本来の目的? 吉田先生、お言葉ですがなにか勘違いをされているようですね。プロジェクトの最終的なゴールはワールドカップ優勝。それ以外のすべては、目的ではなく手段でしかありません」
吉田は言葉を詰まらせる。
「産み出すことの尊さ──。神のみが許された所業。私は私のやり方で、日本サッカー界をワールドカップ優勝に導いてやりますよ」
金子は全身の震えを制御するように拳を固める。会話を引き取った吉田は、視線を外すと試合の行く末を静かに見届けていた。
黄色い声援が鳴り止まないスタンドの渦中で、二人の男性の思惑が交錯していた──。