三話
──翌日。
「一人、二人、三人、──凄い。ざっと数えただけで二十人はいる」
サッカー部のマネージャーであるかなえが指を折りながら呟いた。
公立高校の弱小サッカー部にもかかわらず、蠢くほど大勢の新入部員たちが集まっていた。
「これも武君のおかげかな……」
かなえの口から溢れた、──武という名前。
優駿高校サッカー部二年、武 遼平。
U-18(第二種高校生年代)以下の育成はクラブユースと部活動によって行われる。有望な選手たちがユースへと流れていくなか、武は名門高校やユースのスカウトを全て断り、地元である優駿高校に進学した。
去年一年生でありながら、全国高校サッカー選手権大会地区予選の決勝に弱小サッカー部を導いたプロ注目の選手である。
武に憧れた県内の中学生たちが、ここぞとばかりに優駿高校に押しかけていたのだった。
そのなかで一人だけ異質な存在。
「かなえせんぱぁーいっ!」
「あっ! 堅太郎君っ!」
かなえに名前を呼ばれた堅太郎は大仰な身振り手振りで応える。
武、目当てではない、不純な動機の下世話な大男。
──堅太郎!?
その名前を聞いて新入生たちが騒めいた。
「堅太郎ってまさか白老中の?」
「なんで有馬堅太郎がサッカー部にいるんだ?」
堅太郎は地元の有名人──というより、悪名高き問題児だった。
恵まれた体格をスポーツに活かすわけでもなく持て余し、有り余ったエネルギーを筆舌に尽くし難い悪行に費やした──、いわゆる素行の悪い不良中学生だ。
響めく新入生たちを他所に当の本人は、かなえの顔を見つめてのぼせている。
「ハイハイ、みんな静かにっ!」
かなえが両手を打って制した。
「マネージャーの細江かなえですっ! 上級生が練習試合で不在のため、今日の練習は私が担当しますっ!」
一、二、三、かなえは視線だけで頭数を数えると、
「これだけいれば、新入生だけで紅白戦ができるわね」
「──紅白戦っ!?」
かなえの言葉に真っ先に反応したのは堅太郎だった。試合で活躍すれば、──かなえさんの評価が上がる。サッカーなんて所詮は球蹴り遊び──、堅太郎は鼻息を荒くして息巻いていた。
──かなえさんに俺の勇姿を見せつけてやるぜ!
二手に分かれた新入生たちに紅白のナンバービブスが配られる。
赤の3番を手渡された堅太郎の前に、同じく赤の10番をつけた男が話しかけてきた。
「堅太郎君だよね? 今、希望ポジションを聞いて回っているんだけど……」
サッカーの花型ポジションはフォワード。ゴールを決めた者が一番目立つ。
堅太郎はそう理解していた。
「俺、一番前っ!」
「トップか……。あいにくフォワードは希望者が多くてね。前半はディフェンダーをやってもらって、後半、フォワードと交代でもいいかな?」
「おう。それで構わん」
風体に似合わず、やけに物分かりの良い堅太郎だったが、ポジションなどはどうでも良かった。要はどこからでもゴールを決めればいい。──が、それは、サッカー未経験者の浅はかな算段だった。
──つ、つまらん。
ボールが回ってこねぇ。
しかもゴールまで結構、遠い。
赤チームが終始ボールを支配するなか、堅太郎は後方で暇を持て余していた。
「赤の10番の子、上手いわね……」
主審を務めるかなえの声が、堅太郎の耳に届く。
ぐぬぬぬっ──!?
あの10番、自分だけ目立ちやがって。
アイツのせいでボールが回ってこねぇ。許さん。
ならば──、
ひょこ。ひょこ。ひょこ、ひょこ、ひょこ──、
人目を盗んで、こっそりと──、
そろぉーり、そろぉーり──、
抜き足差し足忍び足──、
堅太郎は気配を消してジリジリとポジションをあげて──、
「よっしゃあーーっ! ついにここまできたぞおーーっ! もう俺の前には誰もいねぇー! パスパス、パァアーースッ!」
いつの間にか最前線に躍り出て大声を張り上げていた。
──無論、
「ピィーー」
笛が鳴ってオフサイドフラッグがあげられる。
──!?っ
「はあ? はぁああああっーーっ!?」
納得がいかない様子で青筋を立てる堅太郎に背番号10番が駆け寄り、
「堅太郎君、サッカーにはオフサイドルールってのがあってね。相手チームのディフェンダーより前にいては駄目なんだ……」
ふぬっ、ふぬぬぬぬっ──。何だそのルール。
──先に言えよ。このバカたれが──。
すごすごと追いやられた堅太郎が、再び後方で暇を持て余している。
爪先をグリグリ。指先をモジモジ。
頭をポリポリ。鼻をホジボジ。
空に浮かぶ浮浪雲が、まるでサッカーボールのように見える。
あーーーーーーーーーーーー、退屈だ。
──にしても、あの10番全然ボールとられねぇな? あいつがボールをとられれば俺にもチャンスが回ってくるのに。よし、呪いをかけよう。
死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね──。
堅太郎が何やら念仏のようにぶつぶつと唱え始めると、連携が乱れボールが相手チームに渡る。──よし、成功。
しかし、すかさず10番が次のパスをインターセプトする。
げっ!?なんだよアイツ。
また赤チームのボールじゃねぇか!?
苛立ちを抑えきれず、居ても立っても居られなくなった堅太郎は──、
「オラオラオラァーーッ! お前らいい加減にしろぉーーっ! 俺にもボールをよこしやがれっーー!」
痺れを切らして、怒涛の勢いでサイドを駆け上がっていった。
もはや駄々をこねる赤子と同じだった。
──!?っ
「──オーバーラップ!?」
いち早く堅太郎の押し上げに気づいた10番が、右サイドの奥にボールを素早く流し込む。フリースペースにボールだけが疾走する。
「右サイド、プレス!」
白チームのディフェンス陣がポジションを寄せてボールを追いかける。
10番から出されたパスは堅太郎とディフェンダーとの、ちょうど中間。絶妙な位置へのスルーパスになった。
ボール目掛けて走り込む堅太郎に対して、斜め前方から二人のディフェンダーが押し寄せる。しかし、速度のあるグラウンダーパスが無慈悲にも堅太郎から逃げるように、更に奥まったスペースへと転がっていく。
堅太郎が先か──、
ディフェンダーが先か──、
「ぬおおおおぉぉっっーーーーっ! 目の前にボールがぁあああっーーーーっ!」
腰高で足の長い堅太郎の一完歩は、股関節の可動域が広く大きい。
大股で足を前方に踏み込み、地面を力強く蹴り込む。そして着地したと同時に、バネのような柔軟な筋肉が弾けて、スピードを加速させる。強靭な足腰が生み出す瞬発力──それでいて上半身には一切のブレがない──獲物を狙う獣のような敏捷性と爆発的なトップスピード。
その走りにフィールドの空気が変わった。
タッチライン最後方からのオーバーラップでありながら、スピードは衰えるどころか、距離が伸びる程に増していく──。
風になびく長髪が、羽ばたく猛禽類の翼のようにも見える。
ボールまで残り約2m。ストライド走法特有の持続性能。堅太郎が獲物を射程に捉える。ディフェンダーはまだ追いつけない。
一歩、二歩、──ボールとの距離が縮まる。
ディフェンダーよりも先に堅太郎の爪先がボールに触れた。
「け、堅太郎君っ!?」
かなえが主審の役目を忘れ、圧巻の走力に茫然と立ち竦む。
──!?っ
ずどーん。
──!?っ
堅太郎がワンタッチで触れたボールは足元に収まることなくゴールラインの遥か彼方へと消し飛んだ──。
あっ──、
──あは、あは、あはははは──。
怒涛の猛追。
圧倒的なスピードに目を奪われ、驚愕していたのも束の間、その結末はこともあろうに、前代未聞の豪快なトラップミス。
思いもよらなかった緊張と緩和に、フィールドは失笑とはまた違う、乾いた笑い声を絞り出し、定まらない感情に困惑していた。