二話
始まり
──二〇一九年。
春のうららかな日差しのなかで、サッカーボールを追いかける高校生たち。
優駿高校サッカー部。田園風景が広がるのどかな田舎町にその校舎はある。
片田舎の公立高校である優駿高校のサッカー部は、あくまでも教育の一環としての部活動に過ぎない。当然、専用の練習場などあるはずもなく、校庭のグラウンドと、河川敷沿いにある小さな市営グラウンドを野球部と交互に使用している。
「くらえぇぇーーっ! 必殺スーパーメガトンウルトラドラゴンライトニングダイナミックシュートッ!」
雲ひとつない抜けるような青空の下、放たれたシュートが大きな弧を描き、クロスバーの遥か上空を越えていく。
ボールの行方は──、クロスバーの上を越えて、それでもなお勢いを増して、小さなグラウンドの金網柵を越えて──、
まだまだ伸びて──、
グングン伸びて──、
ドゴンッ!
河川敷を自転車で駆け抜ける生徒の頭に直撃した──。
「やべっ」
サッカー部員が小さく舌を出したと同時に、頭にボールを受けた生徒は自転車ごと視界から消えた。
────!?っ
「──大丈夫ですか?」
「──大丈夫ですか?」
「──すいません。意識はありますか?」
河川敷の土手で仰向けになって倒れる男子生徒の頭上で、ぼんやりと優しげな女性の声が響いた。
しばらく意識を失っていた男子生徒が目を覚ますと、
「あっ! よかった。怪我はない?」
降り注ぐ春の陽光を遮って、キャップを被った美少女が覗き込んでいた。
「──んぐっ!?」
男子生徒は目の前に迫る美貌に、声とも嗚咽ともいえない感情だけの言葉を漏らす。そしてすぐさま、ムクッと上半身を起こし、
「大丈夫ですっ! 体だけは頑丈ですからっ!」
と、胸を叩いてみせる。
「よかったぁー、まさか自転車ごと土手に転がり落ちるなんて思ってもみなかったから──」
美少女の言葉に男子生徒は首を傾げた。
うん? たしか、頭に衝撃があって──。
「んごっ!?」
男子生徒は再び、言葉にならない感情を漏らした。土手の下には新調したマウンテンバイクがあられもない姿で横たわっていた。
んごっ!? んごごごごっ──!?
男子生徒はガバッと勢いよく立ち上がり土手を駆け降りて行く。
「う、ううう、俺の愛車がどうしてこんな姿に……」
わなわなと肩を震わせていたかと思いきや、ひょいとマウンテンバイクを担ぎ上げ、ズシズシと土手の急斜面を登っていく。
そして美少女の前に立つと、今度は美少女が「でかっ──!?」思わず、口を滑らせた。
「うん?」
長髪をなびかせた大男の鋭い眼光が美少女に向けられる。
「ひっ──」
美少女が息を飲む。
寝そべっていたから分からなかったが、男子生徒の図体はバカでかい。広い肩幅に厚い胸板。すらりと伸びた長い手足。身長は190cmはあろうかと推測できる。
「ご、ごめんなさいっ! うちのサッカー部員のせいでっ! べ、弁償しますっ!」
あまりの威圧感に美少女はペコリと素早く、それでいて深々と頭を下げた。
「顔を上げてください。修理すればいいだけの話しですから!」
男子生徒はマウンテンバイクを肩から降ろし、跨がってみせる。
「大丈夫です! ほらっ、充分乗れますから!」
ぶらんと垂れ下がる自転車のライトをバレないようにねじ込んで、満面の笑みを作った。
美少女が顔を上げると、
──この女性、めっちゃかわいいっ!
鼻の下を伸ばした締まりのない笑顔が待ち構えていた。ふんふんとした鼻息が噴出され、男子生徒の頬は赤く染まっている。
「そ、そんなことよりも──、お、お名前を、お、教えていただけませんかっ?」
ハッとした美少女は、無意識に口元を手のひらで覆った。
──たしかにまだ、お互い名前を名乗っていなかった。
「細江かなえ、──私、二年生でサッカー部のマネージャーをしています」
「──か、かなえさん……。も、申し遅れました、俺は一年の有馬 堅太郎と言いますっ!」
「なんだ……、新入生だったのか……。どうりで見かけない顔だと思った……」
「はいっ! 昨日入学式を終えたばかりのピカピカの一年生でありますっ!」
新品のマウンテンバイクに傷がついたことは腹立たしかったが、それを引き換えにしても、入学早々、美女との出会い。しかも歳上のお姉様──、堅太郎は拳を強く握り締めた。
キャップから溢れるポニーテールに胸が高鳴る──、一目惚れだった。
「あ、あの、お近づきの印に連絡先を──」
堅太郎がモゴモゴと小声で言い掛けた時、それを遮ってかなえが口を開いた。
「それにしても君、随分と背が高いよね? ちょっといい?」
ベタベタと無遠慮に体を触ってくる。
「背だけじゃなくて凄い筋肉っ! 太腿とかもパンパンっ! キャー、凄い凄いっ!」
きゃっきゃと体を触るかなえに対して、堅太郎は顔を真っ赤にして、なすがままに嬉しさと恥ずかしさを堪えていた。
……う、ううう。
……な、なんだこの積極性は?
やはり、女性は歳上にかぎる……
「──君、運動神経いいでしょっ?」
しばらく体を物色していたかなえが、自信ありげに言い放った──ビシッ。
「は、はいっ! 勿論ですっ!」──バシッ。
かなえの態度に気圧された堅太郎は咄嗟にそう答えていた。
「だよね、だよね。完全にアスリート体型だもんっ!」
かなえの目が輝いている。
「ねえ、ねえ、キミキミィ、部活は何に入るかもう決めてるのぉーー?」
つんつんと指先を体に押し付けて、流し目を堅太郎の視線に擦り付ける。
「もしよかったらぁー、うちのサッカー部なんてどうかなっ?」
もじもじ、くねくねと不自然に揺れる美少女の腰つき。
エヘヘヘとふしだらな笑みを浮かべた堅太郎は、
「勿論、入部させて頂きますっ!」
──即答だった。
「キャーッ、やったあー! 期待の大型新人ゲットぉーーっ!」
かなえが両膝を「ルの字」に折り曲げて飛び跳ねる。
──運命の出会い。
これぞ青春、ボーイミーツガール。
部員勧誘と下心。思惑は合致していないが、二人の心は春の日差しのように眩しく輝いていた。