十八話
「ほう──、今日は横山君は試合に出ないようですね」
喜多島が目をすがめて鼻の穴を広げた。
「代わりにフォワードのポジションに入っているのが、背番号9番、藤田君ですか……」
「去年はいなかった選手ですよね?」
かなえが疑い深くピッチを凝視する。
朝日実業のスターティングメンバーにはエース横山の姿はなく、威勢の良い黒髪の男が立っていた。
「チッ、なんだ今日は、その横山ってヤツは出ねぇーのかっ? つまらん」
堅太郎は長い足を組んでベンチにふんぞり返る。
一年前の地区予選──、朝日実業高校。
「だあぁぁーーっ! なんで俺がベンチ入りもできないんっすかっ!」
一年生の藤田が大間を前に癇癪を起こしていた。
「朝日実業は原則として一年生は試合には出さんっ!」
「はあぁぁーーっ! なんすかっその考えっ! ふっるーー! どう考えてもこいつらより、俺の方が上手いじゃないっすか!?」
「上手いとか下手の問題じゃないっ! 大体お前は練習もろくに参加しないうえに、戦術すらまともに理解してないじゃないか!」
「はあぁ!? だったら横山さんだって同じじゃないですかっ? 差別ですよ、差別っ! きっしょ」
──きっしょ!?
大間のこめかみがピキピキと震える。
「実力至上主義の時代になにいってんすっか!? きっも。きっも。きっも!」
──きっも!?
大間の怒りが爆発した。
「なんだ、てめえ、その口の利き方はっ!? もういい! お前みたいなヤツはサッカー部にいる資格はない! とっとと出ていけ!」
「あー、いいっすよ! こんな古臭いサッカー部はこっちから願い下げですよっ!」
そう言って、藤田はサッカー部を辞めた。
そして、大間はプロジェクトチームから呼び出されることになる。
「──大間君、困るんだよね……」
「しかし、サッカーは団体競技です。チームの輪を乱す者はいくら優秀な人間といっても戦力になりません」
「君の言い分も理解できないわけじゃないが、その軍国主義を象徴するヒエラルキーで日本サッカーが世界に通じてきたかね?」
大間は言葉を詰まらせる。
「組織を重んじる君の考えを否定はしない。だが、古き良き伝統を遵守したサッカーでは世界に通用しない。これが現実なんだよ。
必要なのは、常識を覆す圧倒的な力。我々が、創り上げているものは、既成概念に捉われない──新時代の英雄。大間君、分かってくれるね」
大間は膝の上に乗せた拳を握り締める。
そして、国家権力に屈した自分を悔いた。
──俺が人生を捧げてきたサッカーは、もうこの国には存在しない。
全国大会で大敗を喫した大間は、その翌日、サッカー部を辞めた藤田に頭を下げることになった──。
「監督がそこまで言うなら、戻ってやってもいいっすよ!」
大間はプライドを押し殺し、ただひたすらに自分の感情を消していた。
「まあまあ、監督、頭を上げて下さいっ! この漢、藤田が戻れば、朝日実業サッカー部全国制覇も夢ではなあーーいっ! カッカッカッ!」
足元を見つめながら大間はその恥辱を堪える。
──無。無、無、無。
ちっぽけな俺の私情など一円にもならん。大間は自分に言い聞かせる。俺は無能だ。そして──、政府が極秘に創り出す遺伝子保持者──、
この生命体は、──異能だ。
「よっしゃあ、いっちょやったりますか!」
優駿高校対朝日実業高校との練習試合。
ピッチに立った藤田が腕を十字に組んで、ストレッチをしながら気合いを入れていた。
伝統ある藤色のユニフォームに、白く輝く細めのヘアバンドが眩しい。
対する優駿高校のユニフォームはサムライブルーを彷彿させる濃紺。
優駿高校にとって、地区大会決勝の雪辱戦。
ホイッスルが天を抜け、優駿高校がキックオフを行う。
借りを返そうと目の色を変えた武が果敢に攻め込む。それを精密機械のように規律正しい動きで、朝日実業が防いだ。
「やはり、今年も徹底したゾーンプレスは健在ですね」
喜多島がベンチでほくそ笑んだ。
「しかし随分と守備的な布陣ですよね?」
喜多島の横でかなえが呟く。
「前半は相手チームに攻め込ませてスタミナを削る。体力に余力がなくなった後半、ラインを上げたハイプレスでゴールを狙う。それが大間監督の常套手段です」
喜多島の分析通り、自軍に人数を割いた守備的フォーメーションに、優駿高校のオフェンス陣は攻めあぐねていた。
ワントップの藤田を除いた十人が自軍に篭り、数的有利な状況を作り出している。
「なんだこの引き篭もり戦術は……?」
次から次へと湧いて出るディフェンスに池添が手を焼く。
「こんなのまるで弱者の戦い方じゃねーかっ!?」
池添が言うように、ディフェンスに人数を割く布陣は格下が使う戦術で、県大会王者の戦い方ではない。
大間が掲げるサッカー理念は組織化された守備力。点を与えなければ負けることはない。
守備を重視する大間が理想としたチームは、史上最大の番狂せと評される二〇〇四年のギリシャ代表だった。
弱者の奇跡とも呼ばれたEURO2004。サッカー先進国である欧州の頂点を決める大会。出場時点でギリシャ代表のFIFAランキングは35位と、サッカー後進国、日本23位をも下回る評価だった。
予選リーグ敗退が確実視されていたギリシャは、堅守速攻を武器にタレント軍団を擁した強豪国を立て続けに零封して、国際大会初タイトルを掴み取った。その原動力となったのが、犠牲心とハードワークによる強固なディフェンス力。忍耐と規律が個の力を上回ることを世界に示した大会となった。
名将、大間の戦術の礎はギリシャチームに代表される堅守からのカウンターアタック。
そして、その唯一の攻撃手段となる速攻には、皮肉にも遺伝子保持者である、藤田の遺伝子能力が必要不可欠だった。
「ナイスカット!」
朝日実業の守備の要でもある背番号10番、キャプテンの丹内がボールを奪うと、前線へ大きくボールを蹴り出す。
それに合わせて、白のヘアバンドをつけた藤田が駆け抜ける。
「待ってました!」
ディフェンスラインを下げて守る朝日実業に対して、優駿高校はディフェンスラインを上げている。
「──戻れっ!」
朝日実業のカウンターにセンターバックの二人が食い下がる。が──、速い。
藤田は回転の速い足の動きで、ディフェンス陣を置き去りにしていく。
歩幅の狭い藤田の走りは、まるで水面を跳ねる水切り石のように軽やかで素早い。
足元にボールを収めてもその速度は落ちない。
単独でのドリブル突破に業を煮やした川田が、一か八かで前方に飛び出した。
藤田対ゴールキーパー川田の一対一。
気概溢れる川田のスライディングが藤田の足元を襲う。
玉砕覚悟の捨て身のスライディング。しかし、川田の両腕はシュートに備えて、斜め上方に大きく広げている。
藤田は、──跳んだ。
ボールを足首に乗せて、川田を飛び越える。
そしてそのまま、空中で体勢を捻り、ボレーシュートのような形でボールを抉り飛ばす。
螺旋状の気流を帯びた弾道がゴールネットに突き刺さった。
スパァアーーーーンッ!
俊足、快足。駿馬の如くフィールドを疾駆する藤田の姿に、監督の大間はゆっくりと瞼を閉じた。
──この能力があれば、去年の全国大会を勝ち抜くことができたはず。
指導者としての信念と、異能とも言える天賦の才。その狭間で揺らめく葛藤に、神経を擦り減らされてきた。しかし、もう迷いはない。
大間は目を見開くと、小さく拳を握り締めた──。
遺伝子名称、コードネーム──『音速の処刑人』【ラインコードK-2】
──藤田が吠える。
「しゃあぁーおらっ! 漢、藤田直道、伝説の幕開けじゃあ!」




