十三話
「──ほう。堅太郎のヤツ、早速、連携を理解し始めたか……」
オフェンスチームの勝春が感心するように頷いた。
ならば──。
ディフェンスに戦術があるように、オフェンスにも戦術がある。サッカーは走るチェスと言われる。相手の出方を伺って、戦術を変える。
オフェンスチームはボールを回し始めた。
勝春、福永、武、池添、また勝春。
ショートパスを繋いで攻め込まない。痺れを切らしたヨシトミがポジションを上げた。それに伴って、ディフェンスラインが上がる。
気づけば、裏には大きなスペースが出来ていた。オフェンスチームの狙いはディフェンダーを釣り出すこと。
──うん?
堅太郎が異変に気づく。
あそこにボールを放り込まれると、この位置からでは間に合わない。
案の定、勝春が裏のスペース目掛けて、パスを蹴り出そうとしていた。
それと同時に池添が走り出す。
──しまった。ヤバい。
堅太郎がすぐさま、ポジションを下げようとした矢先、
──うん? 待てよ。──もしや、
──あるアイデアが浮かぶ。
堅太郎はパスコースへのカバーとは真逆の進路方向に走り出した。
──!?っ
ディフェンスの裏をついた池添がフリーでパスを受け取り、楽々とシュートを決める。しかし──、
「ピー」
ホイッスルが鳴る。
──オフサイド。
堅太郎は勝春がパスを出す瞬間、ポジションを前方に押し上げていた。
「堅太郎、ナイス、オフサイドトラップ!」
エダテルが驚いた様子で駆け寄ってくる。
「お前、いつのまにそんな高度なテクニックを覚えたんだよっ!?」
「いや、だって、オフェンスはディフェンダーより前にいちゃダメなんすよね……、あんま自信ありませんけど……」
堅太郎は以前、自分がオフサイドになったことを根に持っていた。
「だからって、よくあのタイミングで仕掛けたな!」
エダテルが目を瞬かせる。
状況を理解して、瞬時に判断した堅太郎の閃き。
「……あいつ」
ゾーンプレスを理解し始めた堅太郎に対して、ポゼッション戦術を試みた勝春が舌を巻いた。勝春は、まだ底を見せないサッカー初心者、堅太郎の視野の広さに驚きを隠せなかった。
──サッカーの戦術は、時代の英雄たちによって創られる。
例えば、ゾーンプレスはワールドカップで五人抜きドリブルの偉業を成し遂げたアルゼンチンの英雄を封じるために考案された。
そしてそれを攻略したのが、サッカー先進国、欧州の主要タイトルを総ナメにしたフランスの英雄。ドリブルだけではなく、スルーパスを用いることによってゾーンプレスを無効化した。
次に彼の対策として生み出されたのがリトリートと呼ばれるスペースを消す戦術だった。しかし、それさえも新たな時代の英雄たちは乗り越えていく。
如何なる時代も圧倒的な力を封じるために戦術は開発され、そして更なる力を持った新しい時代の英雄たちに破壊されていく──、歴史をも凌駕する新時代の英雄たち──、叡智を打開する個の力──、
「──勝春さん、俺にやらせてもらえませんか?」
感情の読み取れない冷笑を浮かべて、武が言った。
ポン、ポン、ポーン──。
なにやら楽しげに武は一人でリフティングを始めていた。
「あっ、武さんのやる気スイッチ発動」
池添がぽかんと口を開ける。
川田の溢れ出る闘気とは違う、ご機嫌とも、不気味ともみえる底冷えするような武の闘気。
「池添、やっぱ、骨のある一年生が入ってるじゃん」
武はそう言うと、リフティングしていたボールを池添に蹴り渡した。
「よし、始めよう──」
「……あっ、はい」
池添は久しぶりに感じた武の本気モードに身震いを覚えた。
オフェンスチームがキックオフを行い、ボールが武に渡る。
ボールを足元に収めた武の横顔が微笑みの残像を焼きつけて、池添を追い抜いていく。
空間を斬り裂くような俊敏な動きに、マークに付いていたヨシトミが踏み遅れる。
「──ヨシトミっ!」
即座にエダテルが詰め寄りフォローに入った。武を前にしてヨシトミとエダテルの二人がかり。その後方に堅太郎。
一人の人間に対して三人で取り囲む。
武はスピードを緩めることなく、右側に切れ込んでいく。その動きに合わせて、ヨシトミとエダテルが右側に引っ張られる──が、武は足裏でボールを進行方向とは逆に転がし、身体を反転させて左側に抜けていく。
重心が右側に傾いているディフェンダー二人は反応できない。背後で思わず、右に釣られた堅太郎だったが、意識を左側に向けていた。強靭な足腰で踏み止まり、即座に左側方向に体を開き、武のドリブルに喰らいつく。
「──武は俺が、──ぶっ潰す」
凄んだ堅太郎の眼光と、鼻唄でも歌っているかのような武の眼差しが交差したや否や、
──!?っ
武の視線が、流れて、──消えた。
代わりに現れたのが武の後頭部。ふわりと良い香りが堅太郎の鼻腔をくすぐる。そしてすぐさま、巻き上がった髪も、──消える。
──!?っ
武の身体が一回転して、堅太郎の脇を潜り抜けていく。
──ボールはっ!?
武は右足の裏でボールを流すと、身体を回しながら、左足でボールをタッチして、更に右足の踵で堅太郎の股下を抜いた。
マルセイユルーレットにヒールパスを組み合わせた高度なターン技術で、堅太郎を躱す。
堅太郎の裏に飛び出た武がボールを再びコントロールしてシュート体勢に入った。
すると、突然──、
ズザザザァァーーッ!
キーパーの川田がスライディングの型で武の足元に滑り込みボールをキャッチした。
「あ──、川田さんがいたこと忘れてた──」
武がおどけてみせる。
その背後で堅太郎が肩を震わせていた。
──なにが起きた──!?
ボールを抱えた川田が近寄る。
「堅太郎、お前のようなデカい選手は股下を狙われる。警戒しておけ!」
──股下だって?
堅太郎は視線を落として、足元を見る。
ガッツリと開いた大きなトンネル。
ここを抜かれた──?
武目当ての女子生徒たちからクスクスとした笑い声が聞こえる。
かあぁーーっ!
堅太郎の顔が熱くなった。
な、なんという屈辱。
「た、武ぇぇっーーっ! て、てめえ、もう一度勝負しやがれっ!」
武が涼しげな笑みを浮べた。
「別にいいけど、武さんな! 武『さん』、俺、こう見えて上下関係には厳しいタイプだから」
「……た、た、武──、さ、さ、さんっ、もう一度勝負しやがれっ!」
武の口角がニヤリと吊り上がる。
「つーか、堅太郎、お前、面白いじゃん。──じゃあ、もう一回やろっか。今度は川田さんからもゴールを奪いたいし──、あと、しやがれじゃなくて、してください、なっ!」




