十一話
その日の帰り道。
堅太郎はかなえと一緒に河川敷の土手を歩いていた。
かなえと出会った記念すべき場所。
「やっぱり堅太郎君って運動神経いいよねっ!?」
「…………」
「初めてのリフティングで九十九回もできちゃうんだからっ! さすが、私が見込んだ男だけあるわっ!」
隣りではしゃぐかなえに対して、堅太郎は口を閉ざしたまま悶々としていた。
武を見つめるかなえの横顔が脳裏をよぎる。
あれはまさしく恋する乙女の表情──。
得体の知れない臓器が、くっきりとした輪郭を象って胸を締めつける。
「──どうしたの? さっきから浮かない顔しちゃって……」
かなえが見上げるように堅太郎の顔を覗き込んだ。
うっ──。可愛い。
飲み込まれるような引力に思わず、息が詰まる。
吐き気にも似た動悸がさっきから喉元を行ったり来たりしていた。
「か、かなえさん、つ、つかぬ事を、お、お聞きしますが……」
「なあーにっ?」
夕風が吹き抜けて、かなえの髪をなびかせる。乱れた前髪を耳に掛けたかなえは、スポーツバッグを持った両手を後ろに組んで体を傾けた。
「あの……、その……、なんだ……、ほら、あの──、」
しどろもどろと口籠る堅太郎に、
「真剣な顔しちゃって、らしくなあーいっ!」
遠心力を加えたスポーツバッグを堅太郎の腰に横殴りでぶつける。
──んごっ!?
不意に訪れた衝撃につんのめり、堅太郎は素っ頓狂な声を漏らした。
「ちょっと、かなえさん、なにすんっすかっ!?」
「だって堅太郎君がらしくない顔するから──」
「──らしくないっすか……」
堅太郎がポリポリとこめかみを指先で掻いて視線を泳がせる。
しばらく沈黙がながれて、
「……あの、武とはどういう関係なんですか……?」
「──えっ!? ……武君……?」
かなえが一瞬、表情を消して黙り込んだ。
焦点の定まらなかった堅太郎の視線が一点を見据える。
風が途絶えて、自然とみぞおちに力が入る。
「──武君かぁ……」
かなえから発せられた言葉は以外にも短いものだった。
堅太郎は次の言葉を待ったが、かなえは視線を夕陽に飛ばして、何も言わずに歩き出した。
膝をを曲げず、直角に伸ばした足を、関節のないロボットのようにテクテク、尺を取るような歩行。
「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ、かなえさんっ!」
堅太郎が後を追う。
──武君かぁ……。
ふくみを持たせたかなえの言い方に、堅太郎は不安に駆り立てられていた。
何も言えず、うつむき加減のかなえの横を歩く。
ふと、かなえが立ち止まったかと思いきや、ぴょんと跳ねるように、かなえは堅太郎の前に躍り出た。突然、目の前に現れたかなえに堅太郎の背筋が伸びる。ゴクリ。堅太郎の喉が小さく鳴った。
「──武君は、──私の夢なの──」
つとめて優しく微笑むかなえに、堅太郎はたじろぐ。
「……夢っ? すかっ……?」
「──武君と私は同じ養護施設出身なの……」
「養護施設?」
想定していなかったフレーズに堅太郎は気まずさを覚えて、視線を外すことが出来なくなった。
「そう、養護施設。私も武君も孤児だったのよ。で、小学生にあがる頃、お互いに里親が決まってね、偶然にも同じ地域だった」
そこでようやく、堅太郎は目線を外した。
「幼い頃から武君は運動神経が良くて、サッカーが上手だった。私は運動神経が悪いから、サッカーで活躍する武君を自分のことのように応援したの。中学は違ったんだけどいつも武君の試合を観に行ったりして。スカウトの人たちなんかもたくさん来てて、武君の試合は凄かったんだから!」
かなえの話に相槌を打ってもいいのかと堅太郎は戸惑う。
「……だからあ、──、武君はぁ、──私の夢っ!」
眩しいほどの笑顔が夕陽に照らされて、赤く染まっていた。
「……彼氏とかじゃなくて……?」
「か、彼氏──!? いや、そんなんじゃないからっ! 家族っていうか、兄妹っていうか、私自身っていうか──、それに武君は私のことなんて全然見てないからっ! 武君が見てるのはプロのサッカー選手になって、ワールドカップで優勝することだからっ!」
「ワールドカップで優勝?」
「そう、サッカーの世界大会──、で、それを応援するのが私の夢なのっ!」
「──俺じゃあ、……ダメっすかっ?」
「──えっ!?」
「そのワールドカップ優勝ってやつ、……俺じゃあ、ダメっすかっ?」
かなえが目を見開く。
「俺がかなえさんをワールドカップ優勝の舞台に連れて行ってあげますからっ!」
固まっていたかなえの表情が和らぐ。
「……言ってくれるじゃない! 初心者のくせにっ!」
「ふふふっ。なんせ俺はサッカー部の英雄ですからっ!」
ドンッ。堅太郎が誇らしげに自分の胸を叩いた。
「よしっ。英雄っ! そこまで言うなら、明日はリフティング百回成功させてみよっ!」
「楽勝っすよ! 今日だって、かなえさんが……」
堅太郎は言葉を飲み込む。
「私がなんだって?」
「いや、なんでもないっす!」
堅太郎の夢。ワールドカップ優勝。
そして、かなえを──。
不純な動機のサッカー少年がここに誕生したのだった──。




