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兎を見失った者の話

目が覚めたら知らない部屋だった。


フローリングに直に転がっていた体勢から立ち上がったら、何かが体からずり落ちる。上着だ。脱いだ覚えないんだけど。ていうか、ホントにここどこだっけ。


カーテンまで無地で味気ない、特徴のない空っぽの部屋。ぐるりと見渡してからふと視線を下げれば、何かが視界に入った。


「ひぇゃっ!?」


思わず大声が出て、私は慌てて口を抑えた。壁に寄りかかるように寝ている人は、初めて見る顔をしていた。私の知り合いじゃない。今の声で起きてしまってやいないかとおそるおそる顔を覗き込んで、息を吐いた。


良かった、寝てる。


最終的にはこの人に聞いてみないと、ここがどこか分からないだろうけど、今起きられてもちょっと困る。出来れば私の事態把握が終わるまで寝ていて欲しい。


上着を着直して、私は部屋を物色しようとした。でも本当に何も無い部屋だった。私も人のこと言えないけど、テーブルひとつないなんて。いや、私はいいんだ。だってテーブル置く場所がないから。


私はいわゆる、なんて言うか、ゴミ屋敷、ってやつに住んでる。だから床は見えないし、テーブル置く場所なんてない。


ここは、何も無い。テーブル置き放題だ。なんで置いてないんだろ。ベッドくらいあるもんじゃないの、私んちにもないけど。床があまり綺麗じゃないし、私も靴を履いたまま寝ていたから、もしかしたら何かの展示とか、モデルルームなのかもしれない。


私はとりあえず立ち上がって、玄関に向かった。ここも、1K。部屋、キッチン、ベランダと玄関しかない。玄関にも何も無い。


もう一度、そこで寝てる誰かを振り返る。やっぱり知らない人だ。自分のポッケに財布とスマホが刺さったままなのを確認して、ちょっと迷った。ちょっと迷って、結局ドアを引く。


――ごめん、ずらかる。


ガチャッと音を立ててドアが開いた先には、なんでかめちゃくちゃ見慣れた景色が広がってた。


「へぁ?」


慌てて、ドアから出て振り返る。


表札、なし。203号室。


目の前には赤い屋根の家、錆びた手すり、隣の202号室の前に置いてある干からびた植木鉢。


「私の家だぁ……」


馬鹿でかい声で叫んだつもりだったけど、寝起きの喉からはカッスカスの声しか出なかった。


そう、私の家。ギリギリ生きてる私のギリギリ具合をつい昨日まで完璧に体現していた私の城。間違ってもこんなモデルルームみたいな空っぽ具合ではなかったはず。


そうともそうとも、私も私の家もギリギリなのだ。なにせ、生きるのって、すんごく金と体力が取られる。だから掃除してくれる人を雇うお金も掃除する気力もなくて、毎日汚くなる一方だった。


だってそうでしょ。くそ狭くてボロいアパートにも月三万取られて、自炊しないからかもしれないけど毎日絶対千円くらいご飯にかかって、スマホ代が月二千円で、銭湯行くのにも五百円くらいする。水道と電気とガスが合わせて月に九千円くらい行ったり行かなかったり。だからつまりええと、頑張っても一日三千円くらいかかる。


私は時給で働いて、八時間くらいのシフトを貰ってる。だから給料は、一日八千円くらい。プラスマイナスプラス。まぁ、上出来。と言いたいところだけど。お金は回っているけど、多分、生活は回ってない。


どうしてみんな上手い事いくのか、私にはよく分かんない。バイトしたら疲れるし、ご飯食べるのも疲れる。あとであとで、って置いておいたら、なんか家の中は凄いことになってた。でも、寝れれば困んないし。


前はなんか、もうちょっと頑張ってたと思う。頑張ってたってのも、よく分かんないけど。私多分、生まれる時代を間違えたんだ。井の中の蛙大海を知らず、っていうやつあるでしょ。それが出来る時代に生まれたかったな。


大海、知らなかったら、多分もうちょっと、頑張ってた。


井戸の中に居られんなら、私は井戸の中に居たかった。手の中の薄い板だけで、私よりもずっとずっと凄い人達をいっぱい見ることが出来ちゃう時代になんか、生まれたくなかった。知るまでは私は世界で一番凄かった。知ったら、世界で一番グズだった。


こんなに凄い人が沢山いるのに、私が頑張ったところでどうこうならないことくらいすぐ分かった。何年も頑張って、ついこの間始めた人が私よりもっと凄くて、そんで、私は頑張るのやめた。


やめたのに、そうそう日本社会は簡単には死ねないようになってた。ギリギリから救ってくれないのに殺してもくれないのだ。自分で死ぬしかない。その元気、というか勇気、というかがなくて、その日その日は意外と何とかなって、今に至る。


そう、別に、困ってない。ゴミ屋敷でも、全然。なんならゴミのせいで具合を悪くして、倒れてしまうのが本望だったくらい。なのになんで、私の家の床が、見えてるんだっけ。


昨日の記憶がほとんどない。家で寝ている知らん人と、消えた所持物。事件じゃんか。それとも酔っ払いの奇行というタイプの自業自得?やばいやばいやばい、私の溜めに溜め込んだゴミはどこに行っちゃったんだ?ていうかほんとに何も無いんだけど何が無いわけ?ゴミ以外のほら……ほら……待って、私何を持ってたかな?


あ、そうじゃん服。服がない。あとカバン。財布。違う財布はあるや、財布とスマホはある。それから、なんだ……仕事道具なんてものはバイト先のロッカーの中だし、食事のストックはないし、家具は買ったことないし、娯楽品はないし、メイク用品とか持ってないし。あ、充電器とか。カバンの中のはず。あとは何?歯ブラシ?


思った以上に物が思いつかない。あんなにあったのに?うっそあれ全部ゴミ?服替え二セットとカバン一個と充電器とかケーブル、それから歯ブラシくらいしか使ってなかったわけ?それは……それは結構やばくない?


焦りに焦って閉まったドアの前でウロウロする。明らかな不審者だけど、どうせこのアパートの住人はお互いに関心を持っていないから平気だろう。


幸い今日は仕事がないからいいものの、次にとるべき行動がさっぱり思いつかない。あいや、違うな、今日が休みだから昨日アホほど飲んだに違いない。むしろ休みだったからこその産物じゃないか。そんなことはいいんだよどうしよ、え、警察?いや、昨日の私があの人呼んだのかもしれないし。


そうじゃん、人。あれ誰だよ。ここ私んちなら、あれは誰なんだよ。


ガチャ。


ごちゃついていた思考はドアの音で全部消し飛んだ。


表札、なし。203号室。


空いたドアは紛れもなく私の部屋のドアで、ドアを内側から開ける人は一人しかいない。


「あ、良かった。どっか行っちまったのかと思ったよ。」


……見ず知らずの誰かが知り合いのように話しかけてきた!浅木はどうする?


 話す

▽逃げる


逃げ場がない!浅木はどうする?


 話す

▽逃げる


逃げ場がない!浅木はどうする?


 話す

▽逃げる


逃げ場が……


……


▽話す

 逃げる


「……ッスー、あー、の……おはようございます。」


コンマ数秒脳裏で逃げるコマンドを連打した挙句、あまりにも情けない朝の挨拶が私の口から転がり出た。

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