第38話 この世界に希望を
涼子がクリケット村から帰ってきて、数ヶ月がたった。
季節はもうすっかり春だ。
学年が上がった涼子は、受験勉強におわれ、筋トレも料理もほどほどにしていた。第一志望の大学は、栄養学が習得できるところだ。将来は栄養に関する仕事に就きたかった。
「涼子、秋田元総理が逮捕されたっていうニュースを見た?」
放課後、桐谷とは一緒に勉強していた。国立大学を目指せるほどの学力がある桐谷には、教えて貰うばっかりだったが。
勉強も終え、教室には夕暮れの日差しが入り、眩しいぐらいだった。
「本当?」
「うん。さっきニュース速報で流れてたよ。悪い事って出来ないね」
秋田元総理は、カルトと癒着している政治家だったが、ハニートラップを仕掛けた女性を暴行し、逮捕されたようだった。トカゲの尻尾切りとは見られているが、ネットでは炎上していた。
この世界は、相変わらず悪い事も多いが、少しずつ変わってはきていた。カルトの教祖や自称救世主が死んだり、ワクチンも大きな薬害として連日メディアで騒がれていた。ワクチン後遺症の被害者への救済もはじまり、かつて陰謀論と馬鹿にされていたものの一部は現実になっていた。
また、桐谷によると、旧約聖書では昆虫食は特に薦められていないらしい。イナゴのみはオッケーだが、他は否定的らしい。もっとも新約聖書の時代からは、神様が全部罪を背負ってくれたので、救いと食事は全く関係ない。心の底から喜んで神様に感謝して虫を食べるのなら問題無いが、義務感を持ち呪術的に何かを食べるor食べないのは聖書的では無い。やはり、神様の言葉、神様と一致した思考が現実になっているように感じてしまった。あの昆虫食を推していた女優が「虫を食べると良い事がある」と呪術的な事を言っていた事を思い出す。
「やっぱり義の神様は見てるよ」
「でも桐谷、悪い事が起こるのは何でなの?」
「結局は人間が堕落してるからさ。昆虫食だってそうさ。いつも悪い事が起きる時は、人間の堕落がスタートになっている事が多いんだ。良心的な個人商店が潰れても気にしないで、昆虫食推すような大企業を普段から応援してたのは、我々だね。便利だからって大企業を利用しているが、便利なものには裏があんの」
「う、耳が痛い」
「今は仮想空間のメタバースでいじめを解決しようとしてる大人も居るけど、的外れもいいところだ。大人がちゃんとしてれば、子供のいじめなんて無い。昆虫食も給食に出すのも罰ゲームやいじめに繋がりそうなのが、やばいよなー」
桐谷の言う事はもっとも耳が痛かった。
「まあ、涼子さ、たぶんこの世も終わるけど、最後まで諦めちゃダメだ」
「そうかもね」
「そうだよ。どんなに堕落した世の中でも最後には神様側が勝つよ。実は二千年前に悪魔の敗北って決まってんだから」
そんな事を話しつつ、桐谷と別れた。
学校の帰りのスーパーにより、卵や野菜を買う。チルドコーナーを見ると、プリンやケーキが大量に売れ残り、半額シールが貼られていた。確かにこんなに食べ物は必要なのか疑問だった。どうも大企業の利益優先が一番食品ロスを生んでいる気もする。余った物を貧乏人にタダで配るより廃棄してしまった方が利益が生まれるのかもしれない。たくさん作って店頭を占領する方が客の目を引くのかもしれない。こういったチルドスイーツがこんなに種類があるのは日本独自の文化とも聞くが、別に褒められた話でもない。恵方巻きもクリスマスケーキも家で作った方が良いだろう。
確かにアラン、いや、稲村祈が言っているようにこの世は腐っていそうだ。杖をついた年寄りが転んでも、誰も声をかけない。繊細な人間にとっては生きにくそうな場所だ。
「大丈夫ですか?」
涼子は思わず声をかけてしまったが、無視された。まあ、世の中そんなものだろう。
微妙な気持ちになりながらも、家に帰り、夕飯の支度をした。今日は豆苗と炒め物と白米、漬物だった。
料理を作り終えると、太一が帰ってきた。最近仕事が忙しいようだったが、今日は珍しく早い。ゲームクリエイターという職業の性質上、スーツ姿ではなく、パーカーとジーンズというラフな格好だった。手を洗うと、太一はそのまま食卓についた。
「稲村さんの居場所がわかったよ」
豆苗の炒め物を食べながら、太一はこそっと教えてくれた。探偵を雇い、行方を突き止めたのだという。
「探偵なんて使いたくなかったけど、気になってさ」
「それで、どこにいたの?」
「病院に入院しているらしい。身体が悪いみたいで、何年も入院してるんだって」
そういえばアランは顔色がとても悪かった。虫のせいかとも思っていたが、稲村は元々身体も悪かったのか。
「大丈夫なの、稲村さん」
「探偵によると、軽くはないらしい」
太一は、苦虫を噛み潰したような表情だった。稲村がゲーム世界に現実逃避していたのも、病気のせいもあったのかも知れない。そう思うと、彼を責める気持ちにはなれなかった。実際、この世界の現実は辛い。
「今度のゴールデンウィーク、見舞いに行ってみない? 車で二時間ぐらいかかるけど」
「いいのー?」
「うん。俺も最近忙しかったし、たまには気晴らししたいよ」
太一と一緒に稲村が入院している病院に行くことになった。太一は事前に稲村に手紙を送り、ファンとしてどうしても会いたいと伝えた。最初は断っていた稲村だが、「妹」「涼子」という単語を入れた手紙を送った後、あっさり見舞いの許可が出たそうだった。
ゴールデンウィーク、渋滞に巻き込まれながら、兄妹二人で病院に向かった。山に囲まれた美素町という田舎町にある総合病院だった。
一応焼き菓子のセットもお土産で持って行く事にした。花は処理が大変なので、案外嫌がられるらしい。
「稲村さーん!」
太一は、憧れの人の会えて感動していたが、涼子は胸が痛くなる。病院のロビーで会ったが、稲村は車椅子姿で、痛々しいぐらい痩せ細っていた。たぶん年齢は三十歳ぐらいだが、若々しさは無かった。
「数ヶ月前までは意識不明でずっと寝ていたからね。こんなみっともない姿で悪いね」
涼子の気持ちを見透かしたように、稲村はそう言い、苦笑していた。病院のロビーはとても静かで、窓の外から木々のざわめきだけが聞こえていた。
「稲村さーん、元気になったら俺と一緒にゲームを作りましょう。大人から子供まで皆んなが幸せになれるゲームですよ。絶望した子供も今の世界もそんな悪く無いなって希望を持てるゲームを作りましょうよ」
「そうだな。それはいいかもね」
太一の熱意に押され、稲村はちょっと元気になってきたように見えた。
「あの、稲村さん。初めまして?」
「うん、涼子ちゃん。初めまして?」
なぜか二人とも疑問形で挨拶してしまった。初対面な気が全くしない。
「元気になったら、フライドチキンとフレンチフライ、あとポテトサラダをいっぱい作ってあげますよ! ケーキも作るよ」
「妹は、こんな脳筋ですが料理好きなんですよ」
「お兄ちゃん、脳筋って言わないでよー」
「実際脳筋じゃん。聞いてくださいよ、稲村さん。妹は本当に筋肉馬鹿で……」
兄弟の下らない会話に、稲村は目を細めた。
「そうだな。早く元気にならないとな。美味しい料理は、ゲーム世界なんかじゃなくて現実で食べるのが一番だよね。もう病院食が不味くて仕方ないんだよ。美味しいものが食べたい……」
稲村はそう呟き、穏やかに笑っていた。




